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2010年 02月 04日
27回目となる今年の『サルサ国民の日/Dia Nacional de la Salsa』のコンサートは 3/21(日)昨年と同様アトレイのイラム・ビソーン球場。Plaza Las Americasのすぐ南ですね。 今年はジョニー・オルティス(Johnny Ortiz)とエクトル・マイソナーベ(Hector Maisonave)に捧げるというプログラム。 ジョニー・オルティスはサルサに数々の名曲を提供してきた作曲家。サルサの作曲家といえば、なんといっても故ティテ・クレ・アロンソが燦然と輝くけど、ジョニー・オルティスはその心を直系で受け継いでいると言っていい、これまた素晴らしい作曲家。そしてまだ現役。 「ティテ・クレ・アロンソの直系」と言うのは、その詞の内容。ティテ・クレは常に今を反映した詞、つまり60年代以降の都市化の進んでゆくプエルトリコ、そして同胞ニューヨークの現実の生活、社会を反映した作品を紡いで来た。 それはサルサが単なるサウンドでもリズムでもないものとして支持を受け、プエルトリコ、ニューヨークのみならず、コロンビア、ベネスエラ、パナマ、ペルー・・・と中南米に広がって行く大きな力の一つとなった。 それぞれの国で人々は食べる為に都市へと移動する。オロコビスやアイボニートなどのヒバロの里の人たち、リオ・グランデやグァイヤマなどのアフロ・リカンの人たちは首都サンファンに出てきてサントゥルセやビジャ・パルメーラス、プエルタ・デ・ティエラと言った超庶民のバリオで暮らし始める。 都市の混在・混合は常に何かを生み出す。それは生活の現実であり、それは詩に、歌に、音楽にと形 を変える。 そしてそれは、イバゲやビジャビセンシオからボゴタに出てきた家族の現実であり、ベラグアスから運河の仕事に出てきてそのままパナマ・シティー居ついた若者であり、マラカイやロス・テケスからカラカスに出て丘にへばりついて暮らす元農民・・・そんな「都会の詞(うた)」を織り込んでいるからこそ、サルサはサルサなんだと思う。サンティアゴのソンやパレイディウムのマンボとサウンドやリズムで少々重なりがあっても、ポイントはそこじゃない。 でも、ジョニー・オルティスの曲つっても分かんないよーって感じ?いやいや、知ってる曲、すごい多いと思います。例えば: ◆ウイリー・コロンとルベン・ブラデスの超名盤『シエンブラ(Siempra)』(1978)の5曲目「オホス/Ojos」 YouTubeでOjosを見る ◆ピート・"エル・コンデ"・ロドリゲスの『Este Negro si es Sabros』(1976)の大ヒット「カタリナ・ラ・オ/Catalina La O」 YouTubeで「カタリナ・ラ・オ」を見る ◆トミー・オリベンシアでフランキー・ルイスが歌う「ファンタシア・デ・ウン・カルピンテーロ/Fantasia de Un Carpintero」。アルバム『Un Triangulo de Triunfo』(1981)。 YouTubeで「ファンタシア・デ・ウン・カルピンテーロ」を見る ◆ルイジ・テクシドールのソロ『El Caballero』(1980)のこれまたヒット「エル・ジャント・デ・ラス・フローレス/El llanto de las flores」 ◆ソノーラ・ポンセーニャでヨランダ・リベーラが歌う名曲「ボリンケン/Borinquen」は名盤『Unchained Force』(1980)の7曲目 YouTubeで「ボリンケン」を見る ◆ウイリー・ロサリオの名盤『The Salsa Machine』(1983)でトニー・ベガが歌う、これまた大ヒットの「ブスカ・エル・リトモ/Busca El Ritmo」。Jose Feblesのアレンジも楽しい。 YouTubeで「ブスカ・エル・リトモ」を見る ◆コルティーホの『Champions』(1975)のこれも大ヒット「ピカ・ピカ/Pica Pica」 YouTubeで「ピカ・ピカ」を見る ◆マルビン・サンティアゴの『El Sonero Del Pueblo』(1985)での「エル・オンブレ・インクレイブレ/El Hombre Increible ・・・ YouTubeで「エル・オンブレ・インクレイブレ」を見る まだまだあるけど、みんなどれも素晴らしいメロディー、そして庶民の心に響くうた。 あと自分が好きなのはティト・ゴメスがの歌う「ラ・ルンバ・ケ・テ・クラ/La Rumba Que Te Cura」。この曲がトップで始まる『La Maquina de los 80』(1985)はフニオール・ゴンサレスやマックス・トレス、ボビー・コンセプシオンなどなども歌う企画盤。ジョニー・オルティス自身がプロデューサーでもある。ラファエル・ビエラ親爺も副プロデューサーに名前を連ねてる。 YouTubeでOjosを聞くる(スペインのLago&Anitaが踊ってる音とがこれ) そしてエクトル・マイソナベは50年代からNYとPRで活躍したサルサのプロモーター/マネージャー。これまで5,700ものコンサート/イベントを手掛けた57年のキャリアのサルサへの貢献へのオマージュ。音楽だけでなく、ザイール(現コンゴ民主共和国)でのモハメド・アリとジョージ・フォアマンのボクシングの世紀のチャンピオン戦とかも彼。 79才だけど元気なもんで、先月、NYのリンカーン・センターのイベントでも表彰されたばかり。ちなみにそのライブにはインディアが歌い、心臓発作で先月ひっくり返ったティト・ロハスが元気に復活、ミリー・ケサダやトニーベガも参加だったとか。 イスマエル・リベラ、ティト・ロドリゲス、ラフィー・レアビ、ラ・ルーペ、ルイス・エンリケ、ジェリー・リベラ、ソノーラ・ポンセーニャ、ヒルベルト・サンタロサそして何よりエクトル・ラボーのマネージャーだったことでも有名かも。 ほんと彼がPUSHしたビッグ・ネームは多い。サルサで有名なプロモーター/マネージャーというと、ファニアのジェリー・マスッチ、チータからRMMまでのラルフ・メルカドがまず浮かぶかもしれないけど、彼もすごいのです。 プエルトリコのバルセロネータ生まれの彼は、家族とともに40年代にNYに移り住んだのだった。ティテ・クレやジョニー・オルティスが作る曲にあるような多くのプエルトリカン -- 島での貧しい暮らしから抜け出したいと思ってNYという都会へやってきた多くの人たちの一人だった。 彼はインタビューで当時の事をこんな風に語っている。 「家族で(サンファンからニューヨークまで)汽船のマリン・タイガー号に乗ってきた。1946年の事だった。レキシントン通り111番街(つまりEl Barrio)のホテル・リオスにまず宿を取らされた。当時のプエルトリカンの定番だ」 「アメリカ人は当時自分たちの事を"マリン・タイガース"って呼んでたよ。それから"スピック(spic)”って呼ばれた時代があった(*注:speakの発音がspicになるプエルトリカンをからかった呼び方)。そしてそれが"チコ/chico"となり、"ニューヨリカン"となっていった。」 そんな典型的なNYのプエルトリカンとして生きていく中、サマー・コンサートやストリート・パーティーなどから始め、イベンター/プロモーターとして徐々に成功を収めてゆく。 そして79歳の今も現役のマネージャーだ。ティト・ニエベスやインディアをしっかりマネージしている。 こんな2人がオマージュを受ける今年の出演者はというと、まだ発表になっていない。 でも、誰が出てもこの2人にはなんか関係ありそうだし、敬意を表しに沢山の出演者になるかも。 今年も行きたいなあ。
by mofongo
| 2010-02-04 00:03
| Musica/SALSA
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