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2006年 08月 31日
週末のコンサート:"Duelo al Anochecer"
夏休みも終わって明日から9月。島は既に8月末からBack-To-School。ビーチのレゲトン・パーティーからサルサのコンサートへと季節は移る。

金曜日のアンフィテアトロ、夜8:30は久しぶり(4年ぶり)の"Duelo al Anochecer/真夜中の決闘"シリーズがたっぷり楽しませてくれます。

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なんだ、それ?って? このシリーズ、サルサのソネオのボクシングなんです。ソネオはその場でどんどん歌詞を作って、その場に合ったことを歌いこんで行く即興のワザ。それもきれいな韻を踏んだりするからすごいね。
「♪今日はこのカロリーナ、皆の前で歌えてほんとに幸せだ。俺はほんとにボリクア、生まれたことを誇りに思う~♪・・」とかよくありますね。


そのソネオの名手が二人でステージでやりあうのがこの"Duelo al Anochecer"シリーズなのです。
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プエルトリコではヒバロの歌い手(トロバドール)が韻を踏んだ歌(デシマ)で二人ステージで競い合う「コントロベルシア」「コンクルソ」があるように、伝統の力は強い。ソネオがちゃんと出来ないと「ソネーロ」とは呼んでもらえない。

オルケスタも臨時編成なんだけど、つわものぞろいでばっちり聴かせて、踊らせて、
"improvisando, guarachando, soneando con sabor y sentimiento"って事になるでしょう。行きたいなぁ。

◆◆◆

フロントの歌い手は6人。1対1のバトルで3組がソネオで競い合う。
先ずは、フランキー・バスケス ミゲル・アンヘル・ロドリゲス
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フランキー・バスケスといえばニューヨーク、エル・バリオですね。最近の作品ではまず「スパニッシュ・ハーレム・オーケストラ」かな。エルマン・オリベラの後に参加したリブレでの作品はいいですよね。そうそう、ジミー・ボッシュのとこのも、どれも好きだなあ。ロス・ソネーロス・デル・バリオ、そしてリッキー・ゴンサレスの"Oasis"での歌も良いです。

ミゲル・アンヘル・ロドリゲス"El Canito de Sabana Seca"ってニックネームの通り、サンファンの西、バヤモンの北の庶民の町レビタウン/サバナ・セカでブイブイ鳴らした歌い手。最近ウイリー・ロサリオのオルケスタにも参加していたことあります。NY対PR、きっとサボール満載のソネオ合戦となるでしょうね。

そしてペドロ・ブルル 対 ピッチー・ペレス
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重量級ペドロ・ブルルはムレンセ、そして数多くのコロに参加。ソロ・アルバムもナイスです。
あの大きな体から出るやわらか・厚目の声が魅力ですね。





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対するはラ・テリフィカソノーラ・ポンセーニャのピッチー。マラカスとコロの仕事も多い。こちらのほんと色んなところに参加してます。ピッチーは全体的にすらっとした体型でシャープな声。

コロに呼ばれるってことはうまいってことですが、やっぱり真ん中で思いっきり歌う方が気持ちいいもんね。この日は思いっきりソネアンド!
声のタイプが異なるこの二人のバトルも面白そうだなあ。

最後はドミンゴ・キニョーネスエルマン・オリベーラ

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ドミンゴ・キニョーネスもソネオうまいですよね。やっぱ、若いころにクラシコエル・カナリオでコロやって、ペリーコ・オルティスで鍛えられた上でソロになってるし、真面目だから練習積んだんでしょうね。それにキャラも強いからRMMのコンサートなんかのソネオ対決じゃ、ティト・ニエベスとかトニー・ベガとかつわものに「負けないぜ」っていう気迫が感じられましたし。

ここ数年、ドラッグでディープだったけど、またライブに出ることが増えてきたし、レゲトンとのコラボも積極的にやってるし、ドミンゴ、いよいよ始動かな!


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対するエルマン・オリベーラは、リブレ、エディー・パルミエリ、ジミー・ボッシュ、プレネーロス・デ・ラ・21まで実にニューヨークな活動ですねぇ。フランキー・バスケスの盟友。
パルミエリのところで聴いた彼の変幻自在のソネオはほんと素晴らしかった!そして先ごろはThe Palladium OrchestraでNYマンボ!いいなあ、この人。

オルケスタのメンツはトロンボーンがトニート・バスケス、ビクトール・バスケス、トランペットが
ピロ・ロドリゲス、エリオット・フェイジョ、チャーリー・セプルベダ、ベースがロベルト・ペレス
、ピアノはトニー・カストロ、ティンバレスはエドウィン・クレメンテ、アルベルト・ムリエルのボ
ンゴ、ジョージー・クラスはボンゴとバンマス。コロはチェギ・エンカルナシオン、ヘンリー・サン
ティアゴ、マニー・マルティネスと手堅い布陣。

野外だから星空のの下でビール飲みつつ、通路脇で踊る人あり、リラックスして聴く人あり、いっしょに歌うやつありの風景が想像されます。ソネオのワザを聴きながらまったりとしたいものです。
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by mofongo | 2006-08-31 23:32 | Musica/SALSA
2006年 08月 30日
トニー・ベガ、久々の新譜 "Que tire la piedra"
トニー・ベガ。大好きなサルサの歌い手です。でもここ数年年アルバムを出していなかった。
それが、久々に新譜なんです!"Que tire la piedra/Tony Vega"(AP Records)
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一度だけ話した事があります。サン・ファンのBellas Artesでのコンサートだった。b>Aparentementeがヒットし、"Dejame Son~arがヒットし、そしてSi me miras a los ojosが大ヒットしてる頃。あのアルバムの"Dices"が大好きだった。

第一部と二部の幕間にロビーに出てきて、観客と話し、握手やサインしてくれた。
すごく誠実な感じで思わず「あなたの様なスターがこんなに気さくに接してくれるなんてびっくりです」って言ったら「僕はただのヒバリートだよ」って答えた。
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トニーはプエルトリコの南部・サリナス生まれ、両親はシアレスっていう正にヒバロな町の出身。彼がプエルトリコの良心、純朴なヒバロだっていうのは納得。

アメリカ本土に引っ越した10代にはロック・バンド組んだりだけど、やっぱりボリクアの血は争えず、コルティーホやイスマエル・リベラ、エル・グランコンボに惹かれサルサの道を走る。


そしてご存知ラフィー・レアビからウイリー・ロサリオのオルケスタでスターに上り詰めたわけで、ヒルベルト・サンタ・ロサとロサリオ楽団の二枚看板で走った時期はほんとに素晴らしい時代。"~♪cambia el paso, busca el ritmo~"
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二人は独立してソロになるけど、ヒルベルトの野心的なキャラと、優しく人の良いトニーの対比は作品にもモロに表れてた。上のロサリオ時代の写真でも、ヒルベルトはずんっと前だもんね。それに比べて一番後ろでにこにこして立っているトニーのキャラ!

そんな天然で繊細な性格のトニーは、クリスチャンとしての信仰を中心とした生活に傾いていった。

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プエルトリコは元々カトリックの信仰が厚いところ。葬式仏教徒+なんにでも神は宿ると感じるいいかげん神道の自分にはプエルトリコの人の思う「神」ってどうなのか分かりはしないが、身近にいる「神」を話す人が多かった。

ドラッグ問題がどんどん悪化して、社会が殺伐とした頃からエバンヘリスタ(エバンジェリスト)とかバウティスタ(バプティスト)とかのプロテスタント系の教会も規模が大きくなってきた気がする。

アメリカ本土のゴスペル教会のように、さすが音楽好きなプエルトリコ、教会で歌を歌うのは皆とても好き。一度、カロリーナの某大教会の日曜ミサに連れて行ってもらったとき、皆音楽を本気で楽しんで歌っていたのを思い出す。

当然、サルサで神を称えたりする教会もある。リッチー・レイやエル・ブラボーなどの大物ばかりでなく、草の根のクリスチャン・オルケスタにも上手いのが一杯いた。オルケルタ・ケルビンとかオルケスタ・ラ・フェとかかっこよかったなあ。サルサの層が厚いんだよなぁ。

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サン・ファンの西の方にドラドっていう町があるが、そこにはクリスチャン・サルセーロ御用達の教会があった。ボビー・バレンティン、トロンボーン/アレンジャーのクト・ソト・・・ここの信者だった。そしてトニー・ベガも。

そんな中でフロリダに居を移したトニーは歌手の活動はずっと続けていたが、ここ数年は不調、不調、不調・・・。4軒あった家も車も手放しというキビシー生活だったという。でも信仰が彼をしっかりささえてくれたんですね。
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ヒルベルトのような押しの強さもなく、実力はたっぷりあるのに不器用な生き方しかできないトニー。これもプエルトリコらしくて・・・。

新譜はサルサ中心だけど、しっとりしたボレロ、そしてレゲトン調にもしっかしトライしてるとか。

早速手に入れて彼が元気にやってるのか確かめたい。
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by mofongo | 2006-08-30 22:29 | Musica/SALSA
2006年 08月 29日
ラファエル・イティエール 祝80歳!
8月29日はプエルトリコの宝、そしてサルサの宝、エル・グラン・コンボ・デ・プエルトリコのリーダー、ラファエル・イティエール80才の誕生日。プエルトリコのサルサのファンは是非エル・グラン・コンボの曲をかけて祝いましょう。

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島では既に先週の土曜に誕生祝いのイベントが開かれてます。イスラベルデのエル・サン・ファン・ホテルにて170人が集合。

夜9:00主賓のラファエルが到着。実はドン・ラファエルにはパーティーの事は知らされてなく、「サプライズ」企画。家族のお祝いだと思って、ホテルのホールのドアを開けて、みんなが集まってるのを知ったラファエルはビックリ。「やられた!」というのがやっとだったとか。

ドン・ラファエル、たしか数ヶ月前に声帯をやられて手術してるんです。でも、パーティー当日は元気一杯。「いや、もう体調ばっちり、今までどおりよ。仲間のバンドがいて、いや仲間なんてもんじゃないな、兄弟だ、グラン・コンボは俺たちの人生の魅力そのものってとこだな」

b0015362_2125220.jpgその夜の為に組まれたバンドは"Ojas Blancas"でドン・ラファを迎え入れ、"Un Verano en Nueva York""Que me lo den en vida"と続ける。

そして秋には発売予定の新譜に収録予定の"Homenaje a Rafael Ithier""Arroz con habichuelas"も。
すごいね、80才で、グループ引っ張って新作も出すって。

チャーリー・アポンテ、ジェリー・リバス、パポ・サンチェスやエル・グラン・コンボのメンバーは勿論のこと、ピアノはドンの代わりにウイリー・ソテロそして、ホセ・ルーゴも。ペルーからエバ・アイジョンも参加
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事あるごとに「グランコンボに入りたい」っていっていたヒルベルト・サンタ・ロサは、「招待されてほんと光栄だよ。ドン・ラファエルは自分にとって先生、音楽の父だからね」とのコメント。

「いやー、死にたいわけじゃないけど、今ここで死んだら世界一の幸せもんだよ」と喜ぶ、ドン・ラファエルはサンファンのプエルタ・デ・ティエラ生まれて、リオ・ピエドラスで育つ。下町だねえ。

10才で最初の楽器、ギターを始め、ご近所のコルマード(一杯飲み屋というか立ち飲みカフェというか、軽食屋というか、雑貨屋というか)で当時の金で一日30セントの小銭を稼いでたっていうから、さすが。

15才でConjunto Hawaianoに参加、そこでトレスやベースを覚え、いくつかのグループでトレスやベースを弾いていた時に、ピアノを習い始める。徴兵により2年間の軍隊生活の後、
NYでThe Borinqueneers Mambo Kingsに参加。かっこいい名前だなあ。ボリンケニアーズ・マンボ・キングス!

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そして島に帰ってコルティーホのコンボに参加。右の写真はその頃の写真。ほら真ん中でトレスを弾いているドン・ラファエルが見えるでしょ。

しかしコルティーホ、イスマエル・リベラがドラッグで捕まってしまった為、バンド・メンバーで1962年、エル・グラン・コンボを結成となるわけです。バンドのデビューは 1962年5月26日、バヤモンの"Rock'n Roll Club"。これまた、素晴らしい名前ですね。つい最近まで、サンファンからバヤモンへ通じる2号線沿いに、その建物の跡がありました。そのクラブは名前を色々変えて続き、島の各時代のサルサを支えたのですが、その話しはまた別の機会に。

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で、前も書きましたが、1962年はローリング・ストーンズのデビューの年。1962年はロックンロールがある種の転換期だったころな訳です。島では、グリンゴのはやりモノのRock'n Rollも聴き踊るが、コルティーホのコンボからグラン・コンボも聴き踊るわけです。こういう所が、プエルトリコという島が音楽の深さをもつポイントだと思います。

そしてエル・グランコンボは40数年の間、フロントが変わろうと、メンバーに少々移動があろうと、プエルトリコのトップ・オルケスタとしての地位は揺るぎもせず、サルサというのは「アフロ・キューバン」ではなく「アフロ・アンティジャーナ」であると言う事を、よーく知らしめてくれているのです。

まだまだ頑張ってもらいていですね、ドン・ラファエル!Felicidades!
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by mofongo | 2006-08-29 22:47 | Musica/SALSA