カテゴリ:Viaje/漫遊記( 61 )

2008年 11月 16日
モーリシャス '08.11
南アフリカ/ヨハネスブルグから飛行機で東へ。

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マダガスカルの海岸線が見えてくる。まだ手つかずの地形を超えるとインド洋に出た。










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出発して約4時間。やがて機は高度を落とし、サンゴ礁に縁どられた大きな島が見えてくる。


モーリシャスだ。



モーリシャスという国の名前を初めて聞いたのは、小学校の時だった。

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なんでかというと、切手を集めていた友達が、モーリシャスという国の昔の切手は100枚しか発行されなかったものがあって世界一高い、1億円の値段が付いてい るっていう話。

1億円がいったいどんなくらいの値段なのか小学生にはピンとくるわけもないが、その友達が見せてくれたマニアックな雑誌にはブルーの小さな切手の写真があった。

1847年、まだ英領だった頃のモーリシャス、総督夫人が舞踏会の招待状を送るために印刷された切手は、ふつうは「料金支払済」(Post Paid)と印刷される べきところを「郵便局」(Post Office)と刷られてしまったのだった。これが希少価値を生む。

この英領初の切手は「モーリシャス・ブルー」と呼ばれ、現在27枚しか残っておらず、マニアの垂涎のものなのです。

◆◆◆


しかし、この頃の舞踏会ってなにやってたんだろう。19世紀前半っていえば前期ロマン派の頃。
ダンスとしてはワルツとかマズルカですかね。1844年頃、欧州ではポルカが大流行したし、同じくセット・ダンスではカドリーユが流行った頃だから、そんな曲もあった だろうなあ。そうそうカントリー・ダンス/コントルダンスを忘れちゃいけない。

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コントルダンスは18世紀末のイギリスのカントリーダンスがフランスの宮廷/上流階級に入ってコントルダンスとなり、カリブ海のサン・ドマング(現在のハイチ)へやって 来たり、スペインでコントラダンサとなって、同じくカリブ海のプエルトリコやキューバへやってきたダンス。

そしてプエルトリコの欧州系音楽の代表となる「ダンサ」、又はキューバのこれまた「ダンサ・アバネラ」へとつながる。


そう、カリブ海とインド洋、たっぷり離れていても、熱帯にある島の植民地の歴史としては共通点がいっぱいありますね。

◆◆◆


街を歩くとフレンチ・クレオール語が聞こえる。フレンチ・パトワとも呼ばれる。ベースのフランス語の上に、労働力として連れてこられた黒人系の影響を強くもつ地元の言葉。カリブじゃハイチを筆頭に、マティニーク、グアドループ、ドミニカやセントルシアでも聞くことができる。

仏語をベースにしてるから、モーリシャスとハイチでは、同じ単語もあれば(たとえば"私たち"は"Nou")、違うこともある(モーリシャスじゃ"私"は"Mo"だけど、ハイチ じゃ"Mwen"とか)けど、こんな離れたところなのに、音の響きはとてもよく似てるのが驚き。

でも、同じフレンチ・クレオールでも全然違うのは人の顔。カリブは黒人系、欧州系又は黒人系と欧州系の混じった人たちの顔がベースなのに、ここではインド系の 人たちが7割。

彼らがフレンチ系の言葉(仏語とクレオール)を日常語として話すのは、カリブに慣れた自分にはとてもエキゾチック。

◆◆◆


客「Enchante, モフォさん。C'est mon plaisir de vous voir!」
モ「いやー、どうもどうも。こちらこそ、アンシャンテで。良いとこですねー。」

フレンチ・パトワのなまりのあるフランス語はいいなあ。これに大変弱い。


客「では、打ち合わせは外でやりましょう。マイヨ・ド・バンはお持ちですか?」

モ「は? 水着??」

◆◆◆


車で15分、真っ青な海の広がる浜へ。

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客「ほら、ビールもどうぞ。地元のフェニックス・ビールです。 そうだ、フルーツも買いましょう。ピーナツはどうですか?いやー、良い打ち合わせになりそうですねー、は はは。ほら、見てあそこ、トップレスのおねーさんが。がははは♪フランス人はこれだkらこまりますね♪」


まずい。完全に相手のペースだ。


客「モフォさん、どうしたんですか、ほら飲んで飲んで。そして泳ぎましょう。ここは塩分が濃いから楽ですよー。ほーら、ぷーかぷか。ぎゃははは」


いかん、楽しくなってきた。

まだ交渉は始まってもいない。
この親爺、ラテンより手ごわいかも・・・

◆◆◆

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しかし、買ってきてくれたフルーツがビールに合うのだ。甘いもんが?と思う方も多いでしょうが、さすがインド系70%の国。
フルーツをチリ(トウガラシ)混じりの塩水、またはビネガーに漬けたものなのだ。

パイナップも一口かじると、ピリッとした塩味の後に甘みが口の中に溶けあい、なかなかイケる。

ヒットはマンゴ。熟す前の若いマンゴはキュウリの浅漬けのような感じでビールにあうのだ。若干のうま味もある。昆布か?いやそんなものあるはずないし。

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フルーツ屋へ行って聞いてみる。

モ「ねえ、このマンゴ、塩味とトウガラシだけ?なんか他に使ってない?」

店の親爺が出してきたのはなんと「味の素」。あやー、さすが世界の調味料。




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アフリカのマーケット/マルシェでも小袋にパッケージされた味の素は大人気だと聞いてたが、ここもかあ~。

確かに街中にも看板がありました。




◆◆◆


・・・しかし、まずいなあ・・、こんな相手のペースでは。しかし、アイス・ボックスのビールはほとんどなくなり、ラムを買いに行こうという話になりつつある・・・。


そうだ!相手のペースについて行くからいかんのだ!これは日本人として毅然とした態度に出なければいけない。ビーチで酒を飲んでるだけではビジネスに勝てるわけもないだろう。



モ「アーメドさん。お気持ちは十分うれしいのですが、ここでお話を続けるのはどうかと思います」
客「?モフォさん。良いではないですか。青い海とおいしいお酒と波の音、もうすぐ夕焼けです。これで我々はリラックスして話ができますよ。何も足りないものなど無いじゃないですか♪」
モ「踊りがありません」
客「?お、踊りですか?」
モ「Oui, ça ne peut pas aller sans la musique.踊りに参りましょう」


◆◆◆

親爺はインド系なのだが、ここはクレオール系の音楽/ダンスの"Sega"に連れて行けと要求してみた。

セガは黒人系の人たちが奴隷として砂糖キビ畑などの労働力として連れてこられた人々が作ってきた音楽とダンス。楽器は大きなハンド・トラムにシェイカー、トライアングルなどがベースで、今はギターやらベースも使う。


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→YouTubeでSegaのDiva、ナンシーの画像を見る


リズムは3拍子をベースにするが、ハチロク感覚が大きく覆っている。しかしこのハチロクはアフロ系かどうかは不明。というのは楽器と言い、メロと言い、非常にアラブの影響も感じるからだ。

ダンスは女性陣のフレアのついたスカートを大きく使い、腰の振動/回転をつかった動きが特徴。

そう、ハンド・ドラムはプエルトリコのプレーナやハイチ/キューバのコンパルサなどを連想させるし、女性陣のダンスはカリブ一帯のものとの共通性を感じる。

ここにも、言葉と同じく距離を超えた似たもの同士がいるのだった。



◆◆◆

ダンスの前には腹ごしらえである。

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シーフード・レストランで供されたのは、巨大なランゴスタ、つまり伊勢エビであった。真っ二つにして、軽い塩だけでグリルして、3種類のソースで食う。








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クレオール(黒人系)、カレー(インド系)、クリーミー(フレンチ系)。
まさに植民地の要素集合!

フランスもののワインも登場し、ますますエスカレートする両名である。
しかし、もうこのあたりになると両名ともかなり解釈不明な話をネタに笑いこける事となってしまった。

さて、セガのショーが始まった。このようなことで本当に良いのだろうか?
と思う内に脳の内蔵メモリの容量が一杯になった。
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by mofongo | 2008-11-16 02:15 | Viaje/漫遊記
2008年 11月 14日
南アフリカ '08.11 (3)
(南アフリカ '08.11 (2)より続く)

親爺たちにせかされて、ステップを踏みながら、ちょっと歌ってみた。


♪サッ、グァグァ。サッ・シー・パタ・パータ
♪サッ、グァグァ。サッ・シー・パタ・パータ

♪ハイ・アマ、ハイ・ママ。サッ、シー・パタ・パータ
♪ハイ・アマ、ハイ・ママ。サッ、シー・パタ・パータ

親爺たち「がははは。♪ハイアマ、ハイママ・・・」

わはは、受けだぞ。"パタ・パタ"。

◆◆◆


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ミリアムマケバ、なんと昨晩の未明亡くなってしまいました。。。
イタリアのナポリ近郊でのコンサートの直後、倒れそのまま・・・・76才だったそうです。


彼女の亡くなる少し前のタイミングで、偶然にもこんな風にソウェトで、東洋の端っこのやつが"パタ・パタ"を親爺たちと楽しむことが出来たのは、何と幸せなことだなあと思いました。


お気楽に日本から南アに行ける環境があり、南アもそういうお気楽なやつを受け入れてくれる状況があり、そしてそんな偶然をつないでくれる力を持った彼女の「パタ・パタ」という歌があったという偶然。

きっと彼女が「ちょっとみんなと遊んで行ったら?」と声をかけてくれたのかもしれません。


アパルトヘイトへの抵抗と、そういう背景を含んでか含まずかの「パタ・パタ」や「マイラカ」「クリック・ソング」などなどの力強いヒットで世界をつないだ彼女。

家に帰ったら、彼女の『わたしは歌う―ミリアム・マケバ自伝』 (福音館日曜日文庫)を読み直し、CDを聴きなおしてみたいと思います。


ご冥福をお祈りします。R.I.P.

"Pata Pata"
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"Click Song"
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"Mbube"
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◆◆◆


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さて、こんなことやったり、楽器を買いに行ったり、観光したり、土産買ったり。あ、もちろん仕事もしたり(って付け足しか??)


そしてへろへろになって次の目的地へと飛ぶのでした。
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by mofongo | 2008-11-14 01:44 | Viaje/漫遊記
2008年 11月 09日
南アフリカ '08.11 (2)
さて、宿に入って早速旧知の友人と夕飯。南アフリカ飯を食わせてもらう。

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定番の南ア風オックス・テール・シチュー。地元のワインもうまい。ぐびぐび。

店はけっして高級という訳じゃないけど、サービスも良く快適。客の9割は白人。ウエイターは皆黒人で、ワイン選びからなにから見事な応対。
治安の良いオフィス街のレストラン。正直、自分には落ち着かないのだけど、これも南アフリカの現実。

もちろんアパルトヘイトが終わって、20年ほど。政府も黒人中心で運営されているし、経済も伸びてきた。


でも白人が自分たちの為だけに作ってきた社会と黒人が置かれていた社会はそう簡単に一つになるわけも無い。
お客の会社の管理職はどこもあいかわらず白人系勢ぞろいだし、ひまつぶしに行ったモーターショーでは白人の客が大多数。

白人、といっても一筋縄じゃない。最初に植民して来たオランダ系アフリカーンス(アフリカーナー)は後から南アフリカを領土としたイギリズ人とは言葉も違う。


そのさじ加減は旅行者にとても分かるような単純なものじゃないが、TVからだけでも察せられるシニカルでユーモアあるものもある。

南アのTV、SABCのこんな広告も面白い。
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フォードのこんな広告も。
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治安もまだまだ安心できるレベルじゃない。
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南アの白人にだって貧乏な人はいる(アフリカーンスのお話。15分の長めの映像)
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差別や治安の話はお金の話の面がある。お金はたくさんあるとこから無いところにそう簡単に流れない。世界のいずこも同じ。
日本では相対的に見えにくい分、自分の頭がよくボケでいることに、海外に行くと何時も気づかされる。日本にも我々の問題が山積みだけど。


仕事で回る場所はまだまだ白人の匂いが強かった。そして親爺たちはカルビン派プロテスタントのようにクールなのだ。
いつものラテン親爺みたいな親爺たちに会いたいのう。

◆◆◆

なじみなったドライバーのジョージにそんな事を話してみる。

モ「・・・て感じでさ、落ち着かないのよ」
ジ「じゃあ、モフォ、日曜日俺んちの方で飲まない?ソウェトなんだけど」

ジョージは黒人。アパルトヘイトの真ん中を生きてきた。ソウェト(Soweto)に住んでいる。

ソゥエトはアパルトヘイト時代に黒人を強制移住させた地域。South West Townshipの略で東京23区くらいある。
当時黒人が押し込められていた最大のスラム、とまとめてもよいかも。
アパルトヘイト反対のきっかけとなった「ソウェト暴動」(1976)の地でもある。

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今だって白人がわざわざ住むような場所じゃない。治安は一般に良いとは言えないけどとにかく庶民の町なのだ。
上の南アのTVの画像で主人公が住んでいるのはソウェト。

ヨハネスブルグから小一時間。街が見えてきた。

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ジョージがネルソン・マンデラの家や、ヘクター・ピーターソン記念公園(ソウェト蜂起で亡くなった少年の記念碑がある)など有名なところを案内して色々教え

てくれる。

前に読んだ何冊かのアパルトヘイトの本のいろんな場面が浮かぶ。

ジョージの仲間の親爺達があつまってる飲み屋に行く。

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地元では「シビーン」(Shebeen)と呼ばれるバー。
家の裏庭みたいな飲み屋だかなんだかわからないところ。

ジョージの親戚のビッグ・ママが店をやってる。鉄格子の中からにっこり笑ってビールを渡してくる。
たむろってた親爺たちは、突然乱入した変な東洋人をただただ歓待してくれる。
一挙に頭の中にアドレナリンが充満する。これだよ、きっと求めてたのは。

親爺たちは地元のソト語で話している。ラテン親爺たちのように「ぎゃははは」ってことは無いけど、静かに日曜の午後の時間を楽しんでる。

遠くからズール・コーラスのような音が聞こえてくる。足でリズムをとってると、踊れと言われた。

あら、いよいよ始まった。

(続く)
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by mofongo | 2008-11-09 17:02 | Viaje/漫遊記
2008年 11月 09日
南アフリカ '08.11 (1)
また旅の空。

今回は米国でもラテンでもなくキャセイで南アフリカへ。
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暇つぶしにラウンジで香港の日刊紙をチェック。
まずは香港の日経、香港商報(Hong Kong Commercial Daily)を眺める。
漢字はありがたいね。何の記事かくらいかはわかる。そして娯楽性高いの「東方日報」へ。
トップ記事は

「隆胸少婦送命 麻酔手術大混迷」

わかりやすい。

「強烈馬非薬鎮痛有危険」「隆胸至34吋(インチ)又嫌大」とかの記事を眺めていると、隣の人が中国語で話しかけてきたよ。


中には「今月のおすすめレストラン」のコーナーも。日本食レストランです。
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「活魚刺身」「和牛刺身・日本佐賀A5」(佐賀牛5つ星の意味か?)
などに続き店長のおすすめコーナーでは

”日本翡翠鮑魚刺身””日本珍珠龍蝦刺身”などに続いて


「日本象抜蚌」


これは?


日本の象から蛙を抜いたもの?いや最後の字は「蛙」とはちょっとちがうな(写真右)
象抜蚌はみる貝のことだとか。漢字文化圏といえどもやはり簡単ではない・・・。


◆◆◆

香港で乗り継ぎ。

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キャセイのラウンジで無料の坦々麺と点心を頂く。

ヨハネスブルグ行きの搭乗ゲートへ。

おそろいの白いキャップをかぶった中国人男性の一群がいる。観光客には見えない。

近年中国はアフリカの資源国に外交攻勢をかけている。石油や鉱物資源の供給確保の見返りにインフラ整備を請け負ったり。

つまり安い働き手を送り込む、ってことだけど労働環境は厳しいという話はよく聞く。国に家族を残して働きに出る人たち。安全でありますよう。

◆◆◆

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キャセイの楽しみは朝食の点心。シュウマイなど4種類を平らげお茶を飲んで落ち着くと機はすでに南アフリカ上空。

しかしアフリカは久しぶり。10年ぶり以上。思えば、ロックからソウル、ブルース、R&Bやジャズ、ラテンやら中東とかへと雑食性拡張症の中で、アフリカにはとてもお世話になっている。アフリカに住んだり何度も旅した事は、ジャズやラテンやR&Bを聴く上で、自分にとても面白い効果を与えているのだ。

ジャズもソウルもブルースが父なんだとか、ラテン音楽ならキューバが元だとかいう一元論がいかにバカらしいか、すごい多様性があるものを、「アフリカ」の一言でくくっちゃうことの悲しさとか、上げればキリが無い。

ひさしぶりのアフリカからまた何かを教わりたい。

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窓から広大な大地が見えてきた。

南アフリカと言えば、アパルトヘイトの過去、ダイヤモンド、サファリ、ズールやソトなどバンツー系の素晴らしい文化や音楽、それをベースにしたポップスなどなど。しかし、アパルトへイトが終わりラインが取り除かれたとは言え、白人系・黒人系の生活の差は大きい。


到着した待合室のTVではアメリカ大統領選のニュース。オバマ&マケインのナイスな画像も紹介されていた。

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南アの人はオバマの事を喜んでいると思うけど、自国へのサポートについてはいたってクールだ。ケニアの新聞ですら冷静に状況判断している。



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空港からヨハネスブルグ市内までは快適な高速が続く。
市内には、紫の花をつけたジャカランタの木が一杯だ。ムードは欧州の中規模都市にいるみたい。しかしラジオからは、若干南アなまりのアナウンスの合間に地元っぽい音楽が聞こえてくる。

さてさてどんな旅になるのか?
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by mofongo | 2008-11-09 13:08 | Viaje/漫遊記
2008年 08月 03日
パナマ 08.6-7
パナマはとても面白い。

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空港から街に向かうと、いつもの通り高層ビル街が見えてくる。やっぱ他の中米の国々とキャラが違うわ、ここは。

首都のパナマ・シティーはメキシコ・シティー、グアテマラ・シティー、テグシガルパ、サン・サルバドル、サン・ホセといったちょっと高いところにあって過ごしやすい首都とは一線を画す。湿っぽくて暑いのだ。



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パナマは「中米の国」なんだけど、地元ではそう言わない事も。「中米5ヶ国+パナマ」とか。食い物はといえば、トルティーヤだって食うけど、むしろプラタノ&お米&芋文化圏。

◆◆◆


コロンブスに早めに「発見」されたせいで、早くからスペイン人の金銀漁りの被害に会い、グァテマラやサント・ドミンゴと同様、スペインの司法・行政組織の中心(アウディエンシア)が置かれたところ。一時グアテマラの傘下に入ったけどむしろ南米側と深い関係の歴史。

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16世紀にインカを滅ぼした悪名高いピサロはこのパナマ経由で金銀をヨーロッパに持って帰ってたし。その後のパナマは「ペルー副王領」「ヌエバ・グラナダ」「大コロンビア」

の一部、つまり南米側となって、最終的には20世紀の始めにコロンビアから分離・独立。だからコロンビアと共通の風味も多い。パナマ風サンコーチョもあるし、パナマ風クンビアだってある。

◆◆◆


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アメリカの影響も大きい。パナマ運河の権益をもって軍隊を置いてたし、民間人も多くいたし、音楽を含む文化にも影響がある。

そしてパナマ運河の建設は、大量の労働力の流入を呼んで、中国人、インド人、アラブ系、ジャマイカなどのカリブ系、欧州系などいろんな民族が社会を構成するように

なってそのコスモポリタン的性格を補強しているのだ。

そんなパナマはちょっとプエルトリコと似たところあり。気候もカリビアン。"バリールとクアトロ"(ボンバとヒバロ)に匹敵する"タンボールとメホラーナ"もあるしね。

◆◆◆


今回パナマは1週間。最初はとにかくお仕事・お仕事・・・。そんな仕事の中にもワナが。

マーケティング担当のイレーネとの打合せ。美女。日本人相手は初めてなので緊張感漂う。

「・・・で、今月のプロモーションですが、どんなイベントを?」

「この商品は"強く自立して、かつエレガントな女性"をターゲットに置いてます。それなりの年令だけどそれを感じさせない女性らしさと力強さの両立。だから

それに合ったキャラクターを起用しました。丁度来月コンサートありますし。」

「ん?誰ですか?トロピカル系じゃなさそうですし、フリエータやタリアも違いそう・・。あ、エドニータ(Ednita Nazario)?」

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「!ご存知ですか!話が早いですわ。では相談したいんですが・・・・」

YouTubeでエドニータ・ナサリオのライブを見る

音楽への投資も仕事を助けてくれたりします。一挙に打合せは親密な展開に。

「・・・でね、こっちのイベントはお祭りムードを盛り上げるのに、バンドをね入れてムルガって感じで。あ、ムルガって言ってもわかんないわよね。」

「いえいえ、♪"Vamos a bailar la murga, La Murga de Panama"♪でしょ?

♪Esto es una cosa facil y muy buena pa'bailar~♪Eso Si !(それそれ)」

YouTubeでエクトル・ラボーの"La Murga""を聴く

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ね、サルサってこういうアフロ・キューバン起源とは全然違うノリのラテンのリズムを持ってきている。ウイリー・コローンの冒頭の重たいブラスもまさにパナマの「ムルガ」(ブラスを中心にしたバンド)をイメージしてる。

YouTubeでパナマの祭りでMurgaの演奏をバックで踊るの見る

そんなこんなで夜はパナマならではのショーを見に行くことに。定番のLas Tinajasへ。
◆◆◆


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パナマを代表する太鼓をベースにした音楽&ダンスが"タンボリート" (Tamborito)。

YouTubeでLas Tinajasのショーを見る。タンボリートをアコーデオン入りで楽しませてくれてます。いわゆるMusica Tipicaってやつですね。

このタンボリートは足に挟む形の太鼓(タンボール)を2つ又は3つと小太鼓のような、肩からつるして叩く太鼓(カハ/Caja)の伴奏に合わせ、男女が踊るダンス/音楽。





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タンボールはベースを刻むレピカドール(Repicador)とアクセントをつける高めの音のプハドール/プホ(Pujador/Pujo)に分けられる。その中間のものも時に使われたりす

る。

この構成はコロンビアのクンビアとかクルラオとかを連想させますね。クンビアだとタンボールはジャマドールとアレグレ、クルラオだとクヌーノ・マチョとエンブラとか呼ばれたりするけど同じ文化圏と言えるかも。でもリズムのニュアンスが違うのがおもしろいのです。「カリブの音」は色んなバリエーションがありますね。

ダンスの方も型があります。男性は麦わら帽に白の上下、または白の上と黒の下。そう、これもコロンビアのクンビアマパレやらを連想させますね。

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女性はポジェーラ(Pollera)と呼ばれるゆったりしたスカートとブラウス。このポジェーラもコロンビアにもありますが、これまたちょっと違う。
パナマのハレの場のポジェーラはPollera de laborと言われる刺繍やレース仕事のしっかり付いたのが特徴。これが踊りの場で大きく広げられるととても美しい。

ダンスの型は男性が女性を誘うよう、アピールするような動きに対して、女性が優雅にそれをかわしながら、着かず離れずで踊る。
これはボンバにもルンバにもクンビアにもクルラオにも共通にありますね。そのやりとりのパターンや気持ちの表し方が各々のダンスで違うのが楽しみどころ。


このタンボリートの伝統は主にパナマの中央から西の農業地帯や山間部にしっかり受け継がれています。カリブ側のコロンなどの町にもあり。そちらにはコンガというもう少し黒人色の強い音楽&ダンスもあり。

でもこのタンボリート、ショーでやってるから「民族芸能」みたいに思うかもしれないけど、庶民には小さい頃から日常にあるんだって。
確かにYouTubeでは中学校で盛り上がってたり、街中のかわいい女の子が堂々たる歌を聞かせてくれてる(歌は女性の役目)

YouTubeでパナマ/ペドロ・パブロ・サンチェス中学のタンボリートを見る。元気だわ。将来が楽しみ。

YouTubeでパナマ/カレンちゃんのタンボリートを見る。上手いよ。。

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中央・西部地区にはプエルトリコのヒバロやキューバのプントに匹敵するようなグリートやサロマスがあります。そして楽器はクアトロやラウーではなく、メホラーナやソカボン

YouTubeでメホラーナが伴奏するデシマ(即興の10行詩)を聴く

メロディーの特徴はプエルトリコのヒバロとは違うけど、同じスペインの農民の伝統から来てます。

ということで、Tinajasのショーはこんな多様なパナマの伝統を一挙に楽しく見せてくれました。

◆◆◆


「やっぱ、パナマにはリズムと華があるよねー」

「だからサルサからレゲトンまでパナマにはリズムがあるのよ」

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サルサならルベン・ブラデスカミロ・アスキータか。ルベンは言わずとしれたウイリー・コロンとのコンビで名盤「シエンブラ」

を生み、アスキ-タはコルティーホとの活動が浮かびます。パポ・ルカとのアルバムとかもあるし、さすがに2人共プエルトリコと縁が深い。

YouTubeでルベン・ブラデスの"Pedro Navaja"を聴く
YouTubeでカミーロ・アスキータのを聴く

レゲトンもありますね。

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プエルトリコの90年代の初期のレゲトンは、シャバ・ランクスなどラガの「デンボウ/Dembow」の強い影響を受けてますが、それはパナマのスパニッシュ・レゲエ、スパニッシュ・ラップのエル・ヘネラル(El General)を抜きにして語れない。

YouTubeでエル・ヘネラルの"Muevelo"を聴く

最近のレゲトンならEl Roockie
プエルトリコのDe la Ghettoとの共作、"Martes de Galeria"を思い出す。

YouTubeでエル・ルーキーの"Martes de Galeria"を聴く
ね、いい感じでしょ。


「じゃ、踊りにでもいきませんか?」

大変すばらしい展開。
明日のマイアミ便までには宿に戻れるのか?
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by mofongo | 2008-08-03 23:06 | Viaje/漫遊記
2008年 06月 24日
旅日記 08.6 グアテマラ-ホンジュラスで食べたもの
中米の朝飯と言えばメキシコも含め、豆のペースト"フリホーレス"、トルティーヤの3種の神器は欠かせない。それに、ケソ(チーズ)やサワークリーム、チョリソ(ソーセージ)、アボカド、プラタノなども適宜。

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まずはグアテマラ。ホテルだから庶民版より上乗せがあります。トルティーヤの代わりにチーズをはさんだケサディーヤになってます。
グアテマラのフリホーレスはやや黒い、正調あんこ系。

ジュースはパパイヤです。ほんとはアトル飲みたかったんですけどね。ホテルには無い。

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次はホンジュラス。フリホーレスが少し赤い。ここがホンジュラス。ここのチーズ/Queso Cremaも楽しみの一つです。


そしてこれもホテルだから上乗せあり。写真のちまき風の2品。中南米・カリブでおなじみ。

とうもろこし粉を練ってバナナの葉っぱで包んでゆでたもの。中南米ではタマルとかナカタマルとかタマレスとか言いますね。カリブではパステルとかパステレスとか言ってコーンの代わりにプラタノ使ったり。

右のは同じくとうもろこし粉を練ったものをコーンの皮で包んだもの。グアテマラではチュチートとか、ホンジュラスではタマル・デ・エローテ(Tamal de Elote)とかティクーコ(Ticuco)とか聞いたけど、メキシコとかでもそう言うとか聞いたし、奥が深い。


ではタマルを解剖してみます。

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バナナの皮でしっかり包んであるタマルをしみじみ眺めるているとと、中身に期待が沸いてきます。

やはり中米はコーン文化圏で、かつバナナやプラタノ文化圏と重なるものがある。このプラタノ文化圏のタンボ^-ル(太鼓)のリズム感とコーン圏のリズム感の交じり合いが中米の音だよな、とか事を考えながら(考えなくても問題ないですが)、皮をはいで見ましょう。



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じゃーん、ぷるんとした感触の中身が出てきました。なんというかヨモギ系柏餅?
中にはあんこが入っているのでしょうか。解剖を続けます。


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中身はあんこ=フリホーレスとチキンでした。なかなかいける。

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一方のチュチートはこんな感じ。味付けはほとんど無く、コーンの甘みが感じられる素朴な味。シンプルだけどゆっくり味わって食べるのが好きです。

◆◆◆


昼飯は過密スケジュールの中、会議室のサンドイッチばかり。そしてグァテマラではフライド・チキン。そうポヨ・カンペロ(Pollo Campero)です。

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ポヨ・カンペロはグァテマラに本社があるフライド・チキンのチェーン。中米各国ではお馴染み。今やアメリカのみならず中国やインドネシアにも店があるのです。KFC(ケンタッキー)やChurchと言った米系に対抗して強力な勢力を築いている秘密はやはりその味。

なお中米ですのて名前はポジョ・カンペロ"ではなく"ポヨ"と言う方がかわいいです。

中米各国はアメリカに出稼ぎに出ている人が多く、その送金が国の経済を大きく支えている。例えばエルサルバドルだけでもカリフォルニアに数百万人が住んでいる。

その人たちが里帰りして、またアメリカに戻るとき、つい買って帰っちゃうそうだ。(LAやTXにもあるのだけれど)

だから例えばLAの空港でTACA航空(これもエルサルバドルの企業で中米ではCOPAを並ぶ大勢力)のタグのついた荷物をもって、ポヨ・カンペロの大きな袋をぶら下げたやつがいたら、そいつは間違いなく中米人だ、なんて笑い話もある。

◆◆◆
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今回の旅、いつものダラスの本屋で捕獲したのは"La Otra Cara de America"(アメリカのもう一つの顔)。著者のホルヘ・ラモスは"ウエット・バック"(メキシコからの不法入国者)で、アメリカのヒスパニックTV最大手ウニビシオン(Univision)のニュースキャスターとなり、ラテン・アメリカと米国の関係にコミットするようインタビューや著書で有名。

この本も、メキシコ移民の話から、キューバ移民、プエルトリコ移民、中米移民、ドミニカ移民、コロンビア移民やスパングリッシュの事などなどを書いていてとても面白い。軽いエッセイで読みやすい。

特に最後の章「2059年のアメリカ」という章はヒスパニックが人口の過半数となるアメリカをユーモアを込めて書いてあり笑えます。


と言うことで、アメリカに出稼ぎ中、移民中の中米各国の人たちの事を考えながら、でかいピースにかぶりついたのでした。


◆◆◆
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夜はイタリアンだったり肉だったり、あまりユニークなもの遭遇せず。(写真はMar y Tierra。英語ならSurf and Turf。海と山の幸ってことですね)





唯一絶妙に旨かったのは、ホンジュラス/サン・ペドロ・スーラで食べたカルパッチョ風"さしみ"

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特に手前の白身はオリーブ油、バルサミ酢、ニンニクを揚げたもの、しょうがのきざんだもののバランスが絶妙で絶品。やはりシーフードを扱いなれたサンペならではかも。

さて、次はサンペのリズムを聴きにいかねば。

(続く)
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by mofongo | 2008-06-24 07:33 | Viaje/漫遊記
2008年 06月 24日
旅日記08.6 グァテマラ
また中米のどさ回り開始。
なんか今回は宴会がきつい。睡眠時間は大体7時間弱。但し3泊合計で・・・
夜はお客と韓国焼肉食いに行って、それから飲み会だし。日本みたいだ。


とは言え、飲むところにはダンスフロアが付いてて、大変ラテンな作り。

中米の踊り場所、それもお客と行くような場所はどちらかと言うと音楽の混合度が高い。
サルサだけ、レゲトンだけなどいうパターンでもなく、トロピカルとポップスの混在に遭遇すること多し。

たとえばA.B.Quinitanilla & Kumbia Allstarsの"Por Ti Baby"の後にビクトル・マヌエルの"Si Nos Duele"がかかり、Kat de Lunaの"Como Un Suen~o"、流行ののKany Garciaの"Que Nos Paso"がかかり、アレクシス&フィド feat. トビー・ラブの"Soy Igual que Tu"という具合。さすがにここでRBDがかかることは無いけど。

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→YouTubeでA.B.Quinitanilla & Kumbia Allstarsの"Por Ti Baby"を聴く。



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→YouTubeでVictor Manuelleの"Si Nos Duele"を聴く。




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→YouTubeでKat de Lunaの"Como Un Suen~o"を聴く。




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→YouTubeでKany Garcia の"Que Nos Paso"を聴く。




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→YouTubeでAlexis y Fido ft. Toby Loveの"Soy Igual Que Tu"を聴く。


しかし、問題は音楽の混合度ではない。飲料です。

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客「地元のGallo(グアテマラのビール)で乾杯の後は、そうですね、まずテキーラで行きましょうか」
モ「"まず"ですか」
客「いや、地元のラムに行く前にお隣の国のテキーラも悪くないでしょ。テキーラは"Cuervo"ばっかじゃ無いんですよ」
モ「はあ、いきなり一気のマッチョ飲みですか?」
客「いや、こいつはゆっくりすすってください。チェイサーはサングリータを用意しましょう」

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うーん、Don Julioの10年もの。いやー、深い。うまいわ。
モ「ね、このサングリータ、トマト・ジュースは入ってませんが」
客「いや、ここの店は入れないのです。その代わりスパイスの調合が難しいのですが」
モ「そうですか。いやー、ぐびぐび」
客「ははは、ぐびぐび」

・・・・
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客「では次は地元の名品、”ロン・サカパ”の古いのを」
モ「好きなんです。ぐびぐび」
客「ははは、ぐびぐび」



・・・・
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客「ラムがお好きなら、ニカラグアの名品"フロール・デ・カーニャ"の古いのにしましょう。」
モ「ぐびぐび」
客「ははは、ぐびぐび」
・・・・

やがて話は下ネタに。
客「・・・・・いやー、その話は下らないですね。すばらしい。あ、もう酒がありませんね。ではテキーラに戻りましょう。」
モ「・・・・」

◆◆◆
宿でベッドに倒れこみ、2時間寝て起きる生活。このような3日間が過ぎました。
高地にある中米の首都の人たちは、海沿いの人たちに比べ比較的おとなしいのだけれど、

しかし、これでおとなしいかぁ?

さて海側では何が待っているのか・・・。

(続く)
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by mofongo | 2008-06-24 00:29 | Viaje/漫遊記
2008年 03月 16日
プエルトリコ '08.3 (5) Beach & Basketball
i(前夜より続く)

ああ眠い。どうやって部屋までもどったのか良く覚えてない。なにやってんだか、あぶないな、こいつは。

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まだ10:00amか。日曜だしもっと寝ておかないと。でもまだ時差ぼけで体内時計が狂ってるのか眠れない。うー、頭重い。また無理して浜でも走るか・・・。それともそれは自殺行為?

とりあえずCDとヘッドフォンと捕獲CD数枚、ペットボトルとショーツにサングラスにキャップで飛び出す。アッシュフォード通りから病院の裏までへろへろ歩き、それからゆっくり浜を走る。サングラスしても目が痛い日差し。


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BGMはWisin & Yandel 2010 Last Edition。なんとなく体に血が回ってくる(気がする)。水を飲むと一気に汗が噴出す。
まだ、ラムが残ってる気もするけど、レゲトンのリズムがなじんでくる。巡回中の騎馬警官と挨拶。無理してもなんか食ったほうが良いんかな。

オーシャンパークの手前で住宅地に入り、目指すはパナデリア・カサルタ


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いつもながら混んでいる。お決まりのキューバン・サンドイッチ、今日は"Bistek"に。
Bistekはビーフの薄切りを焼いて、細かく刻んで揚げたポテトが挟んである。このカサルタのポテトはパン粉のように細かいが、決して揚げすぎてなくて美味い。それにビーフの量もしっかりずっしり。




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持ち帰りにしてもらい、オーシャンパークまで走る。横目で眺めるのはティト・ロドリゲスが住んでいた家。屋根が和風ですね。ファンは良く知ってる通り、奥さんが日系だったからなのです。

CDをイスマエル・リベラにする。裏の大通りこえた先に住んでたマエロ。




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浜には家族連れや若いグループ。パラ・サーフィンを楽しむ兄ちゃんも。
オーシャンパークの浜はコンダードに比べて若い。コンダードは観光客中心だから、けっこうおじいちゃんとか。
でもこちらの平均年齢はぐっと下がるので大変目の保養すね。

浜に陣取ってパンの包みを開く。がぶり。ああ、幸福。

ゆっくり食べて、浜にごろり。もう12:00だから焼いても30分が限界だな。目をつぶると波の音、人の声、椰子の葉の音、全てが音楽。

"♪~Pastelillos, calientitos, bacalaitos, acaplitos~♪
おお、スナック売りのプレゴン(物売り歌)!かっこいい、3拍+3拍+3拍+4拍の繰り返し。ずっとドの音で最後がソにあがって終わるメロ。
韻も踏んでて、おっちゃん素晴らしい。

"♪~Hay Agua fresca bebida~♪

今度はおねーちゃん、ウーンなんて素晴らしい。

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とかやってると、もうヒリヒリしてきた。まずい、上がらねば。

宿にもどって鏡を見ると、げッ、真っ赤!まずいなあ、これは数日後顔が剥けるよ。
反省して、仕事モード。溜まったメール、これまでのレポ、仕込み・・・・

あんだかあっという間に夕方。なんかちゃんと腹に入れとかなきゃ。どうするか?そうだ、久しぶりにピニョネスに行こう。

◆◆◆

ピニョーネスはイスラベルデから東方、ロイサへ向かう道筋の海岸。
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サルサ好きなら知ってのとおり、ロイサ方面はプエルトリコのブラック・ヘリティッジを擁する場所のひとつ。
さっきのオーシャンパークがホワイトなアーバンな青少年の浜だとしたら、ピニョーネスはブラック/アフロリカンな浜なのです。

イスラベルデのマリーナを越えて片側1車線となったところで、サウンド・システムを積んだピックアップが入ってくる。そして大スピーカーから流し始めたのがテゴの曲。うーん、出来すぎ。

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"Loiza市"に入るところで渋滞でストップ。道の脇には炭火でバカライートやアルカプリーアを揚げる小さな店(キオスコ)が立ち並び、店の前に座ってるアフロなばあちゃん2名がテゴの曲にあわせ頭を振っている。なんとピニョーネスな風景。

キオスコやレストランの固まっている場所を抜けてしばらく走る。やがて人気のなくなったところで車を浜側に停めて、海岸に下りてみる。自然のままの浜。少し煙った遠くの風景を見ていると昔住んでいたアフリカの浜を思い出した。

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浜に座って、流木を小枝で叩く。ボンバのクア代わり。そしてロイサのボンバのスタンダード、"Rule Sonda"や"Yuba la Marile"を口ずさんで見る。

♪Rule, rule rule sonda, repicame la bomba rule sonda♪~

気づいたら、後ろで地元のアフロなガキんちょ2名が不気味な顔して遠巻きに見てた。
「ボンバ、好きなのですが」と言ったら笑った。

調子に乗ってボンバのステップもやったが、大人が来たので恥ずかしいからやめて車にもどる。

◆◆◆

ピニョネスでボンバとかライブが聴けるとこに行って見ることにする。でも、日曜だからやってないと思うけど。
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一つ目は、ボンバだけでなくサルサやってたりする名店 Balcon de Zumbadora
やはり閉まってた。ここで赤木りえさんとかも地元勢に混じって演ったりしたんですよ。楽しかっただろうなあ。
今月下旬のプエルトリコ・ツアーでもきっと来そうですね。

もう一店はIMAN de CUCU。Balconよりもう少しイスラベルデ寄り。こちらも日曜日はお休み。


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キオスコで腹ごしらえ。日本人なんて珍しい地元の中学生?たちがチノ、チノと指差してるので、ハポネだよ、と声かけて好きな音楽は何か聞いてみる。
やっぱ、レゲトンなんだよなあ。ちょっとサルサもいたし、ボンゴ叩くやつもいた。


腹も一杯になったし戻ることにする。夕日が沈むのを見て、椰子の木のシルエットを見ながら渋滞の道をトロトロ走るのも良いもんです。

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ラジオをひねればZ-93では日曜の6:00pm-8:00pmは"Pura Bolero”って番組。もうボレロだけティト・ロドリゲスからチェオ・フェリシアーノダビリータからイスマエル・リベラ、ティト・ロハス、エクトル・ラボー、フランキー・ルイス。ひたすら渋滞中をいいことにカラオケ状態。

そしてラ・セレクタの"Payaso"がかかった時には窓全開で湿った空気を車の中に充満させ、ボリューム・アップ。暗くなったピニョーネスの道にパヤソが響くとはなんと美しいことか。

ようやく8:00pm過ぎて渋滞を抜ける。ラジオを98.5 Sal Soulに切り替えると今度は9:00pmまで"Salsa Romantica"。ラロのハードで甘い歌が飛び込んでくる。
そうか、日曜の夜はボレロ、そしてロマンチカなんだなあ、来週に備えて週末最後の夜は歌を楽しむ訳だ。

そんな島のテンポにあった音を聴きながら、来週から戦うラテン親爺達の顔を思い浮かべた。
◆◆◆

翌週4日間はひたすら仕事・・・・。
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「モフォさん、では仕事はこれくらいにしましょう。明日島を出ることだし、今晩、飯はどうですか?その前にちょっとリラックスな企画も」

連れて行ってくれたのは20号線を南に下りグァイナボのスタジアム、Coliseo Mario "Quijote" Morales。
バロンセスト(バスケットボール)です。今日はホームのサントゥルセのカングレヘロス(Cangrejeros)とハファルドの「カリドゥーロス(Cariduros)」との戦い。良い試合になりますよ」

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実はバスケのナマ試合は初めて。でもリングすぐ前の席なのでPFやセンターの切り込み、争い、リバウンドの奪い合いなど迫力たっぷりで楽しめた。

散々応援したのだけど、残念ながらホーム側のカングレヘロスは88対84で負け。。。




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さて面白かったのゲームだけでなく応援。サントウルセ側にはプレーナ軍団がいるのだ。攻める場面ではパンデレータがパンパン鳴りトロンボーンが炸裂。

ハーフタイムにはコート中央に出てきて、プレーナの演奏で皆を楽しませる。




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あれ、この親爺の声とスルドの組み合わせは!と思って試合後バンド名を確認するとやっぱりBatukealo!

さすがプエルトリコ。そして途中サルサ(ビクトル・マヌエル/Dira ella)とかかかるし、面白かったのは、相手の反則があったりして抗議の場面になった時。プレーナ隊が、「ドンツクドンツク」とビートをたたき出すとすぐに観客が

"pa' fuera pa' la calle! pa' fuera pa' la calle!"と歌いだす。

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あはー、El Gram Combo "No Hay Cama Pa Tanta Gente".
グラン・コンボの曲じゃ「クリスマスにペレス・プラードやらジャジョ・エル・インディオが来てセリアが来て・・・こんなに来ちゃ寝る場所ないよ、外だ外だ!」って曲。要は出てけ!退場!ってことだね。

さすが定番のヒット曲。みんなの中に生きている。
こんな風にプエルトリコは音楽と生活が溶け合っているのだ。

(続く)
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by mofongo | 2008-03-16 14:17 | Viaje/漫遊記
2008年 03月 15日
プエルトリコ '08.3 (1) 鰹たたき & Viera Discos
マイアミ経由サンファンに到着。
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恒例のタクシーのラジオ占い、最初の曲はオルガ・タニョンのメレンゲ。えーと、これは新譜の"Exitos en 2 Tiempos"から「Hoy Quiero Confesarme」。バラード版、クンビア版もあるけど、やっぱりメレンゲがいいなあ。

宿に入りメールをチェックし、お客へ直行。夜は宴会と続く。
お客は、昨年秋に来日したペペ。ラリー・ハーロウを一緒に見に行って盛り上がったサルセーロ。

ペ「モフォ!週末の予定は?日本じゃ世話になったしよかったら海に行かないか?新鮮な魚でもてなすよ。」
モ「そりゃありがたい。じゃ土曜は朝8:00出発で」

◆◆◆

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サンファンから西に快調に飛ばして一時間半。ルイシート・カリオンの住むアレシボを過ぎ、ビクトル・マヌエルの住むイサベラを過ぎ、
ラファエル・エルナンデスの故郷アグアディージャの手前を曲がって浜に下りてゆく。久しぶりのクラッシュ・ボート・ビーチ。昔は良くダイビングに来たなあ。


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さっそくビールと揚げ餃子というかパイというかエンパナーダを買って乾杯。エンパナーダの中身はカルーチョ、つまりコンク貝だ。店のラジオはマヤグェスのサルサ局に合わせてある。



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「Ahora seguimos el papa de la Salsa ~Frankie Ruiz con Tommy Olivencia, su exito del an~o 1983 Como Lo Hacen!~♪」

あー、マヤグェスのラジオ局でフランキーを聴くのは格別だなあ。プハー。ぺぺも飲酒運転になるけど、まあいいか。少しのんびりしてから、浜の魚屋に行く。ここの親爺はペペのアミーゴ。一昨日巨大なサメ(Tiburon)があがったとか。

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親爺「もう、尻尾しか残ってないけど見るか?」

冷凍庫を見せてもらう。お、でかい。全長は3-4mくらいか。襲われたらパックリな大きさ。ウイリー・コロンの「ティブロン/Tiburon」、マルビン・サンティアゴの「ティブロン・デ・アグア・ドゥルセ/Tiburon de Agua Dulce」が頭で鳴る。プロジェクト・ウノの「El Tiburon」もあるな。

Willie Colon & Ruben Bladesの"Tiburon"を聴

Marvin Santiagoの"Tiburon de Agua Dulce"を聴

Proyecto Unoの"El Tiburon"を聴

Alexis & Fidoの"El Tiburon"を聴

親爺が今朝取れた生きの良いのを見せてくれる。カツオ(Atun)、タイ(Red Snapper/Chillo)、ドラド(Dorado)などなど。うーん、どれもうまそう。
カツオはたたきにしたいもんだ、とペペに言うと、じゃそれも料理しようということになった。

◆◆◆

高速をぶっ飛ばして帰り、途中でライム、にんにく、しょうが、プラタノ、レタスなどを仕入れる。
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ぺぺの家に到着。ペペはレッド・スナッパーを、こちらは鰹を担当する。柵に下ろして、塩をして表面を焼き、冷水で冷やす。一方、ライムと醤油でたれを作り、にんにくと生姜で味を調える。簡易版だけどしょうがない。一方、ペペはチージョをにんにくとバターでソテー。奥さんがトストーネスを付け合せに作ってくれる。

じゃーん!

鰹のさしみ&タタキ&トストーネスの日プ共同のコンビネーション。いただきます。お、新鮮でうまいじゃん。白ワインも進む。
という事ですっかりいい気持ちでソファーでまったり食後の音楽。

あ、そうだ4:00頃ビエラの親爺のとこ行くことになってたのを忘れてた。
という事でぺぺに送ってもらう。ありがと、ぺぺ。

◆◆◆

さて3ヶ月ぶりの親爺の店。

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「お、来たか」
「親爺、この度はサルサ国民の日の表彰おめでとうございます。日本からちょいとお土産のTシャツなんぞ持って来ました」
「まあな。月末のコンサートまで居たらどうだ」
「バカ言ってんじゃないすよ。ムリムリ、これでも仕事で来てるんだよ。では、ちょっくら音盤探させてもらいます。」
デスカルガ・ボリクアボビー・バレンティンの新しいの、まだならもってけ」

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今日4:00pmに待ち合わせたのは親爺との待ち合わせじゃなくて、コロンビア人のコレクショニスタ、イスラエル・サンチェスと会うため。
イスラエルとは彼のウエブサイトHerencia Latinaで知り合った。バランキージャの出身だけどプエルトリコに住んで、サルサを愛し続けている。

「あんたモフォンゴ?」
「Si! イスラエル! 会えてうれしいよ。サイトにはお世話になってます。」

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ひとしきり、最近の新譜や噂話をしてると、お、またロサリオ師匠。こんちは。
「おお、元気か?またプエルトリコ音楽の探求か」
「また面白い話聞かせてくださいな師匠。それから日本にはなんとか来て下さいよ」
「わかった、わかった。じゃ今日はNYでアル・サンティアゴのとこで世話になってたころの話でもしようか」
「良いすね。ではその前に親爺と1枚。

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丁度、Latin Beat誌の今月号に師匠のNY時代の写真が出てる。
「師匠、ぜんぜん変わりませんね」
「ははは、そうだな(何が言いたい?)」
(写真はマチート、グラシエラと共に。)



店の常連のサミーとイスラエルが今晩飲みに行くからどうだ?って誘ってくれる。ありがたいね。
じゃ今晩、NUYORICAN CAFEで。

「じゃ親爺、Dia Nacional de la Salsaには行けないけど、日本で拍手してるよ。元気でね」
「おお、お前もな」

(続く)
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by mofongo | 2008-03-15 02:10 | Viaje/漫遊記
2008年 03月 05日
マイアミ 08. 3 (3) 経済誌いろいろ
働いてる振りをするのには、PCの前で難しい顔をしたり、経済誌を読む振りも効果的。なので、旅先では地元の経済誌を購入し気になる記事からレポートを書いたりします。次の目的地に着くまであまりにやることないし、じっくり読んで見るか。

【Economista】ラテンアメリカの経済誌。西語。
【Hispanic】 アメリカ発行の一般誌。英語。
【Latin Trade】アメリカ発行のラテンアメリカ・ビジネス誌。英語。
【Estrategia Negocios】中米に強い経済誌。西語。
【Latin Finance】ラテンアメリカに関する金融商品、投資の専門誌。西語。
【Summa】中米に強い経済誌。西語。

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創刊15周年のLatin Trade誌に15年前とのカリブ・中南米の経済指標の変化が出てたけど、さすがに押しなべて改善している。
中でもパイパー・インフレの収束は印象的。一人当たりGDPは倍くらい。でも一日1ドルで生活している人の数の増加率は、人口増の比率よりは低いけど、47百人もいる。一方でウオルマートの店舗数は100倍と、都市部の生活が変わってきていることも分る。

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一言でとても言えないが、アメリカとであれ、域内であれ、経済の相互依存関係の多様化や深さが出来たきたせいで、急激な乱高下の原因となる、薄く単一的な経済構造が変わってきたように思える。

Negocios誌の「2008年のラテン・アメリカ」特集で指摘があるように相変わらず富の偏在・貧富の差や治安、健康、教育、環境と様々な問題が山積みである一方、各地域の安定傾向により地元経済は着実に力を付けている。

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少しでも良い生活を、と思う気持ちはいずこも同じ。とは言え日本よりインフラや貧富の差、差別、教育問題などがはるかに厳しいラテン・アメリカでは、頑張る人々も簡単ではない。

その中で、マクロ的にはLatin Finance誌が特集するように、金融投資も増えているし、また各国のアメリカへの出稼ぎによる本国への送金が、国の外貨収支と国内の経済を改善させている。Summa、Negocios両誌が取り上げているパナマのように、バブルといえるかもしれない不動産ブームでビルがにょきにょき建っている国もある。
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もちろんEl Economista誌の特集のように、アメリカの景気失速がラテンアメリカへの送金や投融資を減少させたりする懸念は大きい。ブッシュ政権の移民制限法は未だに各国で注視の対象だし、今盛んなアメリカの予備選から今後政策がどう変わるかは常に新聞のネタだ。

そんな中でアメリカも変わりつつある。クリントン・オバマの戦いの中でヒスパニック票の行方の重要性が報道される通り、アメリカ内部でのヒスパニックの力は今後のアメリカとラテン・アメリカの関係に変化をもたらす一つの大きな要素となっている。
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Latin Trade誌やHispanic誌が取り上げるように、アメリカのビジネス・リーダーの中にヒスパニックはどんどん増えている。特集の中に取り上げられている人を挙げれば、マクドナルドのCOO、ATTモバイルの会長、コダックの会長・・・と言った具合。






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ビジネス誌の一角にヒルベルト・サンタ・ロサのインタビュー記事があるのは、ヒスパニック・ビジネスマンの読者が聴いている現実があるからだろう。そんな人たちがアメリカや中南米のビジネスを支えつつある。

◆◆◆


こんな話、なんだか似合わないがこんなこと考えたりするのは、音楽と社会や経済との関係にある。もちろん平和ボケしてるやつのたわごとなんだけど。

生きるか死ぬかの切迫した状況じゃ音楽なんて余裕はない。でも幸せ一杯・飽食の中じゃ音楽のパワーも衰退する。
歴史を紐解くと時代や場所によっていろんなものが世の中を引っ張ったり変えたりして、その中で音楽が生まれたり死んだり、時に音楽が世の中を引っ張ったりする。

リアルでうそのない音楽は、そこの空気の匂いがする。でも、ラテンに住民票を持ってない自分にはその空気の匂いを区別できてるかどうか分かりはしない。だから、音楽とは直接関係ない所でも、触れられるところには首を突っ込み、想像力を働かせて、少しでも匂いに近づきたい、とか思ってしまうのかもしれない。(←遊んでる良い訳では??)
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by mofongo | 2008-03-05 10:35 | Viaje/漫遊記