Viento desde Borinquen
-Ritmo, Sabor y Sentimiento-
2005年 08月 09日
フランキーの夏
8月のはじめになるとフランキー・ルイスが死んでしまったことを思い出します。7年経ちました。
あの日も暑い日でした。そのニュースはまずラジオであっという間に広がり、間髪置かずローカルのテレビ局もニュースで流しました。FMのサルサ局セタ93とサルソウルは一日中フランキーでした。


サルサ・ファンなら未だに彼の曲がフロアの定番なのは耳で知っていると思います。
最近ではレゲトンのスター達が、自分の好きな、自分に影響を残したアーティストとしてフランキーの名前を挙げているのを見た人もいると思います。

サルサ・ロマンティカの時代に色んな歌い手がいたのに、どうして彼は特別なのか?
どうして、レゲトン世代ですらも彼が好きなのか?
最後はドラッグで体はぼろぼろで、歌ってもヘロヘロで、死んじゃう訳ですが、どうしてそんな人生に共感する人たちがいるのか?


やっぱり彼の歌の魅力でしょうか。サルサの形式に依存しない「歌」として成り立っている彼の歌の力。そしてフロアが彼の曲で一気に華やかにり、思わずセンターに出て行きたくなるような高揚感。例えばトミー・ビジャリニのブラス・アレンジが一番映えるような、明るさと切なさ。


彼のかっこよさや素直な笑顔、かっこ悪さや弱さ。弱さもっている普通のストリートの人である彼と、そんなややこしい現実を忘れさせてくれる歌。

フランキーが好きな方、彼の魅力はなんなんでしょうね?


by mofongo | 2005-08-09 22:18 | Musica/SALSA | Trackback | Comments(2)
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Commented by オヤマ at 2005-08-13 00:52 x
魅力は彼が最もプエルトリカンらしいプエルトリカンだからではないでしょうか?
マエロに代わるべき存在として80年代においてはもっとも必要とされるべきポジションだったと思います。
ここがラボーとは違うところです。むしろチャマコの方が近い。
ラボーはなぜかティト・ロドリゲスだったのです。ちなみにヒルベルト、トニーはアンディ、ペジンになるべき存在でした。(なれなかったけど)
ラボーがNYのラティーノ(キューバ以外、キューバはセリアの管轄)を背負っているとしたら、フランキーはプエルトリコ限定で背負っていたのでしょう。
しかしそれがサルサをよりサルサとして汎ラテンアメリカに広げていったのです。
これはグランコンボがなぜ「デ・プエルトリコ」をバンド名につけるようになったのか、ということと無縁ではないはずです。
この辺の話は20日にもっと詳しく話しましょう。
フランキーはサルサが次に向かうときに、それまでのサルサの光と闇をラボーとともにプエルトリカンとして引き受けたのだと思います。いわゆるキリストですね。
ただフランキーはラボーよりも悲壮さを感じさせなかった、と。だからよりプエルトリカンらしいのです。
Commented by mofongo at 2005-08-15 00:25 x
ポンセに生まれたラボーが、NY-PR間の悲壮さを背負い、ニュージャージー生まれのフランキーが、プエルトリコ限定で背負ったのは象徴的ですね。時代背景の違いが見事に出ていると思います。

しかしそんな中、ヒルベルトは、いったいどこへ向うのかとよく考えます。
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