| ||||||||||||||||||
2007年 06月 08日
(パート1より続く) さて、3番目に登場したのはラフィ・レアビとラ・セレクタ。 このオルケスタは「サルサ・ヒバラ(ヒバロ・サルサ)」と言われるくらいのヒバロの香りを新しいフィーリングと融合させた数々のヒットで知られる。リーダーでピアニストであるラフィー・レアビとヒバロの香り高いボーカルのサミー・マレーロの個性はあまりに強烈だ。 (もしお手元に河村要助さん著の『サルサ天国』があれば219ページからの「プエルトリコの夜の深さ:ラフィー・レアビ、サミー・マレーロなど」を再読して頂ければその魅力が素晴らしい文章で描かれています。) "Somos el son", "Amor y paz", "La rosquillita", "Cafe colao", "El buen pastor", "Mi barrio", "La guinaita", "La cuica" 、そして"Soldado"とヒット曲がどんどん出てきて会場は盛り上がる。このオルケスタはやっぱ特別ですね。 最後の曲「ヒバロ・ソイ」(俺はヒバロ)では、ヒバロの歌い手が顔をそろえ、歌を競う。伝統の「コントロベルシア」だ。これは数小節ずつ韻を整えた(デシマ)即興での歌を競うもの。 登場したのはまず、ヒバロのトロバドール一家、サナブリア・ファミリーを今やしょって立つビクトリア・サナブリア(Victoria Sanabria)姐さん。男性軍もまけてはいない。バカルディーのトロバド-ル・コンテストの優勝者、素晴らしい機知に富んだ即興を得意とするビクトル・マヌエル・レジェス(Victor Manuel Reyes)、そして大ベテランのマリアノ・コット(Mariano Cotto)。(写真左から、ビクトル・マヌエル・レジェス、ビクトリア・サナブリア、マリアノ・コット、サミー・マレーロ) それにクアトロのペドロ・グスマン(Pedro Guzman) とクラウディオ・プロディヒオ (Claudio Prodigio) が加わり、これまた即興を競い合う。 ペドロはエレキ・クアトロでした。プロディヒオは、来日の時同様にバキバキの早引き。すごいね。 隣で聴いてた、まだ高校生くらいのあどけなさの残る兄ちゃん、必死で彼らのソロを見ていた。あとで、聴いてみるとクアトロ大好きで、彼らは偉大なアイドルなのだと。 「日本でマイ・クアトロの上にプロディヒオにサインしてもらったよ」と言ったら、驚いて仲間を呼んだ。 「日本にクアトロなんてあるのか?」とか「ヒバロのCDは売ってるのか?」とか、挙句の果てに「どうやったらクアトロが上手くなると思うか?」とか質問攻めにあった。最後は「皆でマエストロ・ラディとマソ・リベラ(今は亡きクアトロの大名人たち)を勉強しよう!」と盛り上がった。いやー、プエルトリコ。 さて、再びルンバ・デ・フエゴのダンスのパフォーマンスをはさんで登場したのはルイス・ペリーコ・オルテスのオルケスタ。若くして60年代末から80年代にニューヨーク、プエルトリコで活躍し、その後プエルトリコに居を構えてシーンを引っ張るペリーコ。 今日はロベルト・ルーゴとラファエル・デ・ヘススのオリジナル・メンバーがフロント!名曲の数々で会場はゆれる。 "Mas amor"、"Islen~o"、"Tin Marin" 、"Bohemio"と来て、ステージにはカチェーテ・マルドナードとロス・マハデーロスが加わる。カチェーテは脳溢血で倒れてからリハビリを続けているが、再びステージで見られるのはなんとうれしいことか。カチェーテはカホンを叩く。 ルンバ風味たっぷりの'Como vivo yo'が始まるり、ペリーコのジャズっぽいソロが始まると、舞台にはテナー・サックス奏者が登場。 ダビド・サンチェス(David Sanchez)だ。なんと強力なソロだろう。リズムがボンバのアクセントを強く押し出し、ダビドを煽る。トロバドール達がコロを繰り返す。その発声方法はヒバロ/プエルトリコのサボールそのもの、モントゥーノは島独特の色に満ちる。 同じモントゥーノの形式でもキューバの路地裏の音とプエルトリコの路地裏の音は確実に違うけど、このステージは島のベストのメンバーでその点をまざまざと見せ付けてくれた。 →YouTubeで動いてるのを見る 興奮冷めやらぬステージに、、予告なしで登場したのがなんとTNT Bandのティト・ラモス(Tito Ramos) と トニー・ロハス (Tony Rojas)。60年代後半から70年代にNY・PRでヒットを飛ばしたバンドだ。まさか、こんなところで見られるとは。 'Sabre olvidar'を歌い、会場は大喜び。 そして休憩を挟んで、今日のトリ、イスマエル・ミランダ (Ismael Miranda)登場。 いまさら"Nin~o Bonito"(美少年)でもないだろうけど、やはり彼を紹介するときはそうなっちゃうんだね。バックはルイス・ガルシアが率いる。 さて、その彼がまさに美少年真っ盛りだった初期に在籍したのがジョーイ・パストラーナ (Joey Pastrana)のオルケスタ。 今日はそのジョーイがティンバレスで参加。ミランダの初レコーディングはこのバンドでの"Let's Ball"。そして最初のヒットが"Rumbon Melon"だ。ジョーイは60年代、ブガルー時代'Riquichi'などのヒットで一世を風靡した。今でも、クラブ系のMixiの音源で登場したりと、かっこいい音。 そしてオルケスタ・ハーロウに参加。 アルバム"Orquesta Harlow presenta a Ismael Miranda"ですね。そしてファニア・オールスターズの看板のひとりとなり、73年のオルケスタ・レベラシオン(Orquesta Revelacion)と続く。 その彼のキャリアに欠かせない盟友ネルソン・ゴンサレス(Nelson Gonzalez)のトレス、ニッキー・マレーロ(Nicky Marrero)のティンバレス 、ジョー・サンティアゴ(Joe Santiago)のベースが加わり"Se casa la rumba"、 "La revolución"、そして歌は"Cipriano Armenteros" 、"Maria Luisa"と続きボンゴにロベルト・ロエナ(Roberto Roena)も加わり、最後はデスカルガ。 こうして8時間以上続いたコンサートは終了したのでした。 しばらく、ベンチに座ってぼけーっとしていた。なかなか帰らないグループもいてグラウンドでデスカルガ始めたり、踊ってたり。 横で、同じようにぼけっとしてた、家族連れのおばちゃんと目が合うと、 「良い夜だよね」 と声を掛けてくれた。 「昼も夜もプエルトリコはいつも最高」 と答えたら、笑ってくれた。 (パート3へ続く)
by mofongo
| 2007-06-08 22:48
| Musica/SALSA
|
ABOUT
最新の記事
カテゴリ
タグ
以前の記事
2015年 08月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 06月 2014年 02月 2013年 11月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 10月 more... 外部リンク
検索
最新のトラックバック
記事ランキング
LINKS
フォロー中のブログ
ファン
その他のジャンル
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||