2009年 12月 18日
旅日記:アルジェリア
前夜のパリでの牡蠣と白ワインは美味かったなあ、とスーツケースをひっぱりホテルからCDGの2Fへ向かう。まだ暗い6:00。

エールフランスのゲートには7:30の出発時間に向け人が集まって来て仏語、アラビア語、ベルベル語が行きかう。

しかし、JFK発サンファン行きアメリカン、LA発エルサルバドル行きTACAやマイアミ発ボゴタ行きアビアンカの猥雑さに欠ける。なんか「国内便マルセイユ行き」くらいで物足りないって好みの問題か。。オルリー発アルジェリア航空便ならよかったかも。

機内もまだフランス。飯もワインもムードも。早く地元の匂いを、思っていると高度が落ちてアフリカ大陸の北端が姿を現す。

アルジェリアだ。

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首都アルジェへは東部上空から降りてゆく。東部はベルベル人の多い地域で植民地時代、小麦やぶどうなど大農場が多かったエリア。窓の下に緑の畑が見える。

空港は近代的で気温も心地よくさわやか。街へ向かう車でラジオをかけてもらう。恒例の音楽占い。おー、でたアラブ音階。しかしアーティストも曲もわからない。
運転手に聞いてみるとライの歌手だと言う。アルジェに来たことを実感。

さっそくお客のところへ。

モフォ「ボンジュール、サラマリコン。フセインさん、カイファル・ハール?」
「マルハバン、モフォさん。まずは市内をご案内しましょう」

アルジェリアって日本にはあんまり縁のない国かも。
世代が上だと、「♪ここ~は地の果てアルジェリア~♪だよなー。」などと昭和30年代のヒット「カスバの女」をつぶやいたりする。色んな人が歌ってるけど、個人的には藤圭子。宇多田はこの母の遺伝子もっててよかったね。ちあきなおみも素晴らしい。

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YouTubeで藤圭子の「カスバの女」を聴く
YouTubeでちあきなおみの「カスバの女」を聴く



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そのカスバをまず探索。
アルジェリアは長らくフランスの植民地だった。両隣のモロッコやチュニジアは先に独立できたのに。
フランスの一部だったからパリやマルセイユに出た人々、「フランス人」として欧州戦線で戦ったアルジェリア人も多い。
それって、なんだかプエルトリコと同じ。共通のシンパシーを感じてしまう。



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でも独立戦争を経て62年に植民地から抜け出し社会主義の枠の中でやってきた後、90年代は軍とイスラム原理主義過激派組織その内戦/テロが活発化。ようやく収まってきたけど、北部や東部ではまだテロが頻発してる。

で、カスバは首都アルジェの旧市街、世界遺産にもなっている地域。オスマン帝国が支配していた16世紀の城砦が起源でプエルトリコならエル・モロと旧市街って感じ。
細い路地が入り組み家が密集しているから独立戦争時代の独立派や内戦時代のイスラム原理派が隠れるのには絶好だった。
今でもあまり治安のよくない地域。強力な哀歓のある地元の音楽が聞こえてくると、自分が異邦人であることを強く感る。



◆◆◆

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独立記念塔にも連れて行ってもらう。植民地から独立そして今へという時間の中を生きている当地の人々は一体どんな生き方・暮らし方・感じ方をしているのだろう。
アルジェリアは自分にとってはカミユやサン=テグジュペリ、ファノン、イザベル・アジャーニ、ジダン、サン=ローランくらいか。それに音楽。ライやアンダルースくらいしか知らない。

記念塔の向かいのアパートには見事なまでに衛星放送を受信するアンテナが並んでいる。
モフォ「ヨーロッパからの音楽やらキワドイ番組も見られるの」
「あれは多分かなりのが違法アンテナだから全部見られるよ」

きっと、こうやって少しずつ何かが混じり、一方で変わらないものと共存してゆくんだろうなあ。
時に「イスラムは排他的だ」という表現をする人がいるが、庶民の生活を見ていると大いに疑問に思う。

さてぼちぼち仕事へ。フセインさん、オフィスへ行きましょう。

◆◆◆

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アルジェリアの交渉ごとは、ラテンとはペースが違う。水タバコでもあるとムード出るのだけどそれは無かった。コーヒーやミントティー、そして甘いお菓子を前に夜8時くらいまでやる。
お菓子はアーモンド・ペーストにクミンとかフェンネルとかの甘い香りが混じる。つい手が伸びるわ。危険だ。

モフォ「ところで、アルジェリア・ワイン、うまいって聞いたんですが」
フセ「がはは、モフォさん、仕事は少なめ、食事とお酒と音楽は大盛だって聞いてますよ」
「だ、誰ですか、そ、そんな失礼なウワサを。まさかブログ読んでますか?」
フセ「なんですか、ブログって?では仕事は切り上げて夕食に行きましょう」


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まず、地元ビール"Tango"を。
「プハー。ちょっとコクがあってなかなかうまいですね」
フセ「次は赤ワインにしましょう。料理も選んで下さい」

フセインさんはアルコールは飲まないが、こちらが飲むのはOKだと。ワインは赤を頼んだが、これがなかなかいける。あー、イスラム圏で飲めるのはありがたいことです、ぐびぐび。



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前菜はボノワ風ブリックの"Brick a la bonoise"にする。アルジェ春巻きであるブレクにしようとも思ったけど、チュニジアで昔食ったブリックがあったので試してみました。ボノワーズはアルジェの東部、アンナバの植民地時代の名前から来ている。チュニジアに近いので、どこか似てるかな?

そしてメインはもちろんクスクスとショルバ。クスクスにはラム(肉)をつけてもらました。ショルバ(スープ)をクスクス(小麦粉を水とあわせ、小さな粒にしてふかしたもの)にかけて食べる。うまい!

デザートも食ってエスプレッソ飲んで満足・満足。でもラテンのように2次会はないのだ。ホテルに送ってもらう。



あー、食ったなあ。う、しかし・・・クスクスが腹の中で膨らんでいる。しまったあんなにスープをかけるんではなかった、く、くるしい。そ、そうだ、バーでミント・ティーでももらって胃を落ちつかせよう・・・

カウンターでリカールをなめながら音楽ビデオの番組を眺め、バーテンダーに色々はやりの音を教えてもらう。メモメモ。

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ホテルは19世紀の植民地時代に建てられた歴史あり。カミユやらクラーク・ゲーブルやらコクトーとかが泊ったとか、独立戦争のときは仏軍がいたとか。
そんなバーで、あのレバノンの女性歌手は美人だとか、このハレドの新曲はどうだとか、東洋人が酔っ払ってるのは不思議な現実感。

部屋に帰って、また音楽番組を見ながら色々考えてる内に眠りに落ちた。





◆◆◆

さて、捕獲CDです。

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まずライと言えばこの人、(シェブ)ハレドの新譜。
YouTubeでCheb Khaledを見る








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それから欲しかったスアド・マシ。
YouTubeでSouad Massiを見る

そして地元のアンダルシア系。

これらを聴くと、プエルトリコの哀歓の元になっている、スペインの音は、アンダルシアを真ん中にアルジェリアとも繋がってるなあと思う。とにかくメロディーが美しい。

ヒバロの哀歓、レロライとアラブ(アンダルス)音楽の発声、プレーナのパンデーロ/パンデレータとレク(レッ)との親戚関係・・・。



そういえば、バーの壁にかかっていた現アルジェリア大統領、ブーテフリカさんの写真がモン・リベーラに思えてきた。

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関口義人さんが編者として纏められた「アラブ音楽」という本の中町信孝さんの「アラブ・ポップス」の項にも紹介されている "6arab.com"のサイトではアラブ音楽を大きく4つに分けた地図があります。

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1.モロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビアのマグレブ地域
2.アラブ芸能の中心エジプトを中心にした地域
3.サウジアラビアやらの湾岸諸国
4.レバノン、シリア、イラク等の地域

中近東イスラム圏となるとこれに加えトルコやイランなども含めとんでもない多様性を抱えている。

それにパリのマグレブ移民、ドイツのトルコ移民、イギリスのエジプト移民、などなどと第二・第三世代を含め膨大な音楽があって、全てを触る事などとんでもないけど、「アラブ」「イスラム」が一枚板でない事を音楽から少しずつ教えてもらいたいと思います。
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by mofongo | 2009-12-18 14:31 | Viaje/漫遊記


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