2010年 05月 16日
エリアネス・ジャネス追悼ライブ@江古田Buddy
エリアネス・ジャネスに初めて会ったのは一昨年の夏だった。

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友人の東京大学教養学部教員の石橋純さん(最近出版された『中南米の音楽(東京堂出版)の編者としてご存知の方も多いと思います)が紹介してくれた。



ジョルダーノ(ベネズエラのスター歌手)のバンド”セクシオン・リトミカ・デ・カラカス”のメンバーで、自分の好きな作品「Jugando Conmigo」のドラマーだった事を知り、そこからベネズエラの今の音楽と伝統の音との話に移ってとても面白かった。ダイナミックなところと繊細な所を両方持ち合わせた彼の話は、音楽に対するエネルギーにあふれていた。

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そして何より驚いたのは現地での活動の合間に日本に和太鼓の修行に来ているのだと言うことだった。

<鼓童>のベネズエラ公演で和太鼓に魅せられ、親友である石橋さんの尽力をもって93年初来日し、渡辺洋一さん率いる日本を代表する和太鼓集団<天邪鬼>に入門。

95年に次いで3回目の日本だと言うことだった。

◆◆◆


その彼が本年1月、56歳の若さで急逝したと連絡を受けた。実感が湧かなかった。あのエネルギッシュな彼が・・。

そして、石橋さんを中心とするラテン側と渡辺さんの和太鼓側とがジョイントで追悼ライブを行うと言う。

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自分の背景にある音楽をしっかり持ちつつ、和太鼓という自分の文化でない音に情熱的に魅せられた彼。その中で理解、習得、演奏して行く事の楽しさ、苦しさ、幸福さをエネルギッシュに語っていた彼。

たった数時間の飲み会での出会いでもらったメッセージは考えさせられ、共感する所が大きかった。


ラテンでもサルサでもジャズでもロックでもクラシックでもいいけど、日本以外の文化を背景とする音を日本人が愛し演奏する事って結局何なんだ?それを受け入れる地元側の受取り方やその"異邦人"への関わりはどうなの?とかいう事が頭によぎるからです。


エリアネス・ジャネスという人を愛した人たちが追悼に発する音はそんなことも話してくれるような気がして江古田のBUDDYに向かった。

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当夜のメンバー(敬称略)は、石橋純(vo/cuatro)岡本郁生(b)小川ひろみ(和太鼓)澤田勝成(津軽三味線)鈴木裕子(p)、田中孝吉(dr)、モリス・レイナ(vo/g/cuatro)、渡辺洋一(和太鼓)

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ラテン側は、石橋、岡本、レイナ。それ以外は渡辺さんを筆頭に和太鼓側からの演奏者。

一曲目は全員で「コーヒールンバ」。言うまでも無くベネズエラのウーゴ・ブランコの曲。そしてエリアネスの属したアドレナリーナ・カリーベの「身を任せて」、「ベサメムーチョ」と続く。和太鼓の渡辺さんのスペイン語の歌も良い感じ。小川さんもベネズエラン・マラカスを振る。滑り出しはリラックスしたムード。

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ここで和太鼓チームに。澤田さんの津軽三味線の魅力たっぷりの曲。

そして小川さんと渡辺さんが加わる。小川さんは大太鼓に念を込めるような緊張感があふれる音。美しい。

田中さんは「キャラバン」。澤田さんがピアノとメロを取る。澤田さんの三味線の音は、パーカッシブな迫力と繊細な哀感のようなものが同居する。

ここで、ラテン・チームに。





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石橋、岡本、レイナのラテンユニットでは石橋さんは「エロルサの祭り」。ジャネーロ・ホローポ/パサーヘで宇宙へ旅立った魂を悼み、レイナさんのクアトロの独奏へ。

津軽三味線に挑発されたかのような激しさと繊細さの同居。6/8と3/4が交錯。クアトロから出るダイナミクスに圧倒される。

そして石橋さんの「津軽山唄」、「ソン・デ・ラ・ロマ」と続く。リフレインでモントゥーノ的にスペイン語と日本語でエリアネスへの思いを歌いこむ。


再び日本側に戻り、渡辺さん登場。スリーディグリーズの曲ともう一曲、そして「曼荼羅」という曲。

大太鼓を真ん中に締太鼓、平太鼓やタムが並ぶ。小川さんとの和太鼓のリズムの合わせがとても面白い。

ラテン組の演奏の時に「なぜ我々は通称"一本締め"(よーーっ、パン、というやつ)という、不思議なリズムの合わせをピタっとと出来るのか」と言う石橋さんの話があったが、一定のパルスが常に体内にある、アフリカ系のリズム感覚との違いはとても不思議だ。

それは普段、盆踊りの炭坑節の譜割りとか、地元の某音頭のメロの譜割りと踊りの譜割りのズレとの感じを不自然と感じない、パルスとは違う、時間の割り方・割られ方・括り方と重なる。パルスで合わすのと異なるリズム感覚。

まあヨタ話だけど、メセニーのメロディーを真ん中にして拍子が次々に変わる譜割りとか、同様の中近東の音とかとのサブサハラ・アフリカ的でない音との共通点を思ったりもする。

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途中からドラムが8ビートを叩き出し、その上で太鼓がフレーズを紡ぎだす。そしてそれから切り替わってドラムがリードしない形に。

渡辺さんの音には和太鼓としての音と、それから自由に広がり時にはラテンにも聴こえるフレーズが飛び出す。しかしスウィング感というかタイム感などはラテンと異なり、そこがとても面白い。

そして全員がステージに上がる。渡辺さんののリードによる、ラテン的に言えばデスカルガ。

大太鼓の2発の響きからスタートした「魂の遭遇」という曲。

エリアネスを悼む気持ちを音を発することで表そうとした演奏者が集まったこの最後の曲では、彼の地ベネズエラの背景を強く持った音と、我が地日本を強く感じる音、そしてその間で2つのポジションを自由に行き来する音がめまぐるしく飛びかった。

それは一曲の中でも数小節、いや数拍の間でも色合いが変わった。

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それは"Fusion"や"Mix"と言った「混じり合った」音ではなく、各々の自分の音を真っ直ぐに発する中で、個々の音がその場の耳で相互に影響するものだった。「行き来する」感覚。それがとても自然。

それは、エリアネスを追悼・送る為の曲というより、彼と一緒に演奏をしているような感覚。日本式の「太鼓歌/タンボール」を一緒に奏でる事で、彼との最後の共演を果たしていたのかもしれない。


◆◆◆

ステージが終わり、改めて「異文化音楽問題」を考えてみたが、結局答えは出ない。でも、オーセンティックな音を、真っ当に追求すれば/しても、真っ当に精進すれば「自分の音」にたどり着ける/着いてしまう、のではないかと思った。

その結果は玉になるか石になるかは分からないし、玉にするのは簡単でないだろうけど、真っ直ぐやるしか面白いものにならないだろうなあ、というバカみたいな感想が浮かんだのだった。
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by mofongo | 2010-05-16 12:11 | Musica


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