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2010年 09月 30日
ビーバップ&キューバップ・ダンスパーティー/菊地成孔@Pit Inn
菊池成孔3デイズ・新宿ピットイン。
第二日目『ビーバップ&キューバップ・ダンスパーティー』今年の新企画。

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曰く「ビーバップ&キューバップだけを演奏するバンドを入れ、司会もDJも入れた40年代アンダーグラウンドスタイルのダンスパーティ」

曰く「ヌルいダンス・ナンバーや、周辺ジャンルであるジャイヴ、ジャンプ、オリジナル曲などひとっつもやりませんぞ。パーカー、ギレスピー、ダメロン、シルヴァーといった、オリジナルビーバッパー/オールドスクーラーによるゴリゴリのビーバップとアフロ・キューバンジャズしか演奏しないバンドのいるダンスフロアを皆様にご提供させて頂きます」というもの。

そして遊びに行くにはこんなガイドラインも。

1) カップル限定(ゲイ、レズも可)

2) 男性はスーツ&タイが義務(下半身は何でも良し。女性はドレスコード無し)



ははは、こういうの過去にないですね。


まずピットインの椅子・机は全部とっぱらってダンスフロアにしちゃうなんて史上初だし、
そして、こっちが本筋だけど、「バップで踊る」パーティーなんて。


バップで踊る、ってあり?、っていう問いはひとつ前の日記に書いた通り以前からのナゾ。「モンク踊り」はあるけどなあ。
→ひとつ前の日記へ

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デ-ヴィッド・W.ストウの『Swing Changes』には、第二次大戦後のタイミングでスイングが急激に力を失った様子が描かれている。

1946-47年にはグッドマン、ドーシー、ハリー・ジェイムス、アーティー・ショウ、レス・ブラウン、ベニー・カーター・・・とビッグ・ネームのオーケストラが軒並み解散した。


理由は戦後の気分とスイングのギャップだとか、コンサート・ホール型へ移行したスイングが本来の魅力を失ったとか色々言われてきた。しかし、ダンス好きのDNAをもったやつらのエネルギーは簡単に消えるかぁ?。みんな何処へ?


日記にマンボのメッカとなる"Palladium"の48年の開店と49年のバップのメッカ"Birdland"の開店の事も書いたけど、パレイディアム(パラディウム)の初期のお客はヒスパニック(プエルトリカン中心)と黒人の混在だったという。

彼らはカーネギーでスイングやバップを聴く層とは明らかに違う、夜遊び好き、ダンス好きな兄さん、姐さん、にーちゃん、ねーちゃんだったろうな、と思う、


でもマンボとジャズはビート感が違う。

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Lindy: Frankie Manning (リンディのトップの踊り手。)とNorma Miller Whitey



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Mambo: Cuban Pete(マンボ時代のトップの踊り手。プエルトリコ人)とMillie Donay


ジャズのスイングビートが好きなダンスマニアは、パーカーやダメロンで踊ってみようともしなかったのか?みんな簡単に引退したのか?「バップはジャズからダンスを奪った」というが、話はそんなにシンプルなのか?

カーネギーでのガレスピーのコンサートにジターバグたちがやってきて調子外れの手拍子はするわ踊るわ騒ぐわで聴衆の顰蹙を買ったという話もあるじゃないか。


ジターバグはかっこいいバップでも踊ってみたのでは?



だけどこのあたりは映像も文献も殆ど見かけず、確かめようもない。
自分で試してみるしかないなぁ。

◆◆◆

まずDJ KIKUCHIでスタート30分、オール・スタンディングの会場は50ペア/100人はいてピットインは満員。

そしてアモーレさん&ルルさん(http://swing-jack.com/) によるリンディの簡単なレッスン。

初心者用リンディのステップ、6カウント(8ステップ?)でのレッスン。8カウントのラテンに慣れている体が戸惑う。何人か踊って頂き体になじませる。

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そしてDJ nadjaの時間。ミッド・スイングがありがたい。ベイシーのシャッフル。皆習ったステップを試してみる。楽んでるね。

フロアは酸欠状態。ダンスを想定しないピットインは換気が弱い。一旦ブレイクして外の空気を入れることに。前例のないイベントはおもしろい。タバコとビールで一服。






いよいよ演奏へ。今日は2バンド。直前までメンバーは伏せられてたが面白い組み合わせで楽しい(敬称略)

まず類家心平(tp)矢野沙織(as)平戸祐介(p)永見寿久(b)、藤井信夫(ds)

そして
佐々木史郎(tp) 津上研太(as) 坪口昌恭(p)須長和弘(b) 服部正嗣(ds)

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矢野沙織(as)は胸のあいたドレスのハード/クールなイメージと太い音、そしていつものキュートな笑顔がかっこいい。今年リリースの9枚目は"Be-bop at Savoy"

佐々木史郎(tp)はDCPRG、オルケスタ・デ・ラ・ルス、熱帯JAZZ楽団、BIG HORNS BEEでおな
じみ。この人ファンなのだ。
津上研太(as)はDCPRG、BOZO、村田陽一orchestra、大友良英NEW JAZZ QUINTET
藤井信夫(ds)はDCPRG、坪口昌恭Trio、菊地成孔Quintet、Giulietta Machine
坪口昌恭(p)、類家心平(tp)は菊地成孔ダブ・セクステットのメンバー
平戸祐介(p)、須長和弘(b)はクラブ・ジャズで人気高い>Quasimode/クオシモードのメンバー。イケメン。
永見寿久(b)は坪口昌恭Quartet服部正嗣(ds)は菊地とNHKドラマ"チェイス"の音楽を担当したメンバーの一人。スガダイローtrio、類家心平trio、Daitokai、Zycos

曲はNow's the time, Confirmation, B-bop, Groovin' high,...Billie's Bounce, Scrapple from the Apple, Reluxin' Camarilloもあったかな、とにかくバップのスタンダード全開。Cu-bopはNight in Tunisia とラストのManteca 。


◆◆◆
さて、バップで踊れたかって?

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ミラーボールが光る中(ピットインってミラーボールなんてあったっけ?)、ダンスフロアはちょっと酸欠状態になるくらい皆踊った。ステップはリンディなカップルもいれば、オフビートで体を揺らす人と色々。

自分はペアのbetty嬢と組んでリンディ基本形でリズムに乗ってみたり、ブレイク・アウェイでどう乗れるか試してみたり。

その日初めて習ったシロートの感想としては、6カウントはミディアム・テンポのナンバーにとても気持ちいいけど、テーマやリフにキメがあったり、ソロのアタックとかに対応できず。アモーレさん&ルルさんが踊ってるのを見ると、音楽のアクセントと会った動き。きっと8カウント/10ステップとかの体得が必要なのか?

でも6カウントの呪縛から離れ、「テキトー6、テキトー8」で踊るとなかなかエキサイティング。耳の横にII-Vの波の繰り返しとレガートがPushしてくる。大波とコードチェンジの細分化が同時に押してくるのだ。


◆◆◆
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そして2バンドの間に、なんと瀬川昌久先生登場!お姿を見るのは何年振りだろう。すごいお元気そう。

瀬川さんは1924年生れ。86才!1950年代、銀行員としてニューヨークに滞在中、当時のジャズ・シーンにどっぷり。パーカーを2回も見たことある人は他にいないのではないだろうか。帰国後ジャズの評論に従事。スイング・ジャーナル等の多くの執筆のほか本も何冊も出されてます。昔、演奏にコメント頂いたことあったなぁ・・。

『ベニー・グッドマン物語』や初期のリンディの映像、そしてクリント・イーストウッド作のチャーリー・パーカーを描いた映画『バード』を使ってスイング/バップとダンスの解説。多分サヴォイかな、曲が"Stompin' at Savoy"だったと思うShim Shamのステップ。この映像なんて初めて見た。

Hellzapoppin' Swing Dance Scene


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お話のあとのステージで奥様と踊っておられました。良い感じだった~!さすが『ジャズで踊って』(清流出版)を出されている見事な踊りっぷり!







◆◆◆
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さて、菊地さんは、ブログでは「吹く」と書いてあったと思うけど今回はMC"シンフォニー・シド"に徹して司令塔となっていた。フレームは組み立ててあるものの、プレイヤーも踊らせるバップのステージなんてやった事ないだろうし、全てはフロア次第って実験だからマスターは必要だったですね。

でもフロアはしっかり踊ってて大成功じゃないでしょうか。なにしろ予定調和がどこにあるのかよく分からない中、音を介してのプレイヤーとダンサーの結果としてのコラボだったのが一番よかったかも。

ビーバップ、キューバップのダンスの再現が目的ではなく、リズムが根源的に持っている「動く情動」を試したような今回。それはパーカーのプレーに強くある圧力のある音とリズム。

そしてそれは、バップへの固定観念やらステップの型やらステージとフロアの分離やらを、「ペア」「ダンス」「リズム」という情動から出なきゃ面白くないもので大きくくすぐってみた菊地ワールドの一つだろうかな、と思いました。


そういいう意味で、次回は(あるのか?)フランキー・マニングとペドロ・アギラー(キューバン・ピート)が対決または同時に音に挑戦するような場とか、ペアで踊るかけひきのもやっとした場をもっと今あるジャズから引き出してくれるような絵もみたいなあ。

楽しい夜でした。
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by mofongo | 2010-09-30 08:35 | Musica
2010年 09月 28日
NYのジャズとラテンの間 - Be-bopで踊れるのか?
昔からよく考えていたことがある。

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最初は多分1977年ののウエザー・リポートのアルバム。

1曲目:バードランド/Birdland
6曲目:パレイディアム/Palladium






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ジャズを聴き始めた自分にも「バードランド」は分かった。1949年、チャーリー・パーカーのあだ名から命名されたBroadway-52ndにオープンしたジャズ・クラブだ。

しかし、Palladiumとは?フランク・ザッパか?丁度その頃、彼がライブをやっていたのがNYのパレイディアム。しかし・・・。




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そして行き当たったのが 1948年 Broadway-53rdにオープンしたラテンのボールルーム「パレイディアム」だった。



1977年はファニア来日の翌年。ようやくサルサが日本に本格的にやってきた時期で、いわゆるジャズやフュージョンとサルサ/ラテンのファンが十分重なっていた時代だが、ウエザー・リポートの音楽をラテンとクロスして語る人は誰もいなかった。(そして、今もあまりいない)

ジャコのビートにジェマーソンやロッコがあることをいう人がいても、サルサのベースのしなるようなトゥンバオと重ねる人も誰もいなかった。せいぜい、マイアミの話までだった。

◆◆◆
それからジャズとラテンの交差点はいつも頭から離れないナゾのひとつになってしまった。

ガトー・バルビエリ、ラムゼイ・ルイスとかイラケレとかその時の音楽もあったけど、さかのぼってNYの1930年代から1950年代も楽しいナゾをたくさん与えてくれた。


「アート・テイタムとノロ・モラレス」
「1948年のユニオンによるレコーディング禁止とセッション」
「シアリングとマチート/チコ・オファリル」
「スタン・ケントンとマチート」
「ミントンズとチャイナドール」
「バードランドとパレイディアム」
「マンボとリンディ/ジターバグ」

などなどなど


50年代の頭、ワンブロック違いのバードランドとパレイディアムはジャズとラテンのミュージシャンが休憩時間に行き来してお互いにチェックを入れてたと聞く。


◆◆◆
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油井正一先生の名著『ジャズの歴史物語』(アルテスパブリッシング)にとても重要な記載がある。第4章の「余滴」というなんだかおまけみたいな章にある「7.ジャズダンス」と「8.ジャズとラテン音楽」だ。

この本のもとになったのは『スイングジャーナル』誌の1967年7月から1972年10月までの連載「ジャズの歴史」。

解説で村井康司さんが指摘されているように「ジャズはラテン・アメリカの音楽の一種である」という刺激的なテーゼは本当に素晴らしい。そして、ジャズダンスの章で提起された視点も全く色あせない。

自分が、ラテン音楽とジャズとにいくばくか関わってきている中で、実地に感じること、見たことと大きく重なっている。




そして50年代に関して妄想は膨らむ。

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サヴォイを席巻した、「ECS/イーストコースト・スイング」と名前が上品になる前の黒い「リンディ/ジターバグ」軍団は、ラテンを日曜のマチネーでこわごわ始めたばかりの初期のパレイディアムの「マンボ」ラテン野郎とは関係ないのか?

マチートのアフロ・キューバンで踊るやつはいたのに、ガレスピーとパーカーのアフロ・キューバンで踊るやつはいなかったのか?いや、ビバップで踊るやつはいなかったのだろうか?


◆◆◆
そんな妄想の答えが出そうな実験をしてくれるイベントがありました。

ということで今晩遊びに行ってきます。新宿ピットイン。Open 19:00-

菊地成孔「ビーバップ&キューバップ・ダンス・パーティー」
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by mofongo | 2010-09-28 17:02
2010年 09月 27日
今年の年末Banco Popular企画盤
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リーマン・ショックもあり、バンコ・ポプラールも苦しかったのか、ここ数年はちょっと地味な企画盤でしたが、今年はサルサ・ファン待望の企画盤。



タイトルは“Salsa: un tributo a El Gran Combo”/サルサ:エル・グラン・コンボへのトリビュート

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何といっても48年の年季と、衰えぬパワー。サルサのお手本ですね。

バンコ・ポプラールのリチャード・カリオン頭取も言っとります。「プエルトリコと全世界で最重要なグランコンボの音楽の制作に貢献できるなんて本当に光栄です。」

よく分かってますね。銀行家もこうあるべきです。

プロデューサーのフランシス・リアントンヘも「今回の作品はプエルトリコを代表するアーティストで、って方針だった。となると当然エル・グラン・コンボ。彼らは世代を超えて、5世代を通して愛されているよね

そして全世界でも。加えて彼らはそのそのオルケスタの素晴らしいサウンドをずっとキープしてきているんだ。そして常に時代に合った音を作り上げて来ている

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参加ミュージシャンも豪華。グラン・コンボは同然として、ドミンゴ・キニョーネス(着実に復活してるか!?)、マイケル・スチュアート、ウイリー・コロン、ラ・インディア、イスマエル・ミランダ、イサック・デルガド、ホセ・アルベルト"エル・カナリオ"、ティト・ロハス、NG-2、サボール・デ・プエルトリコ、メリーナ・レオン、クルトゥーラ・プロフェティカ(ロック/レゲエ)アルマス・ヘメーラス、エドガーダニエル、そしてプエルトリコ交響楽団などなど。

現在プエルトリコ、NY、マイアミでロケ中。アレンジの一部イシドロ・インファンテも担当。

楽しみですね。発売はたぶん12月第一週。
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by mofongo | 2010-09-27 14:59 | Musica/SALSA
2010年 09月 27日
ロベルト・ロエナ胸像完成
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この間のイベントでロベルト・ロエナの曲を4曲もかけたのは、実は当日9/12にプエルトリコで彼の胸像のサルサ公園(Plaza de los Salseros)での除幕式だったからなのだ。

密かに日本からお祝いしたという次第。

現在、サルサ公園には、
コルティーホ ②イスマエル・リベーラ、③ペジン・ロドリゲス、④エクトル・ラボー、⑤トミー・オリベンシア、⑥ティト・プエンテ、⑦マルビン・サンティアゴの7体が現在鎮座しているが、今回のロエナはまだ亡くなっていないのに像が作られたという異例のパターン。

今回も彫刻家アルゥイン・リベラ・ロペス(Alwin Rivera "Riomonte”Lopez)の作品。この文化予算厳しい昨今、"仕分け"もくぐり抜け、3万ドルもかけてお披露目とは、いかにサルサがプエルトリコにとって大事か、ってことですね。

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除幕式は、ミサの後まずイスマエル・ミランダがオルケスタをバックに"Amigos a Roena"っていうその日の為に仕立てた曲を披露。オルケスタも豪華。ボビー・バレンティン、ピロ・マンティージャ、アダルベルト・サンティアゴ、ジョニー・パチェーコ、モデスト・セペーダ、ニッキー・マレーロ、グンダ・メルセー、イスマエル・ミランダ、サミー・ゴンサレス、パポ・ルッカ、チェオ・フェリシアーノ、カルロス・ロドリゲス、ティト・クルース、エリアス・ロペスなどなど。

そして除幕。

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式には上記のオルケスタのメンバーの他、フニオール・ゴンサレス、フリート・アルバラード、パポ・ロサリオ(グランコンボ)、エドガー・ネバーレス、プピー・サンティアゴ、アポロ・サウンドの歴代のメンバーが参列。

そしてオルケスタはロエナのヒットを演奏しまくった。

公園に面した26号線/バルドリオティ・デ・カストロ通りには人があふれて、また違法駐車して参加したファンで大渋滞だったとか。サンファンからだけでなく、ポンセやマヤグエスからも駆けつけたファンもたくさんいたらしい。。


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ロエナの経歴をちょっとかいつまんでいうと、1938年マヤグェスに生まれ、まずダンサーとして"Mambo Flashes"を兄弟の"クキ"と結成。16才でコルティーホのバンドにダンサーとして加入、プエルトリコ、ニューヨークで絶大な人気を博した。ロエナはこのバンドでボンゴを身につけた。6年の活動ののち、マリオ・オルティスのオールスター・バンドに参加。

そしてエル・グラン・コンボのオリジナル・メンバーとなって"Acangan"や"El Caballo Pelotero"などのヒットを飛ばす。


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1967年、自らのオルケスタ"メガトネス/Los Megatones"を結成。そしてアポロ・サウンドの結成へと続く。

このアポロサウンドの音がサルサの出来上がりを考えるのにとても大事なのだ。ラテンにロックやソウルを融合する音。これはNYで生まれているのではなく島で生まれている。

もちろん、ミュージシャンはNYとPRを行き来しているわけだが、Blood, Sweat, and Tears (“Spinning Wheel”ですね)のようなサウンドとラテンの融合の試みをプエルトリコで行っている。


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よくNYのサルサシーンが80年代に入って下火になり、シーンはプエルトリコに移った、っていうクリシェがあるが、NYにシーンがある内から常に島では新しい音への試みが行われていて、80年代に入ってシーンが移ったわけでも何でもないのだ。


しかし、このような常に新しいものを取り入れつつ芯を失わない音は面白い。これはロエナだけでなく、オリベンシアが、ロサリオが、ポンセーニャが、そしてグラン・コンボが常に各々のやり方で行って来ている。

それがプエルトリコのサルサに厚みのある理由だ。


これから島に遊びに行く方、是非ロエナ像にも参拝を!
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by mofongo | 2010-09-27 02:46 | Musica/SALSA
2010年 09月 27日
ラテンビート映画祭/キューバ音楽の歴史(1)
第7回目となるラテンビート映画祭

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もう見たい作品満載だったけどまず先週の土曜日に2本見ました。そのうちの1本が『キューバ音楽の歴史/Historias de la Musica Cubana』
2009年キューバ・スペイン合作によるドキュメンタリー。
5人の監督がキューバ音楽をテーマに製作した内の2作が今回公開。一本50分ほどで、サクっと楽しめる。


一つ目は「キューバ・ジャズへの眼差し」パベル・ジロー監督

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マンテカの誕生の話を導入部として、チューチョ・バルデスがシンキージョやダンソンなどのキーワード、米西戦争後のアメリカの影響・・・と話をつなぎ貴重な映像が随所に挟み込まれる。

リリ・マルティネスの映像とか。コンガかなぁ、カルナバルのリズムとモサンビーケとマーチを合体させたような革命直後の演奏とか、フランク・エミリオ師匠の定番"Gandinga, Mondongo y Sandunga"の貴重な映像とか。

やはり興味深いのは革命を境とした大きな変化。
「ジャズ」はアメリカの音楽として演奏しにくかった時代。

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3年前にOrquesta Cubana de Musica Modernaという、若きチューチョやカチャイート、エンリケ・プラやギジェルモ・バレート、アルトゥーロやパキートやファン・パブロ・トーレスなどが参加した当時、トップの公認オルケスタの音源のコンピを捕獲した。

その67-70年の録音は「ジャズ」や「アメリカの音楽」を内側に隠した、今の自分の耳には何となく「不自然な」音楽であると同時に、マグマのような力も感じた。その後のイラケレにもつながるこのオルケスタの映像もあり、CDだけでは分からなかった当時の雰囲気を大きく感じる事が出来る。


67年というと、NYではブガルーからサルサ、ジャズならモードからフリーへと動きコルトレーンが亡くなってしまった年、ロックならサージェント・ペパーズ、サイケ、ジミヘンとウッドストック直前、ソウルR&Bならスライからファンクへ。

しかしキューバではそんな流れから断ち切られている。ミュージシャンはフロリダからの短波、中波で少しは情報を得ていただろう。オルケスタ・モデルナのレパートリーにブガルー風味のものもある。

しかし情報は限られていた上に、表立って色々トライする訳にはいかなかったと思う。聴衆も同じく流れから断ち切られていただろう。(良い悪いの話ではない)


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よくキューバ革命によってNYにキューバの音楽が入らなくて、とかいうクリシェの説明があるが、むしろ史実としては、キューバにアメリカの影響が入りにくくなった上、ミュージシャンの創造に制約までかかっていた事の方がよっぽど重要だと思う。

チューチョが自分の作品を「ジャズ」だと取られない様に苦労して作ったという話も出てきたが、革命以後のキューバの音楽がそれまでの発展と全然異なる「環境」に置かれた事を表す話だ。


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以来キューバ音楽とサルサは全く別の文脈で動いてきていたが、90年代キューバ政府が外貨獲得の為音楽資源を積極的に活用し出し、ミュージシャンもそれまで「自分らの音楽はサルサではない」と当たり前の事を言っていたのに、レベの親爺までが「サルサ、サルサ」と言いだした。チャングイなのに。

しかしそこで初めてサルサの流れにキューバ音楽の一部が重なってきたという事だ。




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だから90年代、ティンバが出来上がっていく中で日本では「新しいサルサだ」とか「サルサはキューバの音楽」とか、情報不足のせいで声高に語っていた人たちもいたが、この映画の中でも示されているように、ティンバはサルサの発展形なんかじゃない。イラケレの名曲"Bacalao con Pan"あたりを祖先としているもの。

キューバ音楽の歴史がしっかり背景にあるティンバをサルサと呼ぶのはおかしな話だと思う。

YouTubeでIrakere - Bacalao con Panを見る

むしろキューバのサルサへの影響は今のサルサにこそもっと語られるべきだ。ヒルベルトの近作など、昔のパチート・アロンソの音かと思うようなものもある。

・・・という風な事を含め色々考えさせてくれた貴重な映像と証言が満載の面白い作品でした。



2つ目の「フィーリン(気持ち)を込めて」はまた別に。


*東京会場は終了してしまったけど、京都は10/3(日)まで、そして横浜会場は10/8(金)-10/11(月)まで。
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by mofongo | 2010-09-27 02:09 | Musica
2010年 09月 14日
Los Borrachos Live@藤沢インタープレー 10.9.12
久しぶりのロス・ボラチョスの藤沢・インタープレーでのライブ。

18時のオープンを前にお客さんが集まりスタート前には満員。
あ、前日(正確には当日朝まで)六本木でフェアウェルだったアリス夫妻も来ている。六本木出席組は4-5人いたか。そのうちほぼオールナイト組。タフだぁ~。


そして赤いシャツで統一したメンバー登場。

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関川(vo)、原田(vo)、藤巻、天神、辻(tp)、渡辺、山崎(tb)、太田(Bsax)、塚本(b)、岩渕(p)、飯山(conga)、オヤマ(tres)、新井(timb)、宮房(bongo)(合ってるか?)(敬称略)

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第一部一曲目はお約束の"Puerto Rico Mi Amor"。そして"Amame en Camara lenta"。新曲か、カノの曲。"Soy la Rey"やら"Soy Profesional"やらおなじみが続き1部の締めはLluvia。手慣れた曲だけどなかなかタイトに突っ走る。会場もたっぷり楽しんだ。


二部は途中、アリスへのオメナヘ(オマージュ)もあった。感謝の言葉と花束贈呈そして、アリスからの返礼。

2曲目は新曲?の"Panama Soberana"。アンヘル・カナーレスだっけ?

そして3曲目は"Decidete"。ヒートアップしてたのを少し押さえる。良い曲だなあ。次はおなじみカノの"Boda de Ella"。

"Me libere"は濃縮度高くかなり熱い。これはかなり良い。

そしてラストはお待ちかね"El jibaro y la naturaleza"。Tresのオヤマにソロが回る。プエルトリコ旗を肩にかけられながら、哀感から細かいフレーズ、そして熱上昇へとソロを盛り上げる。
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アンコールは"Anacaona"。

演奏は2月に江古田Buddyの時に比べかなりタイトに締まってました。お客も大きくウェーブ。フロント関川のノベルティー感溢れる動きとやり取りや原田のフロアの煽りもしっかりはまってました。

◆◆◆


思いつきだけど、このオルケスタはグランコンボの後期の様な曲をタイトに、すこしハードにというかグランコンボより若く(?)やるのが向いているのではないだろうか。ロサリオのストイックな感じよりも熱い方向で。でも、グランコンボと管の編成が違うからなあ。


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そしてそこを真ん中に、ロサリオ/バレンティンとオリベンシアと。これらのオルケスタは方向が違うけど、共通なのは歌い手の力がかなり強い。

ここは関川、原田の両氏にソネオ、そして時に高めのキーで歌い切るのをお願いしたいです。

管は最後の方でやったボントロのバトルも燃えるエンディングとかで良いですね。ペットのハイノート・ソロも。

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◆◆◆


しかし、このイベントはプエルトリコ係数高いフロアとオルケスタに気持ちの行き来があってバンドがよりドライブするような気がする。旗持ち込みで振っても何の違和感もない空気でリラックス。踊る人もがつがつしてなくて余裕だよね。

こういうユルキャラはやっぱり主宰のT-Rod.のせいなのか?とてもアットホームで気持ちがイイです。
引き続きこのイベントよろしくお願いします。
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by mofongo | 2010-09-14 17:49 | Musica/SALSA
2010年 09月 14日
Nos vemos, Aris!
9/11(土)のアリスの歓送パーティー、無事終了しました。

イベント告知にも書いたけど、ARIS(Aris Uren~a)はドミニカ生まれ、NY育ちのドミニカ人。米軍のフライト・エンジニアとして来日以来、90年代のサルサ・シーンを現場で作ってきた。


このアリスのパーティに来ていた若いサルサ・ファンにアリスの功績の話をしながら、ああそうだ、こういう話は少しでも書いとかなくちゃ、と思ったので思い出してみました。(←最近メモリー損傷激しく、記憶違い多いかも)(←昔から損傷激しいのが原因だ)(←間違いを見つけたら指摘お願いします。お礼にビールおごります)


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サルサという音楽が本格的に日本に入ってきたのはアメリカで「サルサ」という名前が定着してからで70年代に入ってからだっただろう。

そして76年のファニア・オール・スターズの来日。

デルソルのデビューが79年。





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ここからアリスの来日までに10年あるが、河村要助さん を始めとする色々な人がサルサという音楽の素晴らしさを広めていった。河村さんの名著『サルサ天国』は83年。(この流れの話はいつかまとめて書きたいなあ)







◆で、80年代終わりから90年初ってどんな様子だったか?すごくはしょって言うと:


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ラテン・アメリカではサルサはプエルトリコ中心の時代。(つーかよく考えればいつも中心かも)で、サルサ・ロマンチカ。








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そしてウィルフリードとかラス・チカス・デル・カンとかのドミニカのメレンゲが元気な時代。そして87年にファニアのプロモーターの一人だったラルフ・メルカドがRMMを設立。

日本では84年結成のオルケスタ・デ・ラ・ルスが90年にBMGからデビュー。





そんな中、世の中は日本ではバブル真っ盛り。一方で90年に湾岸戦争が勃発していた。
この2つは90年代の日本でのサルサの広がりに大きく影響している。

湾岸戦争によって、沖縄県以外の日本で最大のアメリカ空軍基地であり、アメリカと中東の間のハブである横田基地(東京都)は配備増強。なにせ在日米軍司令部及び第5空軍司令部が置かれているのだ。そのちょい前にフライト・エンジニアであるアリスも日本にやってきた。そして、沢山の米兵の中にはプエルトリカンと北米のドミニカンやラティーノたちも一杯いた。

一方、バブルに沸いていた好況のジャパンには世界から沢山の人が働きにやってきた。
日系の人の多いブラジル、ペルーなどやコロンビアやイランなどなど。



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つまり当時の東京近辺には今よりずっと身近にラティーノがいた。そして、異国での慣れない生活でたまったストレスを発散する楽しみをカバーしたのが東京のいくつかの場所のバーやレストランでのパーティーだった。カニャンドンガ、サルサ・コローナ・・・。

そんな空気が充満する中、アリスは92年、レストラン&バー"マニラ・マニラ"で週末のラテン・パーティーを開く。その名前は"Salsa Sudada"。それは現地直輸入の新鮮な音楽を彼一流の現場的セレクションでかけて踊って飲んで楽しむもの。(Manila ManilaのロゴはSalserinさん提供)


そのころの日本のサルサはまだ「聴く音楽」。踊る人は少なかった。それがラティーノが踊って楽しんでいるのを見て、そして最新のサルサやメレンゲを聴いて、ガーンとやられたり、おもしれー、楽しいわと捕まった日本人が沢山いたのだった。


そして翌93年六本木・一口坂(芋洗坂)に『サルサ・スダーダ』をオープン。のちに一段と大きくなった現在のベルファーレ横の場所に移り、以来スダーダを通してサルサを聴き、踊って夜遊びする事を楽しんだ人は本当に一杯いる。

アリスはそんな中、常に現場にいてそんな動きをサポートし続けてくれていたのだ。それは彼の優しい性格と相まってサルサのファンを、ラテンのファンを支えてくれたのだと思う。


◆◆◆
さて、フェアウエルの当日は、アリスに世話になった人たちが22:00スタートという時間にも拘わらず、たくさん集まった。
アリスと縁のあった人は幅広いなあ。Panland Steel Orquestraの人たちとも知り合いになってSilver Starとかの話で盛り上がってしまった。


途中で岩村健次郎さんがMCとなってアリスを改めて祝福。
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DJをつとめるPapa-Qさん、El Caminante岡本郁生さん、Yuquiさん などが次々と思いを語り、オルケスタ・デ・ラ・ルスのNORAさんは感謝の言葉を彫りこんだ置物を手渡してました。








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DJはPapa-Qさん、El Caminante岡本郁生さん、Yuquiさん、Oyamaさん、Salserinさん、Tibronさん などなどが担当。アリスも少し回したり。

12時回って帰る人もいたけど、結局オールナイトで残った人もかなりいた。池袋のイベント終了後はるばる駆けつけた親爺たちなど、強力な酔っ払い友人軍団は始発運行まで元気にアリスと楽しんだのでした。

(自分は始発あたりで帰ったが、それから朝ラーメン食って帰った組もいたらしい・・・)

また会おう、アリス!
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by mofongo | 2010-09-14 13:43 | Musica/SALSA
2010年 09月 10日
9/11 ARIS back to NEW YORK@六本木
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アリス・ウレーニャ
(ARIS UREN~A)って名前を知ってるでしょうか?通称アリス

90年代以降の日本のサルサ・シーンにとても重要な役割を果たしてきた人なのです。

「役割を果たした」なんていうと堅苦しいね。六本木のサルサ場で遊んだ人なら、名前は知らなくともこの人の顔は見たことがあるはず。

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アリスはドミニカ生まれNY育ちのドミニカ人。米軍のフライト・エンジニアとして日本勤務となり、1992年、伝説のバー"マニラ・マニラ"でサルサ・メレンゲをガンガンかけて踊り、飲んで楽しむパーティーをスタートした。そして93年"サルサ・スダーダ"をオープン。

この時に、東京の多くのサルサを好きなミュージシャン、ファン、ダンサーは初めて「現地感覚直輸入のサルサの音」によるDJに出会った、と言えるのではないだろうか。

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20年に渡って日本のシーンを踊らせてきたアリスが、ニューヨークに帰ってしまうという。

ということで、今週の9/11の土曜日のWorldstar Cafeで盛大にパーティーです。


「ARIS back to NEW YORK」
9/11(土) 22:00-05:00@WORLDSTAR CAFE 六本木
http://www.worldstarcafe.com/
¥2500(w/1ドリンク)
DJs:Aris, El Caminante OKAMOTO, PAPA-Q, Yuqui + MORE
MC:Kenjiro Iwamura

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さあ!みんなでアリスを盛大に送りだしましょう!!!
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by mofongo | 2010-09-10 00:48