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2005年 07月 11日
ドミンゴ・キニョネス
ドミンゴ・キニョネス、42才、サルセーロ。捕まっちゃいました・・・。先週、ドラッグで。

ヘロインからのリハビリ中だった彼、火曜日の夕方6時半、カロリーナのフェリペ・サンチェス・オソリオ・レジデンスというなかなか庶民の住宅地。たれこみ情報で張っていた当局に24才の売人と一緒に取引現場をを抑えられたもの。

去年の2月に「ドラッグから完全復帰」というタイトルでインタビューを受けてたドミンゴだけど、施設の生活で37ポンド(17キロ)も太って、あのスタイリストのドミンゴなの?って感じだった。プエルトリカン・マスターズのDVDに写っていたあの姿。

先月の父の日の新聞インタビューではまだ完全復帰でない感じの話だったし、その後6月末の野外コンサートがドタキャン(連絡が取れない)となった話も入ってきて、「なんか、まじーなー」と思ってた矢先の事だった。

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'80年代、ルイス・"ペリーコ"・オルティスのオルケスタで頭角を現し、'90年代のサルサが盛り上がる中で、プエルトリコのスターとして颯爽と活躍していた彼は今でも印象が強く残っている。

'90年"Es Mi Nombre"でソロ・デビュー。'91年のティト・プエンテの「マンボ・キング」、'93年のRMMの作品"コンビナシオン・ペルフェクタ"とかを通じて彼のファンになった人も多いはず。

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そして'97年の"Se Necesita Un Milagro"は強力だった。暴力、貧困、ドラッグ・・・・社会に対する強いメッセージが込められた作品で、当時島では絶賛されたのを覚えている。

ロマンティック、エモーショナルな面と理知的で硬派な面とが同居できるキャラクターは他にいなかった。"El mas que canta" (歌う以上のものを持っているやつ、というような意味か)なんていうニックネームで、作詞、作曲、クリスチャンとしての活動も含めメッセージと行動が訴える力をもっていた。

'01年の「誰がエクトール・ラボーを殺したか」などの役者としての活動への積極的な挑戦もあった。しかし、一方でラボー自身と同じような何かの重み、重圧が同じく彼に覆い被さっていたのだろうか。ドラッグに手を染めるようになる。いったいどんな背負っていたものが、彼を押しつぶしたのだろうか。

コルティーホやイスマエル・リベラからラボー、フランキーと名前を上げるまでもなくドラッグに飲み込まれた、または飛びこんだサルセーロは多い。でもチェオ・フェリシアーノの様にきっぱり断ち切って、今月の頭のように70才誕生日コンサートをやっちゃうようなパターンもある。

ドミンゴ、もどって来て欲しい。
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# by mofongo | 2005-07-11 23:58 | Musica/SALSA
2005年 07月 06日
今年のプエルトリコ・サルサ・コングレス
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プエルトリコ・サルサ・コングレス、今年もいつものエル・サンファン・ホテル&カジノが会場です。7/24(日)から7/30(土)までの1週間、たっぷり楽しめる内容。

出演のオルケスタは*
7/24(日) ロベルト・ロエナ & アポロ・サウンド
7/25(月) ウイリー・ロサリオ
7/26(火) エル・グラン・コンボ・デ・プエルトリコ
7/27(水) ソノーラ・ポンセーニャ
7/28(木) ホセ・アルベルト "エル・カナリオ"
7/29(金) ボビー・バレンティン
7/30(土) アンディー・モンタニェス

プエルトリコ・サルサを代表するオルケスタが勢ぞろい。

コングレスが終っても踊り足りないバイラドーレスのために、週末は"ハバナ・クラブ"、"サン・ファン・シャトー"といったあたりがコングレスには参加しなかった地元のサボールたっぷりのオルケスタをしっかりブッキングしてると思います。

サンファン・シャトーは最近、またサルサを入れるようになって来てるのがうれしい。

旧市街の"ラ・ルンバ"、"ニューヨリカン・カフェ"あたりで若い音で踊ってもいいし、ポンセ・デ・レオン通りのレゲトン・クラブに回ってもいいかも。(こちらはちょっとセキュリティー注意)

ダンス・コンペティション、今年は日本からの参加はレジスターされていないようですが、アルゼンチン、アルーバ、オーストラリア、カナダ、チリ、コロンビア、スペイン、アメリカ、グアドループ、フランセ、マルティニーク、メキシコ、セント・マーチン、ベネズエラ、そして地元プエルト・リコ!

今年は「サルサ大学」なんてのもあるらしい。

4 時間 サルサの歴史
2 時間 サルサの一般基礎
3 時間 サルサの伝統的基礎(キューバとプエルトリコ)
4 時間 LAスタイル
4 時間 ニューヨーク・マンボ
4 時間 プエルトリコのサルサ

NYマンボはエディー・トレスが、伝統基礎はホルヘ・サンタナが講師との事。面白そう。
でもなかなか高い!(割引で$700)

昼間はビーチでのんびりしてもいいし、レッスンに出ても楽しそう。それからこの時期は丁度プエルトリコの夏祭りとも言うべき『フィエスタ・パトロナレス』の重なるシーズン。

7月といえば思いつくだけでも、サン・エルマン、モロビス、ファハルド、グゥアニカ、サンタ・イサベル、アロージョ、カグアス、カターニョ、シドラ、ビエケス、クレブラ、アティージョ、リオ・グランデ、ビジャルバ、バルセロネータ・・と各地で行われます。

そうそう、忘れちゃいけないのが、プエルトリコのアフリカン・ルーツの町、ロイサのお祭りも。

根性があれば、朝、ボンバのレッスンを受けて、昼からビーチ。夕方、タクシーかレンタで近くの祭りに夕涼みで地元バンドを聞きながら屋台でスナックをつまみ、ホテルへ帰ってシャワーを浴びて、さあコングレスへ!とかもあり。

行かれる人はたっぷり楽しんでください。
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# by mofongo | 2005-07-06 00:22 | Musica/SALSA
2005年 07月 03日
アンディー・モンタニェスとパブロ・ミラネス
アンディーから久しぶりに便りが来た。去年から話が出ていたキューバのヌエバ・トローバの大御所、パブロ・ミラネスとの新譜"AM・PM"がいよいよ秋には出せそうだとの事。
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”AM/PM”という二人のイニシャルを組み合わせたタイトルもけっさくだが、この2人の組み合わせ自体が楽しみ。

便りによれば、プロデュースはパブロ側のダゴベルト・ゴンサレスでミゲル・マタモロスの"ソン・デ・ラ・ロマ"と言ったキューバン・クラシックから"アヤ・エン・ラ・アルトゥラ”と言ったプエルトリカン・クラシック(ラミート!)、アンディーが最近の自分のコンサートで必ずやる、彼のおやじさん作曲の"ギターラ・ミア"とかも入るらしい。二人は「歌」をどう聞かせてくれるだろうか。

アンディーとキューバのコラボと言えば1997年のシルビオ・ロドリゲスのコンサートの時の事を思い出した。そしたらちょうどmacomocoさんのblogでその話が書かれていました。あの時のシルビオはすごかった。

元々、プエルトリコにはヌエバ・トローバヌエバ・カンシオンのムーブメントの時に他の中南米と同様に大きな波が起こっている。b0015362_14582142.jpg

'82年にはイベロ・アメリカ音楽祭が開かれ、シルビオ、パブロやファン・マヌエル・セラトとかが来島し、当地のヌエバ・カンシオンのアントニオ・カバン・バレ"エル・トポ"と共演している。そしてロイ・ブラウンはシルビオとの共演盤も作っているのだ。

ソノーラ・ポンセーニャパポ・ルカはパブロ・ミラネスの曲が好きで、何曲も取り上げているし、エル・グラン・コンボロベルト・ロエナサンタロサだってトニー・ベガだって彼の曲を歌っている。

だから、プエルトリコにはヌエバ・カンシオンを愛するリスナーがしっかりいる上に、アメリカ内でのシルビオの久しぶりの公演とあって、米本土や近隣諸国からも観客が駈け付けた。

アンディーは、元々表裏のない、政治や小細工の苦手な男で、その時シルビオに対する支持をストレートに語った。彼は先立つ'94年にキューバの有名なソンのファスティバル"マタモロソン"にお忍びで出演したりしている"過去"もある。

すると、米本土の亡命キューバ系がアンディーに対し強力な圧力をかけ、挙句の果てには、既に決まっていたその年のマイアミ・カジェ・オチョのフェスティバルへの出演を断念せざるを得なくなった。

その動きにカチンと来たプエルトリコのファンは島でのライブが決まっていたセリア・クルースのコンサートに反対するというケンカに出た。

当時そんな動きの中でこんなTシャツも配られた。僕も友人のアンディーのファンから1枚もらった。
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表はアンディーとシルビオの記者会見での写真。裏側は、ロラ・ロドリゲス・デ・ティオの有名なフレーズ「プエルトリコとキューバは鳥の翼の両翼」という言葉を載せ、セリア・クルースを批判したもの。
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このTシャツの話をアンディーにしたところ、「ばかばかしい。そんなもの作るのはバカだ。セリアは、カジェ・オチョの話には一切関係ないし、マイアミのキューバンの圧力や脅迫には頭にくるが、彼等の歴史だってあるんだ。一部のバカがやることを一々膨らませ騒いでも何も変わりゃしない」と憤慨したのを覚えている。

あの頃から、プエルトリコにはロス・バン・バンが来てパブロ・ミラネスが来てアラゴンが来てアダルベルトが来てアフロ・クーバ・デ・マタンサスが来て、と行き来が増え、ブエナ・ビスタの時代に入る。プエルトリコ側もアンディーが何度も行きベニーモレ・フェスやボレロ・フェスに参加したり、チェオ・フェリシアーノと一緒にルイス・ガルシアやその他のミュージシャンが行ったりと交流は続く。

アメリカ合衆国は選挙やスキャンダルがある度に、票の獲得や有権者の意識をそらすためかキューバにちょっかいを出す。

でも一方で、カストロ以後に向けて、既に経済に食いこんでいる欧州勢やカナダ、メキシコ、ブラジルなどに遅れを取らぬ様、じわじわ、いやどんどん動いているのも事実だ。ヘルムス・バートン法の修正だっていつかあるかもしれない。

そんな流れの中で、"AM/PM"が完成した時はまたパブロ・ミラネスが来島するかもしれない。さて、8年前と比べて、みんなどんな風に動くのだろうか?
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# by mofongo | 2005-07-03 02:28 | Musica
2005年 06月 24日
最近のサルサの様子
オルケスタ・ラ・ソルシオンの新譜の録音が進んでいるとの事です。オルケスタ・ラ・ソルシオンといえばフランキー・ルイスが大きく注目されるようになったマヤグェスの名門ですね。

今回の新譜はウイリー・ソテロが30周年記念盤として企画しているもの。フロントの歌い手はアンソニー・マルティネス、ホルヘ・ニコラスとホセ・サンティアゴ。

アンソニー・マルティネスといえば、以前からソルシオンで歌ったり、ソン・ボリクアに登場したり、フニート・アルビノのバンドでやったりしてた人。

スターを輩出した名門オルケスタのフレッシュな音が楽しみです。

◆ウイリー・ソテロといえば彼がレイ・ペーニャと制作したオルケスタ・ムンディアルの新作が地元では売れているらしい。

フロントにはルイシート・"イステリア"・カリオン、島に戻ったか・オスバルド・ロマン、チョコ・オルタ姐さん、メルビン・"メル"・マルティネスでテンポ・アロマールやカチーロ・トンプソン、ソテロやリゴ・ディアス、モイセス・ノゲラス、ペドリート・ペレスなど渋いメンツがしっかり支えます。

◆売れているといえば、ペドロ・ブルルのソロ"プロノスティコス"も好調。
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ペドロ・ブルルとティト・ニエベスはサルサ界の「でぶや」双璧で、ティトは"ババロッティ・デ・ラ・サルサ"なんて愛称をもらっているが、ブルルはと言えば"Sonero de Peso Completo"

「完全体重のソネーロ」とはいったい・・・?

で、ホセ・ルゴ、トミー・ビジャリニ、エルネスト・サンチェスなどのアレンジが光る作品は夜通し踊るに最適な音です。おすすめです。

◆夜通し踊ると言えば、6月から7月にかけてのプエルトリコ、いよいよ夏祭り"フィエスタ・パトロナーレス"やら無料イベントの季節に突入です。

先週、ルキージョ海岸でのイベント"Descarga Winston"はカチェーテ・トリビュート・コンサートの流れで、エンデル・ドゥエニョ、アンソニー・カリージョ、パオリ・メヒアス、エドウィン・クレメンテと重量級にフロントはメル・マルティネス、シモン・ペレス。

バックは地元ホセ・ルーゴにエリック・フィゲロアと強力な鍵盤組。そして、トニート・バスケス、ホルヘ・ディアス、ラfヒー・トレス、ピロ・ロドリゲス、アンジー・マチャードというこれまた強力なメタレスでのデスカルガ。これまた地元のアンディー・モンタニェスやらラ・ムレンセやらと、お得です。

◆お得といえば、同じころ島の反対側ポンセでは、ジミー・ボッシュがエルマン・オリベラをフロントに熱演。そしてロベルト・ロエナ、ヒルベルティート、エクトル・"ティト"・マトスとこれまた、これが無料か?というコンサート。

いやー、レゲトンもいいけど、やっぱり島のサルサは強力です。
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# by mofongo | 2005-06-24 01:11 | Musica/SALSA
2005年 06月 13日
バタクンベレとカチェーテ・マルドナド
4月に2度目の脳溢血で倒れ、病状が心配されていたカチェーテですが、リハビリの段階にまで回復してひとまずよかった。

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このタイミングで今週末は久々にバタクンベレのコンサートです。場所はセントロ・デ・ベジャス・
アルテスと珍しくきっちりした場所。"Hermandad del Tambor" と題されたこのコンサート、「タンボールの兄弟仁義」とでも訳しましょうか。カチェーテの為に一致団結した、こわもて、豪腕のミュージシャンが結集します。(顔は恐いが皆やさしい)。

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音楽面のリーダーは何と言ってもエリック・フィゲロア(p)。そこへエディ・"グアグア"・リベラ(b)、ジョバニ・イダルゴ(congas)、アンソニー・カリージョ(bongo)、エンデル・ドゥエニョ(timb)、パブロ・"エル・インディオ"・ロサリオ(congas)、リッチー・フローレス(congas)の強力なリズム隊。

管はネストール・トレス(fl)、デイブ・バレンティン(fl)、パポ・バスケス(tb)、ルイス・アキノ(tp)、ホセ・"フリート"・リオス(as)、エクトル・ベネロ(ts)、ジェリー・メディナ(tp,vo)。ペドロ・グスマン(cuatro)も集結します。フロントにはジェリー・メディナ、ウイッチー・カマチョ、ホセ・"チェギ"・ラモスの他アントニオ・カバン・バレ"エル・トポ"も参加。チケットはかなり好調にさばけているようです。

久しぶりに見たいなあ。
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# by mofongo | 2005-06-13 23:28 | Musica
2005年 05月 13日
チュパカブラ再び
プエルトリコ名物の一つ、チュパカブラも約10年くらい前には地元でもかなり盛り上がりました。ヤギの生き血を吸い尽くす、ナゾの生物。あんまり恐そうでないところがプエルトリコ的でスケールで素晴らしい。しかし、その後は世間が騒ぎすぎて、彼等も警戒したのか目撃情報も途絶えておりました。当時は、バーでの会話のネタでも結構もりあがったんですけどね。

某ダンス・ホールにてウイリー・ロサリオのお仕事中のプリミ・クルース(Vo)と:

ク 「おお、モフォンゴ、元気?」
モフォ 「いやいや、お疲れ様。やっぱロサリオの音は最高だねぇ。一杯どう?」
ク 「ありがと。最近ここ(某ダンスホール)、出演者の飲み代にうるさくてね」
モ 「でもこんだけの客数だし、けっこうもうけてんじゃないの?」
ク 「オーナーはチュパカブラなんだよ、みんな吸い尽くされちゃってさ。ははは」

なんて会話にも登場してました。

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一時テキサスで見かけた、なんて情報もありましたが、もうネタとしてはお蔵入り?と思ってたらまたまたB級映画の王道みたいな作品がDVDで出てきました。「チュパカブラの恐怖」いやー、B級って素晴らしい。

昔からB級映画で取り上げ頂き、それでプエルトリコという場所を知った人も多いという、プエルトリコへの貢献度高いチュパカブラ。過去にも色々と映画が作られています。


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CHUPACABRA TERROR (1996)
盛り上がりを見せた1996年当時早速出た作品。早い食いつきに拍手。




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それから5年、"Legend of Chupacabra"の原題を当時はやったホラー「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」からパロって付けたと思われる「チュパカブラ・プロジェクト」。でも話題にならず・・・


b0015362_2119198.jpg2004年、あれから10年ということか、「チュパカブラ」。どうしてもチュパカブラでホラーを作りたくなる人っているんですね。しかしまたダメだったような・・・



さて、今年の「チュパカブラの恐怖」で2年続けて映画が作られた訳ですが、これは初めてではないでしょうか。また盛り上がってくる始まりなのでしょうか?それともこれっきりの線香花火なのでしょうか。(地元では、話題にもなっていないようですが・・・・)

またどこかで見かけた方はご一報下さい。 
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# by mofongo | 2005-05-13 20:47 | Charla/無駄口
2005年 03月 12日
ロベルト・アングレロ
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名前を初めて認識したのは河村要助さんのサルサ番外地の一章。
音が聴いてみたくてLPを探したが見つからなかったのを覚えている。

その後プエルトリコに住んでラジオを流しっぱなしの生活へ。ロマンティカなサルサや新譜以外に、常に掛かる定番”Clasica”があることに気付く。それは朝と昼と夜と深夜では違うのだけど、例えばイスマエル・リベラで昼なら”ディメ・ポルケ”夜なら"ラス・カラス・リンダス"とか。深夜はファニアのチータ、エクトル・ラボーのボレロ、セレクタ・・。

定番の曲"オハス・ブランカス""ソイ・ボリクア"などの作者がアングレロだ。ミュージシャンの友人やサルサの達人達にアングレロの話を持ちかけると、皆彼の曲のよさをこぞって誉める。

エル・グラン・コンボをさらっと見ただけでも"Mi Bomba","Dos Coplas y Un Ole" (Este Si que Es-1969)"Te Vas a Arrepentir"、"Antero"(Numero 7-1975), "Aqui No Ha Pasado Nada"(En Las Vegas-1978), "Las Hojas Blancas", "Bomba de Puerto Rico" (Universidad de Slasa 1983) ...その他にもソノーラ・ポンセーニャボビー・バレンティンなどそこら中に彼の作品がある。

ボンバの風味、メロディーの魅力などティテ・クレ・アロンソ同様のプエルトリコ好みだけどティテに比べてメロディーになんともいえないゆったり感がある。

こんな曲たちを作ったアングレロとはどんな人なのか?
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"Guaya Salsa" (1973)

島の北東のファハルドに大工の父とお針子の母の間に生まれたアングレロは小さいとき、サンファンの下町、サントゥルセのバリオ・オブレロに越している。隣人にはあのマヌエル・ヒメネス”カナリオ”もいて幼いアングレロは練習をよく見に行っていたと言う。

バリオ・オブレロに住んでいたってことは貧乏な庶民。子供時代は裏のマングローブの茂るラグーンで泳いだり魚やカニを取ったり鶏を追っかけたりという生活だったとか。

叔母たちのレコードでエルナンデスやダビリータなど聴いていたと言うが、音楽に傾くのはニューヨーク/ブロンクスの叔父の所へ移ってから。パラディアムでマチート、ティト・プエンテ、ティト・ロドリゲスを聴き踊る。同時にマックス・ローチからドラムも習った事も。

そんな中、英語を勉強し空軍に入る。朝鮮戦争の頃だ。その後島にもどってバリオ・オブレロでトリオやクアルテートで歌っていたが、時にはキニョーネス・ビダルやリト・ペーニャのLa Panamericanaで歌う機会もあった。

このときが彼の転機だった。彼が書いた曲”La Pared”がLa Panamericanaでジャジョ・エル・インディオの歌によってヒットしたのだった。その後、この歌はフェリペ・ピレーラ、ロベルト・レデスマ、シオラマ・アルファロなど多くの歌手のカバーが出るほどにもなった。

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それから作曲家として色々なオルケスタに曲を提供するようになり、自分のオルケスタも持った。その最初の歌手がコルティーホのバンドを辞めて島に戻ってきたマルビン・サンティアゴだった。この黒っぽい音はとても魅力的。

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彼のオルケスタ Tierra Negraでのヒットと言えば”Si Dios fuera Negro”(もし神様が黒人だったら)。これは、プエルトリコだけでなくアルゼンチン、ブラジル、ウルグアイやパラグアイなどでもヒットとなる。

これは彼が米国にいたときの人種差別が背景になってるが、この差別を歌い飛ばすような曲になっているのがすごい。「もし神様が黒人だったら、世の中変わる。黒人の大統領、黒人の知事、黒人の医者に黒人の弁護士・・・」と言った歌詞をボンバに乗せ、最後に差別を逆手に取ったやりとりも入れて軽々と演っている。

アングレロのインタビューによればTierra Negra(黒い地面)というグループ名は、彼の育ったバリオ・オブレロ、舗装もされてなく黒い土剥き出しの場所から取ったと言う。そんな庶民の住む場所が彼のホーム・ポジションであり、そこから生まれる歌は気取りもなく、強さとやさしさが漂う。こういうのに弱いのだ。

テゴ・カルデロンが2005年のサルサ国民の日に出演して”Si Dios fuera Negro”を演ったと聞いたとき、彼の作品"Loiza"とこの曲がだぶった。自分の事を"Negro Calde"とよく呼んでいるテゴ。

アングレロはテゴまで静かに繋がっているのだ。
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# by mofongo | 2005-03-12 11:02 | Musica/SALSA
2005年 02月 28日
ラテン・ハーレム /Feb 25 at クロコダイル
ひさしぶりにラテン・ハーレムへ遊びに行ってきた。
お目当ては河村要助さんと藤田正さんのトーク。

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すこし遅れて到着するとウイリー・ナガサキさんの演奏が始まっていた。今回はラテン・ジャズで、渋谷さんもベイビー・ベースではなくAzolaのLightning・エレクトリック・アップライト。手馴れた感じの最初の2曲くらいは、なかなか暖まらなかったが3-4曲目くらいから徐々に温度が上がってきた。

奥山さんのピアノは、いつもの通り実にかっちりと、迷いなく音をおいて行く。流さないのだ。音のツブツブが見える気がする。前半のステージだったっけ、グリーン・ドルフィン・ストリートはとてもよかったです。

真中のトークを挟んでの後半は、ウイリーさんも前半のおさえ気味のペースから、音量、フレージングをずんと変えてきた。最後はコンガも叩いてくれたし。ホルヘ・ダルトの曲での奥山さんがよかった。

★★★

で、問題のトーク。藤田さんはさかんにキャッチボールをしようとするのだけど、要助さんは玉を受けない、投げない、または取れないところに投げる、と行った感じ。

酔っておられたかもしれないが、会場のムードにビビッドに反応したとも思える。なにせ、要助さんがサルサを振興していた頃の事を知る年代の人が多くいて、皆要助さんの言葉を「何か」期待していた感じがした。

でも要助さんはその当時と今では時が違うのを知っている。あのような限られた情報から音を感じ、繊細なレトリックで情熱を包み込む文章を書く人だから、その状況の中で予定調和な放談などしたくなかったような気がするのだ。

5年くらい前に、代官山での「どこのサルサさん」というレコード・コンサートで要助さんが「サルサが好きだとしても結局僕らには"判り"はしないのだよ。」というような意味の事を言った。どんなコンテクストの中での言葉かはすっかり忘れてるのだけど、その言葉だけよく覚えている。

今回、要助さんが藤田さんやウイリーさんに投げた玉で残ったのは「あんた、住民票とりなさい」というフレーズだった。何だろう?いったい?と考えていたが、前述の代官山での言葉がうかんだ。

恋愛をいくら判ろうとしても恋愛にならない。でも恋愛は恋愛の中に入ればいいのだよ、というような事を言ったのかなぁと。そんな事をぼんやり思っていたら"マリア・セルバンテス"が始まった。

ステージのプレーヤーの気持ちを自分は判るかどうか判らないが、このメロディーが好きなのは幸せだと思った。
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# by mofongo | 2005-02-28 00:53 | Musica/SALSA
2004年 08月 26日
NG2
b0015362_1158235.jpgNG LA BANDAではない。プエルトリコの若手サルサ・チームなのです。ノルベルト・ベレスヘラルド・リバスの2人のあんちゃんのイニシアルでNG2(エネ・ヘ・ドス)。

でも、この2人、アイドル系で売り出しの為の即席サルセーロではないのだ。

ヘラルド君は22才、バヤモン生まれ。生まれたときからサルサ漬けな環境で育ち、子供サルサ・バンド"ヘラルディート&ロス・ロコロス"でリード・ボーカルを取り、それを指導してくれたのはラファエル・イティエール以下エル・グラン・コンボの面々、ヒルベルト・サンタ・ロサ、アンディー・モンタニェスなどなど。

ヘラルディート・リバス?と聞いてピンとくる人はかなりのプエルトリコ・サルサ好き?。そう、エル・グラン・コンボのボーカル、ジェリー・リバスの息子なのでした。

一方のノルベルトもエリアス・ロペスのオルケスタからロス・ロコロスで鍛えられたというしぶとい経歴。ヘラルドのアイドルがサンタ・ロサならノルベルトはビクトル・マヌエルという具合。

デビューアルバム"Comienzo"は80年代なサウンドをベースに今の音が被さってかなり良いです。
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# by mofongo | 2004-08-26 02:16 | Musica/SALSA