カテゴリ:Musica/SALSA( 72 )

2007年 07月 20日
LOS BORRACHOS LIVE 江ノ島 7/22(日)
プエルトリコの香り高いサルサのLOS BORRACHOSさん。

今週末7月22日(日) は江ノ島海の家ライブです。
潮風のなかで島の音を楽しませてくれるでしょうね。

場所:片瀬西浜 海の家「Rain Forest」
小田急江ノ島線片瀬江ノ島駅から徒歩5分、新・江ノ島水族館のすぐ裏
http://maps.nifty.com/index.jsp?type=1&nl=35.3060525&el=139.48288305555556&scl=25000
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7月22日(日)
17時開場
18時半スタート
チャージ2,000円(1ドリンク付)

天候は気になるところですが、この際細かいことは気にせず、
ナイスでマッチョなサルサで踊りましょう!(台風以外決行らしいです)

http://www.ne.jp/asahi/salsa/borrachos/
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by mofongo | 2007-07-20 18:12 | Musica/SALSA
2007年 06月 25日
プエルトリコ 07.6 (2) The Puerto Rican Diaspora
あー眠いわ。レゲトンの現場は素晴らしい。日本ではムリだよなあ、よっぽどDJがしっかりしてないと。

DJ Desordも大阪いっちゃったし、東京やレゲトンだけで繋げるDJなんかいるかな。ファンは絶対いるのに回し役がいないのは残念だ。自分でやろうかな。

◆◆◆


床を這ってシャワーを浴びに行く。こんな時は朝の浜を走って朝飯に行くに限る。

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Calle 13の新譜とルビー・ハドックの"ザ・エンタテイナー"を持って出る。Calle 13のレシデンテのラッピンがアッシュフォードの通りに合う。アトランティック・ホテルまで走って浜に出る。おお、美しい。今日の朝は波が静かだ。そこから浜を戻り、病院の手前で通りに出てスーパーへ。新聞を買い、ハモン&ケソのサンドイッチを調達してまた浜に戻る。CDをルビー・ハドックに替える。









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ああ、ティト・ゴメス、なんで死んじゃったんだろ、とか思いながら新聞をめくると、昨日の葬式の記事。歌で送ってる写真。
こうやって故郷に戻って来たんだなあ。

◆◆◆


ラテンの世界じゃプエルトリカンは、一番自国から離れて暮らす・暮らした人が多い人。それだけに、故郷を思う気持ちの重みは共有してる。自分も海外暮らしを10年して、今も年2-3ヶ月は旅回り。でも帰ろうと思えば帰れる自分と、そうでない人たちとの気持ちは絶対に違う。

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最近出版された"The Puerto Rican Diaspora"という写真集がある。Frank Espadaが、いわゆるアメリカ本土とハワイの35ものプエルトリカン・コミュニティー、El Barrioの人たちを20年にわたって撮り続けてきた写真&インタビュー集だ。

例えば1899年にハリケーン、サン・シリアーコによりで島の農業が壊滅的被害を受けたとき、プエルトリコからハワイに5,000人もの人が働きに移住している。ニューヨークは言うに及ばず、自動車やそのほかの製造業、サービス業があるデトロイト、シカゴ、フィラデルフィアなどにも合計3-4百万人の人が移住している。

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しかし、言葉も生活習慣も違う土地での生活は容易ではない。生活はなかなか良くならず家族を軸に必死に生きる。そんな人々の写真が一杯つまった本。

サルサという音楽がどうしてプエルトリカンを中心して生まれ、それがラテンアメリカに広がったのか、それは、リズムや音楽形式の話の前に、歌としての共感があったからだと思う。良くならない生活、故郷を離れざるを得ない状況。そしてそんなどうしようもない現実は現実として、いや現実だからこそ、それを吹き飛ばすような歌とダンスの一瞬。

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ティト・ゴメスの事がまた浮かんだ。彼がNYでの保護観察期間を終えて、居を構えたのは結局コロンビア。奥さんの故郷でもある。彼もやはり家族を軸にして生きながら、自分の歌を一番求めていたコロンビアの人々の中で生きることを選んだのだろう。

まさにプエルトリカン・ディアスポラの一人だったのだなあ。
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by mofongo | 2007-06-25 03:29 | Musica/SALSA
2007年 06月 25日
プエルトリコ 07.6 (1) Calle Cerra
あー、着いたよ。暑いわ。恒例のタクシー占い。ラジオをかけてもらい一曲目でその滞在を占うという気晴らし。~♪A mi me gusta el chivo con vino~♪

おお、グラン・コンボ!"El Menu"。今回もしっかり食べろということか?

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宿に荷物をおろし、溜まったお仕事をガツっとこなして昼飯を食いに行く。Calle Cerra近くにするか。さすがに暑くて人通りがすくないけど、飯屋はあいている。

どこにしよう。サルサをがんがんかけてるあのチキン屋にしよう。

モ「1/4チキンとフレンチ・フライにビール」





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あー、夏の昼下がりだ。他の客もだるそうに食ってる。ソディアックの"Mi Guitarra"の重い音が心地いい。

若い店の兄ちゃんが寄ってきた。
兄「中国人?日本人?」
モ「ハポネだよ」
兄「ね、愛してるって日本語でなんて言う?」
モ「えぇ??ここいらにハポネサなんていないじゃん?」
兄「よめさんに。今日誕生日なんすよ」








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ちょっとはにかむ兄ちゃんにメモ書いて渡した。
ほんと、なんでもない庶民が普通に暮らしてる町。角のコルマドで食材を仕入れる。




◆◆◆

ビエラ親爺の所へ。

通りを眺めてる親爺発見。

モ「オーラ、親爺!元気?また来たよ」
お「入れ入れ」
店員「おお、来たな。今日は買い物リストないのか?なんだつまんないな」

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一通り物色。雑談に。亡くなったティト・ゴメスの事を話す。
話は、ポンセーニャテリフィカルビー・ハドックレイ・バレットの時の話が多い。
皆「残念だよな」






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いつものようにウイリー・ロサリオがやってくる。
ロ「お、また来てるのか」
今回はお土産に加えてLos BorrachosのDVDを渡す。自分の曲をやってるのを見てニヤリ。
モ「日本にぜひ来てくださいよ」




◆◆◆

親爺とタンゴの話をして盛り上がる。親爺はタンゴが好きなのだ。
なんつったて親爺は若いころガルデル級のハンサム・ガイだったのだ。

ちょうどテキサスに住む長男が里帰りしてて店を手伝ってた。長男って言ったってもう60くらい。

色々聞いてみた。親爺には10人も子供がいるとか、若いころは何かと遊びもたっぷりだったそうで素晴らしい。
いつも着ている物はピシッとしてるし、こういうじじいに私もなりたいわ。

数年前親爺はプエルトリコ議会から表彰を受けている。長年の音楽の普及に貢献したちゅうことだ。一度経歴をまとめてみないとなあ。

まだまだ元気で居て欲しい。

◆◆◆

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とか、やってると今日はイスマエル・リベラ・JRが登場。
リコの下町弁丸出し。いいわー。大変しぶとい面構えで素晴らしい。色々懲りないだけはある。

モ「ほんま、ええ声してはって好きなんですわ。"Nueva Generacion"お気に入りです。次の新譜待ってますよ。」
イ「ありがと、ありがと。まあ、予定あるから待っててくれ」
なんか、あんまり働いてない風なのに大きなSUVのってた。やはり親の印税か?

とかやってると、もうお客との食事の時間。



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爺「明日はヒマか?」
モ「いやー仕事なんすよ」
爺「アンディー、ウイリー、ムレンセなんか出る無料のライブがすぐそこであるのになあ」
モ「あやー・・・。まあ、また来るからいいのあったら教えてね。爺も元気で!」








◆◆◆

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お客と会食。先方も心得たものでこちらの現地飯好きを知っててプエルトリカン料理の店へ。
またも共食いのモフォンゴです。シーフード・モフォンゴ。ああ、腹いっぱい。

◆◆◆


結構話して宿へ戻る。11時。しかし寝てはいけない。次はレゲトンなのです。(続く)
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by mofongo | 2007-06-25 02:54 | Musica/SALSA
2007年 06月 22日
ティト・ゴメス逝く
先週の火曜、日本から旅に出た直後に悲報を聞いた。

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まだ59才、若い。残念だった。まだ若いって事もあるけど、山あり谷ありでRolling Stoneな人生がようやく一つところに腰を落ち着けて花開くのかと思っていたから。

自分の入っているSNSの日記に悲報を書いた。色々思いはあったけど、淡々と書いた。

◆◆◆


月曜の夜、カリのホテルで心臓発作で倒れ、救急病院に運ばれましたが息を引取ったそうです。享年59才。まだ若い。。

前の週の土曜はペレイラ/コロンビアでニーチェと再会コンサートに出演。マエロ・ルイスやグアジャカンと共にステージでファンをたっぷり楽しませたばかりと言うのに・・。

2週間程前、NY/Bronxでソノーラ・ポンセーニャ以来の盟友ルイジ・テクシドールと仕事を共にしたそうですが、ルイジがラジオ局の追悼番組に答えて曰く:

「前の仕事からすぐ来たんで寝てないとか言って疲れた顔してたよ。太りすぎで顔もちょっとむくんでた。ステージはばっちりで、あとでファンと写真取ったりだったんだけどなあ。
過労と太りすぎが命を短くしたのかもなあ」と。

チャーリー・パルミエリ、ティト・バレンティン、レイ・バレット、ラ・テリフィカとさまざまなキャリアの中でソノーラ・ポンセーニャは好きな曲がたくさんあります。"Sentimiento Jibaro"とか。

その後84年からコロンビアへ引越しグルーポ・ニーチェに参加。そしてソロ。あの声が好きでした。

明日、故郷のプエルトリコのフアナ・ディアス(ポンセの東)でお葬式が予定されてます。

冥福を祈りたいと思います。q.e.p.d.

◆◆◆


いろんな友人がお悔やみ、コメントを書き込んでくれて、それが1週間も続いた。

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正直驚いた。もっと反応が少ないのではと思っていたから。
みんなティト・ゴメスが好きだったのが分かった。
そしてみんなが好きだった曲、悲報に際して聴いた曲が、多岐に渡っている事にまた打たれた。

ポンセーニャの"モレノ・ソイ"、テリフィカ、ティト・バレンティンのボレロ、ルビー・ハドックでの歌、レイ・バレットでの"グァラレ"、ニーチェでの"ヌエストロ・スエニョ"、ソロになってからの"パヒナ・デ・アモール"・・・・

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なんといろんなオルケスタで歌ってるんだろう。コロでも相当参加しているし、プエルトリコ、ニューヨーク、ベネズエラ、コロンビアと活動の本拠も変わった。まさに「さすらいのソネーロ」。

何が彼をこんなに放浪させたのだろう?

◆◆◆


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旅の途中で立ち寄ったプエルトリコで何時ものサルサの達人たちと彼の話をした。曰く、
「"モレノ・ソイ"はルイジも大事だが、彼が居てこそだ」
「"グァラレ"もそうだ」
「ルビー・ハドックにはとても彼が大切だった」
などなど。

しかし、同時に
「コロンビアに行ったのがなあ・・」
「あれで彼の人生は変わったし」
「でも、ニーチェの歌にサルサのかっこよさを吹き込んだのは彼だ」

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80年代のコロンビアのドラッグ・マフィアの勢力図はパブロ・エスコバルのメデジン・カルテルとロドリゲス・オレフエラ兄弟のカリ・カルテルの抗争は激しさを増し、カリをベースとするグルーポ・ニーチェもロドリゲス兄弟と無縁ではいられなかった。彼らの息のかかったコンサートやプライベート・ライブは何度もあった。そんな中、彼はカリに居を構え84年にニーチェに加わった。

91年にソロとなってからも、その方面との付き合いは避けられなかったのだろうか、2000年の逮捕・収監・・再び転がる人生だった。再起の"Comenzando en cero"(ゼロから始める)を聴いたとき、決意というより落ち着いたものを感じた。

もう、さすらいのサルセーロではないような気がした。カリに居を構えその生活を大事にするように思えたのだ。

とはいえ、前述のルイジの話などからは決して安寧な暮らしでなかったようにも思う。

◆◆◆

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宿に帰ってTVをつけると、追悼番組をやっていた。ジョーイ・エルナンデスの番組。
ソロ・デビュー盤からのヒット、"Dejala"が流れた。ティト・ロハスとのデュオだ。好きな曲の一つ。バイオが紹介された。








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ウンベルト・ルイス・ゴメス(Humberto Luis Gomez)は1948年4月9日、プエルトリコのフアナ・ディアスで生まれた。15才の時よりプロとして歌い始め、ラ・テリフィカに参加。ティト・バレンティン、チャーリー・パルミエリのグループ、ソノーラ・ポンセーニャ、レイバレットのグループ、ラ・アミスタ、など多くのオルケスタで歌い、1984年コロンビアに転居。90年までコロンビアに住む。1991年独立し、92年MPより"Nuevo Horizonte"をリリース。ティト・ロハスとのデュオ"Dejala"がヒット。次いで"Agredecimiento"から"Ganas", "Pagina de Amor"がヒット、次いで"Recogiendo Frutos"から再びティト・ロハスとデュオの"Dejala Ya"がヒット。 “Volver”、“Quien nos iba a decir”、“Tito Gomez”とアルバムをリリース。

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2000年、米国への不透明な大金の持ち込みで有罪となり5年収監。その後観察期間として出所を許され、ニューヨークのクイーンズに暮らしていた。その間、国内やプエルトリコ等の巡業も許され、2004年には“Comenzando en cero”をリリース。

先々週のコロンビア/ペレイラのコンサートの後は、カリに一旦もどり、金曜にはベネズエラでティト・ロハス、カノ・エストレメラ、ソノーラ・ポンセーニャ、アダルベルト・アルバレスらとステージに立つ予定だったのに帰らぬ人となった。

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カリでの葬儀には、ハイロ・バレーラやオスバルド・ロマン他ニーチェのメンバーらが、故郷フアナ・ディアスでの葬儀にはキケ・ルッカ以下、ソノーラ・ポンセーニャのメンバー、グンダ・メルセー、チャネイのニコラス・ビベスなどが参列し見送った。棺にはコロンビアとプエルトリコの両方の旗がかけられていた。

◆◆◆


再起第一弾のアルバム"Comenzando en Cero"の献辞に家族など加えて「愛するフアナ・ディアスの皆へ」とある。ポンセの東にあるこじんまりとした故郷に今、ようやく放浪を終えてもどる事となった。

ティト・ゴメス、安らかに!
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by mofongo | 2007-06-22 20:01 | Musica/SALSA
2007年 06月 08日
第24回 サルサ国民の日(3) 歌って踊って叩いて
パート2より続く)

最後に、観客の写真です。

結局ひたすら音楽を聴いて、踊って、楽器叩いて楽しむみんなの、こういう笑顔が見たかったから島まで行ったような気がします。


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by mofongo | 2007-06-08 23:57 | Musica/SALSA
2007年 06月 08日
第24回 サルサ国民の日(1) / Dia Nacional de la Salsa
音には必ずその音楽家が、時代が、歴史や社会が通ってきた要素が組みこまれている。新しいサウンドが古い音を否定して乗り越えようと、逆に今の人が古いものを再現しようとも。時間は音楽の絶対的な一部なのだ。

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NYのラテンなら、スイング・ジャズからビバップ、アフロ・キューバン、マンボ、R&Bやジャズ、ロック・・・そんな中、60年代末のNYラテンひとつの大きなうねりがサルサと呼ばれた。

「サルサはキューバで生まれた」とか「サルサはキューバの音楽だ」なんて勘違いをしている人は、今時もういないとは思うけど、「サルサはNYで生まれた」とだけ単純にいうのも誤解を生むだろう。

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情報の少なかった20-30年前の日本ならともかく、今やNYは気軽に行ける場所だし、プエルトリコやカリブの事もネット発も含め情報も増え訪問もしやすくなった。

そんな中で「NYが生んだサルサ」と言う前に、実はカリブやプエルトリコが暖めてきた40-60年代の音楽シーンのNYへの直接の影響も少しずつ見えて来ている。

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つまり、サルサの前のプエルトリコはボンバプレーナヒバロセサル・コンセプシオンコルティーホを語るだけじゃ足りないのだ。そしてそれは、サルサが生まれる前に、プエルトリカンが大多数だったNYのラテン・コミュニティーが、聴き、踊り、演奏してきた音の一部は、サルサの誕生に深い関係もあるからだ。

(*写真は上から、オルケスタ・セサル・コンセプシオン、ラディスラオ・マルティネスのグループ、ファニア・オールスターズ)

◆◆◆


さて、そんな音の内、良く知られている「ヒバロ」という素朴で力強く、かつ哀愁感の強い「歌」の心はサルサのセンティミエントに欠かせない要素を植えつけている。

プエルトリコでは毎年3月にサルサの大コンサート「サルサ国民の日/Dia Nacional de la Salsa」が開かれる。今年24回目のコンサートのテーマは「ヒバロ」だと聞き、出演者リストを見て、「これは行かねば!」と思い立ってサンファンへ飛んだ

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プエルトリコの3月は夏の始まりと言って良いくらい暑い。この暑さの中、8時間にも及ぶ野外のコンサートに3万人以上の人が集まるのだ。島のサルサ・ファンだけでなくラテン各国やアメリカ本土からも人が駆けつける。

毎年サルサに貢献のあったミュージシャンを称える場となるこのステージ、今年は4人。ラモン・ロドリゲスラフィー・レアビサミー・マレーロイスマエル・ミランダだ。

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出演者のざっとした紹介は2月のブログに書いたとおり。
→2月のブログ・ページへ



◆◆◆


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コンサートは今地元で最も注目のダンス・チーム"ルンバ・デ・フエゴ"のパフォーマンスで幕を開け。
ラファエル・ピオンのこのチームはコングレスで来日してるから日本でも知ってる人は多いかも。

そこらじゅうで踊り、楽器を叩くやつらが発生し、会場は気温以上に熱く高揚している。

◆◆◆


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さて、トップ・バッターのパポ・ココテ&ヌエボ・モントゥーノが登場。"El Nuevo Montuno Llego"でスタートだ。

1968年にベーシストのロベルト・ベリオスが結成。ロベルト&ヌエボ・モントゥーノとして人気を博したオルケスタをボーカルのパポ・ココテが引き継いで活動している。

ロベルトはエディー・パルミエリのプロデュースした、ラテン・ロック/ファンク・バンドの"Cafe"にいた。その為かエディーもやってる"Cafe"も取り上げてるし、モントゥーノにも影響を感じる。が同時にラフィー・レアビと共通する、非常にヒバロなフィーリングがあるんだ。これはエディーにはないものだ。

曲は"La Margarita", "El yerbero del barrio", "Mun~eca" と続き 、最後の曲は"Monina y Ramon"。これ、彼等の一枚目からのヒットだけど、未だにラジオでかかる。だから、やっぱり会場でも若いやつらが歌いだしたりする。スターターからして、実に濃い演奏で涙する。

◆◆◆

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続いての登場はオルケスタ・ラ・マサクレ。フリート・カストロが作ったオルケスタで70年代に島で活躍。後に80年代以降ニューヨークをベースに大人気を博したコンフント・クラシコにつらなるメンバーが最初に組んだオルケスタだ。

この日の為に集まったオリジナル・メンバーはラモン・ロドリゲスティト・ニエベスフリオ・カストロ

このメンバーが一同に集まるのはめったに見られるない。ファンは大いに沸く。大ヒット“El pregonero”でスタートし “Domingo me llaman”, “Ya tu no enganas”と続く。

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途中でラモン・ロドリゲスがオマージュを受ける。
NY-PRのサルサを好きな方はこの人の事を是非覚えておいて欲しい。1977年の"The Artist"、1979年の"Los Amigos"などジョニー・パチェーコの作品で名前を見つけた人もいるだろうし、NYやPRでの数々の作品に作曲者、プロデューサー、コロやマラカスなどのクレジットを見た人もいるだろう。なんといろんな所で、サルサにヒバロの風味を振りまいて来た事か。

Dolor, esquina, miseria”, “Barriguita” と続き“El piraguero”でしめくくる。

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プエルトリコのサルサのラジオ局、例えばこのコンサートを主催している"Z-93"でもライバル局の"Salsoul"でもそうだが、未だに昔からの名曲をよくかける。その中で、名曲はさらに絞り込まれ"クラシコ/スタンダード"となる。その中で若い世代は古い曲である事をことさら意識せずに、良い曲を受け入れる土壌が出来ているんだ。

そんな環境があって、肩にタトゥーを入れレゲトンが似合うような兄ちゃんも、このラ・マサクレのヒットに声援を送るわけだ。

( パート2に続く)
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by mofongo | 2007-06-08 23:40 | Musica/SALSA
2007年 06月 08日
第24回 サルサ国民の日 (2) /Dia Nacional de la Salsa
(パート1より続く)

さて、3番目に登場したのはラフィ・レアビとラ・セレクタ

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このオルケスタは「サルサ・ヒバラ(ヒバロ・サルサ)」と言われるくらいのヒバロの香りを新しいフィーリングと融合させた数々のヒットで知られる。リーダーでピアニストであるラフィー・レアビとヒバロの香り高いボーカルのサミー・マレーロの個性はあまりに強烈だ。

(もしお手元に河村要助さん著の『サルサ天国』があれば219ページからの「プエルトリコの夜の深さ:ラフィー・レアビ、サミー・マレーロなど」を再読して頂ければその魅力が素晴らしい文章で描かれています。)

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"Somos el son", "Amor y paz", "La rosquillita", "Cafe colao", "El buen pastor", "Mi barrio", "La guinaita", "La cuica" 、そして"Soldado"とヒット曲がどんどん出てきて会場は盛り上がる。このオルケスタはやっぱ特別ですね。

最後の曲「ヒバロ・ソイ」(俺はヒバロ)では、ヒバロの歌い手が顔をそろえ、歌を競う。伝統の「コントロベルシア」だ。これは数小節ずつ韻を整えた(デシマ)即興での歌を競うもの。

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登場したのはまず、ヒバロのトロバドール一家、サナブリア・ファミリーを今やしょって立つビクトリア・サナブリア(Victoria Sanabria)姐さん。男性軍もまけてはいない。バカルディーのトロバド-ル・コンテストの優勝者、素晴らしい機知に富んだ即興を得意とするビクトル・マヌエル・レジェス(Victor Manuel Reyes)、そして大ベテランのマリアノ・コット(Mariano Cotto)。(写真左から、ビクトル・マヌエル・レジェス、ビクトリア・サナブリア、マリアノ・コット、サミー・マレーロ)

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それにクアトロのペドロ・グスマン(Pedro Guzman) とクラウディオ・プロディヒオ (Claudio Prodigio) が加わり、これまた即興を競い合う。

ペドロはエレキ・クアトロでした。プロディヒオは、来日の時同様にバキバキの早引き。すごいね。


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隣で聴いてた、まだ高校生くらいのあどけなさの残る兄ちゃん、必死で彼らのソロを見ていた。あとで、聴いてみるとクアトロ大好きで、彼らは偉大なアイドルなのだと。

「日本でマイ・クアトロの上にプロディヒオにサインしてもらったよ」と言ったら、驚いて仲間を呼んだ。

「日本にクアトロなんてあるのか?」とか「ヒバロのCDは売ってるのか?」とか、挙句の果てに「どうやったらクアトロが上手くなると思うか?」とか質問攻めにあった。最後は「皆でマエストロ・ラディとマソ・リベラ(今は亡きクアトロの大名人たち)を勉強しよう!」と盛り上がった。いやー、プエルトリコ。

◆◆◆

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さて、再びルンバ・デ・フエゴのダンスのパフォーマンスをはさんで登場したのはルイス・ペリーコ・オルテスのオルケスタ。若くして60年代末から80年代にニューヨーク、プエルトリコで活躍し、その後プエルトリコに居を構えてシーンを引っ張るペリーコ。






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今日はロベルト・ルーゴラファエル・デ・ヘススのオリジナル・メンバーがフロント!名曲の数々で会場はゆれる。








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"Mas amor"、"Islen~o"、"Tin Marin" 、"Bohemio"と来て、ステージにはカチェーテ・マルドナードとロス・マハデーロスが加わる。カチェーテは脳溢血で倒れてからリハビリを続けているが、再びステージで見られるのはなんとうれしいことか。カチェーテはカホンを叩く。

ルンバ風味たっぷりの'Como vivo yo'が始まるり、ペリーコのジャズっぽいソロが始まると、舞台にはテナー・サックス奏者が登場。


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ダビド・サンチェス(David Sanchez)だ。なんと強力なソロだろう。リズムがボンバのアクセントを強く押し出し、ダビドを煽る。トロバドール達がコロを繰り返す。その発声方法はヒバロ/プエルトリコのサボールそのもの、モントゥーノは島独特の色に満ちる。

同じモントゥーノの形式でもキューバの路地裏の音とプエルトリコの路地裏の音は確実に違うけど、このステージは島のベストのメンバーでその点をまざまざと見せ付けてくれた。

→YouTubeで動いてるのを見る

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興奮冷めやらぬステージに、、予告なしで登場したのがなんとTNT Bandティト・ラモス(Tito Ramos) と トニー・ロハス (Tony Rojas)。60年代後半から70年代にNY・PRでヒットを飛ばしたバンドだ。まさか、こんなところで見られるとは。 'Sabre olvidar'を歌い、会場は大喜び。




◆◆◆

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そして休憩を挟んで、今日のトリ、イスマエル・ミランダ (Ismael Miranda)登場。
いまさら"Nin~o Bonito"(美少年)でもないだろうけど、やはり彼を紹介するときはそうなっちゃうんだね。バックはルイス・ガルシアが率いる。





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さて、その彼がまさに美少年真っ盛りだった初期に在籍したのがジョーイ・パストラーナ (Joey Pastrana)のオルケスタ。
今日はそのジョーイがティンバレスで参加。ミランダの初レコーディングはこのバンドでの"Let's Ball"。そして最初のヒットが"Rumbon Melon"だ。ジョーイは60年代、ブガルー時代'Riquichi'などのヒットで一世を風靡した。今でも、クラブ系のMixiの音源で登場したりと、かっこいい音。

そしてオルケスタ・ハーロウに参加。 アルバム"Orquesta Harlow presenta a Ismael Miranda"ですね。そしてファニア・オールスターズの看板のひとりとなり、73年のオルケスタ・レベラシオン(Orquesta Revelacion)と続く。

その彼のキャリアに欠かせない盟友ネルソン・ゴンサレス(Nelson Gonzalez)のトレス、ニッキー・マレーロ(Nicky Marrero)のティンバレス 、ジョー・サンティアゴ(Joe Santiago)のベースが加わり"Se casa la rumba"、 "La revolución"、そして歌は"Cipriano Armenteros" 、"Maria Luisa"と続きボンゴにロベルト・ロエナ(Roberto Roena)も加わり、最後はデスカルガ。

こうして8時間以上続いたコンサートは終了したのでした。

◆◆◆

しばらく、ベンチに座ってぼけーっとしていた。なかなか帰らないグループもいてグラウンドでデスカルガ始めたり、踊ってたり。
横で、同じようにぼけっとしてた、家族連れのおばちゃんと目が合うと、

「良い夜だよね」

と声を掛けてくれた。

「昼も夜もプエルトリコはいつも最高」

と答えたら、笑ってくれた。

(パート3へ続く)
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by mofongo | 2007-06-08 22:48 | Musica/SALSA
2007年 02月 14日
エル・グラン・コンボ中南米ツアー/ パナマのカーニバルへ
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エル・グラン・コンボ、この道45年。

以前も書きましたが、ローリング・ストーンズと同じ年に結成。残念ながらキースが倒れた為、演奏活動は中止のストーンズですが、エル・グラン・コンボはまたも来週からツアーに出ます。

ミックやキースは1943年生まれの65才だけど、グランコンボのリーダー、ラファエル・イティエールは1926年生まれの82才なのだ。なんと元気なブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの故ルベン・ゴンサレスも長生きだったが、ラテン・ピアノは健康に良いのか?

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しかし、ドン・ラファエル、記者会見で「1月はたっぷり休ませてもらったから、今年の仕事に向けてバッテリーは充電たっぷりよ。」って、働く気まんまんですね。

ツアーのタイトルはずばり「45周年記念」。まず、エクアドルのキトとグァヤキル、翌週はコロンビアのカリとバランキージャ。そう、今週から来週はカーニバル・シーズンです。そして週末はパナマのカーニバルに出演。パナマのカーニバルもエネルギーがすごいからなあ、是非行きたいもんだ。

◆◆◆


しかし、今年のパナマのカーニバルは特にすごいです。

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プエルトリコ勢がたっぷり呼ばれてます。まずオープニングの今週金曜日はトランシスミカの大通りでリッチー・レイとボビー・クルース(Richie Ray & Bobby Cruz)。さすがですね、パナマとかコロンビアは彼らのサウンドの支持は強い!

そして最終日はエル・グラン・コンボ。その他の日にはヒルベルト・サンタ・ロサ(Gilberto Santa Rosa), ボビー・バレンティン(Bobby Valentin), ヨランダ・リベラ(Yolandita Rivera), ソノーラ・ポンセーニャ (Sonora Poncena)、イスマエル・ミランダ(Ismael Miranda)、 ロベルト・ロエナ(Roberto Roena)、チェオ・フェリシアーノ(Cheo Feliciano)と豪華。

レゲトンでもテゴ・カルデロン(Tego Calderon)、ティト・エル・バンビーノ(Tito el Bambino)、ウィシン&ヤンデル (Wisin y Yandel)、そしてドン・オマール(Don Omar)。

プエルトリコ勢だけじゃない。パナマはキューバとも縁が深いところ。だからキューバからも オルケスタ・アラゴン(Aragon)、ロス・バン・バン(Los Van Van) 、ロス・ソネーロス・デル・アポロ (Los Soneros del Apollo)が参加。

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もちろん、パナマの地元勢のサルサ、レゲトン、レゲエ、フォルクローレなども見所たっぷり。最近パナマで売り出しほレゲエ・アーティスト"ジャパニーズ"(Japanese)君なんかもね。(←左の写真)


◆◆◆

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こんなメンツを呼ぶとは、パナマも観光に気合あいってるなぁ、と思ったあなたはスルドイです。観光客増を狙う例のパナマの観光大臣の顔がちらつきますね。そうですルベン・ブレイズ(Ruben Blades)。言うまでもないサルサ・ファンならご存知!のあのルベンです。

左の写真が観光大臣としてのオフィシャルな顔。右がサルセーロとしての顔。でもここ1年以上歌ってない。真面目に仕事してるって、エル・サルバドルの観光大臣が教えてくれました。

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パナマは昨年は経済好調で今年も明るいムード。カーニバルで加速をつけてがんばってもらいたいですね。
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by mofongo | 2007-02-14 23:08 | Musica/SALSA
2007年 02月 14日
今年のサルサ国民の日
第24回目のサルサ国民の日。日程と場所が発表になりました。さあ、行く人はさっそくチケット取りましょう!

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3/18(日)イラム・ビソーン(Hiram Bithorn)球場です。ひさしぶりですねー、ここ。1995年以来じゃないでしょうか。

カリビアン・リーグなどでおなじみのイラム・ビソーンは、フィールドが荒れるの嫌ってか、ここの所ずっと大型コンサートを受け入れてませんでしたが、やはり、カロリーナに新球場”ロベルト・クレメンテ・ウオーカー"が出来たのが影響たのか?ホテル地区から行きやすいので歓迎です。

てなことはどうでも良くて、今年はプエルトリコのこころ、ヒバロの香りが満載なんですよ。
なぜかと言うと今年の企画は「ラフィー・レアビ、サミーマレーロ、イスマエル・ミランダ、そしてラモン・ロドリゲスに捧ぐ」なんです。

では出演者です。

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パポ・ココテ(Papo Cocote), ルイス・ペリーコ・オルティス(Luis Perico Ortiz)のオルケスタには ロベルト・ルーゴ(Roberto Lugo)とラファエル・デ・ヘスス(Rafael de Jesus)のボーカル、そしてイスマエル・ミランダ(Ismael Miranda)、 ラフィー・レアビとオルケスタ・ラ・セレクタ(Raphy Leavitt y La Selecta)。濃いですねー。

またこれもうれしいオルケスタ・ラ・マサクレ(La Masacre)。これはなんとフリート・カストロ(Julito Castro)、ラモン・ロドリゲス(Ramon Rodriguez)、そしてティト・ニエベス(Tito Nieves)がフロントですよ。そう、お分かりになりますね、そこのファンの方!コンフント・クラシコのヒバロな良心、ラモン・ロドリゲスも来れば千人力です。

◆◆◆


ね、この組み合わせ、コアなプエルトリコファンなら「ああ、ヒバロ!」と落涙、号泣する人もいるかと思います。(←自分の事だ・・)

しかしそんなことばかりしてると、引かれてしまうので柱の陰でそっと涙を拭き、ヒバロの話でも。


「ヒバロ」とはプエルトリコの山間部を中心に生活する農民の総称なのです。スペインを中心にした欧州系の人の子孫が多いですが、今ではいなくなってしまった、島の最初の住人、インディオ系(タイーノ)や奴隷として島につれてこられたアフロ系の血も混じっているといわれています。

「ヒバロ」は貧乏ではあるけれど、自然の中で質素に純朴に生きてきた庶民の典型であり、プエルトリコの人にとってこの「ヒバロ」という言葉は「普通の人である自分」の原点を思い起こさせるものだと思います。

そんなヒバロの地で育まれてきた音楽は、スペイン/欧州を起源にもつ弦楽器(クアトロやティプレ及びギター)がスペイン的な旋律を奏で、タイーノ系のグイロ、アフロ系のボンゴなどがリズムを刻みます。独特の、時に快活に、時に哀愁感の異常に強い個性ある音や歌。これが、サルサに独特の哀愁感/切なさを与えたのは間違いありません。

→ヒバロに興味が出た人はこちら

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ちょっとだけ出演のメンツの話を。

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パポ・ココテ(Papo Cocote)と聞いて、誰?と言う人も彼のグループの"El Montuno"という名前を聞いて、「あ、それはRoberto y su Nuevo Montuno!」と思い付いた事でしょう。(そんなやつはいないか・・・・)。

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えー、とにかく、60年代から70年代にかけて "El montuno llegó",とか"Margarita"、いまでもラジオでかかる "Monina y Ramon"など、とにかく島で人気だった、"Nuevo Montuno"です。パポ・ココテってこのロベルト&ヌエボ・モントゥーノで歌ってた人気者。出身はヒバロ地帯の山の中のコメリオ(Comerio)って町なんです。

ルイス・ペリーコ・オルティス、これは説明不要ですね。ボーカルのロベルト・ルーゴとラファエル・デ・ヘススは説明したいけどまた今度。イスマエル・ミランダ、こちらも説明不要ですね。

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ラフィー・レアビとオルケスタ・ラ・セレクタ、ああ、ヒバロです。
ラフィー・レアビの大ヒット曲はなんといっても"ヒバロ・ソイ"(Jibaro Soy)ですね。まさに「俺はヒバロだ」という題名の曲です。ラフィー・レアビは1948年、サンファンのプエルトタ・デ・ティエラ(Puerta de Tierra)で生まれてます。庶民ですねー。つまり貧乏だったわけです。彼は小さい頃から音楽も勉強もしっかりで奨学金もらってプエルトリコ大学の経営学部に入ったりします。一方で、音楽好きの家族の間で育ち、小さいころからファミリー・バンドでボレロとかやってたという育ちと情熱は、彼の音楽へ大きな影響を与えます。

ラ・セレクタを組んで彼が作った音は「サルサ・ビバラ」、ヒバロの音の豊かさ、情感、そしてヒバロという庶民の生活や感じ方を歌詞と音に織り込んだものでした。

いわゆる「ヒバロ」な町の生まれではないけど、生粋の庶民であり、ヒバロな山間から食えなくて出てきた庶民も一杯住んでいたPuerta de Tierraという場所の感覚は、まさに都会の「ヒバロ」。

ボーカルはサミー・マレーロ。泣けますねー、この湿度の高い熱帯夜に抜けていくようなヒバロ声。

コアモというプエルトリコ南部の、これまたヒバロ地帯で生まれ、幼い頃にバヤモンに引越し。バヤモンもいまでこそ開けて商業地・住宅地的ですが、昔は農業、牧畜のヒバロ地帯だったんです。なんてったって、チュイート(Chuito, el de Bayamon)がいた所ですから。そんな中で育ったマレーロがヒバロな歌唱方を身につけない訳がありません。

おっと、ヒバロ・ソイに戻ります。この曲もコンサートで当然予定されてますがクアトロペドロ・グスマンプロディヒオ・クラウディオの登場が加わります。

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クアトロは復弦5コースの小さなギターのようなヒバロ特有の楽器。プロディヒオは昨年フルート奏者、赤木りえさんとの共演の為来日してますね。

そう言えば赤木さん、プエルトリコ三大クアトロ奏者(今回の2名+エドウイン・コロン・サヤス)と共演してつだけじゃなく、この間のプエルトリコ録音時にマレーロの故郷、コアモで大ヒバロ・セッションされたとか。

おっとまたヒバロ・ソイに戻ります。ヒバロの歌、「トローバ」(Trova)で三人の名手(トロバドール)、マリアノ・コットMariano Cotto, >ビクトル・マヌエル・レジェスVíctor Manuel Reyes y ビクトリア・サナブリアVictoria Sanabriaも参加。即興のバトルを繰り広げるのも楽しみです。

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■最後にオルケスタ”ラ・マサクレ”。しかし、こんな調子で書いてると終わらないですね。ラ・マサクレフリート・カストロが作ったオルケスタで70年代島で活躍しましたが、昔、ピアニストのフェルナンド・オヘダのオルケスタで前述のサミー・マレ-ロと一緒だった事もある、これまたヒバロな繋がりもありです。

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ティト・ニエベスはこのオルケスタでメインの歌手としてデビュー。そしてコンフント・クラシコへと進みます。ラモン・ロドリゲス、レイ・カストロの強力に素晴らしいオルケスタですね。


◆◆◆

ということでサルサとヒバロという音楽がいかに密接に繋がっているかを確認するには絶好な機会ですね。サルサという音楽がニョーヨークで生まれた時、プエルトリカンのコミュニティーとそのコミュニティーが長年ニューヨークで死守してきたその文化と音楽「ヒバロ」「ボンバ」「プレーナ」などが、サルサのサウンドに大きな影響を残した訳です。

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ここのところをこのコンサートで感じることが出来れば、今年夏に海外で公開予定のマーク・アンソニー、ジェニファー・ロペスが共演する、偉大なサルセーロで、そして普通の弱い人間だったエクトール・ラボーの伝記的映画"EL Cantante"を100倍楽しむことが出来ると思います。

ということで、行こうかなあ、、、行けるかなあ。。。
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by mofongo | 2007-02-14 01:05 | Musica/SALSA
2007年 02月 08日
バレンタイン・サルサ@プエルトリコ&ペルー
バレンタインデー

プエルトリコじゃ "El Dia de los Enamorados"とか"Dia de Amor"とか言っりもします。

愛の日、愛する人たちの為の日ですね。

特にチョコを送る、ってわけじゃないですがプレゼントしたり、デートに誘ったり、楽しく過ごすわけですね。

私もプエルトリコにいた時は、贈り物をしました。



・・・・って話はもうレゲトンの記事で書いたので省略します。

で、

サルサ好きのカップル、またはカップルを目指す人たちにはちゃーんといいライブが。さすがプエルトリコです。

2/16(金)と2/17(土)にプエルトリコに滞在中・居住中予定のそこのサルサ・ファン!


ぜひ愛する人と踊りに行きましょう。


フラン・フェレールが企画するイベント"ソネーロス・パル・バイラドール/Soneros pa'l bailador"です。


良いタイトルですねー。

タイトルの通り、最高のサルサの歌い手たちが、これまた最高のバックで歌います。
フェレールが言う様に、「最高のソネーロたちが即興で歌うまえで踊りが楽しめるなんて最高だろ?」ってことです。
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真夜中の決闘"Duelo Anochear III"での勝者、エルマン・オリベーラス(Herman Oliveras)を初めとして、フランキー・バスケス(Frankie Vazquez)、レイ・デ・ラ・パス(Ray de la Paz),
ジミー・サバテール(Jimmy Sabater) アダルベルト・サンティアゴ(Adalberto Santiago)、ティト・アレン(Tito Allen)、 フニオール・ゴンサレス(Junior Gonzalez)・・・。

「お、NY系多いなあ!」と思われたあなた!




そんなこた、あとまわしにして、先ず彼女、又は彼氏、または友人を誘いましょう。
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というのは冗談でNY系に気づかれたのは非常にイイところ突いてます。これらソネーロ達は、大変スゥイートな持ち歌を持ってますからね。
ジミー・サバテールの声など大変危険です、そこの貴女。

スローな曲で、ふわりとターンさせられて絹のようにホールドされたなどという、キメ技の紳士に遭遇する場合もありますので。

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バックはデスカルガ・ボリクアです。音の仕切りはあのルイス・ガルシア(Tres)とエリック・フィゲロア(p)です。メンツもおなじみ、コロにジェリー・メディナ(Jerry Medina)、ウイッチー・カマチョ(Wichy Camacho)。


トロンボーン隊はジミー・ボッシュ(Jimmy Bosch)、パポ・バスケス(Papo Vazquez)、レイナルド・ホルヘ(Reynaldo Jorge)、トニート・バスケス(Ton~ito Vazquez).と強力。パブロ・ロサリオ(Pablo Rosario)のコンガにエンデル・ドウエニョ(Endel Duen~o)のティンバレス。そうそう、ピアノにはラリー・ハーロウ(Larry Harlow)も特別参加でした。

うーん、このメンツではこれはソフト&メロウばっかりとはとても言えませんね。バックはNY勢とPR勢の激突です。

さて、場所は2/16(金)夜8時からオールド・サン・ファンの"プール・パレス"(Pool Palace)
そして、2/17(土)はサンファンから東へ約1時間のカノバナスにある競馬場併設のクラブハウス"Camarero"です。


カノバナスでたっぷり踊ってサンファンへの帰りは3号線を通らずに、ピニョーネスの海岸で車を停めてしっとり、なんてのもいいですねぇ。


あ、余計なお世話でした。

◆◆◆

バレンタインの週末を踊り明かすのはプエルトリコだけではありません。ペルーも負けてない!

2/14(水)のel día del amor y de la amistad、リマ市内、San LuisのVidena(Villa Deportiva Nacional)。ペルーのサッカー・ファンにはおなじみ。色々イベントがあるところですね。
タイトルは"Salsa con Amor".

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出演はティト・ニエベス(Tito Nieves), エドガー・ジョエル(Edgard Joel), カノ・エストレメーラ(Cano Estremera) y ロベルト・ブレイズ(Roberto Blades) そしてジョニー・リベラ(Jhony Rivera)。 os hermanos Antonio y Wilmer Cartagena

フロリダからティト・ニエベス、プエルトリコからカノ、そしてフィラデルフィアからエドガー!プエルトリカンばっかですね。ここにペルーのサルサ・ファンの好みがあります。素晴らしい。ていうか、中南米で「サルサ」と言うときはNY、又はプルトリコ系が基本だということです。

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エドガーは"Hechizo de luna", "Hasta el sol de hoy", "Si tuviera tus ojos"などなど80年代にアンソニー・コロンとのコンビでの数々のヒットのヒットがあります。

けど、90年代はプエルトリコではそんなに売れてない。むしろ南米での支持が強い。2005年の"Mi Lenguage Musical"で久しぶりに表に出てきて、また頑張ってます。

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ティト・ニエベスはどこ行っても受けるスターですね。あの巨体も素晴らしい。
カノはこれまた名手で味があって、ソネオは強力。

チケットは一般25ソル(8ドルくらい)、VIPゾーンで50ソル、プラチナ・ゾーンで100ソル(32ドル)。日本じゃこの値段じゃムリだなあ。
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by mofongo | 2007-02-08 23:40 | Musica/SALSA