カテゴリ:Musica/SALSA( 72 )

2009年 04月 16日
ファニア・オールスターズの未発表ライブ発掘・リリース
1973年、サンファンのコリセオ・ロベルト・クレメンテ(ホール)の完成記念コンサートの音源が発見されて、リリースされることになったって。今週の月曜日、サン・ファンで発表になった。

発表にはロベルト・ロエナ、ボビー・バレンティン、チェオ・フェリシアーノなどか登場。

b0015362_1491848.jpg

なんとこの音源のテープ、ニューヨークの北、ハドソン川沿いのずっと使われてなかった倉庫で偶然見つかったとか。他にも、お蔵入りしていた、レブロン・ブラザースの6作分のテープやらなんやらも一緒に出てきたという事で、これから面白いものが続けてリリースされるかも。

このサンファンのライブの出演者は:


フスト・ベタンクール、イスマエル・ミランダ、イスマエル・キンターナ、ボビー・クルース、リッチー・レイ、アダルベルト・サンティアゴ、ピート・エルコンデ・ロドリゲス、サントス・コローン、セリア・クルース、チェオ・フェリシアーノ、ボビー・バレンティン、エクトル・ラボー、ウイリー・コローン、ロベルト・ロエナ、レイ・バレット、ラリー・ハーロウ、レイナルド・ホルヘ、モンゴ・サンタマリア、ニッキー・マレーロ、バリー・ロジャース、ルイス・カーン、レイ・マルドナード・・・と当時の熱気が簡単に想像できるようなベスト・メンバー。

b0015362_1502497.jpg
曲目は:

“Mi gente”(ラボー)、 “El raton” (チェオ・フェリシアーノ)、 “Mi debilidad” (イスマエル・キンターナ)、
“Pueblo latino” (エル・コンデ)、“Que rico suena mi tambor” (ミランダ)などなど。

早く聴いてみたいもんです。
[PR]

by mofongo | 2009-04-16 01:48 | Musica/SALSA
2009年 02月 24日
Joe CubaとPin~on
2/15にJoe Cubaが亡くなった。Cubaなんて芸名つけてたけど、NY生まれのプエルトリカン、本名ヒルベルト・ミゲル・カルデロン。

b0015362_16201299.jpg
もともとジョー・パナマっていうパナマ人のバンドにいて、リーダーの引退で、そのバンド名を受け継ぎ、キューバ人のプロモーターの意向で「ジョー・クーバ」に改名したカルデロン。

音はちっともクーバなんかじゃなくて、ビブラフォン入れて、R&Bのノリで、そしてプエルトリカンらしいセンティミエントで、ブガルーの世界に突き進んだ。コンガ叩けば音はでっかいし、おしゃべりで、サービス精神たっぷりで、酒飲みで、食いしん坊でと、人間的でボリクアな人だった。


彼の"El Pito"、"Bang bang"などのブガルーのナンバーは「ラテン」ってことを意識しないで耳にしたのが最初だった気がします。

英語の曲だと思ってたような。NYで彼が大人気になったのは、やはりあの英語又は英語交じりの歌詞の曲、そのリズムとロマンチックな(時にエッチな)歌、そしてビブラフォンのサンド。

「ジョー・クーバの音って、なんかニューヨークのあこがれみたいなもんだったよな」と、60年代に小学生だったプエルトリカンの友人が話してくれたことがある。マンボのビッグ・バンドとは明らかに違う、小編成のかっこよさもあったって。

b0015362_16212815.jpg
YouTubeでJoe Cuba Sextet"Bang Bang"を見る。オリジナル・メンバーの再開のTV番組



b0015362_1622416.jpg
Joe Cubaって、ブガルー時代の大活躍の後、ファニア全盛の時代にはなんだか割食った感じがするけど、彼のヒットはNYであろうと、PRであろうとしっかり聴かれてた。例えば、1962年のアルバム"Steppin' Out"からのヒットの一つ"Cachondea"。

”~Como que te cachondea vagabundo, como que te cachondea~”

YouTubeでJoe Cuba Sextet"Cachondea"を聴く。ジョー・クーバの映像は無し


この曲、チェオ・フェリシアーノの作品だけあって、同じアルバム中の曲に比べ、NYのビルの光より、街角の不良っぽさが前に出てる。

そう、マルビン・サンティアゴが好きな人はピンと来るかも。
マルビンの大ヒット、1979年の"Fuego a la Jicotea"のソネオにはこの"Cachondea"のフレーズが織り込まれている。

"como que te cachondea jicotea, como que te cachondea viene a verla~"

b0015362_16232685.jpg
YouTubeでMarvin Santiago"Fuego a la Jicotea"を聴く。


マルビンは当時まだ15才。プエルトリコ/サンファンのサントゥルセからネメシオ・カナレスのカセリオに引っ越してワルガキだったころ。

→マルビンを知らない人はこちらをどうぞ。

◆マルビン・サンティアゴ逝く
◆ラティーナ誌に書いた記事1
◆ラティーナ誌に書いた記事2

◆◆◆

b0015362_16244344.jpg
ジョー・クーバの悲報を知って、彼の作品を聴き直している中で1976年の"Cocinando la Salsa"に手が止まった。

くいしんぼなプエルトリカンに相応しいタイトルだけど、「じゃ今回は俺がサルサを材料に料理してやるか」という気持ちも感じる作品。


そうだ、彼の追悼に、週末はプエルトリコ料理を作ろう。
丁度、2週間前に入手したプラタノがいい具合に熟している。
ということでピニョン(Pin~on)を作りました。

◆◆◆


b0015362_16252524.jpg
1. プラタノは外は黄色く/黒く変わり、中は熟してやわらかめ、甘酸っぱくなったもの、つまり熟したものを用意。皮をむき、縦に4枚程度に切ります。厚さは、お好みよって薄くも厚くもどっちでもあり。









b0015362_1626483.jpg
2. サラダ油、またはラードで揚げます。軽く色づいて火が通ったらOK。引き揚げて油を切り、耐熱の容器に敷きます。










b0015362_16264436.jpg
3. 1、2と用意しながらにフィリングを作ります。牛ひき肉(好みにより合挽きも可)500gをフライパンで塩少々を振りつつ、ソフリートまたはレカイート、アチョーテ、オレガノなどの調味料を加え、軽く炒め、ピーマン(緑、赤)、玉ねぎ、シラントロ、ゆでいんげん等をみじん切りにしたものを入れて合わせ炒めます。オリーブ(タネ抜き&赤ピーマン詰めのグリーン・オリーブ)を入れる人も多い。今回は入れました。






b0015362_16271630.jpg
また、かたゆでたまごのみじん切りやレーズンやケイパーを入れる人もいます。ハムのさいの目切りを入れる人もいます。キューバ料理の"ピカディージョ"っぽい作り方でもOK。(って、説明になってないか。ピカディージョ、分かる人も限られるかもねぇ・・・。ティト・プエンテも曲にしてるぐらいなんですが)







b0015362_16281025.jpg
4. 2. の上に卵4個をよく泡立てたものを半分かぶせ、3のフィリングをのせ、プラタノをのせ、またフィリングをのせ、またプラタノを乗せて、最後に残りの卵をかけます。卵はつなぎです。









これをオーブンで焼きます。プラタノの上にチーズを乗せる人もいます。これは伝統的ではないけど、ラザニア風にして出すレストランもあり。モッアレラならほとんどプラタノの風味の邪魔をしないからいいでしょう。今回は乗せてみました。

b0015362_16292235.jpg
5. 容器にアルミ・フォイルをかぶせ、オーブンを180°Cくらいに設定して25分程度熱して出来上がり。








◆◆◆

b0015362_16295447.jpg
さていただきます。付け合わせにPollo asadoのサラダも用意しました。
あー、まずまずの出来だわ。プラタノの熟し具合も大変よろしい。








b0015362_16305759.jpg
BGMはジョーの"WANTED DEAD OR ALIVE"をかけました。

60年代初めわ、マンボをカッコよく思わなくなったNYのプエルトリカンの若いにーちゃん、ネーチャン、R&Bやカル・ジェイダーっぽいラテン・ジャズもかっこいいじゃないかと思ったにーちゃん、ねーちゃん。そんな彼らの大きな支持を受けたブガルー。

ブガルーはラテンがアメリカの音に進んでいった音。同時並行してブームになったチャランガ/パチャンガ。こっちはマンボからキューバに少しもどった感じ。


でもそのあと、音はどちらにも進まなかった。というか、また両方から揺り戻した上で、NYの、そしてNYプエルトリカンの本国たるプエルトリコにあった、コルティーホやグランコンボ、オリベンシアなどの音から発展する形で音が進んでいった。

そして、そこにはカリブの混ぜご飯的な周辺の音、例えばメレンゲやカリプソ、クンビアですらちりばめられていた。そんな混ぜご飯を一つのお皿にまとめたものがサルサ。だから、サルサはNYのレストランで出来たわけでもない。NYにはレストランが多かったし、NY風サルサの料理本は世界に売れたけど。

そんなわけで「80年代、NYでサルサは下火になり中心はプエルトリコに移った」、とかいう書き方があるけど、これもちょっと違う気が。
80年代にはプエルトリコはプエルトリコで、コロンビアはコロンビアで、ベネズエラはベネズエラで、ペルーはペルーで、それまでの地元バンドの積み重なりがあって特徴のあるサルサが生まれている。そんなサルサは各々の場所で暮らす人々の心に響く歌詞をもっている「歌」でもあるってとこも、とても大切。


だからサルサはいろんなものが交じり合って美味しくなったソースなのだ。

◆◆◆

b0015362_18144461.jpg
ジョー・クーバが大人気の頃、ブガルーを、パチャンガを、コルティーホのボンバを、プレーナを、R&Bを、ロックを聴きながら、週末のホーム・パーティーでプエルトリコ料理を食って楽しんでいただろう、NYやプエルトリコの若者たち。


そのころのピニョンは、伝統とは違うけどモッツアレラ・チーズが乗った新しい味だったんだろうか?
[PR]

by mofongo | 2009-02-24 22:15 | Musica/SALSA
2008年 12月 23日
YOKO "La Japonesa Salsera"
海外で一番知られている日本のサルサ・オルケスタと言えばオルケスタ・デ・ラ・ルス
NYやプエルトリコやらと海外での公演もこなし、海外のサルサ・スポットで自分に話しかけてくれる人たちが「ラ・ルー(La Luz)を知ってるよ」と話題を振ってくれるのは定番。

でも、彼らは海外へ出たサルサの第一世代。野球で言えば王貞治が大リーグでもその実力を知られてる、って感じか。

今は第二世代。大リーグにはイチローも松井も松坂もいる。本場の中で活躍する選手がいる時代。サルサの世界でも誰かそういう人は出てこんのか?!と心待ちにしていたら、来た!

"La Japanese Salsera" / Yoko (El Chance Music/2008)

b0015362_22324170.jpg


El Diarioの記事を読んでみましょう。El DiarioNew York Post New York Daily Newsとかに並ぶ、NYのヒスパニックでは最大の読者をかかえる新聞。

b0015362_22265379.jpg
それが1ページ割いて記事にするのはすごい。フアネスヨランディータ・モンヘの記事を右隅に押しやっている。

→スペイン語の記事を読んでみたい人はこちら


「Yokoとサルサの関係は一目ぼれってやつだ。そしてその気持ちは時とともにどんどん膨らみ、自分のオルケスタを率いるという夢を叶え、デビュー盤をアメリカでついにリリース。」という出だしで始まる記事。

彼女がスペイン語で歌うことに魅せられ、大学でスペイン語を学び、来日したウイリー・コロンのコンサートでノックアウトされた事、最初のバンド、コンフント・マンボラマで関西のサルサ・ファンには懐かしい"Pata Pata de la Salsa"に出演した時の事、オルケスタ・デ・ラ・ルスの元メンバーからなる"Las Estrellas"で歌った事などが書かれている。

大学卒業と共にアメリカに渡り、マサチューセッツ、そしてニューヨーク、サルサの夢を常に追い続け、機会がある毎に歌い、キャリアを重ねていった。

2004年にエルマン・オリベーラの日本でのギグに同行、その後、チノ・ニュネスのオルケスタに加入し、NYサルサ・コングレスにデビュー。

チノの二枚目のアルバム"Doctor Salsa"(2007)であのレイ・セプルベーダとデュエットし、これがNYやPRでスマッシュ・ヒット!

そして今年秋、ついにオルケスタを率いて、デビュー・アルバムをリリース。
サルサの世界でこんな風に海外で、それもNYでたたき上げでデビューした歌い手は過去いないでしょう。すごいよね。


YouTubeでそのステージを見ることができます。

b0015362_2228456.jpg
レイ・セプルベダとのデュエット。チノ・ニュネスの2枚目のアルバム"Doctor Salsa"からのスマッシュ・ヒット。ニューヨーク、リンカーンセンターでのステージ。
→YouTubeで見る


b0015362_2228478.jpg
チノ・ニュネスのオルケスタでのステージ@latin Quarter, NYC
→YouTubeで見る



b0015362_22291860.jpg
チノ・ニュネスのオルケスタでのステージ@West Gate Lounce "La Vida es un Carnival"
→YouTubeで見る



b0015362_22294111.jpg
ジョニー・リベラ@Capacabana, NYC
→YouTubeで見る



b0015362_22301830.jpg
SOBsでのCDリリース記念のライブ
→YouTubeで見る



b0015362_22305024.jpg
ジョニー・パチェーコと共演@West Gate Lounge

→YouTubeで見る


◆◆◆


さて、Descargaに頼んでやっと着いたアルバムを聴いてみた。(Descarga、配送遅い!Disc UnionLatin Ongaku Netの方が早かったかも。。)

b0015362_22563827.jpg
通して聴いた感想は、好きなことやってるなーって。ニューヨークの腕っこきの作る最新のNYの音に、彼女の好きなポンセーニャウイリー・ロサリオと言ったテイストがしっかり埋め込まれ、とてもタイトでバイラブレな音!

何より、選曲から歌詞の内容、ソネオ(インプロビゼーション)の内容、「歌」に彼女自身の姿がしっかり見えるのがとても素晴らしい。

歌ってとてもデリケートな表現方法だ。人の言葉のニュアンスを人の耳が容易に感じるように、僕らの耳は歌が何かを伝えているか、力をもっているかを聞き分けるのだと思う。

彼女は音符一つへの微妙な音圧のかけ方を選んで言葉を押してくるのだ。だからオルケスタのスピード感に流されないで、自分の思う音を聴く方に伝える事が出来る。

プエルトリコに住んで、ラジオのサルサ局かけっぱなしの生活をした自分には、スペイン語の微妙なイントネーションがずれた日本発のサルサに出会ったときとても居心地が悪いときがある。しかし、彼女のNYのプエルトリカンを中心としたヒスパニックの現場で叩き上げた歌は、スパニッシュの言葉を道具として扱って、その上で自分を表してるのだ。

自分自身で作り上げたソネオもなかなかかっこいい。それは、サルサにとって当たり前のこととは言え、誰でも出来ることじゃない。

◆◆◆


バリトン・サックスの効いたスピードと哀感のある1曲目、"Este Ritmo Original”は、デビュー・アルバムにふさわしい気合いをストレートに表している。

b0015362_2256643.jpg
2曲目はプエルトリコの至宝、ティテ・クレ・アロンソ作曲、ラ・ルーペが1968年に大ヒットさせた、名曲"La Tirana"。
「あなたにとって私はあなたの物語の中の悪い女、女王様かもしれないけど」と始まる、"強い女"の愛の思いを歌う曲。

強力な個性のラ・ルーペが歌い、インディアも取り上げたボレロの曲だが、ボレロではなくサルサで歌いこむ。

3曲目は、ユーモアあふれる"La Pastillita"。レイ・ビエラの作曲。彼らしい、ペーソスのある曲を変に軽くならず、と言って重くするわけもなく、キュートにスイングさせる。ノベルティー感と言い、アレンジの色とと言い、ちょっと島のグラン・コンボを感じさせる。

4曲目の"Vengo Inspirada”。Guarachera・YokoがNYらしい緊張感と重さの中でかっ飛ばすチューン。踊り手の熱気が見えるよう。

5曲目は"Averiguadas"。トミー・ビジャリニ編曲のフランキー・ルイスの曲のように思わずフロアに出たくなるイントロから。アレンジはウイリー・ルイス

テーマからはCalleな内容のテーマに入り、モントゥーノ部のソネオも気持ちよく盛り上げてゆく。気がつくとたっぷり踊ってるって感じ。いいすねー、こういう曲。

b0015362_22412940.jpg
6曲目は、イスマエル・ミランダの1972年のアルバム"Oprtunidad"から彼自身の作曲の"Las Mujeres son" (女ってのは)"が原曲。オリジナルは男が女の事をを歌う歌詞だが、今回はそれをひっくり返し"Los Hombres son" (男ってのは)思わずにやり。

「男は女性になんでもいいから奉仕するために生まれたのよ。働くために生まれたんだから、つべこべ言わず金稼いで来るのよ・・」と、ガツンと来る歌詞から始まりソネオの中でまたガツとさせるキツイ歌詞。でも今の日本の男のポジションってこんな感じかもね、ははは。

ピアノとアレンジは同じくNYで活躍する中井知恵美。ピアノソロから16小節の後、バックが短い掛け合いに入るところの2小節のサウンドとその後の続き方がかっこ良くて好き。他のアレンジとちょっとテイストが違い、このアルバムのスパイスとなっているのも魅力。

7曲目は"Empezo La Fiesta"。さあ、パーティーが始まった!というのはYokoがいよいよ始まった自分のオルケスタでの真剣勝負の活動を楽しんでいるような曲。NYのスイング。

最後の8曲目"Mi Oportunidad"。Yokoの作品。タイトルの通り、これまでの支えて来てくれた人達への感謝にあふれた優しい曲。

7曲目までの時にドスの効いたスピード感にあふれた面とこの曲でのナチュラルでしなやかな面の両方が彼女なのだろう。

NYで一度彼女と話をしたことがある。その時の印象がこの8曲目まで聴いた時、急に浮かんだ。ナチュラルで自分をもった強さと。サルサや音楽の話で時間を忘れたのを思い出す。
◆◆◆


この作品をしっかり支えているメンバーの事もちょっとばかし書いておきます。

まず、ベースのホセ・タバレス。今のNYのバイラーブレな音にはなくてはならないベーシスト。マーク・アンソニーの"El Cantante"やジミー・ボッシュの作品などNY発の音には彼の名前を見ることが多い。

ピアノのエドウィン・サンチェスもNYを支える一人。ジミー・ボッシュやフランキー・ネグロン、プエルトリコのメル・マルティネスの作品などおなじみ。

b0015362_23154222.jpg
プロデュース、アレンジ、コロとこの作品でYokoのやりたいことを形にしているのはウイリー・ルイス。レイ・バレット、ラリー・ハーロウ、ラファエル・デ・ヘスース、コンフント・クラシコ、オルケスタ・イマヘン、レイ・セプルベーダ、ジョニー・リベラ、スパニッシュ・ハーレム・オーケストラ、ソネーロス・デル・バリオなどなど参加したバンドは数知れずのツワモノ。

もちろんティンバレスやコンガなどでチノ・ニュネスも参加している。

こんな仲間に囲まれて、しっかりと一歩を踏み出したYoko。なんとかNYでギグを見に行きたいなあ。



彼女のサイト:
http://www.yokosalsa.com/
[PR]

by mofongo | 2008-12-23 22:43 | Musica/SALSA
2008年 03月 15日
プエルトリコ '08.3 (4) ニューヨリカン・カフェとコロンビア
(Part 3から続く)

もう一枚捕獲CDがありました。

◆Live at the Nuyorican Cafe 5/Las estrellas del Comborican
b0015362_12563364.gif
オールド・サンファンのライブ・ハウス&踊り場、Nuyorican Cafe製作のCDシリーズ5作目。今回は最近のハウスバンドのComboricanのライブ。

リラックスした、地元の若いメンバーの演奏。2曲目の"En mi Viejo San Juan"、歌うまいじゃん、と思ってクレジットを見ると、エルマン・オリベーラス(Herman Oliveras)が9曲中6曲に特別参加してる。でもオリジナル・メンバーのウィルフレド・オテロ(Wilfredo Otelo)もまずまず。
ピアノとベースのドライブがもう少し欲しいかな。

ブガルーがあったりMi Negrita me esperaがあったりQuitate la mascaraがPa Hueleがあったり、Quitate Tuがあったり、と今の地元の若者がどんなもので踊るのか分かる、って言うかやはり定番ってものが何かが良く分かる。

◆◆◆

という事で、上のCDが録音された、旧市街のライブ・ハウス、Nuyorican Cafeへ行く。
b0015362_1371157.jpg
10:30pm過ぎ到着。今日はスペシャルNoche de Brasilen~o。ライブはもう始まってた。
イスラエルが手を振る。

Brasilen~oはフォルクローリックでバツカーダ隊を従ええ、とてもバイラブレ。メンバーは若いのから親爺まで色々。
ブラジルのリズムはプレーナととても相性が良いと思う。"Batukearo"などのバンドが両者の融合をやるのが良くわかる。

ステージを横目で見ながら、イスラエルとサルサの話をたっぷりする。特にこちらから聞いたのは、コロンビアの事。
去年、Lise Waxerのコロンビア・サルサの本を読んで、聞きたい事が沢山あったのだ。

b0015362_1375410.jpg
コロンビアのサルサの中心といえばカリ(Cali)。でも、場所はカリブ海沿いではなく、山間部なのだ。なぜ?
カリからはニーチェをはじめ沢山のサルサ・バンドが輩出し、年一回の大きなお祭りでは皆がサルサを楽しむ。なぜ?

とかの背景と歴史をしっかり教えてくれるのが彼女の本。サルサっていう音楽が、アフロ・キューバンではなく、アフロ・カリビアン(ムシカ・アフロ・アンティジャーナ)であること、ソノーラ・マタンセーラとコルティーホがNYでサルサの名前が付けられる前に、カリブに面する国々、つまりベネズエラ、コロンビア、エクアドル、パナマなどにどれだけ影響があったかなどを教えてくれる本なのだ。

メロマノス(Melomanos)、サルソティカ(Salsotica)、ビエホティカ(Viejotica)、ファンチート(Juanchito)などの言葉や地名にピンと来る人にはとっても面白いと思います。

と言う事で、イスラエルとはそんな話を色々聞くことが出来た。
そしてその後、定番のPolito Huertas師匠のCharanjunto。いやー、プエルトリコだなあ。師匠、最高です。


そうだ、0:00前にミゲに電話しとかなくちゃ。またクラブ805でレゲトン中か?

(続く)
[PR]

by mofongo | 2008-03-15 23:45 | Musica/SALSA
2008年 03月 15日
プエルトリコ '08.3 (3) 捕獲CD -2
(Part 2より)
ビエラ爺のところで捕獲したCDのうち最近のNY/NJ系や島以外のもの。


Black Sugar Sextet/"Extamos Azucar..!" (LSR-5001)
b0015362_1229285.jpg
NY-Bronxを地元して活動するLucho Cueto(p)をリーダーとするオルケスタ。ビエラの店員が「ティト・アレンがなかなか良いぞ」と持ってきた。

バイブも入り、ラテン・ジャズも自然にやるのがNYらしいが、Luchoのバックグラウンドはペルーで小さいころティト・ロドリゲスにハマり受け、ウイリー・コロンとルベン・ブラデスのライブでやられてしまったサルサな人。ティト・アレン、ホセ・マングアル、キム・デ・ロス・サントスがゲストで参加。各々がんがん歌っている。キムの声はいいなあ。マングアルのおっさんもいいし。

同じくゲストのデイブ・バレンティン(fl)は、Luchoのペルーへの思いを伝えるEl Condor pasaを演るが、さすがユニークな仕上がり。デイブ・サミュエルズ(vib)や英語・西語版両方で演ってるバリー・マニロウの名曲「コパカバーナ」とかリブレの「デシデテ」と言った選曲がNY。アレンジはけっこう脂っこい。

でも、曲うんぬんよりこのアルバムは歌と、全体のリズムのドライブの心地よさを聴くのが正解。ベースはチノ・ニュネスのオルケスタのホセ・タバレス。そしてわれらが同胞、Yoko (Rodriguez) Mimataもコロで参加。


Chino Nu~nez / "Doctor Salsa" (Infamous)
b0015362_12294240.jpg
Yoko Mimataの事を言うなら、このアルバムの事を書かねば。これは去年もう入手済みだったけど、この機会に紹介。

チノ・ニュネスはNYで活躍するティンバレス奏者でバンドリーダー。このアルバムではNYらしい締まったドライブ感のリズムとスウィートな感覚で7人の歌い手が共演。

一番の好みはレイ・ビエラ(Ray Viera)。リズム感と声質も良いです。Jose Papo Riveraはちょっとゆれるけど悪くない。"Llego la opportunidad"は良い出来。やわらかさがナイスです。"Aveces"のプエルトリコ賛歌には泣き。Carlos Rosarioはちょっとマルビンっぽい音の伸ばし方がプエルトリコ。

そして4曲目レイ・セプルベダとヨーコ・ミマタのデュエット、"Hoy Les Cantamos"

レイが「僕はラボーのファンなんだよ。そしてマエロ(イスマエル・リベラ)にエル・コンデ(ピート・エル・コンデ・ロドリゲス)にチャマコ(・ラミレス)。彼らの道を追っている」と、サルサへの思いを歌う曲。そしてYokoがそれに答えて歌う。

そんな風にレイと一緒に同じくサルサの流れの中にいて頑張ってるYokoはすごいね。中音からの上がクリアな声。これからも楽しみ。


◆Blasini & Iroko la banda / "Marcando La Distancia" (Primo Discos)
b0015362_1230042.gif
これもビエラの店員が「NJ(ニュージャージー)でアルセニオとかチャノ・ポソとかキューバンをやってるのはどうだ?」って持ってきてくれたもの。
リーダーで歌い手ののルイス・ブラシーニ。レイ・カストロ、ホセ・マデラ参加。これも、NY/NJですね。島の音とは違う味。


◆Our Latin Groove / "Bringin' It All On Back! (Callejero CMR0701)
b0015362_12301787.jpg
ベネズエラで'60-70年代のNYの音、つまりブガルー、シンガリンからサルサあたりの音をベースに活動しているというユニークなバンド。
リーダーでパーカッションのヘラルド・ロサーレスが作る曲の他、ジョーイ・パストラーナなんかをやっている。色々あるもんだなあ。

(Part 4へ続く)
[PR]

by mofongo | 2008-03-15 21:02 | Musica/SALSA
2008年 03月 15日
プエルトリコ '08.3 (2) 捕獲CD -1
(Part 1より)
ビエラ爺のところで捕獲したCDのうち最近のものをいくつか。

◆Descarga Boricua / "Salseando" (Tierrason 007)
b0015362_2373769.jpg
久々のデスカルガ・ボリクアの新譜は2枚組み。昨年2月のプエルトリコでのライブ。いつのも通りFran Ferrerの仕切りだけど。今回はPRとNYの腕っこきが思いっきり「サルサ」を好きなように楽しんだデスカルガ、まさにタイトルの「サルセアンド(="Salsa-ing)"通り。そしてその舞台は音楽監督のルイス・ガルシアがしっかり用意。鉄壁のオルケスタが反応の良い観客を前に気合入れて楽しんでるのが聴き所。

ドゥエロ・アノーチェセールでドミンゴ・キニョネスを下し、プエルトリコの聴衆のその名を轟かせたエルマン・オリベラスと同じくNYの誇るフランキー・バスケス。特に今回フランキー・バスケスのソネオが冴えている。スパニッシュ・ハーレム・オーケストラのレイ・デ・ラ・パスもプエルトリコでドライブがかかってる。ティト・アレンは、その艶やかなリズムと声が素晴らしい。PR側もウイッチー・カマチョのボレロ、そして4曲を歌うダルベル・ガルシアの活躍もポイント。コロの仕事師がついに実力を見せたって感じ。カコ・セナンテのボレロもばっちり。

戦いは歌い手だけじゃない。PR勢の中でジミー・ボッシュ(tb)はNYのプエルトリカンの骨太さたっぷりのソロ、PR側もNY勢の気合で盛り上がり、冷徹な達人アンジー・マチャード(tp)も燃える。近年のりに乗っているカチーロ・トンプソン(conga)が随所に聴かせるプレーも特筆点。

皆が楽しんで盛り上がるのは、おなじみの「サルサの基本」みたいな曲ばかりな為、歌って楽し、踊って楽し、聴いて楽しと言う訳。踊りと言えば、ステイシー・ロペスと彼のチームがステージを一層盛り上げている(DVDでどうぞ)。彼には昔色々お世話になったので、踊る姿が見られるのはうれしい。

曲の出どころと本作で歌っているのはこんな感じ:

b0015362_10241717.jpg
1. Caridad by Wichy Camacho & Darvel Garcia:ラリー・ハーロウのHommy (1973)に収録。原曲のタイトルは"Cari Caridad"でパポ・ルカのアレンジ。このアルバムでは"Mantecadido"とかと併せ人気の定番曲。


b0015362_1156408.jpg
2. El Swing by Adalberto Santiago:やわらかいトニート・バスケスのトロンボーンが島の香りを一杯に広げる曲はプエルトリコではおなじみ。アンディー・モンタニュエスの歌、エル・グラン・コンボの"El Swing del Gran Combo"からのヒット。


b0015362_11574177.jpg
3. Que Humanidad by Herman Oliveras:Eddie Palmieri、そしてManny Oquendo & Libreのヒット。元はDaniel SantosがLos Jovenes del Cayoで歌った曲とか。


b0015362_10364271.jpg
4. Alma, con Alma by Wichy Camacho:フアニート R. マルケスのボレロ。♪Todo lo que suen~o es tan dulce, Tan Dulce como Tu.♪美しい。Ray Barrettoの "The Message" (1972)に収録のヒット。


b0015362_1037743.jpg
5. Sen~or sereno by Darvel Garcia:イスマエル・ミランダの作品。 1972年、ラリー・ハーロウのヒット作



b0015362_10415256.jpg
6. La Cartera by Darvel Garcia:アルセニオ・ロドリゲス作。 Orq Harlowのアルバム"Salsa" (1974) からのヒット。歌はJr.Gonzalez。



b0015362_10411178.jpg
7. Arin~an~ara:チャノ・ポソ作のスタンダード。Joe Cuba "Diggin' the Most やTito Puenteからスパニッシュ・ハーレム・オーケストラまで、NYでは定番のひとつ。


b0015362_10443467.jpg
8. La puerta - Estar contigo:ボレロとは居え、こういう曲もサルセーロであろうと「基本」としてあるのが、サルサが「歌」であるという一面を表している。トリオ・ロス・アセスの大ヒット曲、ラ・プエルタは個人的に大好きな曲。


b0015362_1046619.jpg
9. Fuerza gigante:レイ・バレット の作品"Giant Force" (1980)のヒット。




b0015362_10473441.jpg
10. Pa bravo yo by Herman Oliveras:イスマエル・ミランダの曲。しかし何と言ってもフスト・ベタンクールのお約束の曲と言わないと。


11. Llanto de cocodrilo by Tito Allen:


b0015362_1052591.jpg
12. Guancona by Tito Allen: ティト・プエンテの作品。




b0015362_1159455.gif
13. Ahi na'ma by Frankie Vazquez:これも定番。




b0015362_1132478.jpg
14. Trucutuby Frankie Vazquez:チャマコ・ラミレスの抜群のスイング感が自身の曲で冴え渡りトミー・オリベンシア結成以来の名曲となったこの作品。プエルトリコのライブではみんなよく取り上げる。(例えばカノ・エストレメーラ)みんな歌いたいのだ。マーク・アンソニーも。チャマコ・ラミレスは偉大です。

b0015362_11593169.jpg
15. Quitate la mascaraアダルベルト・サンティアゴの大ヒット、お約束の曲ですね。



b0015362_1144916.jpg
16. Lluvia : アダルベルト・アルバレスの曲だが、言うまでも無くウイリー・ロサリオの"Nuevo Horizontes"からの大ヒット。トニー・ベガとヒルベルト・サンタ・ロサの火花散る時代の名曲。

という感じで、みんな楽しいから気合も入るライブになったんだろうなぁ。

◆Bobby Valentin/"Evolution" (Bronco 176)
b0015362_244120.jpg
CDとDVDが表裏に一枚になったDual Discで映像も楽しい(しゃべりは全編西語ですが)。Julio LopezAlberto "Kriptony" Texeiraの2人の若いカンタンテをフィーチャーした新作は、バレンティンらしい分厚い音。ハードなアレンジがスイングする。

ボビー・カポ("El Cucu", "Piel canela")、ロベルト・アングレロラウル・マレーロと言った名コンポーザーの曲もちりばめ、ベテラン、レイ・デ・ラ・パスも参加するばっちりサルサな前半と、バレンティンのもう一つの面のジャズ、R&B、ファンクの香り充満した後半と2つの面が楽しめる。

ボーカルの一人クリプトニーは、ポッと出の新人でなく、ボンバが好きなら知ってる、Grupo Escenciaで歌っていた若い才能。ちょっとラファエル・デ・ヘスースみたいな面もあったり良いですよ。4曲目の"Que me digan feo" がマイアミ、シカゴ、LAなどでもヒット中。そしてロベルト・アングレロの"Hace tiempo que te estoy mirando"が良い。この良曲をしっかり歌い切っている。

Julio Lopezもこれからが楽しみ。


それからゲストのレイ・デ・ラ・パスの歌、これが若い2人の歌と対照的にしなやかな親爺の色気で大変良いです。DVDでも「ちょっと甘みを加えに来た」なんて言ってるけど、当りです。


そして後半9曲目からがらっと色が変わる。バーニー・ウイリアムスのギターやパオリ・メヒアのコンガも加わりジャズ、R&Bなどグルーブ感が強くなる。

イントゥルメンタル("Four plus two")は単にラテン・ジャズと言っては伝わりきれない。そして"Si-Si, No-No"は、メレンゲ/バラーダで個人的に一番好きなジセルの歌が効果的。クールとホットの同居するラテンの大人の色っぽさ。ブガルー的70年代NYラテン・ロック、ラテン・ファンクの香りにバーニーのギターが絡む。

バレンティンはこういうの両方やりたいんだなあ。

(Part 3 に続く)
[PR]

by mofongo | 2008-03-15 18:40 | Musica/SALSA
2008年 03月 03日
今年のサルサ国民の日"Dia Nacional de la Salsa 2008"
恒例のサルサ国民の日(Dia Nacional de la Salsa)、今年は3/30(日) 昼の12:00から。会場は昨年と同じく、サンファン市内のHIram BIthorn球場です。

b0015362_16135715.jpg
今年は第25回目。なんと4分の1世紀もやってるんです。すごいですね。
毎年、サルサに貢献のあった人たちがオマージュを受けるのですが、今年はマニー・オケンド、ラリー・ハーロウ、そしてあのビエラの親爺(=Rafael Viera)!

いやー、うれしいなあ。このブログでも何度も書いているように、親爺はサルサの生き字引みたいなもんで、若い時ニューヨークにいた頃から始まって、島にもどって来てもプロデューサー、プロモーター、レコード会社経営(Performanceレーベル)、レコード店経営(Viera Discos)・・と常にサルサの真っ只中にいてサルサをサポートしてましたから。

b0015362_16161527.jpg
チェオ・フェリシアーノが若い頃、麻薬でジョー・クーバのオルケスタをやめて島に帰ってきて、ボロボロの頃(チェオは物乞いまでやった)、親爺はしっかり手を差し伸べてチェオをサポートした話などはほんの一例。親爺の話は一度まとめないとなあ。

このブログの定番ネタでもありますが、ずっと昔からプエルトリコのサルサの話をほんと色々教えてもらいました。親爺に紹介してもらったサルセーロも数知れず。

(親爺ネタを数え上げてみたけど、ほんと世話になってるなあ)

'02.11-'03.12-'04.10-'05.9-'05.12-'06.6-'06.11-'07.6-'07.12

親爺、おめでとう!長生きしてください!頼むよ!

◆◆◆

で、今年の出演者ですが、主催者のペドロ・アロージョが今のところ確認してるのは:

b0015362_16172340.jpg
オルケスタ・シグロ21、ソノーラ・ポンセーニャ、エル・グラン・コンボ、ラリー・ハーロウ&イスマエル・ミランダ+フニオール・ゴンサレス&アダルベルト・サンティアゴ、スパニッシュ・ハーレム・オーケストラ+レイ・デ・ラ・パス、マニー・オケンド&リブレ(アンディー・ゴンサレス(b)、フランキー・バスケス、テンポ・アロマール、プピ・トレス


b0015362_16174920.jpg
いやー、豪華ですね。
まず、グラン・コンボ、ポンセーニャの島を代表する2つが一編に楽しめるでしょ。









b0015362_1618223.jpg
そしてニューヨークからのラリー・ハーロウが久々にイスマエル・ミランダとやるだけじゃなくて、フニオール・ゴンサレスとアダルベルトもジョイン。








b0015362_16185536.jpg
スパニッシュ・ハーレム・オーケストラも見逃せないですね。日本に来てくれそうでこないんだよな。










b0015362_16202611.jpg
そしてマニー・オケンドとリブレ。フランキー・バスケスにテンポ・アロマールですからね。名うてのソネーロを聴かない手は無い。

もう行くしかないですが、今年はムリだなあ・・・。





そうだ、丁度その頃赤木りえさんがプエルトリコでコンサート・ツアーだ。友人も行くし話しが聞けるかも。

という事で、行ける人はぜひお見逃し無く!
[PR]

by mofongo | 2008-03-03 16:20 | Musica/SALSA
2007年 12月 13日
プエルトリコ '07.12 (2) Viera Discos
((1)より続く)

オールド・サンファンからCalle Cerraへ急ぐ。Vierra親爺に会う為だ。

いつものようにポンセ・デ・レオン通りからセラ通りをたらたらっと下る。お、DISCO HITSが大きな店を出してる。なんだ、親爺も商売やりにくかろうなあ。


b0015362_1382141.jpg
・・・ない・・・・

親爺の店がないじゃん・・・・

店はもぬけの殻・・・"Se Alquiler"(貸家)の張り紙が・・・・

まさか、DISCO HITSに負けて倒産したとか、それとも親爺の身に何かが・・・



近くのコルマドに飛び込んだ。

「あ、あの、ビエラ・ディスコはいったい・・・」
店員「ん?2ブロック先に引っ越したよ」


なんだよ。張り紙くらいしておけよ。


◆◆◆


b0015362_1385018.jpg
じゃーん!おお、なんかでっかくなったな、びっくり。
入り口で親爺とリッチーがクリスマスの飾り付けをしてる。

「おや、久しぶり。元気か」
「親爺もお元気で。Feliz Navidad。新装開店だったんすか」
「ま、入れ」

早速、ブツを物色にかかる。いつもの店員が色々勧めてくれる。

b0015362_1582114.jpg
店1「これニーチェにもいたやつでさ、お勧め!」
店2「こっちはプエルトリコの新人の兄ちゃんたち。なかなかやるよ」

なんてやってるとあっという間に時間が過ぎる。

店の一番奥は一段高くなっていて、ライブも出来そう。2階の中古盤コーナー(LP)は観覧席になりそうだし。

「ねえ、ここ、コンサートも考えて作ったの?」
「いや、もと教会だったんよ

お、またウイリー・ロサリオ先生がやってきた。ビエラでダベるのは日課なんだね。
そして先生と古いビデオを見るのもここに来る楽しみの一つ。

b0015362_14401.jpg
古株の店員がセットしたのはカルメン・デリア・ディピニのTVショー。
彼女はボレロ歌手。ロサリオ先生はうれしそうにじっと聴き入って、店員と色々話す。画面ではディピニが司会ともう一人のゲストと話している。

ロサリオ先生が話しかけてくる。



b0015362_147147.jpg
「おい、あれ誰だか知ってるか」
「えー、分かりません」
ロ「あれはパコ・ルイス・ビダル。作曲家だ。もう亡くなったけどな、良い曲を沢山書いてる。」
「先生、やっぱりボレロは大事なんですね」
「良い歌をたくさん知らなきゃだめだ」

うーん。プエルトリコって、良い歌い手を輩出してるでしょ。
トリオの時代、マンボの時代、サルサの時代、ポップスも。
これって、良い作曲家もたくさん輩出しているってことなんだよね。


ああ、時間がいくらあっても足りない。しかし、もうそろそろ時間切れ。

「じゃ親爺、良いクリスマスを!」
「おお、お前もな。そうだ、プレゼントをやろう」
「あやー、こんな文献を!ありがとね」

◆◆◆

さて、一旦宿にもどり、ひさしぶりに友人のMichiruさんに会いに。
地元話、家族の話、飯の話とあっという間に時間が過ぎる。
彼女にもらった、おいしい情報によると、コンダードでリコ飯のお昼食べるならダイヤモンド・ホテルのプール・テラスがねらい目だって。6ドルでドリンク付きの地元価格!

名残惜しいけど、次を急ぐ。

b0015362_1483982.jpg
今度は、サルセーロ公園だ。トニーオリベンシアが亡くなって、今年ついに銅像が立てられたというニュースは読んだが、やはりお参りに行かねばならない。

バスを待つがなかなか来ない。隣でアンディー・モンタニェスのポスターが「まあ、急ぐな」と笑ってる。








ようやく公園に到着。オリベンシアは一番左だ。

b0015362_1553533.jpg
このサルセーロ公園は、サンファンの下町ビジャ・パルメラスにある。丘を越えればバリオ・オブレロ、道の反対側はジョレンス・トレスカセリオ(プロジェクト/公営アパート)という、コテコテの庶民の街にある。ここからミラマールまでの「サントゥルセ」といわれる一帯から出た音楽家はいかに多いことか。

コルティーホ
イスマエル・リベラペジン・ロドリゲスもボンバのセペーダ一家アンディーペリーコも、と挙げればきりが無い。

そのコルティーホイスマエル・リベラペジン・ロドリゲスエクトル・ラボーに続いてオリベンシアが胸像になったのだ。オリベンシアというのが、いかにサルサの歴史の中で重要人物かよく分かる。

b0015362_1555429.jpg
60年代前半、まだNYでサルサが生まれていない頃、すでに彼の音はサルサと言って良いものだった。そして、彼が見込んだ数々の優れた歌手、起用した作曲家と作品、そのスタイルと、グラン・コンボやポンセーニャ、ロサリオとまた違った、バンド・リーダーの個性・主張がある。

5体に順に手をあわせていると、怪しい東洋人を地元のお子様たちが警戒している。
そこで皆に話しかけてみた。

やあ、みんな、元気かい
「・・・・」
「(うっ、明るく声かけて、かえって警戒された)この人たちは一体だれなんですか?」
お子様1「彼らは偉大な音楽家たちです。」
「どんな音楽なのですか?」
お子2サルサです
お子3「この人は(とコルティーホを指差す)はボンバやプレーナも演奏しました」

「(おお、やるなあ!)では、みんな、こんな歌は知ってますか?Las caras lindas de mi gente negra♪~」
「知ってます。知ってます。この人、この人(とマエロを指す)」

ああ、素晴らしい(涙)。
我々も、日本の素晴らしいメロディーのことを子供たちに教えんといかんなあ。

b0015362_1562083.jpg
ふと右手を見るとあと3体分の台座が作ってある。
誰のだ?

「これらは誰の為のものですか?」
お子1「知りません」
お子2「ダディー・ヤンキーかも」

がははは、これはいい。彼らはイスマエル・リベラダディー・ヤンキーも同列なのね。
伝統ってこういう位置にあると、音楽は衰退しないんだろうなあと、5賢人の像に改めて敬意を表したのでした。
[PR]

by mofongo | 2007-12-13 01:34 | Musica/SALSA
2007年 12月 13日
プエルトリコ '07.12 (1) Musica Antillana
(前夜よりの続き)

携帯の目覚ましがなる。7:00amだ。うー、眠い。しかし、アポがある。

あー、二日酔いなのか寝不足なのか、食欲が無い。しかし、こういうときこそショック療法だ。隣のバーガー・キングでワッパーを食おう

ん?今月のキッズ・メニュー(Cofre Magico)のおまけはダディー・ヤンキー・グッズじゃん。
うー、欲しい。しかし、「大人には単品でお売りできません。」って書いてある。
つまり、2人分食うしかないって事?げーー・・・


b0015362_2334177.jpg
つい物欲に負けました。
ワッパーのRegular+キッズ・メニュー。フライド・ポテトが二人分、さわやかに香る。
うー。。。。

ちなみにおまけはDYロゴの入りの小銭入れでした。金の地にピンクでDYロゴが。
かなりBlin Blin.


◆◆◆

さて、胸焼けも最高潮に達したところで、オールド・サンファンへ。プエルトリコ大衆文化国民基金(Fundacion Nacional para Cultura Popular)に向かう。

b0015362_23385194.jpg
プエルトリコ音楽やサルサに興味がある人で、ネットでアーティストのバイオなんかググった事のある人はこのロゴのサイトに行き当たったことがあるのでは?

もっとコアでプエルトリコの60年代のポップスとか興味のある人は「Nueva Ola」という本を知っているかも。(そんなの日本に5人もいないだろうけど)

この基金の理事で、「Nueva Ola」の著者でもあるハビエル・サンチアゴ氏に会いに行くのだ。

なんで行くのかって?それは色々話を聞きたいことが。

◆◆◆


コロンブスがカリブ海に到達してから数世紀の間、カリブの島は元々住んでいたアラワクやカリベ、タイーノといった人たちの文化、欧州からやってきた英・仏・西・蘭・北欧などの人たちの文化、アフリカから奴隷として拉致・売買された人たちの文化が大きく、緩やかに交じり合ってきました。

その中で各々の島は、少しずつ異なる背景による違った文化と同時に、「カリブ」を串刺しするような感覚の文化や音楽を育んできました。

b0015362_0594090.jpg
英語圏では"West Indies"とくくられる文化、仏語圏では"Creole"と呼ばれる文化、西語圏では"Crilolla"や"Antillana"とか言われる感覚などに共通した部分があります。(写真左はNew OrleansのKing Oliver Creole Jazz Band)



そんな背景の中で、プエルトリコの音楽家はクラシックから民衆の音楽まで、様々な分野で他の島と交流し、プエルトリコならではの音を広めていました。

クラシックの例をひとつあげれば、19世紀から20世紀のキューバの有名な作曲家、イグナシオ・セルバンテスの娘はプエルトリコのゴンサロ・ニュネスに師事したりしています。

◆◆◆

b0015362_154141.jpg
キューバで廃れてしまったダンサはプエルトリコでは独自の発達を見ましたし、その後のポピュラー音楽で言えば、60年代後半にある新しい音楽に「サルサ」って名前が付けられるずっと前から、プエルトリコの音楽や音楽家はNY、キューバ、メキシコと海外でたくさん活躍してました。

たとえばオルケスタで言えばモンチョ・ウセーララファエル・エルナンデスラファエル・ムニョスオルケスタ・パナメリカーナミゲリート・ミランダなどなどです。(写真右はミゲリート・ミランダのオルケスタ)

特にボレロや歌ものをカリブならではのリズム感に乗せたサウンドは得意中の得意だったと言えます。

b0015362_141716.jpg
エルナンデスからペドロ・フローレスボビー・カポダニエル・サントスなどの男性歌手(&作曲家)、フリータ・ロスシルビア・レサーチカルメン・デリア・ディピニルース・フェルナンデスなど女性歌手など、カリブ、メキシコからアルゼンチンまで人気のあったスターは一杯です。
(写真左はクァルテート・ビクトリア。左がボビー・カポ、真ん中がラファエル・エルナンデス)

サルサは60年代後半に名前が付けられた音楽ですが、プエルトリコの60年代初には、すでにサルサと言えるフィーリングのグアラチャやワワンコーが誕生してますし、その音は「アフロアンティジャーナ」の音楽としてカリブ圏に広がっていました。

b0015362_1115483.jpg
チャマコとパキートを擁したトミー・オリベンシアの62年の音はすでにサルサですし、それは仏語圏のマルチニーク、グアドループで大ヒットしているくらいですから。

そんなベースがあって、NYで商業的にネーミングされた「サルサ」は急速にラテン・アメリカに広がったのです。なにもアメリカから中南米への強力な配給網あったから広がったわけではないのです。

すでに、カリブ圏や中南米にはその音を受け入れるベース自体あった。そしてそれがまだサルサをより強化する背景にもなったのです。

◆◆◆


30年くらい前にサルサが日本で知られるようになった頃には、このあたりの情報は全くゼロと言って良いくらいで、キューバンを中心としたソンやマンボの情報しかまとまったものはなかった。

だから、キューバ音楽を中心に音盤から手探りで歴史を紐解いていたのが実態だと思うけど、今、ネットの時代にになってそれ以外の情報が山のように手に入るようになりました。

そしてキューバのみならずプエルトリコ、コロンビア、ベネスエラと気軽に行ってナマ情報が手に入るようになった。

b0015362_1224910.jpg
ところが、日本じゃ未だに30年前とあんまり変わらないような歴史認識のような気がするし、自分がニューヨークで、プエルトリコで、コロンビアで、ベネズエラで聞くサルサ・ファンの「常識」とずれている。

そんなプエルトリコの音を調べている中で、サンチアゴさんにはメールで色々教えてもらってたのだけど、今回直接色んな話をしに行くことにしたのでした。(写真左はサンチアゴさん)




◆◆◆

いやー、濃かったわ。
b0015362_1274772.jpg
色んな視点と情報を頂きました。コレクションの中のボビー・カポの自筆原稿とかピアノとか見せてもらったり。

この話はまた別途。

濃い話とは別に、この時期の旧市街は歩いていて楽しい。そこらじゅうがナビダーだから。
次はビエラの親爺に会いに行かなくちゃ。カジェ・セラへ急ぐ。

(続く)
[PR]

by mofongo | 2007-12-13 00:27 | Musica/SALSA
2007年 11月 02日
Larry Harlow @Billboard 07.10.31
久しぶりにラリー・ハーロウが来た。
b0015362_1125019.jpg
言うまでもなく、ラリーは60年代後半から70年代を通してのサルサのど真ん中に位置するFANIAの最重要アーティストの一人。

ファニアのアーティストの志向/嗜好は実に多様。その中で彼のベーシックな部分はキューバ音楽から始まっている。ジョニー・パチェーコもそんな傾向が強い。

b0015362_12561449.jpg
面白いのは、ファニアの中でキューバへの傾倒が強かったこの2人はキューバ人でもプエルトリコ人でもない、というところだ。

60-70年代に「サルサ」という名前が誕生した現場にはキューバ人はほとんど関係なかったから、2人がキューバンでなかったのは当然としても、プエルトリカンでもなかったと言う点もポイント。

キューバのハバナやプエルトリコのサン・ファン、ポンセは18-19世紀から経済/商業的背景により音楽の交流が顕著だった。だからプエルトリコ人にとってはキューバの音楽はレスペクトの対象ではあるが、改めて「お勉強」するものでもなく、同時に自分たちは自分たちの音楽を持っていた。

b0015362_1255265.jpg
一方、パチェーコはドミニカのサンティアゴ・デ・ロス・カバジェロスの生まれ。このドミニカ第2の海に面さぬ町は初期のローカルなメレンゲ(メレンゲ・ティピコ・シバエーニョ~ペリーコ・リピアーオ)の里であるシバオ地方の中心。

そこで11才まで暮らしニューヨークに引っ越す。そしてNYでキューバ音楽やマンボに本格的にぶつかりチャランガへと続く。

またハーロウはNYのユダヤ人として育つ中で、ラテン音楽と出会い、キューバに旅してノックアウトされ、3年間ほど住んで「勉強」した青年時代を持っている。

つまり二人ともキューバ人でもプエルトリコ人でもないがゆえにキューバ音楽を「勉強」した過去を持つが、それがキューバ音楽へのこだわりを持つ1つの原因になっているのだろう。

◆◆◆

この辺は、我々の日本にもある。特にラリーのケースは80年代後半、キューバに行ってそれ以降キューバ一辺倒になった日本のミュージシャンたちのケースと似てるね。
b0015362_2111960.jpg
でも、ラリーの音の面白さはNYに帰ってしばらくしてから始まる。"キューバ音楽伝統主義者"の彼もNYに帰ればR&Bやジャズは相変わらず一杯、ブガルーもあればロックもある。なんといっても周りのラテン系ミュージシャンはプエルトリカンばかりだ。

そんな中でロックをやって全米ツアーしたり(Ambergris)、色々トライする中で「彼のサルサ」が出てくるのだ。

◆◆◆

今回のライブの1週間前、丁度プエルトリコから友人のぺぺが来日した。自分が島に住み始めたときからのサルサ友達、そして生粋のプエルトリカンだ。

彼の学生時代は70-80年代。だからサルサは彼にとってあたりまえのもの。

「ホーム・パーティーでかかる音は、とにかくサルサだよ」、という高校時代を過ごしたぺぺ。


b0015362_1439537.jpg
⇒YouTubeで"Marvin Santiago: Juego a la Jicoteaを見る
(ベネスエラの土曜夜の人気TV番組より)



TVではグラン・コンボファニアボビー・バレンティンロベルト・ロエナが、そしてトミー・オリベンシアウイリー・ロサリオがダンサブルな音を放っていた。

その頃の話を聞くのはとても楽しい。車の好きな彼はチェビー(シボレー)の中古をチューンし、週末は仲間やガールフレンド達を乗せ遊びに出る。そしてそんな中に普通にサルサがある、というのは今のプエルトリコと変わらない。カー・オーディオから流れるFM局で一番強いのは今でもレゲトンよりサルサ専門局だしね。

そんなペペだから、日本から帰る前の晩にラリー・ハーロウが楽しめると知ると迷わずと言って来た。

「予約よろしく」


◆◆◆

今回のラリー・ハーロウはフロントにアダルベルト・サンティアゴヨーモ・トーロというファニアの重鎮を配し、バックはNYの手堅いメンバーで固め、フロントの歌はアダルベルトに加えて、ルイシート・ロサリオエモ・ルチアーノを置く。10年以上前からラリーと縁がある気心知れた2人。総勢は13名。

b0015362_1183088.jpg
ラリー・ハーロウ/Larry Harlow(P)
アダルベルト・サンティアゴ/Adalberto Santiago(Vo)
ヨモ・トロ/Yomo Toro(Cuatro)
レイ・マルティネス/Ray Martinez(B)
ルイシート・ロサリオ/Luisito Rosario(Vo)
マック・ゴルホン/Mac Gollehon(Tp)
ルイス・カーン/Louis Kahn(Tb/Vln)
エモ・ルチアーノ/Emo Luciano(Vo)
リッチー・ヴィルエット/Richie Viruet(Tp)
チェンボ・コルニエル/Chembo Corniel(Conga)
フランク・フォンテイン/Frank Fontaine(Sax/Fl)
ジェフ・ロペス/Jeff Lopez(Timb
ロヴィー・バウソ/Lovie Bauzo(Bongos)

ちなみに、このバンドのメンバーは全員ソロ・アルバムを出している実力者ぞろいなのだ。
そして、多くがプエルトリコ系。サルサはこれでなくっちゃね。

◆◆◆

b0015362_117156.jpg
ステージが始まった。あれ?フロントにルチアーノがいないぞ?
ええと、この曲なんだっけ?Se formo la Rumbaだっけ?ルイシートの歌、いいじゃない。
まだ、客席は暖まらない感じだけど、腰がムズムズする。

そして2曲目、ルチアーノが出てきた。楽屋で寝てたか?(^^)
おお、Senor Serenoだ。オーケストラ・ハーロウの名盤「ライブ・イン・クアッド」のおなじみ曲。
思わずペペと歌っちゃう。

ルイシートがさかんにヨーモを気遣ってコミュニケーションを取る。
ヨーモはもう足が弱っていて、ステージまでは車椅子なのだ。でも、クアトロ弾くとパリパリ!


Larry Harlow, Junior Gonzalez - Señor Sereno 1972 NYb0015362_025944.jpg
⇒YouTubeで見る





Orquesta Harlow en Vivo 35 años "Señor Sereno" Cano Estremera
b0015362_0292810.jpg
⇒YouTubeで見る




そして次は、アダルベルトがリードを取る。そのお約束通りの曲、と言えば・・・。

ラリーが紹介する

「今日はハロウイーンだよね。ハロウイーンと言えば、仮面(マスク=マスカラ)!」

b0015362_1451714.jpg
そうQuitate la Mascara
レイ・バレートのところに在籍してたアダルベルトの大ヒット曲。
これもペペと歌いまくり、机たたきまくり、終わったら「ボリークアー」とか叫ぶし・・・・隣の人はうるさかったかも・・・。


RAY BARRETO Y ADALBERTO SANTIAGO - QUITATE LA MASCARA
b0015362_0322690.jpg
⇒YouTubeで見る





FANIA ALL STARS-QUITATE LA MASCARA
b0015362_0341946.jpg
⇒YouTubeで見る


◆◆◆

何杯目かのグラスも空になり、曲目がはっきりしなくなる・・・・。ルイシートは客席とコミュニケーションを取り床がどんどん熱くなるのがわかる。


ええと、あとなんだったけな、そうそう、”El Bohioボヒオって、インディオの伝統的な家の事。クーバ味たっぷりな曲だねえ。"~♪Si, Sen~or♪~"を客側から掛け合うのがお約束の定番。

El Bohio/Larry Harlow Latin Legend Bandb0015362_1551271.jpg
⇒YouTubeで見る

(このYouTubeはワシントンでのわりと最近のライブ。フロントはルチアーノとルイシート。リッチー・ヴィルエットのTrumpetソロ、フランク・フォンテインのフルート・ソロなど今回のメンツをかなりだぶってるのでムードが分かると思います。)

途中で、赤木りえさんが飛び入りし、フランク・フォンテインとフルート・バトルしたり、カルロス菅野さんがコンガ叩いたりとステージを盛り上げる。

そして、(Las mujeres de) Mayari。これも「ライブ・イン・クアッド」。
“マジャリの女の子はかわいいよなー”って曲。こっちもつい歌っちゃうんだよねー。
サルサは踊りの為のメトロノームでも、ただのリズムパターンでもないよなってつくづく思う。歌であり曲であることがあって、歌詞を歌って、リズムに体が引っ張られて、どんどん高揚してくる気持ちがあってこそ。

b0015362_15463380.jpg
⇒YouTubeで見る

最後はたしかLatinos
Larry Harlow and Latin Legends of Fania (Larry Harlow)
1曲目はややクールだった空気が、最後はしっかり盛り上がった。今回はラリーの熱さと言うよりヨーモのムード、そしてフロントの二人だったと思う。これからも2人のことは要チェック!

Emo luciano/La Cartera
b0015362_2036568.jpg
⇒YouTubeで見る




Luisito Rosario
b0015362_20383011.jpg
⇒YouTubeで見る


◆◆◆

ぺぺと楽屋に行く。
b0015362_2243955.jpg
ラリーやアダルベルトとちょっと話し、ルチアーノとルイシートのところへ。

ぺぺ「いや、よかったよ。」
ル1「あんがと、あんがと、あ、プエルトリカンだよね?(喜)日本に住んでるの?」
ぺぺ「旅行で来てんだよ。トゥルヒージョ・アルトに住んでる」
ル2「おお、トゥルヒージョ!そう!エルマーノ!がしっ(抱擁)」

いつもの事ながら、ボリクア同士って一挙に盛り上がるなぁ。
b0015362_2252862.jpg
ル1「あんたもボリクア?国の旗もって」
モフォ「いやいや、ハポネスだけどさ、グアイナボに住んでたんよ。この夏も里帰りしたりし」
ル2「おお、グアイナーボ!そうか!エルマーノ!がしっ(抱擁)」

アヤー、住んでただけでも十分盛り上がるね。

◆◆◆

などとさわいでいる内に、ラリー、ルイス・カーン、アダルベルトなど、順番にぼちぼち引き上げてゆく。
車椅子のヨーモはニコニコして残ってる。
b0015362_2261916.jpg
「師匠お久しぶりです。プエルトリコでお会いして以来で。クアトロ練習してるんですがちっとも上手くなりません」
「そうかそうか、とにかく頑張んなさい。そうだ、弾いてみよう。そこのクアトロとってくれ」

師匠のクアトロは年期モノのマイク&イコライザー付。螺鈿細工の装飾が美しい

「モフォ、これくらいならは易しいだろ。♪~♪」
「♪Vamos a bailar la murga, la murga de Panama♪師匠、エクトル・ラボーは最高っす」
「ふむふむ(^^)、じゃさ、これはどうだ。」
「♪Quitate tu pa' ponerme yo
「わはは、じゃこれは?♪♪~」


ルイシートがにこにこして寄ってくる。
b0015362_2272417.jpg
ル1アサルト・ナビデーニョ!Ya van a empezar las fiestas♪

モ&ヨ「おー、ボリークア!」

それからアギナルドの曲のさわりを何曲かやって盛り上がる。NJ生まれのルイシートもトロバドールに変身だ。まるでここはNY・エルバリオ!

◆◆◆

気づいたら本物のボリクア・ぺぺはあきれてどっか行ってた。
モフォ「師匠、お元気で!またNYあたりでお会いしたいです」

やっぱり、ボリクアのサボール感じずしてサルサはありえんなあ。
日本じゃこのサボールの香りがする音を聴くのはとても難しもんね、オルケスタでもDJでも。

そんな意味でもラリー・ハーロウに限らず、もっと島やNYの音がもっと気軽に来てくれないもんかなあ、と思うんよ。ぺぺ。

ぺぺ「そうかぁ。じゃほんとに日本じゃ難しいか、試さにゃな」
「んん?」
ペペ「去年行った、ほらEl Cafe Latinoと行けなかったSudadaと。このまま帰って寝たら飛行機逃すって。オールナイトでしょう、やっぱり。では参りましょう♪♪」



そう言うあんたみたいの、やっぱり日本にはいないと思うんですけど・・・・
[PR]

by mofongo | 2007-11-02 23:13 | Musica/SALSA