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2007年 06月 22日
先週の火曜、日本から旅に出た直後に悲報を聞いた。 まだ59才、若い。残念だった。まだ若いって事もあるけど、山あり谷ありでRolling Stoneな人生がようやく一つところに腰を落ち着けて花開くのかと思っていたから。 自分の入っているSNSの日記に悲報を書いた。色々思いはあったけど、淡々と書いた。 月曜の夜、カリのホテルで心臓発作で倒れ、救急病院に運ばれましたが息を引取ったそうです。享年59才。まだ若い。。 前の週の土曜はペレイラ/コロンビアでニーチェと再会コンサートに出演。マエロ・ルイスやグアジャカンと共にステージでファンをたっぷり楽しませたばかりと言うのに・・。 2週間程前、NY/Bronxでソノーラ・ポンセーニャ以来の盟友ルイジ・テクシドールと仕事を共にしたそうですが、ルイジがラジオ局の追悼番組に答えて曰く: 「前の仕事からすぐ来たんで寝てないとか言って疲れた顔してたよ。太りすぎで顔もちょっとむくんでた。ステージはばっちりで、あとでファンと写真取ったりだったんだけどなあ。 過労と太りすぎが命を短くしたのかもなあ」と。 チャーリー・パルミエリ、ティト・バレンティン、レイ・バレット、ラ・テリフィカとさまざまなキャリアの中でソノーラ・ポンセーニャは好きな曲がたくさんあります。"Sentimiento Jibaro"とか。 その後84年からコロンビアへ引越しグルーポ・ニーチェに参加。そしてソロ。あの声が好きでした。 明日、故郷のプエルトリコのフアナ・ディアス(ポンセの東)でお葬式が予定されてます。 冥福を祈りたいと思います。q.e.p.d. いろんな友人がお悔やみ、コメントを書き込んでくれて、それが1週間も続いた。 正直驚いた。もっと反応が少ないのではと思っていたから。 みんなティト・ゴメスが好きだったのが分かった。 そしてみんなが好きだった曲、悲報に際して聴いた曲が、多岐に渡っている事にまた打たれた。 ポンセーニャの"モレノ・ソイ"、テリフィカ、ティト・バレンティンのボレロ、ルビー・ハドックでの歌、レイ・バレットでの"グァラレ"、ニーチェでの"ヌエストロ・スエニョ"、ソロになってからの"パヒナ・デ・アモール"・・・・ なんといろんなオルケスタで歌ってるんだろう。コロでも相当参加しているし、プエルトリコ、ニューヨーク、ベネズエラ、コロンビアと活動の本拠も変わった。まさに「さすらいのソネーロ」。 何が彼をこんなに放浪させたのだろう? 旅の途中で立ち寄ったプエルトリコで何時ものサルサの達人たちと彼の話をした。曰く、 「"モレノ・ソイ"はルイジも大事だが、彼が居てこそだ」 「"グァラレ"もそうだ」 「ルビー・ハドックにはとても彼が大切だった」 などなど。 しかし、同時に 「コロンビアに行ったのがなあ・・」 「あれで彼の人生は変わったし」 「でも、ニーチェの歌にサルサのかっこよさを吹き込んだのは彼だ」 80年代のコロンビアのドラッグ・マフィアの勢力図はパブロ・エスコバルのメデジン・カルテルとロドリゲス・オレフエラ兄弟のカリ・カルテルの抗争は激しさを増し、カリをベースとするグルーポ・ニーチェもロドリゲス兄弟と無縁ではいられなかった。彼らの息のかかったコンサートやプライベート・ライブは何度もあった。そんな中、彼はカリに居を構え84年にニーチェに加わった。 91年にソロとなってからも、その方面との付き合いは避けられなかったのだろうか、2000年の逮捕・収監・・再び転がる人生だった。再起の"Comenzando en cero"(ゼロから始める)を聴いたとき、決意というより落ち着いたものを感じた。 もう、さすらいのサルセーロではないような気がした。カリに居を構えその生活を大事にするように思えたのだ。 とはいえ、前述のルイジの話などからは決して安寧な暮らしでなかったようにも思う。 宿に帰ってTVをつけると、追悼番組をやっていた。ジョーイ・エルナンデスの番組。 ソロ・デビュー盤からのヒット、"Dejala"が流れた。ティト・ロハスとのデュオだ。好きな曲の一つ。バイオが紹介された。 ウンベルト・ルイス・ゴメス(Humberto Luis Gomez)は1948年4月9日、プエルトリコのフアナ・ディアスで生まれた。15才の時よりプロとして歌い始め、ラ・テリフィカに参加。ティト・バレンティン、チャーリー・パルミエリのグループ、ソノーラ・ポンセーニャ、レイバレットのグループ、ラ・アミスタ、など多くのオルケスタで歌い、1984年コロンビアに転居。90年までコロンビアに住む。1991年独立し、92年MPより"Nuevo Horizonte"をリリース。ティト・ロハスとのデュオ"Dejala"がヒット。次いで"Agredecimiento"から"Ganas", "Pagina de Amor"がヒット、次いで"Recogiendo Frutos"から再びティト・ロハスとデュオの"Dejala Ya"がヒット。 “Volver”、“Quien nos iba a decir”、“Tito Gomez”とアルバムをリリース。 2000年、米国への不透明な大金の持ち込みで有罪となり5年収監。その後観察期間として出所を許され、ニューヨークのクイーンズに暮らしていた。その間、国内やプエルトリコ等の巡業も許され、2004年には“Comenzando en cero”をリリース。 先々週のコロンビア/ペレイラのコンサートの後は、カリに一旦もどり、金曜にはベネズエラでティト・ロハス、カノ・エストレメラ、ソノーラ・ポンセーニャ、アダルベルト・アルバレスらとステージに立つ予定だったのに帰らぬ人となった。 カリでの葬儀には、ハイロ・バレーラやオスバルド・ロマン他ニーチェのメンバーらが、故郷フアナ・ディアスでの葬儀にはキケ・ルッカ以下、ソノーラ・ポンセーニャのメンバー、グンダ・メルセー、チャネイのニコラス・ビベスなどが参列し見送った。棺にはコロンビアとプエルトリコの両方の旗がかけられていた。 再起第一弾のアルバム"Comenzando en Cero"の献辞に家族など加えて「愛するフアナ・ディアスの皆へ」とある。ポンセの東にあるこじんまりとした故郷に今、ようやく放浪を終えてもどる事となった。 ティト・ゴメス、安らかに!
by mofongo
| 2007-06-22 20:01
| Musica/SALSA
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