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カテゴリ:Viaje/漫遊記( 61 )

2011年 01月 29日
旅日記 '11.1 ベイルート
久しぶりのベイルート。タクシーでダウンタウンヘ。
好きなラジオをかけてもらう。

ロマンティックで正調アラブな男性の声。なかなかいいね。

モフォ「歌ってんの誰だろ?」
運「うーん、ちょっと待ってな、、ああ、カーズィム・アル・サーヒルだ」

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Kazem El Saher "Alrasm Bel Kalemat" (2009)

Kazem El saher - Hal Endaki Shak [English Subtitles]
YouTubeでカーズィム・アル・サーヒルを聴く

モ「カーズィム・・・って、たしかイラク人だっけ?」
運「ああ、イラクだよ。俺とおんなじイラク」


そっか。


戦火に見舞われる事の多かったレバノンやシリアの人たちは、昔からよく国外へ働きに出ていた。

60年代以降石油で潤うようになった湾岸諸国の建設を支えたのは、彼らだったとよく言われる。

欧州、アフリカや中南米にも昔からたくさん移民した。シャキーラもサルマ・ハエックもポーラ・アブドゥルも皆レバノンの血をひく。

エクアドルなんてブカラム元大統領、マワ元大統領とかレバノン系だし。


でも今は戦火を逃れた後、国外に残って働いているイラクの人たちがずっと増えた。

イラク・アンミーヤ(方言)が聞けるラジオはとても大切なものなのだと思う。



◆◆◆

ダウンタウンに近づくとビルが多くなる。古いアパートにベランダの外に日よけのカーテンがかかっているのをみるとなんだかほっとする。中近東の一角
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に来たなあというか。

ダウンタウンの真ん中には昔のグリーン・ラインが大通りとして今も健在。
東ベイルートと西ベイルートを分ける緩衝地帯だった。

ぷらぷら散策する。ここそこに銃をもった警官や兵隊が警戒をしている。


レバノンでは先週ヒズボラ系閣僚が一斉辞任して連立政権が崩壊したばかりだ。

現首相の父のハリリ元首相暗殺事件(05年)を審理にからんでイスラム教スンニ派のハリリ首相側に反発するシーア派組織ヒズボラ系の閣僚11人が一斉に辞任したのだ。

ヒズボラは元々対イスラエルで武力行動を行ってきたから、こじれるとまたレバノンに戦火がやってくる可能性がある懸念もある。

そんな緊張感をダウンタウンの日常に感じる。

やはり頭に流れるのはフェイルーズの「ベイルートよ(Li Beirut)」

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このアランフェス協奏曲のメロを聞くと、日本じゃまずイエペスのギターか、チック・コリアがジム・ホールってことなんだろうけど、こっちじゃそんなもんほとんど思いつかないのじゃないか。何といってもフェイルーズのこの曲だろう。

Fairouz- "Li Beirut"
YouTubeでFairuzを聴く

そして夜は、ここの友人と大宴会。地酒のアラックは何本もあけて大笑い。

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友「俺たちは4000年前のフェニキアの時代から、あっちから責められたり、こっちから侵攻されたり、キリスト教、イスラム教のシーア、スンニ、ユダヤ教・・といろんな宗教が共存する中で生きてきた。

だから現実的だし、同時に享楽的なんだよな。モフォさん、人生は一回きりだからさ」

モ「そだよね。享楽的と現実的がひっついてるのが真面目に生きてるってことかもねぇ」

友「がはは、ま、ややこしい事言わないでさ、そうそう、こんな話があるよ、アラブの富豪のじじいがさ・・・」

こうやって昨晩は更けていったのだった。
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by mofongo | 2011-01-29 00:40 | Viaje/漫遊記
2009年 12月 18日
旅日記:アルジェリア
前夜のパリでの牡蠣と白ワインは美味かったなあ、とスーツケースをひっぱりホテルからCDGの2Fへ向かう。まだ暗い6:00。

エールフランスのゲートには7:30の出発時間に向け人が集まって来て仏語、アラビア語、ベルベル語が行きかう。

しかし、JFK発サンファン行きアメリカン、LA発エルサルバドル行きTACAやマイアミ発ボゴタ行きアビアンカの猥雑さに欠ける。なんか「国内便マルセイユ行き」くらいで物足りないって好みの問題か。。オルリー発アルジェリア航空便ならよかったかも。

機内もまだフランス。飯もワインもムードも。早く地元の匂いを、思っていると高度が落ちてアフリカ大陸の北端が姿を現す。

アルジェリアだ。

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首都アルジェへは東部上空から降りてゆく。東部はベルベル人の多い地域で植民地時代、小麦やぶどうなど大農場が多かったエリア。窓の下に緑の畑が見える。

空港は近代的で気温も心地よくさわやか。街へ向かう車でラジオをかけてもらう。恒例の音楽占い。おー、でたアラブ音階。しかしアーティストも曲もわからない。
運転手に聞いてみるとライの歌手だと言う。アルジェに来たことを実感。

さっそくお客のところへ。

モフォ「ボンジュール、サラマリコン。フセインさん、カイファル・ハール?」
「マルハバン、モフォさん。まずは市内をご案内しましょう」

アルジェリアって日本にはあんまり縁のない国かも。
世代が上だと、「♪ここ~は地の果てアルジェリア~♪だよなー。」などと昭和30年代のヒット「カスバの女」をつぶやいたりする。色んな人が歌ってるけど、個人的には藤圭子。宇多田はこの母の遺伝子もっててよかったね。ちあきなおみも素晴らしい。

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YouTubeで藤圭子の「カスバの女」を聴く
YouTubeでちあきなおみの「カスバの女」を聴く



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そのカスバをまず探索。
アルジェリアは長らくフランスの植民地だった。両隣のモロッコやチュニジアは先に独立できたのに。
フランスの一部だったからパリやマルセイユに出た人々、「フランス人」として欧州戦線で戦ったアルジェリア人も多い。
それって、なんだかプエルトリコと同じ。共通のシンパシーを感じてしまう。



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でも独立戦争を経て62年に植民地から抜け出し社会主義の枠の中でやってきた後、90年代は軍とイスラム原理主義過激派組織その内戦/テロが活発化。ようやく収まってきたけど、北部や東部ではまだテロが頻発してる。

で、カスバは首都アルジェの旧市街、世界遺産にもなっている地域。オスマン帝国が支配していた16世紀の城砦が起源でプエルトリコならエル・モロと旧市街って感じ。
細い路地が入り組み家が密集しているから独立戦争時代の独立派や内戦時代のイスラム原理派が隠れるのには絶好だった。
今でもあまり治安のよくない地域。強力な哀歓のある地元の音楽が聞こえてくると、自分が異邦人であることを強く感る。



◆◆◆

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独立記念塔にも連れて行ってもらう。植民地から独立そして今へという時間の中を生きている当地の人々は一体どんな生き方・暮らし方・感じ方をしているのだろう。
アルジェリアは自分にとってはカミユやサン=テグジュペリ、ファノン、イザベル・アジャーニ、ジダン、サン=ローランくらいか。それに音楽。ライやアンダルースくらいしか知らない。

記念塔の向かいのアパートには見事なまでに衛星放送を受信するアンテナが並んでいる。
モフォ「ヨーロッパからの音楽やらキワドイ番組も見られるの」
「あれは多分かなりのが違法アンテナだから全部見られるよ」

きっと、こうやって少しずつ何かが混じり、一方で変わらないものと共存してゆくんだろうなあ。
時に「イスラムは排他的だ」という表現をする人がいるが、庶民の生活を見ていると大いに疑問に思う。

さてぼちぼち仕事へ。フセインさん、オフィスへ行きましょう。

◆◆◆

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アルジェリアの交渉ごとは、ラテンとはペースが違う。水タバコでもあるとムード出るのだけどそれは無かった。コーヒーやミントティー、そして甘いお菓子を前に夜8時くらいまでやる。
お菓子はアーモンド・ペーストにクミンとかフェンネルとかの甘い香りが混じる。つい手が伸びるわ。危険だ。

モフォ「ところで、アルジェリア・ワイン、うまいって聞いたんですが」
フセ「がはは、モフォさん、仕事は少なめ、食事とお酒と音楽は大盛だって聞いてますよ」
「だ、誰ですか、そ、そんな失礼なウワサを。まさかブログ読んでますか?」
フセ「なんですか、ブログって?では仕事は切り上げて夕食に行きましょう」


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まず、地元ビール"Tango"を。
「プハー。ちょっとコクがあってなかなかうまいですね」
フセ「次は赤ワインにしましょう。料理も選んで下さい」

フセインさんはアルコールは飲まないが、こちらが飲むのはOKだと。ワインは赤を頼んだが、これがなかなかいける。あー、イスラム圏で飲めるのはありがたいことです、ぐびぐび。



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前菜はボノワ風ブリックの"Brick a la bonoise"にする。アルジェ春巻きであるブレクにしようとも思ったけど、チュニジアで昔食ったブリックがあったので試してみました。ボノワーズはアルジェの東部、アンナバの植民地時代の名前から来ている。チュニジアに近いので、どこか似てるかな?

そしてメインはもちろんクスクスとショルバ。クスクスにはラム(肉)をつけてもらました。ショルバ(スープ)をクスクス(小麦粉を水とあわせ、小さな粒にしてふかしたもの)にかけて食べる。うまい!

デザートも食ってエスプレッソ飲んで満足・満足。でもラテンのように2次会はないのだ。ホテルに送ってもらう。



あー、食ったなあ。う、しかし・・・クスクスが腹の中で膨らんでいる。しまったあんなにスープをかけるんではなかった、く、くるしい。そ、そうだ、バーでミント・ティーでももらって胃を落ちつかせよう・・・

カウンターでリカールをなめながら音楽ビデオの番組を眺め、バーテンダーに色々はやりの音を教えてもらう。メモメモ。

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ホテルは19世紀の植民地時代に建てられた歴史あり。カミユやらクラーク・ゲーブルやらコクトーとかが泊ったとか、独立戦争のときは仏軍がいたとか。
そんなバーで、あのレバノンの女性歌手は美人だとか、このハレドの新曲はどうだとか、東洋人が酔っ払ってるのは不思議な現実感。

部屋に帰って、また音楽番組を見ながら色々考えてる内に眠りに落ちた。





◆◆◆

さて、捕獲CDです。

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まずライと言えばこの人、(シェブ)ハレドの新譜。
YouTubeでCheb Khaledを見る








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それから欲しかったスアド・マシ。
YouTubeでSouad Massiを見る

そして地元のアンダルシア系。

これらを聴くと、プエルトリコの哀歓の元になっている、スペインの音は、アンダルシアを真ん中にアルジェリアとも繋がってるなあと思う。とにかくメロディーが美しい。

ヒバロの哀歓、レロライとアラブ(アンダルス)音楽の発声、プレーナのパンデーロ/パンデレータとレク(レッ)との親戚関係・・・。



そういえば、バーの壁にかかっていた現アルジェリア大統領、ブーテフリカさんの写真がモン・リベーラに思えてきた。

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関口義人さんが編者として纏められた「アラブ音楽」という本の中町信孝さんの「アラブ・ポップス」の項にも紹介されている "6arab.com"のサイトではアラブ音楽を大きく4つに分けた地図があります。

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1.モロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビアのマグレブ地域
2.アラブ芸能の中心エジプトを中心にした地域
3.サウジアラビアやらの湾岸諸国
4.レバノン、シリア、イラク等の地域

中近東イスラム圏となるとこれに加えトルコやイランなども含めとんでもない多様性を抱えている。

それにパリのマグレブ移民、ドイツのトルコ移民、イギリスのエジプト移民、などなどと第二・第三世代を含め膨大な音楽があって、全てを触る事などとんでもないけど、「アラブ」「イスラム」が一枚板でない事を音楽から少しずつ教えてもらいたいと思います。
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by mofongo | 2009-12-18 14:31 | Viaje/漫遊記
2009年 09月 05日
旅日記 09.8 レバノン
トルコ上空から見る茶色の大地が真っ青な地中海の色に変わり、機が着陸態勢に入ると海岸沿いにビルが林立する街が見えてきた。

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ベイルートだ。

ベイルートと聞いて、何を思い起こすだろうか。やはり内戦や2006年のイスラエルとの戦争、パレスチナの難民キャンプとか危険なイメージか。

しかし、古くはフェニキア人の交易で栄え、近くは「中東のパリ」と呼ばれた、緑が豊かでかつ華やかだった歴史をもつ国だ。

そんな国を理解するには、フェニキアの時代から始めて、ギリシャ・ローマの歴史、イスラムと十字軍、中東を分割した欧州の植民地政策、イスラエルの歴史、パレスティナ問題、中東諸国間の問題、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の事と宿題は山積みだ。でもこの宿題は、一筋縄では行かず、膨大な量だが、学べば学ぶほど興味は尽きない。

そして歴史の中に串刺しにされる、文化や音楽の交じり合いも興味深いことばかり。レバノンの人たちのディアスポラの歴史は、自分が関わる事の多い、プエルトリコや中南米のディアスポラの事と重ねて考えてしまう。

◆◆◆

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近代的できれいなベイルートの空港はイスラエルとの戦争が終結して3年ということを表面的には何も感じさせない。
ダウンタウンまでのハイウエーも快適だ。中東とは言え西欧的なライフスタイルを持つ当地では道路沿いの大きな屋外広告でもパリと同様なファッショナブルな女性がこちらを見つめている。貴金属や高層マンションの広告もあり、とりあえず首都には平和が戻ってきているのは分かる。

しかし、ダウンタウンのビルの間を走るとやはり、この街の緊張感が伝わる。内戦時の弾痕が壁に残っている建物も多いのだ。

◆◆◆

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到着の晩、友人が父親の家でのパーティーに呼んでくれた。
ベイルートから少し山間に入った古い街。ひい爺さんが立てた3階建ての石造りの立派な家だ。ベイルート近郊の伝統的な様式。当時は1階は蚕から糸を縒り、絹織物を織る工場だったという。をれを1昨年リノベーションして大きなリビングと6ベッドルームという豪華なものにした。

親父さんから色々な話を聞いたが、内戦・戦争時が大変だったとは教えてくれるが、あえて詳しく話してはくれない。


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料理は、焼肉とさまざまなサラダ。たっぷり食って、地元産のビールやらワインやら頂いて、至福の時。










◆◆◆

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さて翌日ホテルの朝飯。さすがフランスの影響が色濃いだけあって、おいしそうなペイストリーやクロワッサンやバゲットなどもあったが、狙いは地元のチーズとフール(foul)という豆料理。ありました!

チーズは牛、またはヤギの乳をベースにしたホワイト系。
何種類かつまめるのがホテルの朝食のいいところ。



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そして待ってましたフール。これは2種類のまめをゆでてスープにして、そこにトマトのみじん切り、パセリをのせで最後レモンとオリ-ブオイルで味をキメるという料理。もう何でもオリーブオイルを使うという典型的な地中海的パターンだが、レモンとオリーブ油のバランスが絶妙にうまい。





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元気たっぷりでお客との交渉に臨む。
議論は白熱して、昼飯を食いながら会議を続けることに。

会議室に飼ってきてくれた昼食は、これまたレバノン定番のManaiche/Manakeesh。
このマナイシュ、レバノン風ピタパンを使うが、トルコのように中に挟みこむのではなく、ロールする。
チーズが一番シンプルなパターンで、昔からよく街角で売っているもの。

しかし最近は、ファッショナブルなお店やマクドナルドのような若者も集まるようなチェーン店がはやっている。
今回とってくれたのものそのひとつ「ZAATAR W ZEIT」のもの。

◆◆◆

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そして夜。レバノンで超人気、週末の夜は2週間の予約待ちという「CHEZ SAMI」へ。
海岸沿いで海に張り出したテラスからの夕日が美しい。こりゃムードだけでも人気だろう。
しかし、料理は噂のとお素晴らしかった!

飲み物は「アラック」地中海一帯にあるアニス系の水を入れると白濁する系統の酒。フランスのパスティス(ペルノーやリカール)、ギリシャのウゾー、トルコのラク、などの兄弟。これ好物なんです。



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まず前菜は、定番のハンモス(hammus)、タブーリ(tabouli/tabbouleh)、レンズ豆(moujadara)、ブドウの葉の葉のスタッフド・ロール(warak einab bi zeit)などをならべ、ファトゥーシュ・サラダ(fatouche/fattoush)。

そして、メインは魚ニ種類。かます風のさかなを軽くフライしたものと鱸風のさかなを蒸したもの。
カマスの方は頭としっぽを手でちぎり指で腹をさいて骨をとり、レモンまたはハモスで食べる。
もう、新鮮でゼッピン。レモンがお勧め。



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鱸はまったく臭みがなくかつ塩が良いのか、身の深い味をよく引き出していた。至福。

パカパカたべておなかいっぱい。

そしてデザート
最後の締めは「Cafe Blanc/White Coffee。なんだ?と思って待ってたら出てきたのはお湯??
で、飲んでみると、不思議な花の香りがする。聞いてみると、オレンジの花のエキスだとか。
ハーブティーの一種ともいえるが、カフェインがないので散々食べた後、おなかをすっきしさせ、コロっと眠れるそうだ。



◆◆◆

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宿に帰ってみると、なにやら音楽がボールルームから聞こえてくる。レバノン・ポップス。なんだ?とチェックを入れると、そう、先週から丁度ラマダンなのだ。ラマダンとは、イスラム教のしきたりでの断食期間。日中は食事はおろか一滴の水も飲んではいけない。しかし、日が沈むと飲食はOKになるのだ。

そしてこの期間、ホテルなどでは夜のラマダン特別ディナー・ショウなどを仕立て、お客を呼ぶ。
人気歌手のステージを見ながら、食事とおしゃべりを楽しむ企画。もちろんお酒は出ないけど、けっこう盛り上がる。特にレバノンは、レバノン・ポップスが充実してるからなのか。

ということで、翌日は、レバノン・ポップスのCD、料理の食材、お菓子などを買い込み、近郊の大鍾乳洞などをチェックして再び、ダウンタウンへ。そして友人と最後色々話す。(緑の蓋のパッケージの写真はくそ甘い、ゴマペーストベースのお菓子Halawa。)

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とても印象に残った事がある。

レバノンはキリスト教とイスラム教が共存し、また各々もいくつかに分かれている。人々は英語、仏語、そしてレバノン系アラビア語を解し、文化の交合の中で生きている。そんな彼に、どの言葉が自分のアイデンティーにとって重要なの?と聞いた時のこと。

彼は「レバノン人は英語・仏語・アラビア語を解すことがアイデンティティーなんだ。自分はキリスト教だけど、イスラムの立場も分かることがアイデンティティーだと思う。こういう複雑な中で生きている、生きていけることこそが自分とこの国なんだ」という言葉だ。




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文化、宗教、言葉・・・単一/純粋ばかりがアイデンティティーじゃない。混合・並列・複雑・共存という現実こそが彼らの真実だというレバノンを改めて思うと同時に、「元祖」「本家」「ルーツ」「純粋」とかが好きな日本人が陥りやすい排他論の危うさと、八百万の神や外来文化の柔軟な(節操なない?)取り込みを得意とする日本人のしぶとさのバランスの事を考えた。
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by mofongo | 2009-09-05 03:06 | Viaje/漫遊記
2009年 09月 05日
旅日記 09.8 パリ
数年ぶりのパリ。

ここはトランジットだけ。でも街に出た。パリにいるbelle seourとモロッコ料理を食べることに。

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カフェで一服。自分が分かる言葉の中にいると、やっぱりほっとする。アフリカ訛りのフランス語、アラブ訛りのフランス語。パリに来た実感。文化の混じり方、ぶつかり方、喧嘩の仕方が色々日本と違う。

多くの移民を受け入れながら、自国の文化をきっちり守るフランス。バンリューの荒れた移民地域を植民地時代の負の遺産と言うのは簡単だが、同時に、今月号の”Jeune Afrique”誌の特集のように、フランスで活躍する“アフリカン・ディアスポラ”も多くいる。






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彼らのアイデンティティーの主張とフランスのやり方へのレスペクト、そしてその逆のフランス側の態度。いつもきれいごとでは済むわけもないが、コアビタシオンを模索して長年葛藤してきた歴史が、フランスの強さにもなっている。リーズナブルなお値段で、美味いモロッコ料理を食べられる状況も、そんなフランスの葛藤の渦中のはじっこにあるのかも。





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さて料理。クスクスを真ん中に注文。コット・ダニョのと、ブロシェット、メルゲス、プレ、アニョのコンビナシオンを選択.。 アニョの煮込みが抜群にうまかった。やわらかくてクセがなく、クスクスと絶妙の相性。このBerbertという店、庶民的だけどなかなか人気とか。

たっぷり近況報告して、空港のホテルへ。翌日は9時の便だから早起きせねば。

◆◆◆

暗い中CDG空港へ。
ラウンジで軽くクロワッサンとコーヒーの朝食。なんの変哲もないけど、かなりうまい。

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仏雑誌を3冊買って機に乗り込む。1冊はアニメ誌"ANIME LAND"。バンド・デシネとジャポニズム好みの国にはコスプレ・ファンも沢山いるらしい。Clampの特集もあったけど、確かにアール・ヌーボーぽいもんなあ。記事はけっこう理屈っぽかったりしてさすがフランス。







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1冊はジャズ誌"JAZZ MAN"。ジャック・コスタンソのインタビューがあったから。ラテン・ビート誌じゃコスタソのインタビューなんて見たことあったか?ナット・キング・コールとの事とか面白い。あと特集はハンク・ジョーンスとロリンズだった。 しかし表紙のハンク・ジョーンス翁、ゾンビ風なのがおちゃめ。グリッサンのインタビューもおもしろかった。これは、また別に書こうかな。







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最後の1冊はフィガロ・マガジン。表紙のビートルズに惹かれて。フランスがどう対岸のビートルズに巻き込まれていったのか、なかなか興味深い。

◆◆◆

定時に出発。アルプスを下に見てからバルカン上空あたりで昼食。









さすがエール・フランス、機内食の手を抜かない。

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前菜はシンプルなシフォンナード・ド・フロマージュにパン・デピーセスの上にフォア・グラ・ド・カナール。パンの甘いシロップとジンジャーがフォワと絶妙のバランスで驚き。オート・コット・ド・ニュイのシャルドネとも相性よかった。シェーブルの合いそうな白。

フルーツはメロンと干しイチジクのスパイス漬け。メロンも美味かったけど、イチジクが絶妙。干されてコンサントレされた甘い風味に、ほの辛いスパイスをあわせていた。すごい




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この旅でJALにも乗って、同じくフォア・グラといちじくをつかった前菜。でも、エール・フランスのようなヒネリなし。うーん、おいしいものは常に地元にありますね。
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by mofongo | 2009-09-05 01:18 | Viaje/漫遊記
2009年 09月 03日
旅日記 09.8 ドイツ
NYから帰ってさっそくの旅。
ドイツ。ひさしぶり。

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けっこう暑い。これは大変まずい。
仕事の合間にビールを飲めと言われる可能性がある。

フランクフルトでは、ビールはWeizen。肴は古式ゆかしくフランクフルト・ソーセージ。地元名物アップルワインも出てきた。 仕事中なので固辞したが。ビール2本とワイン1本だけならしかたがないだろう。




そしてデュッセルドルフに移動。

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昼飯は市内ライン川下流のKlemensplatz近く。大変良い天気である。

客「ビールはアルトでいいですよね。」

ビールには日本で主流のラガーのような下面発酵のもの(ピルツ)とイギリスのエールのような上面発酵のものがあるが、このデュッセルドルフではアルトビールと呼ばれる、濃い茶色のエール・タイプのものが主流。これがけっこうパカパカいけてしまい、いくら飲んでも翌日全然残らないと言う。

仕事中なので固辞したが、3杯だけならしかたがないだろう。


そして夜(つっても9時くらいまで明るい)となった。

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客「旧市街の名店(名醸造所)Uerigeで会議を続けましょう」

気が進まなかったが、仕事では仕方がない。
天気がいいので、店の外にテーブルが沢山並べられていて、皆会議をやっている。真っ赤になって大声で話している人たちもいる。
白熱した良い会議なのだろう。

店員は野球観戦の時ように、ビールの入ったコップを大量にトレーに乗せて歩き回っている。客は声をかけてビールのコップを受け取り、店員は紙のコースターに1本線を引いていく。



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つまみにはまずメットという生の豚肉のひき肉とたまねぎがパンの上に乗ったドイツによくあるやつだ。これはこのUerigeの名物。その他に血のソーセージやら、ソーセージ盛り合わせやらイモやら。

客「ではモフォさん、乾杯」

仕事中なので固辞したが、まず一杯だけならしかたがないだろう。

議論は大変白熱した。大変喉が渇く。
店員は、議論の様子を見ながら、次々と空のコップと新しいビールを交換してゆく。ドイツ人はわんこそば大会の運営が上手そうだ。



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帰るときに店員に声をかけると、コースターの線の本数から何杯飲んだか数え、料理代(これもコースターに記入されてる)も足して計算してくれる。ドイツ人は回転寿司の運営も上手そうだ。

線は全部で32本だった。仕事中だが32杯だけなら仕方がないだろう。

◆◆◆


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当地にはサルサを聞けるところはあるのか?とたずねると同じ旧市街のサルサクラブへ連行してくれた。Buena VistaというのとGuantanameraというのがある。両方確認の上、今回はBuena Vistaを選んだ。しかしさすがドイツ人だ。やることがきちんとしている。

時間は11時を回っていたがけっこう入っている。ラティーノも多い。音はキューバ系が多いがファニアもあり、ロマンチカもかかる。ヨーロッパな組み合わせだなあとなんとなく納得する。DJのJeden Donnerstag君はBuena Vistaでもかけてるそうだ。




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さっそくビールを勧められたが、まだお客と一緒なので仕事中と言うことだ。しかし一杯だけなら仕方ないだろう。ドイツ人淑女に踊って頂いたり、友人と下ネタの話題を交換し議論したが、これも仕方ないだろう。

だんだん、2人とも意味不明な英語になり、ドイツ語と日本語で会話を進める。フリー・インプロビゼーションのようだ。

しかしさすがドイツ人だ。ややノリが硬いが、フリーな中にも素朴さと静けさがある。アレキサンダー・フォン・シュリッペンバッハかマンフレッド・ショーフか。そういえば、ケニー・ホイーラーに顔が似ている。

→Globe Unity Orchestra 1970

仕事上、ヘロヘロになり、大笑いを行い、宿で爆睡して本日の業務を終了した。(実際は翌日になったいたが)

◆◆◆

翌日はケルンへ。

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お客と会う前に大聖堂へ向かう。さすがに荘厳。ステンドグラスが美しい。

しばらくぼけっとして、菊池成孔のバッハを聴いてみる。ちょっと発見があった。キース・ジャレットも聴いてみた。ビールには合わないかもしれないと思った。

→Keith Jarrett  Koln Concert II C


さてお客と落ち合う。会議は近くの醸造所で立ち飲みで行うという。

客「ケルシュは一度試してもらわなければ困ります」

前日、デュッセルのアルトを試した、という言葉に、ケルンっ子の意地が燃えたのか。 ケルシュはケルンのビール。




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ドームの近くの店へ。FRUHを勧められる。
仕事中なので固辞したが、まず一杯だけならしかたがないだろう。

議論は白熱し、わんこそばも激しくなった。炭酸がきつくないので、コースターの線の本数も仕方なく増えてきた。

客「モフォさん。ではエッセンへ移動しましょう。続きは列車の中で」

聞けば、旧市街の醸造所情報はしっかり持っているので、会議の場所には不自由しないという。さすがドイツ人だ。やることがきっちりしている。

暑さのせいか、足元がふらつくが、世界の車窓からのような列車に乗り込んだ。こうしてまた会議は続くのであった。

(続く)
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by mofongo | 2009-09-03 22:39 | Viaje/漫遊記
2009年 08月 16日
夏休みの旅(絵日記付き) その3 :ニューヨーク
(その2から続く)

翌日はNYへ移動。

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ワグナーパーク。フランキー・ネグロンの無料コンサート。さすがNY。彼の地元NJを対岸に見るステージ、地元勢も観光客もいっしょになって盛り上がる。

さっそくYouTubeに上がってました。
→YouTubeでフランキー・ネグロンのステージを見る

9月に初の英語アルバムが出るそうな。楽しみ。

そして、ミッドタウンまでもどってジャック・ウイルキンスの2ndステージ。ジャズです。

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昔、ギターのトリオでダグ・レイニーとかパット・マルティーノとかやってた時、ギターのやつが持ってきたのが彼のアルバム”You can’t live without it”。メンバーはブレッカー兄弟にアル・フォスターとか入ってた。 "Freight Train"とかやりました。"Invitation"のブレッカー、かっこいい。



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さてワトキンスは素晴らしかった!バンドはボーカルの入ったブルージーな感じ。Paul Hefner (p), Tara Nove (vo), John DeCesare (b), Tony Gallino (ds)

Jack Wilkins "Moonlight In Vermont"
→YouTubeで見る

翌日はまずは昼はジュニア・マンス (p) at ワールド・フィナンシャル・センター。これも無料。
そして夜はブルーノートにチャーリーヘイデン。これは有料。ラテンで手頃なのがなかったせいもあるけど、前日のワトキンスがよかったのでジャズづいたかも。


さてNYで定番の家族サービスにふさわしい場所といえばハーレムやエル・バリオ。125丁目からぶらぶら。

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アポロ・シアターの横の壁にはマイケル追悼の書き込みが一杯。自分も一言書いて合掌。そしてエルバリオへ。










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CD屋を物色。El Barrio Music CenterではYOKOさんの曲がチャートに入っているのを確認し、Casa Latinaでは店員がしっかり客に勧めているのも確認。思わず「これ、すげー良いですよ」って声かけてしまった。


クチフリートスでエンパナーダを買って食いながら地下鉄に乗り込みダウンタウンへ降りる。









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タイムズ・スクエア近辺で偶然入ったM&M(チョコボール)の大型店。1オンス10ドルほどでいろんな色のチョコボールを自分で好きなように詰め合わせることができるのだけど、組合せのサンプルがいろいろある。







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ミント色とグレーと白は「自由の女神」。黒と黄と灰色で[NY TAXI。ふと見ると「プエルトリコ」。
そう白と赤と青。旗シリーズでは一番トップに挙げられていたのは、やっぱりこれに乗せられるプエルトリカンの客が多いせいか?




とか、いろいろ楽しんで飯食って、お休み終了。さあ、帰って働かなきゃ。
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by mofongo | 2009-08-16 19:12 | Viaje/漫遊記
2009年 08月 16日
夏休みの旅(絵日記付き) その2 :プエルトリコ(2)
(その(1)より続く)

翌日はファハルドへ。カタマランのランチ付き1日ツアー。

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イカコス島でシュノーケリング。熱帯魚にパンを振舞うのは楽しい。

昼飯は船の上でビュッフェ。サンドイッチと果物だけど、自然の中の飯は美味い。
たっぷり楽しんで、帰りの1時間はラム飲み放題のパーティー・タイム。





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船の上はサルサでダンスタイムに。グィロとマラカスがバケツ一杯積みこんであったけど、いざという時浮きにもなるらしい(うそ)

副キャプテンはすごいグイロがうまかった。ミュージシャンでもないのにああいうのがいるんだよな
あ。



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夕飯食って、TVでアルビータが司会する音楽バラエティーを見ていたのだけど、付けっ放しで爆睡。






◆◆◆


翌日は、まずスーパーで食材買い込み。レカイートを何本も確保。レカオの種も買った。

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プエルトリカンの大好きな、極彩色のケーキに涙する。買って帰りたい。


さて今日は、友人たちに会う日。だがその前に爺のとこ行かなくては。

車をパーキングに入れると、ちょうど爺が店から食事に家に帰るところだった。おっと、つかまえな
くちゃ。

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「爺!また来たよ」
「おお、元気か?ちょっと飯食ってくるから、また4時ごろ戻ってくる」
「いや、今回は遊びで来てるから色々忙しくて長居出来ないのよ」
「そうか、じゃ1時間くらいで戻ってくる。しかし仕事で来てる時の方が長居出来るって変じゃな
いか?」


爺、さすがしっかりしてます。もう83だよ。爺をご存じない方、ご紹介しますと、プエルトリコの最もコアなCD店"Viera Discos"のオーナー、ラファエル・ビエラ。

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レゲトンはあんまり置いてないけどね。爺は若い頃(マンボ時代から)NYで音楽関係で働き、島にもどってもプロデューサーやプロモーターとしても活躍。島のサルサ界では知らぬもののないドン(って感じしないけど)で、昨年、毎年恒例のサルサの大イベント「サルサ国民の日」で、オマージュ(功労者表彰みたいなもの)を受けています。

今年でたファニアの「Fania All Stars Live in Puerto Rico '73」のライナーに当時、コンサートのプロモートを請け負った爺の文章が出ています。

さて、爺が戻ってくるまでに手早くCDチェック。
日本や通販で手に入りにくい盤を30枚ばかりと文献を捕獲。LPでもっててもCD見ると買ってしまうのが困りもの。

そうこうしてる内に、爺がもどってくる。土産渡して、近況話して、家族も紹介。
例によって、爺の方からもお土産をもらってしまった。

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今日店に顔みせたミュージシャンは、NY-PR-ベネズエラをまたにかけて活躍したバンドリーダ
ー&ピアニストのジョニー・セデス。
(セデス翁の話はまた別に)

70過ぎとか。
「でもな、この(ビエラ)爺のほうがよっぽど元気だよ、ははは」

色々、当時の様子を話してくれる。ベネズエラって80年代の石油価格が高騰した時期に、バブルになり、THとサルサにも大きく係った。
そして、今も南米では"サルサ・ベルト"の一角をしっかり担う。

しかし、ベネズエラのカリブ系ラテンはそれ以前にずっと歴史があるのだ。
マンボの時代のビジョ、ナランホ、そしてそれ以前から「タンボール」の歴史がある。もちろんホロ
ーポもある。

ベネズエラの音楽の重要性というか面白さは以前からビエラ爺から教わることが多かった。
THやパフォーマンスといったレーベルに深く係った爺は、ベネズエラの人脈も深いのだ。
そのおかげで、基礎文献と音源も色々店で捕獲して常に予習していたのが、セデス爺と話すのにも役立った。

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「タンボール」の歴史と言えば、東大の石橋純さんが深く研究されていて本も出ている。こちらもとても勉強になる。

→石橋純さんの「太鼓歌に耳をかせ―カリブの港町の「黒人」文化運動とベネズエラ民主政治」をみる




あっという間に時間が経ち、またしばしの別れ。

「また来いよ」
「ほんと元気でね。爺の事知ってる日本人のサルサ・ファンはみんな爺が元気でって行ってるよ」

がっつりハグして、店を出る。しかし、いつも同じ事書いてるな。



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昼飯は食って、 それから友人、昔の同僚、取引先、昔住んでた隣人たちと会いまくり。ハグの嵐。ベシートの嵐。
最後の夜は宴会。ホテルに戻って倒れこんでパッキング。ああ、寝たい。しかしTVではカノのライブが・・・、そのまま夢の中に落ち行くのでありました。

翌日はNYへ移動。

(その3へ続く)
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by mofongo | 2009-08-16 18:59 | Viaje/漫遊記
2009年 08月 16日
夏休みの旅(絵日記付き) その1 :プエルトリコ(1)
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ちょっと夏休みをとりました。プエルトリコ。










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相も変らぬサンファン空港だけど、丁度新型インフルが流行中で壁にはインフル対策のポスターが。防毒マスクと機内検査でスタートした日本と比べ、なんとも脱力な、もやしもん的イラストが素晴らしい。

恒例のタクシー占い、運転手さんが掛けていたラジオは、バチャータ。バチャータのギターの
ルーティーンはクアトロのルーティーンとよく似てる。重なる感性。








ホテルに入り、軽く近くで飯食って、一休み。夜モソモソとサントゥルセへ。

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ポンセ・デ・レオンのEl Higueyano。いかにもドミニカな名前。バンドはバチャータ。
DJはメレンゲ、バチャータ、レゲトンのミックス(たまにサルサ)。お客もドミニカ系と見える客多し。
おしゃれして来るねーちゃんたちが素晴らしい。モデルのジャッキーが来てました。写真やプロモで見るよりずっとキュート。
ジャッキーのMy Spaceはこちら。
→ジャッキーのMy Spaceはこちら。


◆◆◆

翌日はいい天気・車でまずオーシャン・パークのビーチへ向かう。
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オーシャンパークはコンダードとイスラベルデの間なので、観光客より地元民が多く、リラックス感が強い。


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日曜だから、フィットネス組なんかもいた。レゲトンに合わせ屈伸、ダンベル。エル・バンビーノとウィシン&ヤンデルのレゲトンが、潮風に吹かれてる。
朝はほんと海の色がいい。








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そして、ゆるゆると旧市街へ。
車を地下駐車場に停めてエル・モロ砦から回る。ぼやーっと気の向くまま歩き回ると、じわじわ焼けます。

サンセバスティアン通りの途中から北に折れて、ラ・ペルラへ。コンガの音が聞こえて来たから。

プエルトリコのサルサ・ファンならイスマエル・リベラの「ラ・ペルラ」という曲を知ってるかも。ラ・ペルラは「真珠」という名前から来る「うつくしー」って感じのところではなくて、超庶民の住んでいる地区。

ガレージの脇でおっさんがラジオに合わせてのんびり叩いてた。周りには、やっぱりおっさんた
ちがビール片手にまったり。ほっとするひととき。

のんびりした夏休みだよなあ。
南佳孝の初期の「静かな昼下がり」みたいな、夏の昼間の静けさ。


博物館、サンホセ広場、バヤハ、カサ・ブランカ、アルマス広場とまわってい行く。


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クリスチャンではないけれど、サンファン大聖堂は必ずお参りすることにしている。
それは、マリア様の後ろにプエルトリコ旗を配している教会の心意気に敬意を表して。













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しかし昼間に旧市街をうろつくとさすがに暑い。そんな時はピラグア(かき氷)。シロップはいろいろあるけど、いつもタマリンド(写真の茶色)。甘酸っぱい味で体が冷えてすっきり。 写真はココ、メロン、レモン、タマリンド。ほっと一息。







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ランチはパロット・クラブへ。先月までジョニー・デップ主演の映画の撮影がプエルトリコで進んでいたのだけれど、撮影中の彼のお気に入りの店。









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デップの映画は、ベニシオ・デル・トロとの"Fear and Loathing in Las Vegas"(邦題:ラスベガスをやっつけろ)がはちゃめちゃで一番好き。今回プエルトリコで撮影の映画は、「ザ・ラム・ダイアリー」。"Fear and Loathing in Las Vegas"と同じハンター・トンプソンの小説の映画化。去年空港でペイパーバックを買って読んで面白かったので期待。

今回も旅行にもって来て読み直し。50年代のサンファンが舞台。映画音楽にコルティーホでも使わ
れたら面白いのだけど。



夜、アンディ(・モンタニェス)に電話。昨晩のバルセロネタでのフィエスタ・パトロナレスに誘わ
れてた。

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「アンディー!昨日ついたんよ。元気?さすがにサンファン着が夜10時だからちょっと行けずにごめん。」
「しゃあないな。イスマエル(・ミランダ)も一緒に出たぞ。久しぶりだろ?」
「ほんと残念。もし時間が合えば飯でも食べたいね」





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夜はホテルのライブ。去年出たサルサの新人グループ"Mas Salsa que Tu"。レゲトンというよりヒップホップとサルサのコンビネーション。けっこうカッコイイ!

Ten Cuida'o / Mas Salsa que tu
→YouTubeでみる

(→その(2)へ続く)
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by mofongo | 2009-08-16 11:20 | Viaje/漫遊記
2009年 02月 02日
旅日記 '09.1 ケニア
ひさしぶりのケニア

会わねばならない相手がたくさんいるが、皆忙しく朝早くから動き回っているので、こちらもひたすら早起き。

宿を6時には出て、空が白んでいく中、相手の所に向かう。
アポは取っていなかったのだけれど、幸い初日は会いたい相手に次々と会うことができた。

最初に大物に会えたのが良かったのかも。




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朝食直後だった大物、ライオンは、機嫌がよかった。

その後、キリン、シマウマ、インパラ、ダチョウ、と来て、面会の難しいサイにも会えた。


時間は9時となったので、今日の仕事はこのくらいで切り上げる事に。
気晴らしに人間にも会いに行くこととする。





◆◆◆

タイトな打合せスケジュールの後、宴会を用意しててくれるのはありがたい。

お客はインド系イスラム教徒。宴会はインド飯。金曜日の夜、家族連れも含め満員のレストラン。


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客1「さあ、モフォさん、飲んでください。私はビールはお付き合いできませんが、貴方はビールでいいですか。」

「すいませんね。ケニアはやっぱり"タスカ"に限ります。」

客1「わかりました。冷えたのが良いですよね。」

東アフリカでは、あまり冷えてないのを好む人も多いのだ。ぬるい方が体に良いという人もいる。冷えたのを、田舎で「冷えたのを」というと、氷を入れてくれたりするから要注意。


「なんだか悪いですね、自分だけ飲むのは。」

客1「ははは、私はビールはだめなんですが、ウイスキーなら大丈夫ですよ。」

「は?」



祖父さんの代に来てるので、ケニア化しているということらしい。しかし、良いのか??

客2「(給仕を呼んで)じゃ、ジョニー・ウオーカーの12年、ボトルで。モフォさんも行きますよね」

◆◆◆

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インド飯は非常にうまい。中でもケニア、ウガンダ、タンザニアにまたがるヴィクトリア湖でとれたという魚のカレーは絶妙の美味さ。みんなで食いながらぐびぐび。

客1「・・・でね、そいつが彼女の事言うわけですよ」
全員「ぎゃははは」

なんだ、ラテンとおんなじじゃねえか。こちらもネタを行かねば。


◆◆◆

大変盛り上がり、ウイスキーが頭をぐるぐる。夜中近くようやくお開きとなる。

「いやー、久々のケニア、楽しませてもらいました。ラテン国なら、これからサルサ場へ、って感じだけど、ケニヤじゃ、ベンガとかリンガラとかですかね。」

「ん?サルサ好きなんですか?こりゃいい。わしらは、もうべろべろだし行かないけど、金曜日の夜は踊れるとこいくつかあるから行って下さい。運転手に案内させますよ。リンガラでもいいし。」


これだからありがたい。丁重に礼を言って(良く覚えてない)、車に乗り込む。
◆◆◆

ホテル・インターコンチネンタル着。おー、けっこう来てるわ。

けっこう白い人が多い。ダンスは素直。でも、黒いカップルも何組か。そして、彼らの踊りは面白い!なんともゆったり感があるのだ。ターンをしても回してもふわっとしている。それでいてリズムに対しては突っ込んでいる感じ。しばらく見とれてしまった。

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曲は結構定番がかかる。60-70年代のファニアものから80年代プエルトリコまで。キューバ系はなかったんじゃないだろうか。

ちょっとアフリカへのサルサの伝播と、地元への浸透のことちょっと調べてみよう。
"Blue Times”ってとこでも毎週水曜にやってるって。こりゃ行かないと。
とか、酔っ払った頭の中にまたまたろくでもない考えがぐるぐるしはじめたのだった。
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by mofongo | 2009-02-02 21:49 | Viaje/漫遊記
2008年 11月 24日
インドネシア '08.11
帰ったと思ったらシンガポール航空でまたも旅の空。

この航空会社は世界でも有数の「国際性」があるんじゃなかろか。

機内映画の選択肢が30本くらいあるけど、吹き替えや字幕の種類が①日本語②英語③ドイツ語④フランス語5⑤スペイン語⑥イタリア語⑦ロシア語⑧華語(中国語:北京語)⑨粤(えつ)語(中国語:広東語)⑩韓国語⑪ヒンドゥー語⑫タイ語⑬アラビア語の13種類

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音楽に至っては上の各々言葉のヒットに加えて、マレー語、インドネシア語(バハサ)、タガログ語(フィリピン)、ホッキエン語(福建)もある。

ちなみにスペイン語のヒット曲集のトップはアレハンドロ・フェルナンデス、しめはマーク・アンソニー。



シンガポールでを乗り継ぎ、1時間ちょいでジャカルタに到着。
外へ出ると、いつものガラムの甘い匂いが湿った空気に心地よい。

ジャカルタお約束の大渋滞を抜けてようやく宿へ。お客と軽く飲んで初日はおとなしく寝る。翌日は7時に車で移動なのだ。

◆◆◆

朝飯はアメリカン、コンチネンタルなどもあるけど、当然地元を選ぶ。

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バクミ・ゴレンとナシ・レンダン+アヤム・カラサンにしよう。要はインドネシア焼きそば&とパダン風のココナッツ・ミルク味スパイシー・ビーフ+カラサン風ココナッツ風味チキン。

ココナッツ風味に弱いのだ。ピニャコラーダ漬けの日々を送ったせいか?


イントネシア料理は「甘い」「辛い」「塩味」「スパイス」の4つで出来てる気がする。「すっぱい」というのがないのだ。
あの湿った空気に、甘辛+丁子やレモンリーフの香りはとても合う。


さあ、今日も一日働くぞ。


◆◆◆


強力な交通渋滞を抜けて、お客のところへ到着。あとはひたすら長丁場の会議・会議・会議。。。。。

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会議ではミネラルウオーターに加え、お菓子の箱がテーブルに配られている。
アメリカならコーヒー・ブレイクの時間にコーヒーとブラウニーとかが用意されているのと同じか。しかしここも「甘辛」なのだ。






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箱の中にはお菓子が3つ、一つはエクレア、一つはバナナタルト、そしてもうひとつは揚げ菓子。
これには青唐辛子がついているのだ。唐辛子をちょいとかじりながら、スナックを頂く。
インドネシア・コーヒーもおいしく、休憩時間にたっぷり充電。





◆◆◆

さてお昼前になると、外から音楽のような歌のような声が流れてくる。

コーラン(クルアーン)だ。

インドネシアの人口の大きな部分はイスラム教徒。

コーランはお祈りの言葉を読み上げるものだけど、異教徒の耳には音楽に聞こえてくる。

低く抑えた出だしから波のようにやってくる盛り上るパートはサブドミナントからドミナントへ移動するようなふわっとした高揚感。メロディーはモード(アラビア音階/旋法)。マイナー3度がメジャー3度に急に置き換わるような展開に乗る力強く美しい喉の力。

このモード(旋法)は、東に進んでインドネシアも当地の音楽に入り込み、西へ進んで北アフリカ(マグレブ)からスペインへ上ってカリブの音楽にも達する。インドネシアの音はそのまま東へ太平洋を進んで、南米のスリナムに達して(両国共もとオランダ領なのです)進んでアフロ系やらカリブ系の音と混じって、これまた独自の音楽を作る。

交じり合いまた独自のものが生まれてくる不思議。

→コーランを聞いてみたい人はこちら

もうひとつ突っ込んで言えば、インドネシアからアフリカや中南米へ伝わったのでは?と言われる楽器も多い。バラフォンなどがそうだ。

◆◆◆

さて、いつもの様に夜は親爺か宴会か?というとお酒を飲まないイスラムの人たちとはラテンのようにならないのだ。

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「酒抜き」に加えて、豚を食べないので「豚抜き」「ラード抜き」なのだ。
「ハラール」(イスラムの戒律に則った料理法)での料理を出してくれる中華料理屋へ行く。ヒンドゥーのお客もいるので(インドネシアのバリ島の人たちはヒンドゥー教徒がメイン)牛肉も避ける。

街中で売っているスナックなどにも、この「ハラール」であるかどうかの表示がある。


で、宴会は「ハラール」で調理した魚とチキンがメイン。非常にあっさりした感じの中華となる。飲み物はお茶。

楽しく語らうも非常に紳士的に夕食は終了。今日はラテン宴会などをせず、素直に帰って寝ろ、という思し召しなのだろうなあ。



◆◆◆

そして宿に帰って、TVを見て素直に就寝しました。




などということは起こらなかった。



「インドネシア・サルサ・フェスティバル 2008」!

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このようなものが丁度開かれているとは、なんと幸運。

場所はジャカルタの南、Permata HIjauの"The Belleza"にある”The Submarine"。今月11日からスタートしてこの金曜日が最終日。

インドネシアのダンサーたちはいかに?イベントは「プロフェッショナル」と「ソシアル(アマチュア)」の2カテゴリーでのコンペティション。

The Submarineは最近出来たクラブらしくなかなかすっきりしてフロアもきれい。

時間が遅かったのでコンペティションは終わっていたけど、フロアは踊る手たちで満員。うーん、ジャカルタもやるじゃない。
かかっているのは、もうミックス。NYもPRもキューバンもマンボも。マーク・アンソニーとかRMM系も結構フロアをヒートさせている。

ということで、地元の淑女にすこし踊っていただいたり、にいちゃんと少し話したり(でもあんま英語が通じなかった)。

やはり「宴会をせよ」という思し召しだったか、シンガポール・スリングで良い気分になったジャカルタの夜は更けていくのだった。
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by mofongo | 2008-11-24 16:34 | Viaje/漫遊記