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2010年 09月 28日
昔からよく考えていたことがある。 最初は多分1977年ののウエザー・リポートのアルバム。 1曲目:バードランド/Birdland 6曲目:パレイディアム/Palladium ジャズを聴き始めた自分にも「バードランド」は分かった。1949年、チャーリー・パーカーのあだ名から命名されたBroadway-52ndにオープンしたジャズ・クラブだ。 しかし、Palladiumとは?フランク・ザッパか?丁度その頃、彼がライブをやっていたのがNYのパレイディアム。しかし・・・。 そして行き当たったのが 1948年 Broadway-53rdにオープンしたラテンのボールルーム「パレイディアム」だった。 1977年はファニア来日の翌年。ようやくサルサが日本に本格的にやってきた時期で、いわゆるジャズやフュージョンとサルサ/ラテンのファンが十分重なっていた時代だが、ウエザー・リポートの音楽をラテンとクロスして語る人は誰もいなかった。(そして、今もあまりいない) ジャコのビートにジェマーソンやロッコがあることをいう人がいても、サルサのベースのしなるようなトゥンバオと重ねる人も誰もいなかった。せいぜい、マイアミの話までだった。 ◆◆◆ それからジャズとラテンの交差点はいつも頭から離れないナゾのひとつになってしまった。 ガトー・バルビエリ、ラムゼイ・ルイスとかイラケレとかその時の音楽もあったけど、さかのぼってNYの1930年代から1950年代も楽しいナゾをたくさん与えてくれた。 「アート・テイタムとノロ・モラレス」 「1948年のユニオンによるレコーディング禁止とセッション」 「シアリングとマチート/チコ・オファリル」 「スタン・ケントンとマチート」 「ミントンズとチャイナドール」 「バードランドとパレイディアム」 「マンボとリンディ/ジターバグ」 などなどなど 50年代の頭、ワンブロック違いのバードランドとパレイディアムはジャズとラテンのミュージシャンが休憩時間に行き来してお互いにチェックを入れてたと聞く。 ◆◆◆ 油井正一先生の名著『ジャズの歴史物語』(アルテスパブリッシング)にとても重要な記載がある。第4章の「余滴」というなんだかおまけみたいな章にある「7.ジャズダンス」と「8.ジャズとラテン音楽」だ。 この本のもとになったのは『スイングジャーナル』誌の1967年7月から1972年10月までの連載「ジャズの歴史」。 解説で村井康司さんが指摘されているように「ジャズはラテン・アメリカの音楽の一種である」という刺激的なテーゼは本当に素晴らしい。そして、ジャズダンスの章で提起された視点も全く色あせない。 自分が、ラテン音楽とジャズとにいくばくか関わってきている中で、実地に感じること、見たことと大きく重なっている。 そして50年代に関して妄想は膨らむ。 サヴォイを席巻した、「ECS/イーストコースト・スイング」と名前が上品になる前の黒い「リンディ/ジターバグ」軍団は、ラテンを日曜のマチネーでこわごわ始めたばかりの初期のパレイディアムの「マンボ」ラテン野郎とは関係ないのか? マチートのアフロ・キューバンで踊るやつはいたのに、ガレスピーとパーカーのアフロ・キューバンで踊るやつはいなかったのか?いや、ビバップで踊るやつはいなかったのだろうか? ◆◆◆ そんな妄想の答えが出そうな実験をしてくれるイベントがありました。 ということで今晩遊びに行ってきます。新宿ピットイン。Open 19:00- 菊地成孔「ビーバップ&キューバップ・ダンス・パーティー」
by mofongo
| 2010-09-28 17:02
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