2007年 12月 13日
プエルトリコ '07.12 (1) Musica Antillana
(前夜よりの続き)

携帯の目覚ましがなる。7:00amだ。うー、眠い。しかし、アポがある。

あー、二日酔いなのか寝不足なのか、食欲が無い。しかし、こういうときこそショック療法だ。隣のバーガー・キングでワッパーを食おう

ん?今月のキッズ・メニュー(Cofre Magico)のおまけはダディー・ヤンキー・グッズじゃん。
うー、欲しい。しかし、「大人には単品でお売りできません。」って書いてある。
つまり、2人分食うしかないって事?げーー・・・


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つい物欲に負けました。
ワッパーのRegular+キッズ・メニュー。フライド・ポテトが二人分、さわやかに香る。
うー。。。。

ちなみにおまけはDYロゴの入りの小銭入れでした。金の地にピンクでDYロゴが。
かなりBlin Blin.


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さて、胸焼けも最高潮に達したところで、オールド・サンファンへ。プエルトリコ大衆文化国民基金(Fundacion Nacional para Cultura Popular)に向かう。

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プエルトリコ音楽やサルサに興味がある人で、ネットでアーティストのバイオなんかググった事のある人はこのロゴのサイトに行き当たったことがあるのでは?

もっとコアでプエルトリコの60年代のポップスとか興味のある人は「Nueva Ola」という本を知っているかも。(そんなの日本に5人もいないだろうけど)

この基金の理事で、「Nueva Ola」の著者でもあるハビエル・サンチアゴ氏に会いに行くのだ。

なんで行くのかって?それは色々話を聞きたいことが。

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コロンブスがカリブ海に到達してから数世紀の間、カリブの島は元々住んでいたアラワクやカリベ、タイーノといった人たちの文化、欧州からやってきた英・仏・西・蘭・北欧などの人たちの文化、アフリカから奴隷として拉致・売買された人たちの文化が大きく、緩やかに交じり合ってきました。

その中で各々の島は、少しずつ異なる背景による違った文化と同時に、「カリブ」を串刺しするような感覚の文化や音楽を育んできました。

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英語圏では"West Indies"とくくられる文化、仏語圏では"Creole"と呼ばれる文化、西語圏では"Crilolla"や"Antillana"とか言われる感覚などに共通した部分があります。(写真左はNew OrleansのKing Oliver Creole Jazz Band)



そんな背景の中で、プエルトリコの音楽家はクラシックから民衆の音楽まで、様々な分野で他の島と交流し、プエルトリコならではの音を広めていました。

クラシックの例をひとつあげれば、19世紀から20世紀のキューバの有名な作曲家、イグナシオ・セルバンテスの娘はプエルトリコのゴンサロ・ニュネスに師事したりしています。

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キューバで廃れてしまったダンサはプエルトリコでは独自の発達を見ましたし、その後のポピュラー音楽で言えば、60年代後半にある新しい音楽に「サルサ」って名前が付けられるずっと前から、プエルトリコの音楽や音楽家はNY、キューバ、メキシコと海外でたくさん活躍してました。

たとえばオルケスタで言えばモンチョ・ウセーララファエル・エルナンデスラファエル・ムニョスオルケスタ・パナメリカーナミゲリート・ミランダなどなどです。(写真右はミゲリート・ミランダのオルケスタ)

特にボレロや歌ものをカリブならではのリズム感に乗せたサウンドは得意中の得意だったと言えます。

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エルナンデスからペドロ・フローレスボビー・カポダニエル・サントスなどの男性歌手(&作曲家)、フリータ・ロスシルビア・レサーチカルメン・デリア・ディピニルース・フェルナンデスなど女性歌手など、カリブ、メキシコからアルゼンチンまで人気のあったスターは一杯です。
(写真左はクァルテート・ビクトリア。左がボビー・カポ、真ん中がラファエル・エルナンデス)

サルサは60年代後半に名前が付けられた音楽ですが、プエルトリコの60年代初には、すでにサルサと言えるフィーリングのグアラチャやワワンコーが誕生してますし、その音は「アフロアンティジャーナ」の音楽としてカリブ圏に広がっていました。

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チャマコとパキートを擁したトミー・オリベンシアの62年の音はすでにサルサですし、それは仏語圏のマルチニーク、グアドループで大ヒットしているくらいですから。

そんなベースがあって、NYで商業的にネーミングされた「サルサ」は急速にラテン・アメリカに広がったのです。なにもアメリカから中南米への強力な配給網あったから広がったわけではないのです。

すでに、カリブ圏や中南米にはその音を受け入れるベース自体あった。そしてそれがまだサルサをより強化する背景にもなったのです。

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30年くらい前にサルサが日本で知られるようになった頃には、このあたりの情報は全くゼロと言って良いくらいで、キューバンを中心としたソンやマンボの情報しかまとまったものはなかった。

だから、キューバ音楽を中心に音盤から手探りで歴史を紐解いていたのが実態だと思うけど、今、ネットの時代にになってそれ以外の情報が山のように手に入るようになりました。

そしてキューバのみならずプエルトリコ、コロンビア、ベネスエラと気軽に行ってナマ情報が手に入るようになった。

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ところが、日本じゃ未だに30年前とあんまり変わらないような歴史認識のような気がするし、自分がニューヨークで、プエルトリコで、コロンビアで、ベネズエラで聞くサルサ・ファンの「常識」とずれている。

そんなプエルトリコの音を調べている中で、サンチアゴさんにはメールで色々教えてもらってたのだけど、今回直接色んな話をしに行くことにしたのでした。(写真左はサンチアゴさん)




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いやー、濃かったわ。
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色んな視点と情報を頂きました。コレクションの中のボビー・カポの自筆原稿とかピアノとか見せてもらったり。

この話はまた別途。

濃い話とは別に、この時期の旧市街は歩いていて楽しい。そこらじゅうがナビダーだから。
次はビエラの親爺に会いに行かなくちゃ。カジェ・セラへ急ぐ。

(続く)
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by mofongo | 2007-12-13 00:27 | Musica/SALSA


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