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2007年 02月 14日
エル・グラン・コンボ中南米ツアー/ パナマのカーニバルへ
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エル・グラン・コンボ、この道45年。

以前も書きましたが、ローリング・ストーンズと同じ年に結成。残念ながらキースが倒れた為、演奏活動は中止のストーンズですが、エル・グラン・コンボはまたも来週からツアーに出ます。

ミックやキースは1943年生まれの65才だけど、グランコンボのリーダー、ラファエル・イティエールは1926年生まれの82才なのだ。なんと元気なブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの故ルベン・ゴンサレスも長生きだったが、ラテン・ピアノは健康に良いのか?

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しかし、ドン・ラファエル、記者会見で「1月はたっぷり休ませてもらったから、今年の仕事に向けてバッテリーは充電たっぷりよ。」って、働く気まんまんですね。

ツアーのタイトルはずばり「45周年記念」。まず、エクアドルのキトとグァヤキル、翌週はコロンビアのカリとバランキージャ。そう、今週から来週はカーニバル・シーズンです。そして週末はパナマのカーニバルに出演。パナマのカーニバルもエネルギーがすごいからなあ、是非行きたいもんだ。

◆◆◆


しかし、今年のパナマのカーニバルは特にすごいです。

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プエルトリコ勢がたっぷり呼ばれてます。まずオープニングの今週金曜日はトランシスミカの大通りでリッチー・レイとボビー・クルース(Richie Ray & Bobby Cruz)。さすがですね、パナマとかコロンビアは彼らのサウンドの支持は強い!

そして最終日はエル・グラン・コンボ。その他の日にはヒルベルト・サンタ・ロサ(Gilberto Santa Rosa), ボビー・バレンティン(Bobby Valentin), ヨランダ・リベラ(Yolandita Rivera), ソノーラ・ポンセーニャ (Sonora Poncena)、イスマエル・ミランダ(Ismael Miranda)、 ロベルト・ロエナ(Roberto Roena)、チェオ・フェリシアーノ(Cheo Feliciano)と豪華。

レゲトンでもテゴ・カルデロン(Tego Calderon)、ティト・エル・バンビーノ(Tito el Bambino)、ウィシン&ヤンデル (Wisin y Yandel)、そしてドン・オマール(Don Omar)。

プエルトリコ勢だけじゃない。パナマはキューバとも縁が深いところ。だからキューバからも オルケスタ・アラゴン(Aragon)、ロス・バン・バン(Los Van Van) 、ロス・ソネーロス・デル・アポロ (Los Soneros del Apollo)が参加。

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もちろん、パナマの地元勢のサルサ、レゲトン、レゲエ、フォルクローレなども見所たっぷり。最近パナマで売り出しほレゲエ・アーティスト"ジャパニーズ"(Japanese)君なんかもね。(←左の写真)


◆◆◆

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こんなメンツを呼ぶとは、パナマも観光に気合あいってるなぁ、と思ったあなたはスルドイです。観光客増を狙う例のパナマの観光大臣の顔がちらつきますね。そうですルベン・ブレイズ(Ruben Blades)。言うまでもないサルサ・ファンならご存知!のあのルベンです。

左の写真が観光大臣としてのオフィシャルな顔。右がサルセーロとしての顔。でもここ1年以上歌ってない。真面目に仕事してるって、エル・サルバドルの観光大臣が教えてくれました。

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パナマは昨年は経済好調で今年も明るいムード。カーニバルで加速をつけてがんばってもらいたいですね。
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by mofongo | 2007-02-14 23:08 | Musica/SALSA
2007年 02月 14日
今年のサルサ国民の日
第24回目のサルサ国民の日。日程と場所が発表になりました。さあ、行く人はさっそくチケット取りましょう!

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3/18(日)イラム・ビソーン(Hiram Bithorn)球場です。ひさしぶりですねー、ここ。1995年以来じゃないでしょうか。

カリビアン・リーグなどでおなじみのイラム・ビソーンは、フィールドが荒れるの嫌ってか、ここの所ずっと大型コンサートを受け入れてませんでしたが、やはり、カロリーナに新球場”ロベルト・クレメンテ・ウオーカー"が出来たのが影響たのか?ホテル地区から行きやすいので歓迎です。

てなことはどうでも良くて、今年はプエルトリコのこころ、ヒバロの香りが満載なんですよ。
なぜかと言うと今年の企画は「ラフィー・レアビ、サミーマレーロ、イスマエル・ミランダ、そしてラモン・ロドリゲスに捧ぐ」なんです。

では出演者です。

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パポ・ココテ(Papo Cocote), ルイス・ペリーコ・オルティス(Luis Perico Ortiz)のオルケスタには ロベルト・ルーゴ(Roberto Lugo)とラファエル・デ・ヘスス(Rafael de Jesus)のボーカル、そしてイスマエル・ミランダ(Ismael Miranda)、 ラフィー・レアビとオルケスタ・ラ・セレクタ(Raphy Leavitt y La Selecta)。濃いですねー。

またこれもうれしいオルケスタ・ラ・マサクレ(La Masacre)。これはなんとフリート・カストロ(Julito Castro)、ラモン・ロドリゲス(Ramon Rodriguez)、そしてティト・ニエベス(Tito Nieves)がフロントですよ。そう、お分かりになりますね、そこのファンの方!コンフント・クラシコのヒバロな良心、ラモン・ロドリゲスも来れば千人力です。

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ね、この組み合わせ、コアなプエルトリコファンなら「ああ、ヒバロ!」と落涙、号泣する人もいるかと思います。(←自分の事だ・・)

しかしそんなことばかりしてると、引かれてしまうので柱の陰でそっと涙を拭き、ヒバロの話でも。


「ヒバロ」とはプエルトリコの山間部を中心に生活する農民の総称なのです。スペインを中心にした欧州系の人の子孫が多いですが、今ではいなくなってしまった、島の最初の住人、インディオ系(タイーノ)や奴隷として島につれてこられたアフロ系の血も混じっているといわれています。

「ヒバロ」は貧乏ではあるけれど、自然の中で質素に純朴に生きてきた庶民の典型であり、プエルトリコの人にとってこの「ヒバロ」という言葉は「普通の人である自分」の原点を思い起こさせるものだと思います。

そんなヒバロの地で育まれてきた音楽は、スペイン/欧州を起源にもつ弦楽器(クアトロやティプレ及びギター)がスペイン的な旋律を奏で、タイーノ系のグイロ、アフロ系のボンゴなどがリズムを刻みます。独特の、時に快活に、時に哀愁感の異常に強い個性ある音や歌。これが、サルサに独特の哀愁感/切なさを与えたのは間違いありません。

→ヒバロに興味が出た人はこちら

◆◆◆

ちょっとだけ出演のメンツの話を。

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パポ・ココテ(Papo Cocote)と聞いて、誰?と言う人も彼のグループの"El Montuno"という名前を聞いて、「あ、それはRoberto y su Nuevo Montuno!」と思い付いた事でしょう。(そんなやつはいないか・・・・)。

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えー、とにかく、60年代から70年代にかけて "El montuno llegó",とか"Margarita"、いまでもラジオでかかる "Monina y Ramon"など、とにかく島で人気だった、"Nuevo Montuno"です。パポ・ココテってこのロベルト&ヌエボ・モントゥーノで歌ってた人気者。出身はヒバロ地帯の山の中のコメリオ(Comerio)って町なんです。

ルイス・ペリーコ・オルティス、これは説明不要ですね。ボーカルのロベルト・ルーゴとラファエル・デ・ヘススは説明したいけどまた今度。イスマエル・ミランダ、こちらも説明不要ですね。

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ラフィー・レアビとオルケスタ・ラ・セレクタ、ああ、ヒバロです。
ラフィー・レアビの大ヒット曲はなんといっても"ヒバロ・ソイ"(Jibaro Soy)ですね。まさに「俺はヒバロだ」という題名の曲です。ラフィー・レアビは1948年、サンファンのプエルトタ・デ・ティエラ(Puerta de Tierra)で生まれてます。庶民ですねー。つまり貧乏だったわけです。彼は小さい頃から音楽も勉強もしっかりで奨学金もらってプエルトリコ大学の経営学部に入ったりします。一方で、音楽好きの家族の間で育ち、小さいころからファミリー・バンドでボレロとかやってたという育ちと情熱は、彼の音楽へ大きな影響を与えます。

ラ・セレクタを組んで彼が作った音は「サルサ・ビバラ」、ヒバロの音の豊かさ、情感、そしてヒバロという庶民の生活や感じ方を歌詞と音に織り込んだものでした。

いわゆる「ヒバロ」な町の生まれではないけど、生粋の庶民であり、ヒバロな山間から食えなくて出てきた庶民も一杯住んでいたPuerta de Tierraという場所の感覚は、まさに都会の「ヒバロ」。

ボーカルはサミー・マレーロ。泣けますねー、この湿度の高い熱帯夜に抜けていくようなヒバロ声。

コアモというプエルトリコ南部の、これまたヒバロ地帯で生まれ、幼い頃にバヤモンに引越し。バヤモンもいまでこそ開けて商業地・住宅地的ですが、昔は農業、牧畜のヒバロ地帯だったんです。なんてったって、チュイート(Chuito, el de Bayamon)がいた所ですから。そんな中で育ったマレーロがヒバロな歌唱方を身につけない訳がありません。

おっと、ヒバロ・ソイに戻ります。この曲もコンサートで当然予定されてますがクアトロペドロ・グスマンプロディヒオ・クラウディオの登場が加わります。

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クアトロは復弦5コースの小さなギターのようなヒバロ特有の楽器。プロディヒオは昨年フルート奏者、赤木りえさんとの共演の為来日してますね。

そう言えば赤木さん、プエルトリコ三大クアトロ奏者(今回の2名+エドウイン・コロン・サヤス)と共演してつだけじゃなく、この間のプエルトリコ録音時にマレーロの故郷、コアモで大ヒバロ・セッションされたとか。

おっとまたヒバロ・ソイに戻ります。ヒバロの歌、「トローバ」(Trova)で三人の名手(トロバドール)、マリアノ・コットMariano Cotto, >ビクトル・マヌエル・レジェスVíctor Manuel Reyes y ビクトリア・サナブリアVictoria Sanabriaも参加。即興のバトルを繰り広げるのも楽しみです。

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■最後にオルケスタ”ラ・マサクレ”。しかし、こんな調子で書いてると終わらないですね。ラ・マサクレフリート・カストロが作ったオルケスタで70年代島で活躍しましたが、昔、ピアニストのフェルナンド・オヘダのオルケスタで前述のサミー・マレ-ロと一緒だった事もある、これまたヒバロな繋がりもありです。

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ティト・ニエベスはこのオルケスタでメインの歌手としてデビュー。そしてコンフント・クラシコへと進みます。ラモン・ロドリゲス、レイ・カストロの強力に素晴らしいオルケスタですね。


◆◆◆

ということでサルサとヒバロという音楽がいかに密接に繋がっているかを確認するには絶好な機会ですね。サルサという音楽がニョーヨークで生まれた時、プエルトリカンのコミュニティーとそのコミュニティーが長年ニューヨークで死守してきたその文化と音楽「ヒバロ」「ボンバ」「プレーナ」などが、サルサのサウンドに大きな影響を残した訳です。

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ここのところをこのコンサートで感じることが出来れば、今年夏に海外で公開予定のマーク・アンソニー、ジェニファー・ロペスが共演する、偉大なサルセーロで、そして普通の弱い人間だったエクトール・ラボーの伝記的映画"EL Cantante"を100倍楽しむことが出来ると思います。

ということで、行こうかなあ、、、行けるかなあ。。。
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by mofongo | 2007-02-14 01:05 | Musica/SALSA
2007年 02月 08日
バレンタイン・サルサ@プエルトリコ&ペルー
バレンタインデー

プエルトリコじゃ "El Dia de los Enamorados"とか"Dia de Amor"とか言っりもします。

愛の日、愛する人たちの為の日ですね。

特にチョコを送る、ってわけじゃないですがプレゼントしたり、デートに誘ったり、楽しく過ごすわけですね。

私もプエルトリコにいた時は、贈り物をしました。



・・・・って話はもうレゲトンの記事で書いたので省略します。

で、

サルサ好きのカップル、またはカップルを目指す人たちにはちゃーんといいライブが。さすがプエルトリコです。

2/16(金)と2/17(土)にプエルトリコに滞在中・居住中予定のそこのサルサ・ファン!


ぜひ愛する人と踊りに行きましょう。


フラン・フェレールが企画するイベント"ソネーロス・パル・バイラドール/Soneros pa'l bailador"です。


良いタイトルですねー。

タイトルの通り、最高のサルサの歌い手たちが、これまた最高のバックで歌います。
フェレールが言う様に、「最高のソネーロたちが即興で歌うまえで踊りが楽しめるなんて最高だろ?」ってことです。
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真夜中の決闘"Duelo Anochear III"での勝者、エルマン・オリベーラス(Herman Oliveras)を初めとして、フランキー・バスケス(Frankie Vazquez)、レイ・デ・ラ・パス(Ray de la Paz),
ジミー・サバテール(Jimmy Sabater) アダルベルト・サンティアゴ(Adalberto Santiago)、ティト・アレン(Tito Allen)、 フニオール・ゴンサレス(Junior Gonzalez)・・・。

「お、NY系多いなあ!」と思われたあなた!




そんなこた、あとまわしにして、先ず彼女、又は彼氏、または友人を誘いましょう。
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というのは冗談でNY系に気づかれたのは非常にイイところ突いてます。これらソネーロ達は、大変スゥイートな持ち歌を持ってますからね。
ジミー・サバテールの声など大変危険です、そこの貴女。

スローな曲で、ふわりとターンさせられて絹のようにホールドされたなどという、キメ技の紳士に遭遇する場合もありますので。

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バックはデスカルガ・ボリクアです。音の仕切りはあのルイス・ガルシア(Tres)とエリック・フィゲロア(p)です。メンツもおなじみ、コロにジェリー・メディナ(Jerry Medina)、ウイッチー・カマチョ(Wichy Camacho)。


トロンボーン隊はジミー・ボッシュ(Jimmy Bosch)、パポ・バスケス(Papo Vazquez)、レイナルド・ホルヘ(Reynaldo Jorge)、トニート・バスケス(Ton~ito Vazquez).と強力。パブロ・ロサリオ(Pablo Rosario)のコンガにエンデル・ドウエニョ(Endel Duen~o)のティンバレス。そうそう、ピアノにはラリー・ハーロウ(Larry Harlow)も特別参加でした。

うーん、このメンツではこれはソフト&メロウばっかりとはとても言えませんね。バックはNY勢とPR勢の激突です。

さて、場所は2/16(金)夜8時からオールド・サン・ファンの"プール・パレス"(Pool Palace)
そして、2/17(土)はサンファンから東へ約1時間のカノバナスにある競馬場併設のクラブハウス"Camarero"です。


カノバナスでたっぷり踊ってサンファンへの帰りは3号線を通らずに、ピニョーネスの海岸で車を停めてしっとり、なんてのもいいですねぇ。


あ、余計なお世話でした。

◆◆◆

バレンタインの週末を踊り明かすのはプエルトリコだけではありません。ペルーも負けてない!

2/14(水)のel día del amor y de la amistad、リマ市内、San LuisのVidena(Villa Deportiva Nacional)。ペルーのサッカー・ファンにはおなじみ。色々イベントがあるところですね。
タイトルは"Salsa con Amor".

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出演はティト・ニエベス(Tito Nieves), エドガー・ジョエル(Edgard Joel), カノ・エストレメーラ(Cano Estremera) y ロベルト・ブレイズ(Roberto Blades) そしてジョニー・リベラ(Jhony Rivera)。 os hermanos Antonio y Wilmer Cartagena

フロリダからティト・ニエベス、プエルトリコからカノ、そしてフィラデルフィアからエドガー!プエルトリカンばっかですね。ここにペルーのサルサ・ファンの好みがあります。素晴らしい。ていうか、中南米で「サルサ」と言うときはNY、又はプルトリコ系が基本だということです。

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エドガーは"Hechizo de luna", "Hasta el sol de hoy", "Si tuviera tus ojos"などなど80年代にアンソニー・コロンとのコンビでの数々のヒットのヒットがあります。

けど、90年代はプエルトリコではそんなに売れてない。むしろ南米での支持が強い。2005年の"Mi Lenguage Musical"で久しぶりに表に出てきて、また頑張ってます。

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ティト・ニエベスはどこ行っても受けるスターですね。あの巨体も素晴らしい。
カノはこれまた名手で味があって、ソネオは強力。

チケットは一般25ソル(8ドルくらい)、VIPゾーンで50ソル、プラチナ・ゾーンで100ソル(32ドル)。日本じゃこの値段じゃムリだなあ。
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by mofongo | 2007-02-08 23:40 | Musica/SALSA
2007年 02月 05日
ペドロ・ナイトは愛する人の所へ
ペドロ・ナイトが亡くなりました。。。。先週の土曜日、カリフォルニアの病院でした。85才。

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ペドロ・ナイトって誰?って言う人もいるかも知れません。
でもサルサの好きな人なら、故セリア・クルースの名前なら知っているかと思います。「サルサの女王(La Reina de la Salsa)」「世界のグアラチェーラ(La Guarachera del Mundo)」とかの愛称もありました。

ペドロはセリアもメンバーだった名門&当時絶大なる人気のソノーラ・マタンセーラのトランペッターで、そしてセリアの旦那さんだったのでした。

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セリアとペドロは本当に仲が良かったんです。
二人がアツアツの写真を見たことがある人もいるでしょう。ね、こんな感じの。
セリアは白髪頭のペドロの事を"Cabesita de Algodon"(綿の実ちゃん)なんて愛称で呼んでました。

◆◆◆


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ペドロ・ナイト(Pedro Knight)は1921年、キューバのマタンサス生まれ。1944年、23才の時、ソノーラ・マタンセーラに入ります。"ソノーラ"楽団というのは伴奏担当のホーン・セクションがトランペットだけの楽団のことを言います。つまり、ペドロは堂々の花形のポジションに加入だったわけですね。




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さてキューバで人気絶頂のこのマタンセーラに1950年、オーディションで一人の女性ボーカルが採用されました。25才のセリア・クルースです。その後、ソノーラ・マタンセーラは次々にヒットを飛ばし、キューバのみならず、中南米、カリブ、アメリカのラテン・コミュニティーで大人気でした。その中で二人は恋に落ちたのですね。

ソノーラ・マタンセーラは今聴いても素晴らしいです。セリアもかっこいい。

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1959年の時、中南米にツアー中だったマタンセーラはキューバに帰ることを選ばず、60年ころアメリカに落ち着き、1962年二人は結婚します。

そして1965年に二人はマタンセーラを離れ、ペドロはセリアのマネージャーと音楽監督として、おしどり夫婦が完成したのでした。

それからのセリアはティト・プエンテとの数々のヒット、そしてサルサ誕生時のニューヨークで、ファニア系のレーベルから次々に名盤をぶっとばしていったのですが、常に傍らにはペドロのサポートがあったのでした。しかし、2003年、セリアがなくなってから、ペドロは体調も気分も思わしくなく、カリフォルニアに転居して入退院を繰り返していたとの事です。

◆◆◆


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プエルトリコの新聞"El Nuevo Dia”などはペドロの逝去の記事の見出しに「Al reencuentro con su amada(愛する人との再会へ)」なんて表現してます。

きっと今頃、天国で二人はまた仲むつまじくしているでしょう。

ペドロ、安らかに!
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by mofongo | 2007-02-05 23:37 | Musica/SALSA
2007年 02月 04日
ロス・ボラチョス&ルナ・オチョ@ Buddy
江古田のライブハウスBUDDYは月に1-2回、"SALSA MANIA"のタイトルでサルサのライブが楽しめます。
ステージ前のフロアで踊るもよし、シートでじっくり聴くもよし(でも腰は動いちゃうでしょうが)、バー・カウンターに寄っかかり酔っ払いつつステップ踏むのもいいですね。
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先週末は、プエルトリコ・サルサならこのオルケスタ、この道20ウン年のロス・ボラチョス(LOS BORRACHOS)と、メレンゲからバラーダ、サルサ、デルカルガと幅広い、この道9年目(たしか)のルナ・オチョ(LUNA OCHO)に行ってきました。

たっぷり楽しんできました。ラムも進んで(Basicなラムしかなかったけど)酔っ払った。。。
この2つのオルケスタ、全然個性が違うから楽しみは別々。


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ボラチョスはとにかく「プエルトリコのこころ」とフロント3名の歌と振り、そして押し寄せるグルーブ。一方、ルナ・オチョはパキータさん=関さんのラインが作りメンバーが支える"Party Time"。最後には、ルナ・オチョにボラチョスの大塚さん、飯山さんが加わった"Pin~a Colada"で盛り上がりました。いいなあ、やっぱ生音は。

踊る人、聴く人、ぜひライブに行きましょう!

◆◆◆


ということで、酔っ払った頭で覚えてることを。(酔っ払いがだらだら書いてるから、ヒマな人以外は飛ばした方が無難です)

でも、ごちゃごちゃ書いても、要は楽しめばいいのだから、結論は上の「踊る人、聴く人、ぜひライブに行きましょう!」だけなんですが・・・・。

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まず、ボラチョス。一曲目はお馴染み、トニー・ベガ"デハ・メ・ソニャール (Dejame son~ar/夢を見させて)からスタート。プエルトリコを思う歌詞はオルケスタの想いでもありますね。
曲の終わりもアクションもプエルトリコのサルサTV番組からネタ採用と、非常にきめ細かい愛があります。"20 an~osもTe amoもJibaro y Naturalezaもひたすらボラチョスの音。ステージングもエル・グランコンボ・スタイルをベースにフロント各人の個性が光ります(いや本当に光っているのは後ろに控える、リーダーの頭ですが)。

オセ・"小瀬沢"・ロドリゲス(敬称略)のダンス(振り)は、実にプエルトリコです。グランコンボのジェリーようなゆるりとしたスタイルで泣けます。関川(敬称略)は、切れ/メリハリがあるスタイルで、お決まりの右足引きつけ後左足クロスのルーティーン・ステップでは上体が動かず、足はムーン・ウオークのようです。一方、原田(敬称略)はフロント中最若手ということで、エネルギーがチャーリー・アポンテのやんちゃなステージングを思い起こさせます。

歌もそれぞれ、ノリと声質が異なるのでその個性はもっと表に出して欲しいと思いました。エル・グラン・コンボはスター歌手を前面に出すより、ラファエル・イティエールを中心としたオルケスタ全体の音やバイブレーションを聞かせるわけですが、それでもチャーリー・アポンテ、ジェリー・リバス、パポ・ロサリオの各々の歌(パポはなかなか前に出ませんが)で曲の色ががらっと変わるからです。

それから、この日はオルケスタのサウンドが"Duro"(ヘビー)で"Salsa Gorda" (骨太のサルサ)という言葉が頭に。4曲目の熱いTpソロあたりを境に、かなり力強いサウンドに。グラン・コンボやウイリー・ロサリオ音からボビー・バレンティンの色合いに。面白いです。

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ルナ・オチョは久しぶり。コンガの関さん、Saxのパキータさん、ドラムの坪根さんが前回と同じ顔ぶれ、フロントのYokoさん(だったか酔っていて記憶あいまい)、bの杉さん、Tb西條さん、Tb忍田さんは以前と違うような。ピアノはジャズ、ラテン・ジャズとかで色々お見かけする平田フミトさん(トラかな?)でした。

一曲目のブラックなビートが強い曲で、おや?バンド・カラー全然変わったのかな?と思ったら2曲目のメレンゲで安心。そしてマンボ、サルサ、メレンゲと幅広い選曲。スペイン語パートと日本語パートを織り交ぜたオリジナル中心です。やっぱ、聴くほうとしてはLUNA OCHOにはマイアミ・バンドを求めちゃうなあ。

今回は全体的にはちょっと遠慮しすぎみたいな感じでパキータさん=関さんさんラインもおとなしくて、ちょっともったいなかった気もしますが、Yokoさんも魅力たっぷりだからぶりぶりGO!がいいですね。


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ボラチョス2名参加の最後の曲では関さんが前にでてきてなんかようやくLUNA OCHO聞いたって感じになりました。よかったよかった。
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by mofongo | 2007-02-04 23:58 | Musica/SALSA
2007年 02月 02日
プエルトリコのシアワセの条件
しあわせの条件ってなんですかね?

ああ、こうあって欲しい、ああしたい、これも大事だ、いやこれも・・・。
でも結局シンプルなもんかもしれませんね。

プエルトリコの日本経済新聞”Caribbean Business”紙を読んでたら『世論調査/プエルトリコ人にとっての幸せの条件』ちゅうのが出てました。
1000人にインタビューした結果です。(複数項目回答可の調査)

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第1位は「健康」。こりゃ世界共通かも。76%。
第2位は「家族」。74%。日本より強いかなぁ。とにかく家族の結びつきは強い。ホーム・パーティーあり、休日の行き来もあり、家族でああだこうだといくらでも話してる。結婚した、子供が生まれた、孫が生まれた、なにがあっても大変な楽しみ。
第3位が「信仰」。これも日本と違うなあ。59%。
第4位が「結婚又は相方(カップル)がいる事」。こりゃ必須でしょうね、愛無くしてプエルトリコは有り得ない。
同率4位で「政府のサービス」。これは「サービスがよくない」ってことの裏返し。
第5位が「教育」


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・・・という風に続いてます。で、ポイントは全然物質的な事が出てこないとこ。それから、「家族」とか「相方」とかの大事な人間との関係が何と言っても大事だと思う点。

「お金」とか「家」とかがもっと上位に出てもよさそうなのに。もちろん6位以下には出てくるけど、上位5位と大差ついてる。

去年はプエルトリコは消費税の導入や不況、ガソリンの急激な値上がりとかで、かなり生活が苦しかったはず。68%の人が「めちゃくちゃ生活苦しい」、25%が「かなり苦しい」って答えてます。

それから、大部分の人が「アメリカ本土に比べ、給与が低い」「本土より職がない」「政府のサービスが悪い、インフラ、教育制度、医療サポートが悪い」と答えてます。つまり生活の質が低い、と感じてる。

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でもね、本土の方がよっぽど生活がよさそうだけど、調査に答えた人の大部分は「他のどこよりもプエルトリコに住み続けたい」って答えている。島にいるのがしあわせなのですね。


そしてそれは、お金や物はもちろん必要だけど、なんといっても健康と家族や愛する人と共に住んで生活する幸福感が一番だっていうことですね。
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by mofongo | 2007-02-02 23:31 | Cosas/出来事
2007年 02月 01日
イサック・デルガド/Issac Delgado
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90年代のイサックのクールで少しスモーキーな声と流れるようなタイム感に魅せられた人は一杯いるでしょう、イサック・デルガド

自分もその一人です。


NG La Banda自体はあんまり好きじゃなかったけど、Timbaの強力なグルーブと楽しさ、は彼の声で知りました。


長らくメキシコとスペインに活動の拠点を置いていたその彼が、昨年末にキューバにもどりました。そして奥さんと子供をつれ、フロリダにやって来た。

入国の時のオフィシャルなステータスはどうだったかは明かされてないけど、キューバに帰らず、タンパ(フロリダ)に居を構え、アメリカで活動することを選んだのでした。
◆◆◆

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イサックは1962年、ハバナ生まれ。18才の時ゴンサロ・ルバルカバのグループ"Proyecto"に参加。83年、21才のときパチート・アロンソ (Orquesta Pacho Alonzo)のオルケスタに加入。そして、88年、24才の時、いろんなバンドのベスト・メンバーを集めたエネ・へ・ラ・バンダ(NG La Banda) で強力な人気を博し「ティンバ」を強力に流行らせ定着させました。 いい声なんだこれが。そして91年にNGを離れ自己のクループ結成。

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93年の "コン・ガナス" (Con Ganas)、95年の"ダンド・ラ・オラ" (Dando La Hora)、96年 "El Chevere de La Salsa"と"Otra Idea"、 97年の"エル・アニョ・ケ・ビエネ" (El An~o Que Viene)・・・・とヒットを飛ばし、01年の作品"マレコン" (Malecon)でラテン・グラミーのトロピカル部門受賞と活動してきた。最近作は"Prohibido"(05)。そして、今回のアメリカ行き。


アメリカに居を構える事を決めた彼は、早速プロモーターを決め、Univision系のCalle Recordと契約。新作録音の真っ最中。プロデュースはセルヒオ・ジョージ

◆◆◆


イサックってハバナのミラマールに良い家もあるし、11人のメンバーを擁するオルケスタで国内外でコンサート活動もしてるし、経済的な問題でキューバを出たとは思えない。どうしてクーバを捨てる決心をしたんだろうか?

思いつくのは最近フロリダやカリフォルニアとかから聞こえてくる声。フィデル・カストロがもし亡くなった場合、混乱を避ける為にアメリカはキューバに対して門戸をぴったり閉めるだろう、とかキューバ側もどの程度秩序を保てるか分からない言う話。

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フィデルは先月末久しぶりにベネズエラのチャベスと一緒にTVに姿を見せた。昨年の10月末以来だから5ヶ月ぶり。その間、危篤説も流れたりした。
グランマ紙(キューバの政府系新聞(オフィシャル・ペイパー)は、フィデルの回復を強調し、マイアミの新聞マイアミ・ヘラルド紙はフィデルの病状が深刻であるとして亡き後の事を書いている。

自分は両方を読み比べて、両者がどんな表現をしてるか見てるだけだけど、直接生活・人生に関わる人たちは、各々の選択がある。

例えば、同じくNGに在籍し、独立してバリバリのティンバでファンを魅了したマノリン(Manolin & El Medico de la Salsa!)。“ウナ・アベントゥーラ・ロカ”(Una Aventura Loca)、懐かしいですね。

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彼もキューバを離れ、現在マイアミ/ロスを活動の中心に置いている。その彼が今回のイサックの件に関し、ロス・アンジェルス・タイムスのインタビューに答えてます。


「キューバから出ようと考えるミュージシャンは赤いじゅうたんで迎えられると思ってるけど、いざ来て見るとじゅうたんははずされるんだよね。

ここ、マイアミじゃラジオ局やレコード会社、テレビ局はキューバ人が牛耳ってる。でもね、キューバ人アーチストはマイナーなんだ。まるでキューバなんて国が無いみたいだよ。だから、ここでやり直すのはとってもしんどい。だってあっち(キューバ)から来たって事を隠さなきゃなんないんだよ。俺たちはタブーなんだよ。」


イサック自身は、今回の経緯について自らまだ何も語ってはいないようだけど、単純に言えば現在のキューバの体制に守られている現状をなぜか捨て、チャンスもあるがリスクもあり、ひょっとしたら故郷へもどれない/故郷から拒絶される/ひょっとしたらアメリカからも受け入れられないリスクもある道をあえて選んだってこと。

マノリンが言うような現実もたくさん聞いていると思う。それでも、アメリカへ来て活動したいという気持ちには何かがあるのでしょう。

ロス・バン・バンチャランガ・アバネーラのようにキューバに残り活動する道を選ぶアーティスト、マノリンやイサックやサンドバルやパキートのようにアメリカに出る人たち。どちらがどうということじゃない。

プエルトリコ人はアメリカで100年前くらいからマイノリティー中のマイノリティーとして暮らし始め、なんていう歴史を持ってます。

そんな歴史を経て、必死に生きた人たち、世代がニューヨークに、ニュージャージーに、フィラデルフィアなど各地にいて、それがサルサが生まれた大きな力となりました。

だからこそ同様の苦労を共有する中南米のコミュニティーにサルサが一挙に広がった歴史を考えると、アメリカにやってきて苦労している/これからするかもしれないキューバンもなんとしてもかっこよくて心にしみる作品を作って欲しいと思います。

3月頃に予定されている新譜、きっと彼の複雑な気持ちとエネルギーが詰まった作品になっているんじゃないだろうかと思います。どんな音になってるだろうか?
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by mofongo | 2007-02-01 23:58 | Musica/SALSA