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2007年 06月 25日
プエルトリコ 07.6 (2) The Puerto Rican Diaspora
あー眠いわ。レゲトンの現場は素晴らしい。日本ではムリだよなあ、よっぽどDJがしっかりしてないと。

DJ Desordも大阪いっちゃったし、東京やレゲトンだけで繋げるDJなんかいるかな。ファンは絶対いるのに回し役がいないのは残念だ。自分でやろうかな。

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床を這ってシャワーを浴びに行く。こんな時は朝の浜を走って朝飯に行くに限る。

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Calle 13の新譜とルビー・ハドックの"ザ・エンタテイナー"を持って出る。Calle 13のレシデンテのラッピンがアッシュフォードの通りに合う。アトランティック・ホテルまで走って浜に出る。おお、美しい。今日の朝は波が静かだ。そこから浜を戻り、病院の手前で通りに出てスーパーへ。新聞を買い、ハモン&ケソのサンドイッチを調達してまた浜に戻る。CDをルビー・ハドックに替える。









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ああ、ティト・ゴメス、なんで死んじゃったんだろ、とか思いながら新聞をめくると、昨日の葬式の記事。歌で送ってる写真。
こうやって故郷に戻って来たんだなあ。

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ラテンの世界じゃプエルトリカンは、一番自国から離れて暮らす・暮らした人が多い人。それだけに、故郷を思う気持ちの重みは共有してる。自分も海外暮らしを10年して、今も年2-3ヶ月は旅回り。でも帰ろうと思えば帰れる自分と、そうでない人たちとの気持ちは絶対に違う。

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最近出版された"The Puerto Rican Diaspora"という写真集がある。Frank Espadaが、いわゆるアメリカ本土とハワイの35ものプエルトリカン・コミュニティー、El Barrioの人たちを20年にわたって撮り続けてきた写真&インタビュー集だ。

例えば1899年にハリケーン、サン・シリアーコによりで島の農業が壊滅的被害を受けたとき、プエルトリコからハワイに5,000人もの人が働きに移住している。ニューヨークは言うに及ばず、自動車やそのほかの製造業、サービス業があるデトロイト、シカゴ、フィラデルフィアなどにも合計3-4百万人の人が移住している。

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しかし、言葉も生活習慣も違う土地での生活は容易ではない。生活はなかなか良くならず家族を軸に必死に生きる。そんな人々の写真が一杯つまった本。

サルサという音楽がどうしてプエルトリカンを中心して生まれ、それがラテンアメリカに広がったのか、それは、リズムや音楽形式の話の前に、歌としての共感があったからだと思う。良くならない生活、故郷を離れざるを得ない状況。そしてそんなどうしようもない現実は現実として、いや現実だからこそ、それを吹き飛ばすような歌とダンスの一瞬。

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ティト・ゴメスの事がまた浮かんだ。彼がNYでの保護観察期間を終えて、居を構えたのは結局コロンビア。奥さんの故郷でもある。彼もやはり家族を軸にして生きながら、自分の歌を一番求めていたコロンビアの人々の中で生きることを選んだのだろう。

まさにプエルトリカン・ディアスポラの一人だったのだなあ。
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by mofongo | 2007-06-25 03:29 | Musica/SALSA
2007年 06月 25日
プエルトリコ 07.6 (1) Calle Cerra
あー、着いたよ。暑いわ。恒例のタクシー占い。ラジオをかけてもらい一曲目でその滞在を占うという気晴らし。~♪A mi me gusta el chivo con vino~♪

おお、グラン・コンボ!"El Menu"。今回もしっかり食べろということか?

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宿に荷物をおろし、溜まったお仕事をガツっとこなして昼飯を食いに行く。Calle Cerra近くにするか。さすがに暑くて人通りがすくないけど、飯屋はあいている。

どこにしよう。サルサをがんがんかけてるあのチキン屋にしよう。

モ「1/4チキンとフレンチ・フライにビール」





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あー、夏の昼下がりだ。他の客もだるそうに食ってる。ソディアックの"Mi Guitarra"の重い音が心地いい。

若い店の兄ちゃんが寄ってきた。
兄「中国人?日本人?」
モ「ハポネだよ」
兄「ね、愛してるって日本語でなんて言う?」
モ「えぇ??ここいらにハポネサなんていないじゃん?」
兄「よめさんに。今日誕生日なんすよ」








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ちょっとはにかむ兄ちゃんにメモ書いて渡した。
ほんと、なんでもない庶民が普通に暮らしてる町。角のコルマドで食材を仕入れる。




◆◆◆

ビエラ親爺の所へ。

通りを眺めてる親爺発見。

モ「オーラ、親爺!元気?また来たよ」
お「入れ入れ」
店員「おお、来たな。今日は買い物リストないのか?なんだつまんないな」

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一通り物色。雑談に。亡くなったティト・ゴメスの事を話す。
話は、ポンセーニャテリフィカルビー・ハドックレイ・バレットの時の話が多い。
皆「残念だよな」






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いつものようにウイリー・ロサリオがやってくる。
ロ「お、また来てるのか」
今回はお土産に加えてLos BorrachosのDVDを渡す。自分の曲をやってるのを見てニヤリ。
モ「日本にぜひ来てくださいよ」




◆◆◆

親爺とタンゴの話をして盛り上がる。親爺はタンゴが好きなのだ。
なんつったて親爺は若いころガルデル級のハンサム・ガイだったのだ。

ちょうどテキサスに住む長男が里帰りしてて店を手伝ってた。長男って言ったってもう60くらい。

色々聞いてみた。親爺には10人も子供がいるとか、若いころは何かと遊びもたっぷりだったそうで素晴らしい。
いつも着ている物はピシッとしてるし、こういうじじいに私もなりたいわ。

数年前親爺はプエルトリコ議会から表彰を受けている。長年の音楽の普及に貢献したちゅうことだ。一度経歴をまとめてみないとなあ。

まだまだ元気で居て欲しい。

◆◆◆

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とか、やってると今日はイスマエル・リベラ・JRが登場。
リコの下町弁丸出し。いいわー。大変しぶとい面構えで素晴らしい。色々懲りないだけはある。

モ「ほんま、ええ声してはって好きなんですわ。"Nueva Generacion"お気に入りです。次の新譜待ってますよ。」
イ「ありがと、ありがと。まあ、予定あるから待っててくれ」
なんか、あんまり働いてない風なのに大きなSUVのってた。やはり親の印税か?

とかやってると、もうお客との食事の時間。



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爺「明日はヒマか?」
モ「いやー仕事なんすよ」
爺「アンディー、ウイリー、ムレンセなんか出る無料のライブがすぐそこであるのになあ」
モ「あやー・・・。まあ、また来るからいいのあったら教えてね。爺も元気で!」








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お客と会食。先方も心得たものでこちらの現地飯好きを知っててプエルトリカン料理の店へ。
またも共食いのモフォンゴです。シーフード・モフォンゴ。ああ、腹いっぱい。

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結構話して宿へ戻る。11時。しかし寝てはいけない。次はレゲトンなのです。(続く)
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by mofongo | 2007-06-25 02:54 | Musica/SALSA
2007年 06月 23日
トリニダード 07.6 (2) MINMI
日本でソカを大胆にも取り上げ、その上、日本でのヒットどころかカリブで大ヒットを飛ばしているアーティストと言えば?

そうMINMIなのです。

MINMIの事は知ってる人はよーく知ってると思うけど、ざっと紹介すると

大阪のダンスホール・レゲエのシーンで鳴らして、2002年に"The Perfect Vision"でメジャーデビュー。アルバム"Miracle"、"imagine"も大ヒット。

でね、ここからがとてもユニークなのだけれど日本のレゲエ・シーンに留まらず、ジャマイカ、そしてトリニダードのソカにコミットする活動の場を広げてるのです。

2005年のヒット"Summertime!"がトリニのラジオやカリブのMTV、"TEMPO"でヘビー・ローテーション、翌年のカーニバルに参加し、今年は何と日本人として始めてカーニバルでソカ・モナーク・インターナショナル・コンペティションに参加、女性で第3位に、総合順位で8位と言う快挙。

カーニバル時のコンペティションって、地元のスターが火花を散らしその年のベストを決める一大イベント。ソカだけでなく、スチール・パンのパノラマからカリプソ、チャトネイ、ダンス部門とトリニダードのカーニバルの華なのです。だからそこでの入賞というのはとてもすごい!

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そしてカーニバル中、マシェル・モンタノとステージを共にし、コンペティション参加曲 "Sha Na Na~Japanese Wine"は、当然今もラジオ・オン・エアー中。地元のラジオからMINMIの歌声が聞えて来るのは、非常にうれしかったですね。

MINMI自身のブログでトリニダードでの様子が書かれています。


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街で何の気なしに雑誌を買って、ロティ屋(トリニダードのファスト・フード屋)でパラパラめくってたら、おおここにもMINMI

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一つは今年のカーニバルの特集誌 "Carnival Magazine 2007"。この雑誌、タイトルの通り今年のカーニバルのショット、評判のマスの写真満載で、なおかつカーニバルの各カテゴリーの優勝者や花形プレーヤーも網羅し、アーティストのステージ写真も掲載という大変お得なもの。

その中にマシェル・モンタノとのステージ写真がどーん。

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もうひとつはNY発行の音楽誌"The 4.1.1 Caribbean"のSOCA 特集!いまやマシェルと並ぶと言っても過言でないシャーウェイン・ウインチェスターが表紙。

その記事と肩を並べての見出しが、「MINMI D'ASIAN SOCA STAR」2ページ・フルカラーの扱い!すごいですね。







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だから、某Zen クラブ(先日マシェルがけんかしてとっつかまった)に遊びに行ったときの、地元兄ちゃんとの話もスムーズ。




「日本人?」
「そうだよ。ソカやカリプソが好きで来たんよ」
「そりゃいいな。ほら、日本人でソカやるさ、今年カーニバルに来てた」
「ワオ!そりゃMINMIの事だろ?」
そうそう、彼女よ!日本人もやるよな。またこっちに来ると良いのに

西語・サルサ圏に行くと未だに「オルケスタ・デ・ラ・スル知ってるぞ」で話のきっかけが出来るのと同じだね。ありがたい。

来月、"Sha Na Na ~Japanese Wine"の日本語盤(アレンジは日本向け)も発売になり、今年の夏は見逃せないですね。
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by mofongo | 2007-06-23 21:55 | Viaje/漫遊記
2007年 06月 23日
トリニダード 07.6 (1) ソカ
英語圏カリブではレゲエに次いでなんといってもソカ!です。そしてソカと言えばもちろんトリニダード

トリニダードで生まれたソカは、その強いビートとトリニ英語がつむぎだす歌詞の独特のノリが最大の魅力。バルバドス、セントビンセント、アンティグア、ドミニカ・・・ソカ文化圏は広い。

西語圏カリブじゃ分かりにくいソカの強さ。高速メレンゲのビート感と共通点があるけど、でもやっぱり空気が違う。

◆◆◆


空港から街へ向かう車に座ってるだけで、早速ソカの歓迎が始まります。

まずラジオから音が。あ、これマキシマス・ダン (Maximus Dan)だぁ。最近渋滞の激しいトリニダードだけど音楽があれば問題なし。

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Lavantille手前じゃ、デストラ (Destra) のビルボードが微笑んでくれます。ああ、トリニ(泣)。
デストラは今トリニダードでは一番のDivaと言って良いでしょう。人気抜群です。

地元じゃ今、携帯2社が激しい戦いを繰り広げてます。e-mobileとDigicel。
e-mobileはソカのトップ・スター、マシェル・モンタノ(Machel Montano)を起用してるんですが、Digicelがこれに対抗するにはやっぱりデストラしかないのはよく分かります。

◆◆◆


さて今回の捕獲は3枚。

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■マシェル・モンタノ(Machel Montano) / "The Book of Angels"

2月リリースの新譜。キャッチーな一曲目の"Higher and Higher"からアゲアゲのソカの魅力満載です。この曲は2種類のリミックスも収録。5曲目のVybz Kartelをフィーチャーした"Hold your Tonight"はR&Bやジャマイカの香りが微妙に香るアーバンな曲でナイス。9曲目の"Down D Road"は、ストレートなソカ・チューンだけどこういうの好きだなあ。

このCD、マシェルの歌が聴きたかったのはもちろんとして、もう一つの捕獲の理由は、なんと日本のMINMIがフィーチャーされている!からです。10曲目目の"Sha Na Na ~ Japanese Wine" 今年のカーニバルではマシェルと共演してるし、今、地元でもがんがんかかってます!
西語圏カリブ・ファンにはなら、デ・ラ・ルス同様画期的!と言えば分かって頂けるでしょうか。

→MINMIの事は別に書いたから、そちらも見てくれるとうれしいです。

タイトルもいいですねJapanese Wine。日本酒じゃないですよ。トリニではソカでのお尻ぐりんぐりんするようなダンスをWINE (ワイン)って言うんです。このWINEについては、NY在住で、トリニダードの香りとNYのセンスをミックスしたファッション・ブランド "COSKEL UNIVERSITY"でかっつり活躍されてる Machiさんのブログの記事にお任せしたほうがいいですね。

ところで僕もこのCOSKEL のTシャツ持ってますが、つくりも丁寧でデザインもナイス、トリニ好きな方はぜひお勧めです。

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■シャーウェイン・ウインチェスター (Shurwayne Winchester)/"Adrenalin"
シャーウェイン、泣ける系なんですよ。若い女性陣に人気なのはよくわかりますね。33才・独身で絶好調。昨年は多くのアワードを総なめにしてます。

1曲目の"Allequa"はR&Bの泣きがソカと絶妙のブレンド。レゲトンで言えばTito El Bambinoですかね。でも、もっとR&B寄りだな。Ne-YoやLloydと同じ時代に生きてる。
4曲目の"Angel Face"もR&B POPな感じに、スネアの音がちょっとティンバレスのようなチューニングでいい感じ。6曲目はスローで甘い甘い。

泣き系、甘い曲も良いけど、10曲目から後はダンス・チューンがバッチリ。Edwin Yearwoodをメインに置いた"Ready To Go (Remix)"、13曲目のエレファント・マンをフィーチャーした、アルバム・タイトル曲の"Adrenalin"は甘さと野蛮さがうまく噛み合ってスピード感ばっちりでGoodです。

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■National Panorama Finals 2007 Live
その年のパン・オーケストラのトップを決めるパノラマ。今年は、初めてトリニダード第二の都市、南部のサン・フェルナンドで開催。
その戦いの様子を収録したライブ2枚組みCDです。ミディアム・バンド部門とコンベンショナル・バンド(ラージ・バンド)部門のカップリング。

いやー、パン・オーケストラの迫力は体験したらぶっ飛ぶ訳ですが、その迫力がしっかり収録されてます。聴きどことはダイナミックスと一体となった>b>グルーブがどう出るか、そしてアレンジも楽しみの一つですね。CDには"Pan Lamentation"を取り上げたバンドが6チームありますが、各々の個性が面白いです。

で、今年の優勝はミディアム・バンドがCourts Sound Specialists of Laventille、そしてコンベンショナルはNiel & Massy Trinidad All Starsでした。ちなみに2位はPase II、3位はExodusでした。1位のTrinidad All StarsもPan Lametationを取り上げましたが、なるほど納得の第1位です。でもPhase IIのどっしりしたアレンジも捨てがたいなあ。
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by mofongo | 2007-06-23 20:55 | Viaje/漫遊記
2007年 06月 22日
ティト・ゴメス逝く
先週の火曜、日本から旅に出た直後に悲報を聞いた。

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まだ59才、若い。残念だった。まだ若いって事もあるけど、山あり谷ありでRolling Stoneな人生がようやく一つところに腰を落ち着けて花開くのかと思っていたから。

自分の入っているSNSの日記に悲報を書いた。色々思いはあったけど、淡々と書いた。

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月曜の夜、カリのホテルで心臓発作で倒れ、救急病院に運ばれましたが息を引取ったそうです。享年59才。まだ若い。。

前の週の土曜はペレイラ/コロンビアでニーチェと再会コンサートに出演。マエロ・ルイスやグアジャカンと共にステージでファンをたっぷり楽しませたばかりと言うのに・・。

2週間程前、NY/Bronxでソノーラ・ポンセーニャ以来の盟友ルイジ・テクシドールと仕事を共にしたそうですが、ルイジがラジオ局の追悼番組に答えて曰く:

「前の仕事からすぐ来たんで寝てないとか言って疲れた顔してたよ。太りすぎで顔もちょっとむくんでた。ステージはばっちりで、あとでファンと写真取ったりだったんだけどなあ。
過労と太りすぎが命を短くしたのかもなあ」と。

チャーリー・パルミエリ、ティト・バレンティン、レイ・バレット、ラ・テリフィカとさまざまなキャリアの中でソノーラ・ポンセーニャは好きな曲がたくさんあります。"Sentimiento Jibaro"とか。

その後84年からコロンビアへ引越しグルーポ・ニーチェに参加。そしてソロ。あの声が好きでした。

明日、故郷のプエルトリコのフアナ・ディアス(ポンセの東)でお葬式が予定されてます。

冥福を祈りたいと思います。q.e.p.d.

◆◆◆


いろんな友人がお悔やみ、コメントを書き込んでくれて、それが1週間も続いた。

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正直驚いた。もっと反応が少ないのではと思っていたから。
みんなティト・ゴメスが好きだったのが分かった。
そしてみんなが好きだった曲、悲報に際して聴いた曲が、多岐に渡っている事にまた打たれた。

ポンセーニャの"モレノ・ソイ"、テリフィカ、ティト・バレンティンのボレロ、ルビー・ハドックでの歌、レイ・バレットでの"グァラレ"、ニーチェでの"ヌエストロ・スエニョ"、ソロになってからの"パヒナ・デ・アモール"・・・・

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なんといろんなオルケスタで歌ってるんだろう。コロでも相当参加しているし、プエルトリコ、ニューヨーク、ベネズエラ、コロンビアと活動の本拠も変わった。まさに「さすらいのソネーロ」。

何が彼をこんなに放浪させたのだろう?

◆◆◆


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旅の途中で立ち寄ったプエルトリコで何時ものサルサの達人たちと彼の話をした。曰く、
「"モレノ・ソイ"はルイジも大事だが、彼が居てこそだ」
「"グァラレ"もそうだ」
「ルビー・ハドックにはとても彼が大切だった」
などなど。

しかし、同時に
「コロンビアに行ったのがなあ・・」
「あれで彼の人生は変わったし」
「でも、ニーチェの歌にサルサのかっこよさを吹き込んだのは彼だ」

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80年代のコロンビアのドラッグ・マフィアの勢力図はパブロ・エスコバルのメデジン・カルテルとロドリゲス・オレフエラ兄弟のカリ・カルテルの抗争は激しさを増し、カリをベースとするグルーポ・ニーチェもロドリゲス兄弟と無縁ではいられなかった。彼らの息のかかったコンサートやプライベート・ライブは何度もあった。そんな中、彼はカリに居を構え84年にニーチェに加わった。

91年にソロとなってからも、その方面との付き合いは避けられなかったのだろうか、2000年の逮捕・収監・・再び転がる人生だった。再起の"Comenzando en cero"(ゼロから始める)を聴いたとき、決意というより落ち着いたものを感じた。

もう、さすらいのサルセーロではないような気がした。カリに居を構えその生活を大事にするように思えたのだ。

とはいえ、前述のルイジの話などからは決して安寧な暮らしでなかったようにも思う。

◆◆◆

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宿に帰ってTVをつけると、追悼番組をやっていた。ジョーイ・エルナンデスの番組。
ソロ・デビュー盤からのヒット、"Dejala"が流れた。ティト・ロハスとのデュオだ。好きな曲の一つ。バイオが紹介された。








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ウンベルト・ルイス・ゴメス(Humberto Luis Gomez)は1948年4月9日、プエルトリコのフアナ・ディアスで生まれた。15才の時よりプロとして歌い始め、ラ・テリフィカに参加。ティト・バレンティン、チャーリー・パルミエリのグループ、ソノーラ・ポンセーニャ、レイバレットのグループ、ラ・アミスタ、など多くのオルケスタで歌い、1984年コロンビアに転居。90年までコロンビアに住む。1991年独立し、92年MPより"Nuevo Horizonte"をリリース。ティト・ロハスとのデュオ"Dejala"がヒット。次いで"Agredecimiento"から"Ganas", "Pagina de Amor"がヒット、次いで"Recogiendo Frutos"から再びティト・ロハスとデュオの"Dejala Ya"がヒット。 “Volver”、“Quien nos iba a decir”、“Tito Gomez”とアルバムをリリース。

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2000年、米国への不透明な大金の持ち込みで有罪となり5年収監。その後観察期間として出所を許され、ニューヨークのクイーンズに暮らしていた。その間、国内やプエルトリコ等の巡業も許され、2004年には“Comenzando en cero”をリリース。

先々週のコロンビア/ペレイラのコンサートの後は、カリに一旦もどり、金曜にはベネズエラでティト・ロハス、カノ・エストレメラ、ソノーラ・ポンセーニャ、アダルベルト・アルバレスらとステージに立つ予定だったのに帰らぬ人となった。

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カリでの葬儀には、ハイロ・バレーラやオスバルド・ロマン他ニーチェのメンバーらが、故郷フアナ・ディアスでの葬儀にはキケ・ルッカ以下、ソノーラ・ポンセーニャのメンバー、グンダ・メルセー、チャネイのニコラス・ビベスなどが参列し見送った。棺にはコロンビアとプエルトリコの両方の旗がかけられていた。

◆◆◆


再起第一弾のアルバム"Comenzando en Cero"の献辞に家族など加えて「愛するフアナ・ディアスの皆へ」とある。ポンセの東にあるこじんまりとした故郷に今、ようやく放浪を終えてもどる事となった。

ティト・ゴメス、安らかに!
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by mofongo | 2007-06-22 20:01 | Musica/SALSA
2007年 06月 08日
第24回 サルサ国民の日(3) 歌って踊って叩いて
パート2より続く)

最後に、観客の写真です。

結局ひたすら音楽を聴いて、踊って、楽器叩いて楽しむみんなの、こういう笑顔が見たかったから島まで行ったような気がします。


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by mofongo | 2007-06-08 23:57 | Musica/SALSA
2007年 06月 08日
第24回 サルサ国民の日(1) / Dia Nacional de la Salsa
音には必ずその音楽家が、時代が、歴史や社会が通ってきた要素が組みこまれている。新しいサウンドが古い音を否定して乗り越えようと、逆に今の人が古いものを再現しようとも。時間は音楽の絶対的な一部なのだ。

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NYのラテンなら、スイング・ジャズからビバップ、アフロ・キューバン、マンボ、R&Bやジャズ、ロック・・・そんな中、60年代末のNYラテンひとつの大きなうねりがサルサと呼ばれた。

「サルサはキューバで生まれた」とか「サルサはキューバの音楽だ」なんて勘違いをしている人は、今時もういないとは思うけど、「サルサはNYで生まれた」とだけ単純にいうのも誤解を生むだろう。

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情報の少なかった20-30年前の日本ならともかく、今やNYは気軽に行ける場所だし、プエルトリコやカリブの事もネット発も含め情報も増え訪問もしやすくなった。

そんな中で「NYが生んだサルサ」と言う前に、実はカリブやプエルトリコが暖めてきた40-60年代の音楽シーンのNYへの直接の影響も少しずつ見えて来ている。

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つまり、サルサの前のプエルトリコはボンバプレーナヒバロセサル・コンセプシオンコルティーホを語るだけじゃ足りないのだ。そしてそれは、サルサが生まれる前に、プエルトリカンが大多数だったNYのラテン・コミュニティーが、聴き、踊り、演奏してきた音の一部は、サルサの誕生に深い関係もあるからだ。

(*写真は上から、オルケスタ・セサル・コンセプシオン、ラディスラオ・マルティネスのグループ、ファニア・オールスターズ)

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さて、そんな音の内、良く知られている「ヒバロ」という素朴で力強く、かつ哀愁感の強い「歌」の心はサルサのセンティミエントに欠かせない要素を植えつけている。

プエルトリコでは毎年3月にサルサの大コンサート「サルサ国民の日/Dia Nacional de la Salsa」が開かれる。今年24回目のコンサートのテーマは「ヒバロ」だと聞き、出演者リストを見て、「これは行かねば!」と思い立ってサンファンへ飛んだ

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プエルトリコの3月は夏の始まりと言って良いくらい暑い。この暑さの中、8時間にも及ぶ野外のコンサートに3万人以上の人が集まるのだ。島のサルサ・ファンだけでなくラテン各国やアメリカ本土からも人が駆けつける。

毎年サルサに貢献のあったミュージシャンを称える場となるこのステージ、今年は4人。ラモン・ロドリゲスラフィー・レアビサミー・マレーロイスマエル・ミランダだ。

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出演者のざっとした紹介は2月のブログに書いたとおり。
→2月のブログ・ページへ



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コンサートは今地元で最も注目のダンス・チーム"ルンバ・デ・フエゴ"のパフォーマンスで幕を開け。
ラファエル・ピオンのこのチームはコングレスで来日してるから日本でも知ってる人は多いかも。

そこらじゅうで踊り、楽器を叩くやつらが発生し、会場は気温以上に熱く高揚している。

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さて、トップ・バッターのパポ・ココテ&ヌエボ・モントゥーノが登場。"El Nuevo Montuno Llego"でスタートだ。

1968年にベーシストのロベルト・ベリオスが結成。ロベルト&ヌエボ・モントゥーノとして人気を博したオルケスタをボーカルのパポ・ココテが引き継いで活動している。

ロベルトはエディー・パルミエリのプロデュースした、ラテン・ロック/ファンク・バンドの"Cafe"にいた。その為かエディーもやってる"Cafe"も取り上げてるし、モントゥーノにも影響を感じる。が同時にラフィー・レアビと共通する、非常にヒバロなフィーリングがあるんだ。これはエディーにはないものだ。

曲は"La Margarita", "El yerbero del barrio", "Mun~eca" と続き 、最後の曲は"Monina y Ramon"。これ、彼等の一枚目からのヒットだけど、未だにラジオでかかる。だから、やっぱり会場でも若いやつらが歌いだしたりする。スターターからして、実に濃い演奏で涙する。

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続いての登場はオルケスタ・ラ・マサクレ。フリート・カストロが作ったオルケスタで70年代に島で活躍。後に80年代以降ニューヨークをベースに大人気を博したコンフント・クラシコにつらなるメンバーが最初に組んだオルケスタだ。

この日の為に集まったオリジナル・メンバーはラモン・ロドリゲスティト・ニエベスフリオ・カストロ

このメンバーが一同に集まるのはめったに見られるない。ファンは大いに沸く。大ヒット“El pregonero”でスタートし “Domingo me llaman”, “Ya tu no enganas”と続く。

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途中でラモン・ロドリゲスがオマージュを受ける。
NY-PRのサルサを好きな方はこの人の事を是非覚えておいて欲しい。1977年の"The Artist"、1979年の"Los Amigos"などジョニー・パチェーコの作品で名前を見つけた人もいるだろうし、NYやPRでの数々の作品に作曲者、プロデューサー、コロやマラカスなどのクレジットを見た人もいるだろう。なんといろんな所で、サルサにヒバロの風味を振りまいて来た事か。

Dolor, esquina, miseria”, “Barriguita” と続き“El piraguero”でしめくくる。

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プエルトリコのサルサのラジオ局、例えばこのコンサートを主催している"Z-93"でもライバル局の"Salsoul"でもそうだが、未だに昔からの名曲をよくかける。その中で、名曲はさらに絞り込まれ"クラシコ/スタンダード"となる。その中で若い世代は古い曲である事をことさら意識せずに、良い曲を受け入れる土壌が出来ているんだ。

そんな環境があって、肩にタトゥーを入れレゲトンが似合うような兄ちゃんも、このラ・マサクレのヒットに声援を送るわけだ。

( パート2に続く)
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by mofongo | 2007-06-08 23:40 | Musica/SALSA
2007年 06月 08日
第24回 サルサ国民の日 (2) /Dia Nacional de la Salsa
(パート1より続く)

さて、3番目に登場したのはラフィ・レアビとラ・セレクタ

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このオルケスタは「サルサ・ヒバラ(ヒバロ・サルサ)」と言われるくらいのヒバロの香りを新しいフィーリングと融合させた数々のヒットで知られる。リーダーでピアニストであるラフィー・レアビとヒバロの香り高いボーカルのサミー・マレーロの個性はあまりに強烈だ。

(もしお手元に河村要助さん著の『サルサ天国』があれば219ページからの「プエルトリコの夜の深さ:ラフィー・レアビ、サミー・マレーロなど」を再読して頂ければその魅力が素晴らしい文章で描かれています。)

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"Somos el son", "Amor y paz", "La rosquillita", "Cafe colao", "El buen pastor", "Mi barrio", "La guinaita", "La cuica" 、そして"Soldado"とヒット曲がどんどん出てきて会場は盛り上がる。このオルケスタはやっぱ特別ですね。

最後の曲「ヒバロ・ソイ」(俺はヒバロ)では、ヒバロの歌い手が顔をそろえ、歌を競う。伝統の「コントロベルシア」だ。これは数小節ずつ韻を整えた(デシマ)即興での歌を競うもの。

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登場したのはまず、ヒバロのトロバドール一家、サナブリア・ファミリーを今やしょって立つビクトリア・サナブリア(Victoria Sanabria)姐さん。男性軍もまけてはいない。バカルディーのトロバド-ル・コンテストの優勝者、素晴らしい機知に富んだ即興を得意とするビクトル・マヌエル・レジェス(Victor Manuel Reyes)、そして大ベテランのマリアノ・コット(Mariano Cotto)。(写真左から、ビクトル・マヌエル・レジェス、ビクトリア・サナブリア、マリアノ・コット、サミー・マレーロ)

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それにクアトロのペドロ・グスマン(Pedro Guzman) とクラウディオ・プロディヒオ (Claudio Prodigio) が加わり、これまた即興を競い合う。

ペドロはエレキ・クアトロでした。プロディヒオは、来日の時同様にバキバキの早引き。すごいね。


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隣で聴いてた、まだ高校生くらいのあどけなさの残る兄ちゃん、必死で彼らのソロを見ていた。あとで、聴いてみるとクアトロ大好きで、彼らは偉大なアイドルなのだと。

「日本でマイ・クアトロの上にプロディヒオにサインしてもらったよ」と言ったら、驚いて仲間を呼んだ。

「日本にクアトロなんてあるのか?」とか「ヒバロのCDは売ってるのか?」とか、挙句の果てに「どうやったらクアトロが上手くなると思うか?」とか質問攻めにあった。最後は「皆でマエストロ・ラディとマソ・リベラ(今は亡きクアトロの大名人たち)を勉強しよう!」と盛り上がった。いやー、プエルトリコ。

◆◆◆

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さて、再びルンバ・デ・フエゴのダンスのパフォーマンスをはさんで登場したのはルイス・ペリーコ・オルテスのオルケスタ。若くして60年代末から80年代にニューヨーク、プエルトリコで活躍し、その後プエルトリコに居を構えてシーンを引っ張るペリーコ。






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今日はロベルト・ルーゴラファエル・デ・ヘススのオリジナル・メンバーがフロント!名曲の数々で会場はゆれる。








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"Mas amor"、"Islen~o"、"Tin Marin" 、"Bohemio"と来て、ステージにはカチェーテ・マルドナードとロス・マハデーロスが加わる。カチェーテは脳溢血で倒れてからリハビリを続けているが、再びステージで見られるのはなんとうれしいことか。カチェーテはカホンを叩く。

ルンバ風味たっぷりの'Como vivo yo'が始まるり、ペリーコのジャズっぽいソロが始まると、舞台にはテナー・サックス奏者が登場。


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ダビド・サンチェス(David Sanchez)だ。なんと強力なソロだろう。リズムがボンバのアクセントを強く押し出し、ダビドを煽る。トロバドール達がコロを繰り返す。その発声方法はヒバロ/プエルトリコのサボールそのもの、モントゥーノは島独特の色に満ちる。

同じモントゥーノの形式でもキューバの路地裏の音とプエルトリコの路地裏の音は確実に違うけど、このステージは島のベストのメンバーでその点をまざまざと見せ付けてくれた。

→YouTubeで動いてるのを見る

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興奮冷めやらぬステージに、、予告なしで登場したのがなんとTNT Bandティト・ラモス(Tito Ramos) と トニー・ロハス (Tony Rojas)。60年代後半から70年代にNY・PRでヒットを飛ばしたバンドだ。まさか、こんなところで見られるとは。 'Sabre olvidar'を歌い、会場は大喜び。




◆◆◆

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そして休憩を挟んで、今日のトリ、イスマエル・ミランダ (Ismael Miranda)登場。
いまさら"Nin~o Bonito"(美少年)でもないだろうけど、やはり彼を紹介するときはそうなっちゃうんだね。バックはルイス・ガルシアが率いる。





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さて、その彼がまさに美少年真っ盛りだった初期に在籍したのがジョーイ・パストラーナ (Joey Pastrana)のオルケスタ。
今日はそのジョーイがティンバレスで参加。ミランダの初レコーディングはこのバンドでの"Let's Ball"。そして最初のヒットが"Rumbon Melon"だ。ジョーイは60年代、ブガルー時代'Riquichi'などのヒットで一世を風靡した。今でも、クラブ系のMixiの音源で登場したりと、かっこいい音。

そしてオルケスタ・ハーロウに参加。 アルバム"Orquesta Harlow presenta a Ismael Miranda"ですね。そしてファニア・オールスターズの看板のひとりとなり、73年のオルケスタ・レベラシオン(Orquesta Revelacion)と続く。

その彼のキャリアに欠かせない盟友ネルソン・ゴンサレス(Nelson Gonzalez)のトレス、ニッキー・マレーロ(Nicky Marrero)のティンバレス 、ジョー・サンティアゴ(Joe Santiago)のベースが加わり"Se casa la rumba"、 "La revolución"、そして歌は"Cipriano Armenteros" 、"Maria Luisa"と続きボンゴにロベルト・ロエナ(Roberto Roena)も加わり、最後はデスカルガ。

こうして8時間以上続いたコンサートは終了したのでした。

◆◆◆

しばらく、ベンチに座ってぼけーっとしていた。なかなか帰らないグループもいてグラウンドでデスカルガ始めたり、踊ってたり。
横で、同じようにぼけっとしてた、家族連れのおばちゃんと目が合うと、

「良い夜だよね」

と声を掛けてくれた。

「昼も夜もプエルトリコはいつも最高」

と答えたら、笑ってくれた。

(パート3へ続く)
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by mofongo | 2007-06-08 22:48 | Musica/SALSA
2007年 06月 08日
世界少年野球大会・プエルトリコ大会
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だんだん暑くなって、野球シーズンですね。球場でひいきのチームを応援しながら飲むビールは最高です。

もちろんプロ野球や大リーグでの日本選手の活躍をTVで見ながら盛り上がるのも良し、そして夏休みは高校野球で地元のチームの勝敗に一喜一憂したり、第二のハンカチ王子を探すのもいいかも。

今年の夏は野球のもう一つ大きなイベントが、それもプエルトリコで開かれます。第18回世界少年野球大会・プエルトリコ大会(7月29日~8月6日)です。

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この世界少年野球大会、世界少年野球推進財団(WCBF)が旗振り役。あの王貞治、現ソフトバンク監督とアメリカのハンク・アーロンという日米のホームラン王が野球を通して世界の子供たちが交流することを目的にスタートしたイベント。

1990年、第一回のロス・アンゼルス大会を皮切りに、日本では千葉、水戸、宮崎、岐阜、盛岡、長崎、静岡、横浜、金沢、田辺、山口、淡路島、群馬、北海道で開催、海外でもサンディエゴやカナダのレジーナで開催され、なんと今年は、プエルトリコ!

今年は日米のほか、カナダ、フランスなど14カ国、計140名が参加。日本からも各地から選ばれた精鋭20名が参加します。

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なにせ野球の盛んなプエルトリコ、未来の大リーガーとなるかもしれない地元の野球少年たちも楽しみにしてるでしょう。

日本から参加の少年・少女たちも、これを機会に大リーグで活躍する日本人選手だけでなく、プエルトリコ出身のイバン・ロドリゲスなどなども一緒に応援してくれるとうれしいですね。

→プエルトリコの野球情報はこちら(日本語)
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by mofongo | 2007-06-08 04:53 | Cosas/出来事
2007年 06月 07日
前回の旅の記憶(1) バルバドス
3月にプエルトリコやカリブ・中米に行って、気がついたらあっという間に3ヶ月近く
ハイチエル・サルバドルからの友人たちも来たし、楽しい音楽、面白い本や映画や絵ををHoppingし、バカ話で飲んでたりしたら3ヶ月なんて直ぐだった。。。

旅日記はPCに書き溜めてたのだけど、アップをサボってたら、もう次の旅が始まること。はぁ。。。
来週から、またカリブを2週間ほど。

せめてドサ回りが始まる前に、少しは書いておきたい。なんせ、最近記憶の蒸発現象が続出で3ヶ月以上メモリは持たないのだ。


◆◆◆

バルバドスに行きました。1年ぶりくらいか?

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大変よく働きました。良く働きすぎて足の皮がむけました。
顔の皮も背中もむけました。
色も黒くなってしまいました。
ひりひりしました。

病気かもしれません。





さて、あまりに忙しくてお昼は、街中に車で売りに来るランチ・カーで手早く済ますしかありませんでした。

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カリブは西語圏、英語圏、仏語圏、蘭語圏、クレオール語圏、パピアメント語圏、と各々特徴がありますが、地元メシは米をベースにしたものが多いので大変ありがたいです。


おなじみのシチュー系、バナナ系などありましたが、今回は豚の足としました。沖縄料理の豚の足もたいへんうまいですが、このトンソクのマリネは絶品でした。

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下味の塩味加減の絶妙な上に、ライム・ベースで野菜がマリネされた肉は、一口食べると、非常にさっぱりとしつつ豚の風味と塩味とライムの酸味の素晴らしいバランスが口一杯に広がります。

思わずかみ締めると、非常にやわらかいポークの肉質が適度なコラーゲンの歯ざわりと共に脳の神経を刺激しました。瞬間、目の前に幸せ感覚が充満し、笑いが沸き起こってきました。

食事を共にしてくれた友人は「なにか、問題か?」と心配してくれました。もちろん何も問題ありません。その料理をほう張りながら、固い握手をするのが精一杯でした。

◆◆◆

という事で、大変疲れた体を引きずって宿に戻りました。体調がすぐれないので、浜に出てオゾンを吸入する事としました。
横たわっていると、白い上下の服装の人がやって来ました。

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「何かお持ちしましょうか」

多分お医者さんだったのでしょうか。白衣にしては少し変わったもので、宿の名前が胸に刺繍してありましたが。

当方が、あまりに色の黒い、顔色のよくない状況だったので、薬でもと思ったのでしょう。

「何か、気分のよくなるものはありますか?」

と聞くと、薄い本のようなものを見せてくれました。
多分、薬のリストだったと思います。

「どれが、効きますか?」
「そうですね、温度が高いので、よく冷えた"Carib"はどうでしょうか」

お医者さんは体温計もなく、当方の体温が高い事を見抜いたようでした。カリビアン・マジックでしょうか。
勧めに従って「カリブ」という薬を頼みました。

しばらくして、お医者さんの持ってきたのは、ビンに入った薬で、日本での一回分の薬よりは大きなものでした。

「このサイズが普通なのですか?」
「必要ならさらに持ってきます」

大変、面倒見のよいお医者さんでした。さすがリゾート地です。薬を追加しました。
薬が効いたせいか、大変気分がよくなってきました。


前を見ると、他の患者が飲み残した赤い薬がありました。
眺めていると、ここのリゾートの薬は鳥にも人気があるのが分かりました。
よく効くのですね。
下の写真です。

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患者は泳ぎに行ってしまいました。











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「お、薬だ」













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「ぐびぐび」



夕日を見ているとかなり体調が回復したので、お医者さんに礼を言い、シャワーを浴びてお客さんと待ち合わせです。





今度は適度な運動です。ソカ&HIP HOPを踊りに行くこととしました。
また旅は続く。
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by mofongo | 2007-06-07 07:52 | Viaje/漫遊記