2008年 04月 27日
実家のレコード(2)ザビア・クガート
((1)より続き)

さて、次に覚えているのは、鼻ひげを生やしたおじさん。だれだったのか?
ジャズじゃ浮かばない。やはりラテンでしょう、となると・・。

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見つかりました。
ザビア・クガート。日本では入ってきた頃は「ザヴィエル・クガート」。

Miami Beach Rhumba! これだったのか。クガートのテーマと言っても良い曲

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(解説を読みたい方はここをクリック)


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数年前に、捕獲したXavier Cugatのコンピ"Original Latin Dance King "にも入っているけど幼稚園のころ耳に入れていた曲とは全然覚えていなかったよ。

でも、無意識の部分に刷り込まれてるかもなあ。

YouTubeでザビア・クガートの "She's a Bonbshell from Brooklyn"を見る

ザビア・クガートは1900年、スペインのヘローナ生まれ。
クガートが大スターとなったのは40年代初にNYの高級ホテルウォルドーフ・アストリアからのボール・ルームからの生放送での演奏が大人気となった為。

マチートペレス・プラードなどに先がけ、全国規模で有名・人気になったラテン・オルケスタは彼が最初なのです。

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他にもラテンは色々。おや?と目に付いたのはこれ。

オルケスタ・アルベルト・イスナガ。
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イスナガはニューヨークの40年代のラテンでは欠かすことの出来ないアーティスト。
1906年ハバナ生まれ。1929年アメリカに渡ってきて、NYに移り40年代にはトップ・バンドのひとつとして活躍。











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(解説を読みたい方はここをクリック)

しかし、このSP盤の解説、情報がない時代だからなかなか面白い「アフリカのリズムがキューバに渡ってサンバとして発達してブラジルに渡って・・・」とかね。

よくわかんないラテンの事はとりあえず「キューバ」って感じだったんだろうなあ。ま、今もさして変わらないかも。



で、目に付いたのはアルベルト・イスナガ(Alberto Iznaga)の名前だけではない。
A面の曲「F調のマンボ」 モラレス作

イスナガに関係あるモラレスといえば、ノロ・モラレス
うーん、プエルトリコとの関係は、この頃に埋め込まれていたのか。

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ノロ・」モラレスは1911年、プエルトリコのサン・ファン生まれ。NYに渡り1942年「セレナータ・リトミカ」のヒットでスターに。

NYのストーク、コパバーナ、チャイナ・ドールといったクラブを総なめにする人気で、かれのバンドに参加し、人気をあげたラテンのスターの多さはすごい。

マチート、ティト・ロドリゲス、ペジン・ロドリゲス、ビセンティーコ・バルデス、ビティン・アビレス、ティト・プエンテ、サブ・マルティネス、マニー・オケンド、レイ・サントスなどなど。

YouTubeでTito Puente演奏、Noro Morales作の"Maria Cervantesを見る

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うーん、こういうのが幼稚園児の脳に刷り込まれたせいで、問題の多い大人が出来上がったのだとしたらこれは危険だ。

親の因果が、という訳だろう。確かにギタリストの友人にギタリストの息子さん、トロンボーン吹きの親御さんにバストロ吹きの娘さんなどという因果応報な例も多い。

雑食性で育ててしまった我が家はいったいどうなるのだろうか?
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by mofongo | 2008-04-27 22:55 | Musica


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