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2011年 05月 24日
なんだか今月は国内の好きだった俳優さんとか海外のラテンな強者の訃報が続いてて、さびしい限り。 コーネル・デュプリー。ラテンか?って?アリーサのバックとかStaffの・・だけど、Live at Sing Singの、って言いたい。昨年のBillboard Liveのステージで聴いたのが最後のステージ。やっぱ、チョーキングの鋭い切り込みのソロがめちゃかっこよかった。R.I.P。… Eddie Palmieri - Azucar / Somebody's Son YouTubeで"Live at Sin Sing"の曲を聴く コーネルの訃報と相次いで、トリオ・サン・ファン、そしてトリオ・ロス・パンチョスのリードを務めたジョニー・アルビノ(Johnny Albino)の訃報が。。。NYで逝去。。91才。プエルトリコのヤウコ(Yauco)の生まれ、グアィヤマ育ち。メキシコのトリオであるロスパンチョスのリード・パートは常にプエルトリカンが占めていた事は有名だけど、プエリトリカンの歌の系譜、ボレロの系譜を体現する、やっぱり素晴らしい声と歌の力だなあ、と思う。Q.E.P.D.. LOS PANCHOS - 7 NOTAS DE AMOR - JOHNNY ALBINO - versión completa YouTubeでTrio Los Panchosを聴く そして、また訃報。。。サンティアゴ・セロン(Santiago Ceron)。先々週NYで亡くなったとの事。70才。 サルサのコアなファンなら知っての通り、アルセニオ・ロドリゲス、トニー・パボンのLa Protesta、ルイス・ペリーコ・オルティスとの仕事、そして自分のオルケスタでの活躍、と多彩な活動ぶり。クラシックの発声法を習っただけあって、やさぐれずにきっちりと歌う"La Voz Dominicano"。良い声のドミニカ男はキューバ風味の曲とかがほんと良い感じだった。。 SANTIAGO CERON CON CUCO VALOY - LINDO YAMBU - LOS 80'S YouTubeでSantiago Ceron"を聴く しかしセロンを含め、ニューヨークのシーンをファニア系以外に60年代から70年代まできっちりきいてみると、なぜサルサがキューバ音楽でないのかがよくわかる。NYであればそこのいろんなバンドが、NYならではの音を作って行く。その積み重ねがあってのNYサルサの音だから。R.I.P。。 そして最後の訃報はチャーリー・コジャソ(Charlie Collazo)。62才。若すぎ。60年代から70年代のプエルトリコの音を語るのにRafy LeavittのLa SelectaやIsidro InfanteのCarpe Diem、Jorge de Garciaの Impact 71やオリベンシアのLa Primerisima、グランコンボなどと共に欠く事のできない"Corporacion Latina"のリーダー&ピアニスト。 CORPORACION LATINA - DIA NACIONAL DE LA SALSA 2010 YouTubeでCorporacion Latinaの演奏を聴く(2010年) (画面右手後ろの方に映ってる) 亡くなったのはサンティアゴ・セロンと同じ日だったと思う。この世代はプエルトリコ独特のクリオージョやヒバロの感覚、ボンバのリズムなどをしっかりキープしながら、同時にそのころ鳴っていたシカゴやBSTのブラスの音も聴き、ドラムやエレキ・ギターの効果も体感しながら、音を作ってた。 NYのファニアから島に戻ってきたビッグネームや後まで続いたグランコンボ、ポンセーニャ、オリベンシアの路線だけじゃなく、島には大事なオルケスタが沢山ある。去年のDia Nacional de la SalsaではCorporacion LatinaやZodiacが出演したのは、みんなやっぱりそう思ってるに違いない。 バンドの1st.トロンボーンだった ジョー・カンパネラがバンドを始めた頃の事を語ってたのを読んだことがある。 彼はブルックリン, NYで生まれ、プエルトリコに引っ越してサンファン(Puerta de Tierra)のカセリオ(公団アパート)で育った。つまり超庶民。 彼が高校生だった70年代初のプエルトリコの若いやつらは、好みの音楽で二分されてた。 片や「ロッケーロ(Los Roqueros)」、片や「ココロ(Los Cocolos)」。つまりロック野郎とサルサ野郎。 当然ファッションも髪型も違う。ロッケーロだったカンパネーラはココロだった友達としょっちゅうどっちの音がかっこいいか言い合いをしてた。そしてある日、お互いにこれぞ最高っていうLPを3枚交換して1週間じっくり聴いてみることになった。 カンパネーラが渡したのは"Three Dog Night"、"Cream"そして"Guess Who"だった。1970年の事。 そして渡されたのは "Ray Barretto"、"Larry Harlow"そして"Willie Colon"。 1週間後、友達は3枚のLPをカンパネーラに返した。でも、彼はサルサのLPを返さなかった。 そして彼はココロになってしまったんだそうだ。 ◆◆◆ こんな風に70年代初のプエルトリコのサルサには、ロックの香りが混じりこんでいる。それは取り入れた、っていうのではなく自然に無意識に入っているのだろう。そしてそれは聴き手も、踊り手もそういう耳になっていて、そんなビート感覚を求めていただろう。 だから2年後の1972年、Corporacion LatinaがLPデビューして立て続けに3枚のゴールド・ディスクを獲得するほどのヒットになったのだと思う。 グランコンボやポンセーニャ、ロサリオ、オリベンシアなどだけがプエルトリコではない。 1975年のCorporacion Latinaの活躍は絶好調で、その年の人気投票ではトップとなった。 ちなみに2位はラフィー・レアビのセレクタ、3位はグラン・コンボ、4位と5位はアポロ・サウンドとオリベンシアだった。彼らはラ・セレクタと当時の人気を二分していた。 だから、リーダーのチャーリー・コジャソが亡くなったのはとても残念。。80年代のロマンチカの音が開花したのは、彼らの音があったから。そして今まで上げたバンド/オルケスタの他にもロベルト&ヌエボ・モントゥーノ、ボリンクーバ、インパクト・クレア・・・と言った音があったから。 音楽には時にイノベーターが生まれて流れを大きく変えたりするけど、その周りには実はたくさんの音があって、影響しあったり、混じりあったり、助け合ったりしている。 そして、そんな風に音が出来あっていく形が自分をインスパイアしてくれる。訃報を聞いて、そんなことを改めて考えさせてくれるラテンのツワモノ達に感謝です。 RIP & QEPD
by mofongo
| 2011-05-24 02:29
| Musica/SALSA
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