2006年 08月 29日
ラファエル・イティエール 祝80歳!
8月29日はプエルトリコの宝、そしてサルサの宝、エル・グラン・コンボ・デ・プエルトリコのリーダー、ラファエル・イティエール80才の誕生日。プエルトリコのサルサのファンは是非エル・グラン・コンボの曲をかけて祝いましょう。

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島では既に先週の土曜に誕生祝いのイベントが開かれてます。イスラベルデのエル・サン・ファン・ホテルにて170人が集合。

夜9:00主賓のラファエルが到着。実はドン・ラファエルにはパーティーの事は知らされてなく、「サプライズ」企画。家族のお祝いだと思って、ホテルのホールのドアを開けて、みんなが集まってるのを知ったラファエルはビックリ。「やられた!」というのがやっとだったとか。

ドン・ラファエル、たしか数ヶ月前に声帯をやられて手術してるんです。でも、パーティー当日は元気一杯。「いや、もう体調ばっちり、今までどおりよ。仲間のバンドがいて、いや仲間なんてもんじゃないな、兄弟だ、グラン・コンボは俺たちの人生の魅力そのものってとこだな」

b0015362_2125220.jpgその夜の為に組まれたバンドは"Ojas Blancas"でドン・ラファを迎え入れ、"Un Verano en Nueva York""Que me lo den en vida"と続ける。

そして秋には発売予定の新譜に収録予定の"Homenaje a Rafael Ithier""Arroz con habichuelas"も。
すごいね、80才で、グループ引っ張って新作も出すって。

チャーリー・アポンテ、ジェリー・リバス、パポ・サンチェスやエル・グラン・コンボのメンバーは勿論のこと、ピアノはドンの代わりにウイリー・ソテロそして、ホセ・ルーゴも。ペルーからエバ・アイジョンも参加
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事あるごとに「グランコンボに入りたい」っていっていたヒルベルト・サンタ・ロサは、「招待されてほんと光栄だよ。ドン・ラファエルは自分にとって先生、音楽の父だからね」とのコメント。

「いやー、死にたいわけじゃないけど、今ここで死んだら世界一の幸せもんだよ」と喜ぶ、ドン・ラファエルはサンファンのプエルタ・デ・ティエラ生まれて、リオ・ピエドラスで育つ。下町だねえ。

10才で最初の楽器、ギターを始め、ご近所のコルマード(一杯飲み屋というか立ち飲みカフェというか、軽食屋というか、雑貨屋というか)で当時の金で一日30セントの小銭を稼いでたっていうから、さすが。

15才でConjunto Hawaianoに参加、そこでトレスやベースを覚え、いくつかのグループでトレスやベースを弾いていた時に、ピアノを習い始める。徴兵により2年間の軍隊生活の後、
NYでThe Borinqueneers Mambo Kingsに参加。かっこいい名前だなあ。ボリンケニアーズ・マンボ・キングス!

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そして島に帰ってコルティーホのコンボに参加。右の写真はその頃の写真。ほら真ん中でトレスを弾いているドン・ラファエルが見えるでしょ。

しかしコルティーホ、イスマエル・リベラがドラッグで捕まってしまった為、バンド・メンバーで1962年、エル・グラン・コンボを結成となるわけです。バンドのデビューは 1962年5月26日、バヤモンの"Rock'n Roll Club"。これまた、素晴らしい名前ですね。つい最近まで、サンファンからバヤモンへ通じる2号線沿いに、その建物の跡がありました。そのクラブは名前を色々変えて続き、島の各時代のサルサを支えたのですが、その話しはまた別の機会に。

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で、前も書きましたが、1962年はローリング・ストーンズのデビューの年。1962年はロックンロールがある種の転換期だったころな訳です。島では、グリンゴのはやりモノのRock'n Rollも聴き踊るが、コルティーホのコンボからグラン・コンボも聴き踊るわけです。こういう所が、プエルトリコという島が音楽の深さをもつポイントだと思います。

そしてエル・グランコンボは40数年の間、フロントが変わろうと、メンバーに少々移動があろうと、プエルトリコのトップ・オルケスタとしての地位は揺るぎもせず、サルサというのは「アフロ・キューバン」ではなく「アフロ・アンティジャーナ」であると言う事を、よーく知らしめてくれているのです。

まだまだ頑張ってもらいていですね、ドン・ラファエル!Felicidades!
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by mofongo | 2006-08-29 22:47 | Musica/SALSA


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