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2005年 07月 11日
ドミンゴ・キニョネス、42才、サルセーロ。捕まっちゃいました・・・。先週、ドラッグで。 ヘロインからのリハビリ中だった彼、火曜日の夕方6時半、カロリーナのフェリペ・サンチェス・オソリオ・レジデンスというなかなか庶民の住宅地。たれこみ情報で張っていた当局に24才の売人と一緒に取引現場をを抑えられたもの。 去年の2月に「ドラッグから完全復帰」というタイトルでインタビューを受けてたドミンゴだけど、施設の生活で37ポンド(17キロ)も太って、あのスタイリストのドミンゴなの?って感じだった。プエルトリカン・マスターズのDVDに写っていたあの姿。 先月の父の日の新聞インタビューではまだ完全復帰でない感じの話だったし、その後6月末の野外コンサートがドタキャン(連絡が取れない)となった話も入ってきて、「なんか、まじーなー」と思ってた矢先の事だった。 '80年代、ルイス・"ペリーコ"・オルティスのオルケスタで頭角を現し、'90年代のサルサが盛り上がる中で、プエルトリコのスターとして颯爽と活躍していた彼は今でも印象が強く残っている。 '90年"Es Mi Nombre"でソロ・デビュー。'91年のティト・プエンテの「マンボ・キング」、'93年のRMMの作品"コンビナシオン・ペルフェクタ"とかを通じて彼のファンになった人も多いはず。 そして'97年の"Se Necesita Un Milagro"は強力だった。暴力、貧困、ドラッグ・・・・社会に対する強いメッセージが込められた作品で、当時島では絶賛されたのを覚えている。 ロマンティック、エモーショナルな面と理知的で硬派な面とが同居できるキャラクターは他にいなかった。"El mas que canta" (歌う以上のものを持っているやつ、というような意味か)なんていうニックネームで、作詞、作曲、クリスチャンとしての活動も含めメッセージと行動が訴える力をもっていた。 '01年の「誰がエクトール・ラボーを殺したか」などの役者としての活動への積極的な挑戦もあった。しかし、一方でラボー自身と同じような何かの重み、重圧が同じく彼に覆い被さっていたのだろうか。ドラッグに手を染めるようになる。いったいどんな背負っていたものが、彼を押しつぶしたのだろうか。 コルティーホやイスマエル・リベラからラボー、フランキーと名前を上げるまでもなくドラッグに飲み込まれた、または飛びこんだサルセーロは多い。でもチェオ・フェリシアーノの様にきっぱり断ち切って、今月の頭のように70才誕生日コンサートをやっちゃうようなパターンもある。 ドミンゴ、もどって来て欲しい。
by mofongo
| 2005-07-11 23:58
| Musica/SALSA
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