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2010年 09月 27日
この間のイベントでロベルト・ロエナの曲を4曲もかけたのは、実は当日9/12にプエルトリコで彼の胸像のサルサ公園(Plaza de los Salseros)での除幕式だったからなのだ。 密かに日本からお祝いしたという次第。 現在、サルサ公園には、 ①コルティーホ ②イスマエル・リベーラ、③ペジン・ロドリゲス、④エクトル・ラボー、⑤トミー・オリベンシア、⑥ティト・プエンテ、⑦マルビン・サンティアゴの7体が現在鎮座しているが、今回のロエナはまだ亡くなっていないのに像が作られたという異例のパターン。 今回も彫刻家アルゥイン・リベラ・ロペス(Alwin Rivera "Riomonte”Lopez)の作品。この文化予算厳しい昨今、"仕分け"もくぐり抜け、3万ドルもかけてお披露目とは、いかにサルサがプエルトリコにとって大事か、ってことですね。 除幕式は、ミサの後まずイスマエル・ミランダがオルケスタをバックに"Amigos a Roena"っていうその日の為に仕立てた曲を披露。オルケスタも豪華。ボビー・バレンティン、ピロ・マンティージャ、アダルベルト・サンティアゴ、ジョニー・パチェーコ、モデスト・セペーダ、ニッキー・マレーロ、グンダ・メルセー、イスマエル・ミランダ、サミー・ゴンサレス、パポ・ルッカ、チェオ・フェリシアーノ、カルロス・ロドリゲス、ティト・クルース、エリアス・ロペスなどなど。 そして除幕。 式には上記のオルケスタのメンバーの他、フニオール・ゴンサレス、フリート・アルバラード、パポ・ロサリオ(グランコンボ)、エドガー・ネバーレス、プピー・サンティアゴ、アポロ・サウンドの歴代のメンバーが参列。 そしてオルケスタはロエナのヒットを演奏しまくった。 公園に面した26号線/バルドリオティ・デ・カストロ通りには人があふれて、また違法駐車して参加したファンで大渋滞だったとか。サンファンからだけでなく、ポンセやマヤグエスからも駆けつけたファンもたくさんいたらしい。。 ロエナの経歴をちょっとかいつまんでいうと、1938年マヤグェスに生まれ、まずダンサーとして"Mambo Flashes"を兄弟の"クキ"と結成。16才でコルティーホのバンドにダンサーとして加入、プエルトリコ、ニューヨークで絶大な人気を博した。ロエナはこのバンドでボンゴを身につけた。6年の活動ののち、マリオ・オルティスのオールスター・バンドに参加。 そしてエル・グラン・コンボのオリジナル・メンバーとなって"Acangan"や"El Caballo Pelotero"などのヒットを飛ばす。 1967年、自らのオルケスタ"メガトネス/Los Megatones"を結成。そしてアポロ・サウンドの結成へと続く。 このアポロサウンドの音がサルサの出来上がりを考えるのにとても大事なのだ。ラテンにロックやソウルを融合する音。これはNYで生まれているのではなく島で生まれている。 もちろん、ミュージシャンはNYとPRを行き来しているわけだが、Blood, Sweat, and Tears (“Spinning Wheel”ですね)のようなサウンドとラテンの融合の試みをプエルトリコで行っている。 よくNYのサルサシーンが80年代に入って下火になり、シーンはプエルトリコに移った、っていうクリシェがあるが、NYにシーンがある内から常に島では新しい音への試みが行われていて、80年代に入ってシーンが移ったわけでも何でもないのだ。 しかし、このような常に新しいものを取り入れつつ芯を失わない音は面白い。これはロエナだけでなく、オリベンシアが、ロサリオが、ポンセーニャが、そしてグラン・コンボが常に各々のやり方で行って来ている。 それがプエルトリコのサルサに厚みのある理由だ。 これから島に遊びに行く方、是非ロエナ像にも参拝を!
by mofongo
| 2010-09-27 02:46
| Musica/SALSA
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