<   2007年 12月 ( 4 )   > この月の画像一覧

2007年 12月 13日
プエルトリコ '07.12 (2) Viera Discos
((1)より続く)

オールド・サンファンからCalle Cerraへ急ぐ。Vierra親爺に会う為だ。

いつものようにポンセ・デ・レオン通りからセラ通りをたらたらっと下る。お、DISCO HITSが大きな店を出してる。なんだ、親爺も商売やりにくかろうなあ。


b0015362_1382141.jpg
・・・ない・・・・

親爺の店がないじゃん・・・・

店はもぬけの殻・・・"Se Alquiler"(貸家)の張り紙が・・・・

まさか、DISCO HITSに負けて倒産したとか、それとも親爺の身に何かが・・・



近くのコルマドに飛び込んだ。

「あ、あの、ビエラ・ディスコはいったい・・・」
店員「ん?2ブロック先に引っ越したよ」


なんだよ。張り紙くらいしておけよ。


◆◆◆


b0015362_1385018.jpg
じゃーん!おお、なんかでっかくなったな、びっくり。
入り口で親爺とリッチーがクリスマスの飾り付けをしてる。

「おや、久しぶり。元気か」
「親爺もお元気で。Feliz Navidad。新装開店だったんすか」
「ま、入れ」

早速、ブツを物色にかかる。いつもの店員が色々勧めてくれる。

b0015362_1582114.jpg
店1「これニーチェにもいたやつでさ、お勧め!」
店2「こっちはプエルトリコの新人の兄ちゃんたち。なかなかやるよ」

なんてやってるとあっという間に時間が過ぎる。

店の一番奥は一段高くなっていて、ライブも出来そう。2階の中古盤コーナー(LP)は観覧席になりそうだし。

「ねえ、ここ、コンサートも考えて作ったの?」
「いや、もと教会だったんよ

お、またウイリー・ロサリオ先生がやってきた。ビエラでダベるのは日課なんだね。
そして先生と古いビデオを見るのもここに来る楽しみの一つ。

b0015362_14401.jpg
古株の店員がセットしたのはカルメン・デリア・ディピニのTVショー。
彼女はボレロ歌手。ロサリオ先生はうれしそうにじっと聴き入って、店員と色々話す。画面ではディピニが司会ともう一人のゲストと話している。

ロサリオ先生が話しかけてくる。



b0015362_147147.jpg
「おい、あれ誰だか知ってるか」
「えー、分かりません」
ロ「あれはパコ・ルイス・ビダル。作曲家だ。もう亡くなったけどな、良い曲を沢山書いてる。」
「先生、やっぱりボレロは大事なんですね」
「良い歌をたくさん知らなきゃだめだ」

うーん。プエルトリコって、良い歌い手を輩出してるでしょ。
トリオの時代、マンボの時代、サルサの時代、ポップスも。
これって、良い作曲家もたくさん輩出しているってことなんだよね。


ああ、時間がいくらあっても足りない。しかし、もうそろそろ時間切れ。

「じゃ親爺、良いクリスマスを!」
「おお、お前もな。そうだ、プレゼントをやろう」
「あやー、こんな文献を!ありがとね」

◆◆◆

さて、一旦宿にもどり、ひさしぶりに友人のMichiruさんに会いに。
地元話、家族の話、飯の話とあっという間に時間が過ぎる。
彼女にもらった、おいしい情報によると、コンダードでリコ飯のお昼食べるならダイヤモンド・ホテルのプール・テラスがねらい目だって。6ドルでドリンク付きの地元価格!

名残惜しいけど、次を急ぐ。

b0015362_1483982.jpg
今度は、サルセーロ公園だ。トニーオリベンシアが亡くなって、今年ついに銅像が立てられたというニュースは読んだが、やはりお参りに行かねばならない。

バスを待つがなかなか来ない。隣でアンディー・モンタニェスのポスターが「まあ、急ぐな」と笑ってる。








ようやく公園に到着。オリベンシアは一番左だ。

b0015362_1553533.jpg
このサルセーロ公園は、サンファンの下町ビジャ・パルメラスにある。丘を越えればバリオ・オブレロ、道の反対側はジョレンス・トレスカセリオ(プロジェクト/公営アパート)という、コテコテの庶民の街にある。ここからミラマールまでの「サントゥルセ」といわれる一帯から出た音楽家はいかに多いことか。

コルティーホ
イスマエル・リベラペジン・ロドリゲスもボンバのセペーダ一家アンディーペリーコも、と挙げればきりが無い。

そのコルティーホイスマエル・リベラペジン・ロドリゲスエクトル・ラボーに続いてオリベンシアが胸像になったのだ。オリベンシアというのが、いかにサルサの歴史の中で重要人物かよく分かる。

b0015362_1555429.jpg
60年代前半、まだNYでサルサが生まれていない頃、すでに彼の音はサルサと言って良いものだった。そして、彼が見込んだ数々の優れた歌手、起用した作曲家と作品、そのスタイルと、グラン・コンボやポンセーニャ、ロサリオとまた違った、バンド・リーダーの個性・主張がある。

5体に順に手をあわせていると、怪しい東洋人を地元のお子様たちが警戒している。
そこで皆に話しかけてみた。

やあ、みんな、元気かい
「・・・・」
「(うっ、明るく声かけて、かえって警戒された)この人たちは一体だれなんですか?」
お子様1「彼らは偉大な音楽家たちです。」
「どんな音楽なのですか?」
お子2サルサです
お子3「この人は(とコルティーホを指差す)はボンバやプレーナも演奏しました」

「(おお、やるなあ!)では、みんな、こんな歌は知ってますか?Las caras lindas de mi gente negra♪~」
「知ってます。知ってます。この人、この人(とマエロを指す)」

ああ、素晴らしい(涙)。
我々も、日本の素晴らしいメロディーのことを子供たちに教えんといかんなあ。

b0015362_1562083.jpg
ふと右手を見るとあと3体分の台座が作ってある。
誰のだ?

「これらは誰の為のものですか?」
お子1「知りません」
お子2「ダディー・ヤンキーかも」

がははは、これはいい。彼らはイスマエル・リベラダディー・ヤンキーも同列なのね。
伝統ってこういう位置にあると、音楽は衰退しないんだろうなあと、5賢人の像に改めて敬意を表したのでした。
[PR]

by mofongo | 2007-12-13 01:34 | Musica/SALSA
2007年 12月 13日
プエルトリコ '07.12 (1) Musica Antillana
(前夜よりの続き)

携帯の目覚ましがなる。7:00amだ。うー、眠い。しかし、アポがある。

あー、二日酔いなのか寝不足なのか、食欲が無い。しかし、こういうときこそショック療法だ。隣のバーガー・キングでワッパーを食おう

ん?今月のキッズ・メニュー(Cofre Magico)のおまけはダディー・ヤンキー・グッズじゃん。
うー、欲しい。しかし、「大人には単品でお売りできません。」って書いてある。
つまり、2人分食うしかないって事?げーー・・・


b0015362_2334177.jpg
つい物欲に負けました。
ワッパーのRegular+キッズ・メニュー。フライド・ポテトが二人分、さわやかに香る。
うー。。。。

ちなみにおまけはDYロゴの入りの小銭入れでした。金の地にピンクでDYロゴが。
かなりBlin Blin.


◆◆◆

さて、胸焼けも最高潮に達したところで、オールド・サンファンへ。プエルトリコ大衆文化国民基金(Fundacion Nacional para Cultura Popular)に向かう。

b0015362_23385194.jpg
プエルトリコ音楽やサルサに興味がある人で、ネットでアーティストのバイオなんかググった事のある人はこのロゴのサイトに行き当たったことがあるのでは?

もっとコアでプエルトリコの60年代のポップスとか興味のある人は「Nueva Ola」という本を知っているかも。(そんなの日本に5人もいないだろうけど)

この基金の理事で、「Nueva Ola」の著者でもあるハビエル・サンチアゴ氏に会いに行くのだ。

なんで行くのかって?それは色々話を聞きたいことが。

◆◆◆


コロンブスがカリブ海に到達してから数世紀の間、カリブの島は元々住んでいたアラワクやカリベ、タイーノといった人たちの文化、欧州からやってきた英・仏・西・蘭・北欧などの人たちの文化、アフリカから奴隷として拉致・売買された人たちの文化が大きく、緩やかに交じり合ってきました。

その中で各々の島は、少しずつ異なる背景による違った文化と同時に、「カリブ」を串刺しするような感覚の文化や音楽を育んできました。

b0015362_0594090.jpg
英語圏では"West Indies"とくくられる文化、仏語圏では"Creole"と呼ばれる文化、西語圏では"Crilolla"や"Antillana"とか言われる感覚などに共通した部分があります。(写真左はNew OrleansのKing Oliver Creole Jazz Band)



そんな背景の中で、プエルトリコの音楽家はクラシックから民衆の音楽まで、様々な分野で他の島と交流し、プエルトリコならではの音を広めていました。

クラシックの例をひとつあげれば、19世紀から20世紀のキューバの有名な作曲家、イグナシオ・セルバンテスの娘はプエルトリコのゴンサロ・ニュネスに師事したりしています。

◆◆◆

b0015362_154141.jpg
キューバで廃れてしまったダンサはプエルトリコでは独自の発達を見ましたし、その後のポピュラー音楽で言えば、60年代後半にある新しい音楽に「サルサ」って名前が付けられるずっと前から、プエルトリコの音楽や音楽家はNY、キューバ、メキシコと海外でたくさん活躍してました。

たとえばオルケスタで言えばモンチョ・ウセーララファエル・エルナンデスラファエル・ムニョスオルケスタ・パナメリカーナミゲリート・ミランダなどなどです。(写真右はミゲリート・ミランダのオルケスタ)

特にボレロや歌ものをカリブならではのリズム感に乗せたサウンドは得意中の得意だったと言えます。

b0015362_141716.jpg
エルナンデスからペドロ・フローレスボビー・カポダニエル・サントスなどの男性歌手(&作曲家)、フリータ・ロスシルビア・レサーチカルメン・デリア・ディピニルース・フェルナンデスなど女性歌手など、カリブ、メキシコからアルゼンチンまで人気のあったスターは一杯です。
(写真左はクァルテート・ビクトリア。左がボビー・カポ、真ん中がラファエル・エルナンデス)

サルサは60年代後半に名前が付けられた音楽ですが、プエルトリコの60年代初には、すでにサルサと言えるフィーリングのグアラチャやワワンコーが誕生してますし、その音は「アフロアンティジャーナ」の音楽としてカリブ圏に広がっていました。

b0015362_1115483.jpg
チャマコとパキートを擁したトミー・オリベンシアの62年の音はすでにサルサですし、それは仏語圏のマルチニーク、グアドループで大ヒットしているくらいですから。

そんなベースがあって、NYで商業的にネーミングされた「サルサ」は急速にラテン・アメリカに広がったのです。なにもアメリカから中南米への強力な配給網あったから広がったわけではないのです。

すでに、カリブ圏や中南米にはその音を受け入れるベース自体あった。そしてそれがまだサルサをより強化する背景にもなったのです。

◆◆◆


30年くらい前にサルサが日本で知られるようになった頃には、このあたりの情報は全くゼロと言って良いくらいで、キューバンを中心としたソンやマンボの情報しかまとまったものはなかった。

だから、キューバ音楽を中心に音盤から手探りで歴史を紐解いていたのが実態だと思うけど、今、ネットの時代にになってそれ以外の情報が山のように手に入るようになりました。

そしてキューバのみならずプエルトリコ、コロンビア、ベネスエラと気軽に行ってナマ情報が手に入るようになった。

b0015362_1224910.jpg
ところが、日本じゃ未だに30年前とあんまり変わらないような歴史認識のような気がするし、自分がニューヨークで、プエルトリコで、コロンビアで、ベネズエラで聞くサルサ・ファンの「常識」とずれている。

そんなプエルトリコの音を調べている中で、サンチアゴさんにはメールで色々教えてもらってたのだけど、今回直接色んな話をしに行くことにしたのでした。(写真左はサンチアゴさん)




◆◆◆

いやー、濃かったわ。
b0015362_1274772.jpg
色んな視点と情報を頂きました。コレクションの中のボビー・カポの自筆原稿とかピアノとか見せてもらったり。

この話はまた別途。

濃い話とは別に、この時期の旧市街は歩いていて楽しい。そこらじゅうがナビダーだから。
次はビエラの親爺に会いに行かなくちゃ。カジェ・セラへ急ぐ。

(続く)
[PR]

by mofongo | 2007-12-13 00:27 | Musica/SALSA
2007年 12月 12日
漫遊記: トリニダード 07.12
b0015362_21141212.jpg
空港に着いたのは夜11:00過ぎ。いつものマチェル・モンタノの広告が迎えてくれる。荷物が出てこない。そのうちコンべアが止まる。くそ、ロストだ。

見ると、周りで30人くらいが憮然とした顔してる。ふーん、これなら明日には出てくるな。
アメリカンのカウンターでロスト・バゲッジの手続きをサクっと済ませ表に出る。

もう0時を回ってる。タクシーしかない。

トリニ弁がんがんのタクシーのおっちゃんにOld calypsoのラジオ局をに合わせてもらう。ロアリング・ライオンの曲が最初に流れた。おっちゃんとは最近の治安の話で盛り上がる。

b0015362_21192557.jpg
景気が良いのだ。石油やエチレンの価格が高止まりしてるから政府は金をばら撒くし、そのせいか首相は再選を果たすし、それがまた安定感を生む。

同時にこういう景気の話は、必ず恩恵を得ない層と拝金主義のコンビネーションが治安の問題を生む。おっちゃんの話によれば、南米からUSへ流れるドラッグのルートの一つ、カリビアン・コリドー/ベネズエラ・ルートの南端のトリニダードをブツが通過する。そしてそのとき、護衛に使われた軽銃器が国内に残るのだそうだ。

そいつは当然ディーラーの抗争に流れたり、キッドナッピングに使われる。
やれやれ。。。でもそれもトリニダードの現実。

◆◆◆


さて、今回は仕事の予定がたっぷり。それでもいくつか骨休めもあり。

b0015362_21212767.jpg
まずクリスマスのムードはパラン(グ)(Parang) 。ちょっと練習を見に行った。パランをやるグループはパランデーロスって呼ばれる。この日のグループはLos Buenos Parranderos。Silver Starsのスティールドラムとの共演。いやー、いいすなあ。

パラングの語源はプエルトリコでもクリスマス定番のパランダと同じ。スペイン系の伝統。
4弦のクアトロ、マラカス、ギターなんかで奏でられる。西語で歌われ、メロディーもスパニッシュ。トリニでは日常の音楽ではない。だからこれを聴くと、ああトリニはクリスマスなんだなぁとしみじみする。

b0015362_21235067.jpg
近くの食堂で昼飯。今年のワールドカップ・クリケットの時オープンした"Bat & Ball" 。クリケット・ヤードの隣にある。古いイングリッシュ・パブのスタイルでなかなか良い感じ。

こういう所にくると、英国との歴史を感じるね。








b0015362_2128132.jpg
飲み物はソレルを頼んだ。ソレルは赤い実から作られる酸味のある飲み物。これもクリスマスの定番。

その他にも、トリニのクリスマスには色んな定番メニューがある。これがまたこの時期のトリニの楽しみの一つ。







◆◆◆

b0015362_21334069.jpg
しかし、トリニの12月はクリスマスのパーティー・タイムと共に、「いよいよカーニバルが近づいたぞ!」って感覚のほうが強い。

新聞でも'08のコスチュームを改めて取り上げ、ところどころでPan Festivalが始まり、パンヤードでは練習に力が入る。



飯の後、近くの"Island People”の事務所とその関連のマスキャンプ"Island People Mas"に行ってみた。

b0015362_2043174.jpg
Island Peopleは建物もトリニの国旗カラーで決めててすばらしい。事務所のほうはイベントを扱っている。カーニバルのパッケージももちろんの事、地元のAll-inclusiveのパーティーも。バンドから飯から飲み物から、これでもかと企画がついて一人US$30くらいで十分なのはすごい。




さてお目当てのマスキャンプ。マス・キャンプとはカーニバルのコスチュームを作っているところ。Island Peopleはその中でも大手。今年はAnimal Instinctiveがテーマとか。
いやー、みんな一生懸命製作中だったけど、素晴らしい出来。電池切れで写真が無いのが残念だけど、彼らのサイトで見て見てください。。

http://www.islandpeoplemas.com/

◆◆◆


夜に手近なWoodbrookのパンヤードを3ヶ所回ってみた。

■Silver Stars
b0015362_20473195.jpg
まずは昼間パランの練習を聴きに行ったSilver Stars。ここはレネゲーズみたいに大手じゃないけど、昔からのパン・オーケストラ。ミディアム・バンドの編成。
ベース・パンの迫力がすごい。





b0015362_20531989.jpg
通常日本じゃ6ベース(ドラムカン6本)だけどここでは9ベースでした。コンサート・マスターの指導があるとぐっと音が締まる。






■Woodbrook Playboyz
b0015362_20481889.jpg
こちらも歴史あるパン・オーケストラ。カリブ・ビールでのどを潤しながら見学。
小さい編成でのグループが練習中。







b0015362_2125438.jpg
お、これはブラック・スターリンの91年の大ヒット"Ah feel to Party"だ!Blackman feel to the party, blackman feel to chacha~♪っていうパーティー・チューンだけど、ブラック・スターリンが偉大だって言うのがよく分かる。そしてこういう風にそれに対するレスペクトがあるのがこれまた素晴らしい。




b0015362_20534712.jpg
演奏は、なかなか凝ったアレンジでとても良かった。テナー・パンがばっちり合うのは当然として、素晴らしかったのはダブル・センカンド・パンのリズム感がちょっと濁らせたような音質とマッチしてすごく説得力のある演奏。いやー、小編成のパンは一人ひとりの個性が楽しいね。



■Invaders
b0015362_20512033.jpg
ここは老舗。ビッグネームの一つ。
ジャコ・パストリアスが好きな人なら"HOLIDAY FOR PANS"ってアルバムをご存知でしょう。あそこで素晴らしいパンのプレイを聞かせてくれているオテロ・モリノウ(Othello Molineaux)はこのインベーダーズの出身。




b0015362_20594589.jpg
いやー、さすが練習とはいえダイナミクスの付け方が素晴らしい。テナーの息がいまひとつ合わないとディレクターがすかさずストップ。チェロ・パンの兄ちゃんの動きがかっこいい!







b0015362_2101895.jpg
責任者っぽいおじさんが色々説明してくれる。
「ほら、あそこの中国人、今年の夏に日本に行ったんだぜ」

そうそう、今年の夏、Caribbean Magic Steel Drum Orchestraが来日しましたね。
レネゲーズのメンバーが中心だったけど、インベーダーズからも居たんだね。



b0015362_21044100.jpg
その後、倉庫や過去のトロフィーなんかも見せてくれた。
そして、この年はどうだったあ、ああだったと説明してくれた。どんなプレーヤーがいたかとか。






b0015362_211156.jpg
PlayboyzのヤードにもWinston Spree Simonのポスターが飾ってあった。
彼は、1930年生まれ。彼こそが、タンブーバンブーが禁止された頃、代わりになべを叩いているうちに音階が作れるのを発見して、スティールパンが生み出されるきっかけとなった伝説のプレーヤー。9才でバンドリーダーとなり、15才でJohn John Bandのリードを勤めたそうです。

まるで、彼がつい昨日までそこにいたような話しぶりに、伝統ってなんだろ、って思う。
伝統って、きっと昔の事じゃなくて何が素晴らしいかって時を越えた基準があるってことなんだろなあ。





b0015362_2115288.jpg
CD1枚買って、おっちゃんにお礼を言ってTragarete通りをふらふら歩く。
ビールとフェルナンデスのラム・コークで気持ちよくなった頭に風が心地よかった。
[PR]

by mofongo | 2007-12-12 21:33 | Musica
2007年 12月 12日
現在漫遊中 07.12:赤と黒の違い
現在またもカリブ漫遊中です。
カリブや中南米は豆の料理が多いですね。今回は2ヶ所の豆ごはんを比べてみました。


b0015362_2114661.jpg
まず、左はマイアミ。キューバ・ファンの方が思わずよだれする「白ご飯に黒豆・フリホーレス・ネグロぶっかけ、それに豚の煮込みです。

実にこってりとした煮込みとこの黒豆はベスト・コンビナシオンです。ベニー・モレの歌のよう味わい。





b0015362_2122044.jpg
そして右はサンファン。プエルトリコ・ファンの方思わずよだれする「白ご飯にヒンク豆・アビチュエラス・ロサーダぶっかけ、それに豚の煮込みです。

こってりとしたなかにオリーブなど加え特有のサボールの煮込みとこの赤豆はベスト・コンビナシオンです。そう、イスマエル・リベラの歌のような味わい。



しかし、このキューバとプエルトリコ。同じようなルーツを持ちつつなんで違うのよ?



アフロ系の人たちの歴史が異なるのもひとつ。

奴隷解放だってプエルトリコは1870年、キューバは遅くて1886年。ちなみにリンカーンの奴隷解放宣言は1863年。

b0015362_2125858.jpg
アフロ系の人たちの人口構成だって違う。

キューバの黒人系人口の推移の統計は持ってるので、今回の旅ではプエルトリコ側の資料を買いました。"サンファンの19世紀の奴隷と開放奴隷"という副題の付いた研究書。

いやー、おもしろいわ。プエルトリコの下町サントゥルセからどうしてあんなに色々ボンバ、プレーナ、ボレロ、サルサ、ボレロ音楽家が生まれて来てるのか。キーワードは混血かも。



マイアミで白メシにフリホーレスをぶっ掛けてもらうとき、「ブランコ・イ・ネグロ」なんて言います。白と黒ですね。白黒言うのがナンセンスな絶妙の一体感を持ちつつ、黒の色もはっきりしている。

一方、アビチュエラの方は、褐色ですね。



プエルトリコの歌に"Tu abuela donde esta?"っていうのがあります。

b0015362_2132219.jpg
ルース・フェルナンデスの有名なヒットなんですが、「白い」事を鼻にかけているやつに「ふーん、じゃお前のおばあちゃん連れてきて見てよ」って感じの歌なんです。混じってると、たまたま白っぽく出る場合もある。だから「白い?だからどうっだってのよ」って。

つまり、混じりあってるプエルトリコの中には白く見えても、アフロ・ルーツがしっかり溶け込んでいる背景がある。褐色のパワー。エル・グラン・コンボのニックネーム”Los Mulatos del Sabor"ってここですね。


きっとこれはプエルトリコがミス・ユニバースを輩出している事にも関係あり。
しかしそれを証明するためには、もっとそのあたりの深い観察が重要です。


という事で、今晩も観察に行ってまいります。サルサに行こうかレゲトンか?
(↑それが落ちかよ)
[PR]

by mofongo | 2007-12-12 21:05 | Cocina/料理