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2007年 02月 01日
イサック・デルガド/Issac Delgado
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90年代のイサックのクールで少しスモーキーな声と流れるようなタイム感に魅せられた人は一杯いるでしょう、イサック・デルガド

自分もその一人です。


NG La Banda自体はあんまり好きじゃなかったけど、Timbaの強力なグルーブと楽しさ、は彼の声で知りました。


長らくメキシコとスペインに活動の拠点を置いていたその彼が、昨年末にキューバにもどりました。そして奥さんと子供をつれ、フロリダにやって来た。

入国の時のオフィシャルなステータスはどうだったかは明かされてないけど、キューバに帰らず、タンパ(フロリダ)に居を構え、アメリカで活動することを選んだのでした。
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イサックは1962年、ハバナ生まれ。18才の時ゴンサロ・ルバルカバのグループ"Proyecto"に参加。83年、21才のときパチート・アロンソ (Orquesta Pacho Alonzo)のオルケスタに加入。そして、88年、24才の時、いろんなバンドのベスト・メンバーを集めたエネ・へ・ラ・バンダ(NG La Banda) で強力な人気を博し「ティンバ」を強力に流行らせ定着させました。 いい声なんだこれが。そして91年にNGを離れ自己のクループ結成。

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93年の "コン・ガナス" (Con Ganas)、95年の"ダンド・ラ・オラ" (Dando La Hora)、96年 "El Chevere de La Salsa"と"Otra Idea"、 97年の"エル・アニョ・ケ・ビエネ" (El An~o Que Viene)・・・・とヒットを飛ばし、01年の作品"マレコン" (Malecon)でラテン・グラミーのトロピカル部門受賞と活動してきた。最近作は"Prohibido"(05)。そして、今回のアメリカ行き。


アメリカに居を構える事を決めた彼は、早速プロモーターを決め、Univision系のCalle Recordと契約。新作録音の真っ最中。プロデュースはセルヒオ・ジョージ

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イサックってハバナのミラマールに良い家もあるし、11人のメンバーを擁するオルケスタで国内外でコンサート活動もしてるし、経済的な問題でキューバを出たとは思えない。どうしてクーバを捨てる決心をしたんだろうか?

思いつくのは最近フロリダやカリフォルニアとかから聞こえてくる声。フィデル・カストロがもし亡くなった場合、混乱を避ける為にアメリカはキューバに対して門戸をぴったり閉めるだろう、とかキューバ側もどの程度秩序を保てるか分からない言う話。

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フィデルは先月末久しぶりにベネズエラのチャベスと一緒にTVに姿を見せた。昨年の10月末以来だから5ヶ月ぶり。その間、危篤説も流れたりした。
グランマ紙(キューバの政府系新聞(オフィシャル・ペイパー)は、フィデルの回復を強調し、マイアミの新聞マイアミ・ヘラルド紙はフィデルの病状が深刻であるとして亡き後の事を書いている。

自分は両方を読み比べて、両者がどんな表現をしてるか見てるだけだけど、直接生活・人生に関わる人たちは、各々の選択がある。

例えば、同じくNGに在籍し、独立してバリバリのティンバでファンを魅了したマノリン(Manolin & El Medico de la Salsa!)。“ウナ・アベントゥーラ・ロカ”(Una Aventura Loca)、懐かしいですね。

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彼もキューバを離れ、現在マイアミ/ロスを活動の中心に置いている。その彼が今回のイサックの件に関し、ロス・アンジェルス・タイムスのインタビューに答えてます。


「キューバから出ようと考えるミュージシャンは赤いじゅうたんで迎えられると思ってるけど、いざ来て見るとじゅうたんははずされるんだよね。

ここ、マイアミじゃラジオ局やレコード会社、テレビ局はキューバ人が牛耳ってる。でもね、キューバ人アーチストはマイナーなんだ。まるでキューバなんて国が無いみたいだよ。だから、ここでやり直すのはとってもしんどい。だってあっち(キューバ)から来たって事を隠さなきゃなんないんだよ。俺たちはタブーなんだよ。」


イサック自身は、今回の経緯について自らまだ何も語ってはいないようだけど、単純に言えば現在のキューバの体制に守られている現状をなぜか捨て、チャンスもあるがリスクもあり、ひょっとしたら故郷へもどれない/故郷から拒絶される/ひょっとしたらアメリカからも受け入れられないリスクもある道をあえて選んだってこと。

マノリンが言うような現実もたくさん聞いていると思う。それでも、アメリカへ来て活動したいという気持ちには何かがあるのでしょう。

ロス・バン・バンチャランガ・アバネーラのようにキューバに残り活動する道を選ぶアーティスト、マノリンやイサックやサンドバルやパキートのようにアメリカに出る人たち。どちらがどうということじゃない。

プエルトリコ人はアメリカで100年前くらいからマイノリティー中のマイノリティーとして暮らし始め、なんていう歴史を持ってます。

そんな歴史を経て、必死に生きた人たち、世代がニューヨークに、ニュージャージーに、フィラデルフィアなど各地にいて、それがサルサが生まれた大きな力となりました。

だからこそ同様の苦労を共有する中南米のコミュニティーにサルサが一挙に広がった歴史を考えると、アメリカにやってきて苦労している/これからするかもしれないキューバンもなんとしてもかっこよくて心にしみる作品を作って欲しいと思います。

3月頃に予定されている新譜、きっと彼の複雑な気持ちとエネルギーが詰まった作品になっているんじゃないだろうかと思います。どんな音になってるだろうか?

by mofongo | 2007-02-01 23:58 | Musica/SALSA


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