2010年 05月 23日
プエルトリコ国会議事堂に24時間"爆弾"
"Bomba" en el Capitolio por 24 horas"という新聞の見出しをWebで見て、やば!テロか!と記事を見ると、なんだ"爆弾(Bomba)”じゃなく、音楽のボンバ(Bomba)でした。ほっ。

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リーマン・ショックもあり、プエルトリコはここ2-3年ほどずっと不況で、教師削減、公務員削減、補助削減とか来ていて、最近プエルトリコ伝統の音楽、ボンバ、プレーナ、トローバ(ヒバロ音楽)などへのサポートを10分の1に削減しようっていう法案が提出されたり。

それに抗議して、議事堂前で24時間マラソン・ボンバが行なわれているって記事でした。
あのクソ暑い議事堂前のスペースで24時間とはすごい。Viento de Aguaのエクトール・ティト・マトスのグループのメンツらしい。

YouTubeで24時間・ボンバ抗議を見る
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Musicos borikuas defienden su cultura a bombazo contra los politicos abusadores
http://www.youtube.com/watch?v=7D8Bi0PctHE

10分くらいの映像で、8分くらいからクアトロとフルートがボンバに参加。これがなかなか良い。こういうのやりたいなあ。

クアトロはマリベル・デルガドですね。上手い。曲は定番"アギナルド・ヒバロ".


プエルトリコで何かを訴える時には音楽、特にボンバやプレーナは欠かせない。


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これはビエケス問題の時のプレーナ。"Que Bonita Bandera"

http://www.youtube.com/watch?v=Zfxe-Vqj_90


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2008年大統領選でオバマ来島の時のテーマソングはプレーナ系。
http://www.youtube.com/watch?v=y8Dzt402rMQ



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一方、ヒラリー・クリントンはレゲトン
http://www.youtube.com/watch?v=BH3K5-CKFho


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これは去年の教員予算削減に対する抗議デモ。プレーナ
http://www.youtube.com/watch?v=YImUQG9G6kQ




今日偶然、「辺野古節」という歌を教えてもらいました。

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辺野古節 -ソウル・フラワー・ユニオン Soul Flower Union
http://www.youtube.com/watch?v=NJOyg6Fc518
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# by mofongo | 2010-05-23 13:43 | Musica
2010年 05月 16日
エリアネス・ジャネス追悼ライブ@江古田Buddy
エリアネス・ジャネスに初めて会ったのは一昨年の夏だった。

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友人の東京大学教養学部教員の石橋純さん(最近出版された『中南米の音楽(東京堂出版)の編者としてご存知の方も多いと思います)が紹介してくれた。



ジョルダーノ(ベネズエラのスター歌手)のバンド”セクシオン・リトミカ・デ・カラカス”のメンバーで、自分の好きな作品「Jugando Conmigo」のドラマーだった事を知り、そこからベネズエラの今の音楽と伝統の音との話に移ってとても面白かった。ダイナミックなところと繊細な所を両方持ち合わせた彼の話は、音楽に対するエネルギーにあふれていた。

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そして何より驚いたのは現地での活動の合間に日本に和太鼓の修行に来ているのだと言うことだった。

<鼓童>のベネズエラ公演で和太鼓に魅せられ、親友である石橋さんの尽力をもって93年初来日し、渡辺洋一さん率いる日本を代表する和太鼓集団<天邪鬼>に入門。

95年に次いで3回目の日本だと言うことだった。

◆◆◆


その彼が本年1月、56歳の若さで急逝したと連絡を受けた。実感が湧かなかった。あのエネルギッシュな彼が・・。

そして、石橋さんを中心とするラテン側と渡辺さんの和太鼓側とがジョイントで追悼ライブを行うと言う。

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自分の背景にある音楽をしっかり持ちつつ、和太鼓という自分の文化でない音に情熱的に魅せられた彼。その中で理解、習得、演奏して行く事の楽しさ、苦しさ、幸福さをエネルギッシュに語っていた彼。

たった数時間の飲み会での出会いでもらったメッセージは考えさせられ、共感する所が大きかった。


ラテンでもサルサでもジャズでもロックでもクラシックでもいいけど、日本以外の文化を背景とする音を日本人が愛し演奏する事って結局何なんだ?それを受け入れる地元側の受取り方やその"異邦人"への関わりはどうなの?とかいう事が頭によぎるからです。


エリアネス・ジャネスという人を愛した人たちが追悼に発する音はそんなことも話してくれるような気がして江古田のBUDDYに向かった。

◆◆◆

当夜のメンバー(敬称略)は、石橋純(vo/cuatro)岡本郁生(b)小川ひろみ(和太鼓)澤田勝成(津軽三味線)鈴木裕子(p)、田中孝吉(dr)、モリス・レイナ(vo/g/cuatro)、渡辺洋一(和太鼓)

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ラテン側は、石橋、岡本、レイナ。それ以外は渡辺さんを筆頭に和太鼓側からの演奏者。

一曲目は全員で「コーヒールンバ」。言うまでも無くベネズエラのウーゴ・ブランコの曲。そしてエリアネスの属したアドレナリーナ・カリーベの「身を任せて」、「ベサメムーチョ」と続く。和太鼓の渡辺さんのスペイン語の歌も良い感じ。小川さんもベネズエラン・マラカスを振る。滑り出しはリラックスしたムード。

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ここで和太鼓チームに。澤田さんの津軽三味線の魅力たっぷりの曲。

そして小川さんと渡辺さんが加わる。小川さんは大太鼓に念を込めるような緊張感があふれる音。美しい。

田中さんは「キャラバン」。澤田さんがピアノとメロを取る。澤田さんの三味線の音は、パーカッシブな迫力と繊細な哀感のようなものが同居する。

ここで、ラテン・チームに。





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石橋、岡本、レイナのラテンユニットでは石橋さんは「エロルサの祭り」。ジャネーロ・ホローポ/パサーヘで宇宙へ旅立った魂を悼み、レイナさんのクアトロの独奏へ。

津軽三味線に挑発されたかのような激しさと繊細さの同居。6/8と3/4が交錯。クアトロから出るダイナミクスに圧倒される。

そして石橋さんの「津軽山唄」、「ソン・デ・ラ・ロマ」と続く。リフレインでモントゥーノ的にスペイン語と日本語でエリアネスへの思いを歌いこむ。


再び日本側に戻り、渡辺さん登場。スリーディグリーズの曲ともう一曲、そして「曼荼羅」という曲。

大太鼓を真ん中に締太鼓、平太鼓やタムが並ぶ。小川さんとの和太鼓のリズムの合わせがとても面白い。

ラテン組の演奏の時に「なぜ我々は通称"一本締め"(よーーっ、パン、というやつ)という、不思議なリズムの合わせをピタっとと出来るのか」と言う石橋さんの話があったが、一定のパルスが常に体内にある、アフリカ系のリズム感覚との違いはとても不思議だ。

それは普段、盆踊りの炭坑節の譜割りとか、地元の某音頭のメロの譜割りと踊りの譜割りのズレとの感じを不自然と感じない、パルスとは違う、時間の割り方・割られ方・括り方と重なる。パルスで合わすのと異なるリズム感覚。

まあヨタ話だけど、メセニーのメロディーを真ん中にして拍子が次々に変わる譜割りとか、同様の中近東の音とかとのサブサハラ・アフリカ的でない音との共通点を思ったりもする。

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途中からドラムが8ビートを叩き出し、その上で太鼓がフレーズを紡ぎだす。そしてそれから切り替わってドラムがリードしない形に。

渡辺さんの音には和太鼓としての音と、それから自由に広がり時にはラテンにも聴こえるフレーズが飛び出す。しかしスウィング感というかタイム感などはラテンと異なり、そこがとても面白い。

そして全員がステージに上がる。渡辺さんののリードによる、ラテン的に言えばデスカルガ。

大太鼓の2発の響きからスタートした「魂の遭遇」という曲。

エリアネスを悼む気持ちを音を発することで表そうとした演奏者が集まったこの最後の曲では、彼の地ベネズエラの背景を強く持った音と、我が地日本を強く感じる音、そしてその間で2つのポジションを自由に行き来する音がめまぐるしく飛びかった。

それは一曲の中でも数小節、いや数拍の間でも色合いが変わった。

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それは"Fusion"や"Mix"と言った「混じり合った」音ではなく、各々の自分の音を真っ直ぐに発する中で、個々の音がその場の耳で相互に影響するものだった。「行き来する」感覚。それがとても自然。

それは、エリアネスを追悼・送る為の曲というより、彼と一緒に演奏をしているような感覚。日本式の「太鼓歌/タンボール」を一緒に奏でる事で、彼との最後の共演を果たしていたのかもしれない。


◆◆◆

ステージが終わり、改めて「異文化音楽問題」を考えてみたが、結局答えは出ない。でも、オーセンティックな音を、真っ当に追求すれば/しても、真っ当に精進すれば「自分の音」にたどり着ける/着いてしまう、のではないかと思った。

その結果は玉になるか石になるかは分からないし、玉にするのは簡単でないだろうけど、真っ直ぐやるしか面白いものにならないだろうなあ、というバカみたいな感想が浮かんだのだった。
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# by mofongo | 2010-05-16 12:11 | Musica
2010年 04月 29日
ペーニャ・ハラナ/アフロ・クリオーヤ・デ・ペルー LIVE
目黒のCAFE Y LIBROS
http://www.cafeylibros.com/index.htm

"Dia del Peru/ペルーの日"と言う事でこの日は 午後2時からペルーの文化、歴史、観光、軽食、日西バイリンガル児童書紹介 「日本とペルーの111年」についての講演と続き、夜7時からは:

「ペルー音楽の魅力IV: ペルーの日系人スターと、日本のペルー人音楽家」 というタイトルの下、ペルー音楽研究家の水口良樹さんの講演と水口さんもメンバーであるペルーのアフロ・クリオーヤ音楽を演奏するグループ"ペーニャ・ハラナ"のライブがありました。

http://www.muse.dti.ne.jp/~cyqirque/

ペルーもこれまた面白い音楽満載の国で、海岸地方の黒人系の音楽あり、山の方では白人系のクリオ-ヤ音楽ありとすごく豊か。こりゃ楽しそう!なんつったって水口さんですから。

◆◆◆


まず講演の部は、日本からペルーへの移民略史を導入部に、ペルーの日系音楽家のスターたちの紹介がスタート。


その土地、土地にある音楽に対する感性ってDNAなんだろうかそれとも育ちなんだろうか?って時々思います。

日本の音楽でない「洋物」を演奏する事が殆どの自分は、はたして「オーセンティック」な事を本当に理解してるんだろか?とか。

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しかし、自分の前に座った多分ペルー人のグループの人が、水口さんの紹介したアンヘリカ・ハラダ・バスケスさんやセサル・イチカワさんが歌う映像を見て「あ、これ知ってるよと」連れの人に話しかけメロディーを口づさんでいるのを見ると、DNAも育ちも含めたその人の総体的な感性なんだなと思いました。

ワイノからクリオーヤからポップスからボレロまで、色々な分野で活躍しスターとなった日系の人たち。同胞の人たちの活躍をうれしく思う心って当たり前かもしれないけど、何なのでしょうかね。



そして、在日ペルー人の音楽文化についての紹介。ロス・カリブレスからディアマンテスのアルベルト・城間さん、そしてフェルナンド・ロシさんと続く。

自分の国を離れて暮らす移民という立場の話はプエルトリコに住んでた時、本当に何度も何人からも聞いた。自分もそのときは(だいぶ恵まれていたけど)自国から離れて暮らす立場だったから、気持ちがよく伝わってきた。

好きなプエルトリコのサルサやNYでのプエルトリコの人たちの文化の事は自分のテーマでもあるし、それは移民の事抜きに考えられるわけもなかった。

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日本にもたくさんの外国人が住んでいるけど、外国に住む外から来た人の受け入れられかたと比べると、なんとも考える事が多い。
水口さんの講演を聴いて、友人であり、敬愛する素晴らしい弁護士、ななころびやおきさんの書かれた本『ブエノス・ディアス、ニッポン―外国人が生きる「もうひとつのニッポン」』のエピソードを色々思い出した。



◆◆◆

さて、時間は8時を回り、いよいよライブだ!
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一曲目は北部風マリネラ「エル・スエニョ・デ・ポチ ~ ウアケーロ(墓泥棒)」で楽しくスタート。各メンバーがペルーの色々な民族衣装をまとっているのも、これまた楽しい。

二曲目はバルス>。「ヨ・ペルディ・エル・コラソン」。泣きが濃い、との解説でスタートしましたが、まさにBurujaさんのボーカルの泣きはよかった!
エバ・アイジョンが歌うので知った曲ですが、彼女のバージョンよりもっと泣いた方が良いなあと思いました。

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三曲目のフェスティーホエル・マジョラル(奴隷主)」というタイトル。もとをさんのぶっとい声から、ねえなさんがカホン叩きながら歌うパートへとなだれ込む。

パパさんの小型のカホンとおかるさんのカヒータ、Burujaさんのカウベル、そしてねえなさんのカホンから叩きだされるハチロクは心地よい。手拍子打ちながら体がうずうずしてくる。

四曲目はルイス・アベラルド・タカハシ・ヌニェスさんの「2つの幻想/Dos Ilusiones」。とても心を打つ曲。タカハシさんは日系2世で1927年北部のコスタに生まれた方。ペルーで多くの作曲を行い大作曲家として活躍され、晩年は日本で暮らし5年前に亡くなっている。日本と言う自身の血の繋がった国に来くる事と、同時に自分が生まれ育ったペルーを離れる事への思いが同時に心の中にある曲。

心は2つの場所の間にあり、時間という一方向にしか行かない世界の中で、後ろを抱えつつ前に進んでゆく姿。

これは以前 LOS CALIBRESの「君を忘れない」を聴いたときにも思った事。自分は2つの国の間で生きてる訳ではないけれど、人は皆、時間の中では、自分が過ごしてきた掛けがえの無い時間を持ちつつ前を見て生きている。それが故郷への強い思いを含んだ歌を聴くと切なくも強いエネルギーを貰う気がするのだ。

五曲目の「カルパス・デ・アモール ~ トンデーロ」 ではトリステのBurujaさん、なづさんの2つの声の個性の間で詞が受け渡されて、そして後半のトンデーロの激しいパートへと繋がってゆくところはとてもかっこいい。

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そして次はおなじみの「トロ・マタ」。さすがにステップを踏んでみたくて足がむずむずしていたら、ペルー人の方が「椅子どけて踊ろうよ」って皆に声を掛けてくれた!ステップというか乗り方が面白い!全然できなかったけど。

そして最後は「マニャーナ・ポル・ラ・マニャーナ」。マリネーラ・リメーニャです。楽しい。

会場はテンション上がって、もちろんオトラ!です。ワイラス!あ、クラリネットが出てきた!バイオリンも!そしてピアニカにマンドリン!盛り上がりました。

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しかし、ペルー軍団は手を緩めない。「カルナバルの音楽を!」という声。ここで泣けるのは水口さんが「ちょっと待って下さい。今、車から楽器を取ってきますから」と飛び出していった事。にこにこしてパン・フルートを持ってきた。

この楽器なしでも形だけは出来たかもしれないが、この妥協なしの音楽バカ(すみません!)は素晴らしいですね。みんな輪になって踊りまくりでとうとう時間が来てしまったのでした。

楽しい夜。出張の疲れなんてぶっ飛んでしまいました。
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# by mofongo | 2010-04-29 01:32 | Musica
2010年 03月 28日
ミシェル・カミーロ&チューチョ・バルデス@Bluenote 10.3.25
言わずもがな、二人ともうまい・速い・ラテンという冠が良く付くアーティスト。今まで別々に何度も聴いて来た二人が一緒にやると異なる個性がどう出てくるのか、技術の上にある二人の個性をもっとはっきり聴きたいなぁ、なんて所を楽しみにしていた。

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ブルーノート初日のセカンド。席はチューチョの背中が良く見える所。

ゆるりと始められたマイナーな一曲目。 "La Comparsa"だ。 1912年、エルネスト・レクオーナが弱冠17歳の時の作品『Danzas Afro-Cubanas』の中の一曲。チューチョの作品でも"En El Teatro Colon"や"Calle 54"でも取り上げられている。

テーマのモチーフがラヴェルの様に、そしてドビュッシーの様に展開されたあと、左手はレクオーナの演奏そのままのダンソン風のパターンが奏でられテーマに入る。かなり頭を食って入ったので、既にワインで酔っ払い気味のアタマが一挙に緊張した。









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長調に展開するテーマは古き良きキューバの香りがして好きなメロディー。

カミーロもぴったりつけてくる。そしてテーマが1周したあとは、カミーロがジャージなメロを出し、チューチョがすぐ追っつけて展開。リチャード・ティーを連想するようなリズミックなパターンからすぐ、クラシカルなフレーズに引き戻し、高音域からの逆落とし。カミーロが下からチェイスをかける・・・と言った具合。楽しんでいる風。しっとりとレクオーナに敬意を表すようなテーマに戻るという緩急自在のプレーのスタートだった。




二曲目はバラード。かわいらしいメロディーとロマンチックなコード進行、そしてそこを時に高速で駆け抜ける。あ、なんだっけ?この曲。えーと、あ"El Dia Que Me Quieras"だ。レクオーナやガルデルと言ったラテンの先輩へのレスペクトを感じる選曲。二人はひたすら素直でキュートな音を重ねる。

そして高速なリズムパターンに不穏なメロディーが乗る。なんだ?あ、"Caravan"だ。出たぞ早弾きの応酬。ファン・ティソールの書いたこの曲の前半はモード的で自由度が高い素材。二人は好きにぐるぐるかき混ぜて遊ぶ。

途中からハーフテンポに落としてスウィングに、そして元に戻したり、ファンキーなベース・パターンと遊んだり。
そんな早弾きアドリブを聴く楽しみは、2人の間がフッと空く一瞬。お互いに瞬時に反応し次のパターンを突っ込んで行くから。思わず耳が開く。盛り上がりの中でカミーロは速度とジャズ・イデオムで走った一方、チューチョがやわらかでクラシカルなラインを選んだ瞬間があった。こういう違いが楽しい。

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次はスローな哀感のある曲。カミーロのソロか。えーと、この曲は聞いたことあるぞ。たしか彼のブルーノートのライブに入ってたオリジナルだ。("Twilight Glow")。



静かに終わったソロのあと、アップテンポのマイナーなインプロからスタート。この進行はおなじみ"枯葉"だ。2人ともまっとうなソロが続く。片方がウオーキング・ベースをカバーしたりコードでドラム・フィル的な突っ込みしたり、と受け渡しが続く。

フレーズやリズムのイデオムには特段ラテンなものはないし、大きくアウトしてゆくこともない。だけど執拗な畳みかけやタッチの中に生まれる波みたいなものこそが彼らの一流のラテンだよなあ、とか思う。




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そしてディジー・ガレスピーのブルース"Birks Works"。ちょっとモンクを思わせる重ね方。ブルージーに進むかと思えばワン・コーラース全部同音のトリルで通すような圧迫のチューチョ。サンドバルの高速ハイノートでの正確なタンギングでのロング・フレーズを連想してしまう。そんな時カミーロは邪魔しないけど個性的なバッキングで対応。面白い。


この後あたりからよく曲順を覚えていない。ワインも手伝って音の中で良い気持ちになって来た。
チューチョのソロもあり(スタンダード風のコード進行だが曲目思いつかず)、高速ブルー・ボッサあり。

高速ブルーボッサは枯葉と同傾向のからみ。でも進行がもっとシンプルなだけに、フレーズにリズムの遊びが増える。ハーフテンポに落として、モントゥーノのフィールをちらつかせてくれたり。


ここでラザロ・リベロ(b)、ホァン・カルロス・ロハス(ds)、ジャロルディ・アブレウ(conga)が加わる。

マイルスの"Solar"だ。早いジャズ/ラテン・フィールで走る。リベーロのソロではドラムがルンバ・クラーベを入れてくる。
ジャロルディーそしてロハスのソロ、受け渡しは楽しい。会場はとても盛り上がった。お客さんは満足。

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最後は二人でBesame Mucho。これはひたすら落ち着いた熱情。しっとりと結びました。

◆◆◆

終演後、友人たちと「すごかったね」と話しながら、それは何なのか考える。それは高速でのインタープレイの迫力とか面白さ、見事さ自体よりも、それを緩めた時にふっと出てくる個性、チューチョのセルバンテスからレクオーナにつながるようなキューバの香り、そしてカミーロの硬質なジャージーさとラテンの甘みの溶け合いみないなものに思えた。

それは結局二人の個性の違いの部分より、ジャズのイデオムをたっぷり使いつつ"スウィング"とは縁の遠い彼らの音楽の共通点、ラテンであることを一番楽しんだ気がします。



酔っぱらって帰る頭にラ・コンパルサのメロディが回ってた。
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# by mofongo | 2010-03-28 01:18 | Musica
2010年 03月 25日
新刊『中南米の音楽---歌・踊り・祝宴を生きる人々』
今月30日に中南米の音楽が好きな人には注目の良い本が出ます!
おすすめです!

石 橋 純 編
『中南米の音楽---歌・踊り・祝宴を生きる人々』
東京堂出版●定価(本体1,800円+税)
ISBN978-4-490-20667-8 C0073
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内容はこんな」感じ

%%%% オビ・コピーより %%%%

音にあふれる【祝祭の大陸】を読む

サンバ,タンゴ,「コンドルは飛んでいく」,「コーヒールンバ」だけじゃない。陽気なダンス音楽の歌詞に鋭い批評がこめられる。生活の喜びと悲しみをリズムとともに表現し,音楽を通じて社会変革を夢見る。多民族・複数文化が共存・共鳴しあう音楽大陸=中南米。その歴史をひもとき,現場の鼓動を伝える。達人9名による鮮烈な案内書。

中南米の人々が音楽を「生きる」姿を,現地における調査・研究・演奏・制作に精通した専門家が,幅広く,奥深く紹介。

[目次より]
第1章●概説・中南米の音楽――その歴史と特徴[石橋 純]
第2章●サルサと北米ラティーノの音楽[岡本郁生]
第3章●米墨,ボーダーランドで鳴り響く音楽[宮田 信]
第4章●キューバの音楽をめぐる継続性と断絶性[倉田量介]
第5章●ダブ――南国ジャマイカ発の人工的音響[鈴木慎一郎]
第6章●ベネズエラ――更新されつづける伝統[石橋 純]
第7章●ペルー大衆音楽の発展略史[水口良樹]
第8章●ボリビア音楽――その歴史と地域性[木下尊惇]
第9章●ムジカ・セルタネージャ――ブラジルの田舎(風)音楽[細川周平]
第10章●鉛色時代の音楽――独裁政権下のアルゼンチン・ロック[比嘉マルセーロ]

国際交流基金企画「異文化理解講座」より

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オビのコピーにあるようにこの本はもともと2006年の5月から7月、そして2007年の1月から3月、国際交流基金企画「異文化理解講座」より生まれたものなのです。

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ベネズエラ研究の第一人者、東京大学教養学部の石橋純先生が世話人となって行われた講座で、僕も毎回楽しみに受講というかお話を聴きに行ったのでした。いやお話しだけじゃなくて、当然音も聴かせて映像も見せて、時にナマ演奏も入るという贅沢な企画。

すごく面白かった。そして友人の岡本さんが誘ってくれたおかげで、毎回講座の後の飲み会にも参加して、その場の濃い話の素晴らしかったこと。講師の方はその道の「達人」であるとともにその音楽と文化を愛しているわけです。そしてそれと同時に自分の知らない/詳しくない音楽に対するレスペクトと好奇心がとってもある。だから自分の回でない時ににも参加され、飲み会でいろんな話をするのです。セルタネージャとホローポとワイノとサルサを横一線でワイワイ話すのです。自分もサルサやボンバ・プレーナ・ヒバロで加わったりできたのも楽しかった。

ちょっと筆者を自分の知っているレベルでご紹介します。
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石橋純さん は東京大学の先生でベネズエラ研究の第一人者。ベネズエラのクアトロも弾いちゃったりする方です。著書には『熱帯の祭りと宴』(つげ書房新社)、『太鼓歌に耳をかせ』(松籟社)、『カリブ・ラテンアメリカ音の地図』(音楽之友社)などがあります。最後の本は、僕も書かせて頂いてたり。



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岡本郁生さん は、『ラティーナ』誌の連載や記事、CDのライナーや各種雑誌の記事でご存じの方も多いと思います。新宿のやくざも道をあけるドスの効いたダンディーさですが、FM番組の制作を本業とされてます。著書には上の『カリブ・ラテンアメリカ音の地図』(音楽之友社)や『米国ラテン音楽ディスク・ガイド50's-80's』 (リットー・ミュージック)などがあります。

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宮田信さん はインディペンデント・レーベルMUSIC CAMPを主宰されている音楽プロデューサーで、チカーノ文化・音楽に関してはこの人をおいていないと断言します。『Music Magazin』、『Remix』、『ローライダー・マガジン・ジャパン』などによく執筆もされていて『カリブ・ラテンアメリカ音の地図』(音楽の友社)にも書かれています。

倉田量介さん は東京大学の講師をされていて文化人類学やポピュラー音楽研究をされています。

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鈴木信一郎さん は信州大学の先生でジャマイカを中心にカリブ英語圏ずっぽりの研究と同時にジャマイカ音楽、レゲエからダンスホール、ダブともうすごいです。著書には『レゲエ・トレイン』(青土社)、『シンコペーション - ラティーノ/カリビアンの文化実践』(エディマン)、そして『カリブ・ラテンアメリカ音の地図』(音楽之友社)にも書かれています。

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水口良樹さん はペルー音楽の研究家であり、大学の講師もされている文化人類学の先生でもあります。2003年から毎年の日本ペルー協会主催のペルー音楽の講演会のほか、色々な講座をもたれているのでご存じの方も多いかも。それに日本でも希有なペルーのクリオーヤ音楽バンド「ペーニャ・ハラナ」での音楽活動!もすばらしいです。

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木下尊惇さん はボリビア音楽の音楽家で30年近く前に単身ボリビアに渡り、ギタリスト・作曲家として活躍。現地でベストテンのトップを飾ったり、映画音楽を担当したりフォルクローレ音楽の教授として教えたりでボリビア大使館から勲章までもらわれたり。日本でもNHK BS-hiの音楽を担当されたりしてます。『ボリビアを知るための68章』(明石書店)の音楽の章を書かれています。

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細川周平さん は国際日本文化研究センターの教授で音楽研究、特に近代日本音楽史、日系ブラジル文化を専攻されています。著書には『サンバの国に演歌は流れる』(中公新書)、『シネマ屋、ブラジルを行く』(新潮選書)、『トロピカーリア』(音楽之友社)や『ユリイカ』への執筆などがあります。



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比嘉マルセーロさん はフェリス女学院大学の教授で社会学、文化人類学、特にアルゼンチンにおける日本人移民、都市文化研究をされています。著書には『南北アメリカの日系文化人』(人文書院)などがあります。


と、言った達人たちですが、音楽とその文化に触れたその文字の間からは、メロディーやリズムと皆さんの熱い音への愛が伝わってくると思います。
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# by mofongo | 2010-03-25 01:12 | Musica
2010年 02月 05日
David Sanchez Quartet Jan.30, 2010 @ Cotton Club, Tokyo
彼を初めて聴いたのはプエルトリコでだった。"Sketches of Dreams"(1995)を出したばかりの頃。

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次はジォバニ・イダルゴ(Giovanni Hidalgo)とミシェル・カミーロ(Michel Camiloと)のライブ。

ジォバのソロ・アルバム"Hands of Rhythm"(1997)のリリース記念だった。高速トゥンバオ系の2名にも楽々対応していたのが印象的。









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終演後のホテルでの打ち上げに参加した時、初めて話をした。とても人当たりが柔らかく、ソニー・ロリンズの話をしたのを覚えている。

自分が学生の頃演った"St. Thomas"、"Antigua"と言ったカリブの島々の名前をタイトルにつけた曲と彼の自由なフレージングの話だった。







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それからサンファンで行なわれたFestival de Bomba。
故ラファエル・セペーダの息子のヘスース(Jesus Cepeda)やロベルト話していると、ふらっと現れたのがサンチェスだった。

彼の兄はボンバのグループでやっていたし、彼自身もサックスを始める前はトゥンバドールを目指していたくらいだから、ボンバは当たり前のもの。ヘスースの娘のダンスを一緒に見ながら色々教えてくれた。

◆◆◆

今月下旬発売のラティーナ誌に山本幸洋さんのインタビュー&ライブ・レポの記事が載るけど、サンチェスのディスコグラフィーを作るお手伝いをした。その時、棚から引っ張り出した彼の参加作を端から聴いてら、彼のライブを初めて聴いたときに頭に浮かんだ事を思い出した。


ラテン系なミュージシャンがパーカッション入りでジャズをやると、取り敢えず「ラテン・ジャズ」と括られる。

アフロ・キューバンからラテンジャズの系譜というのは大きくあるのだけれど、自分はその系譜の発展系だけでは物足りない感も強い。特にラテンのリズムの上にシンプルにジャズのハーモニーを乗せた、というような婚姻形態。

70年代のフュージョン以降、「ラテン・ジャズ」のレッテルと直接関係のない所でヒント(例えばウエザー・リポート)がたくさん出ている、一方でビル・フリゼールやパット・メセニー、ジョン・ゾーンのマサダの様に自己が属する場の音を再構築・提示するような音もある中で、ラテン出自のミュージシャンのアプローチも耳が欲していた。

従来型でもフォルクロリックでもメインストリームでもなく、でもラテンという「その場所にいた人しか出せない」リズム・ハーモニー・メロディーの自由度を感じさせてくれる音を聴きたいのだった。

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1998年の”Obsession”はサンチェスがラテンの曲を素材にしたアルバム。アイディアはレコード会社からのものだったとか。


簡単に「ラテン・ジャズ」になりそうな素材だし、そうするのに何の困難もなかったろうけど、彼の興味はそこになく、伝統とその自由度に対する強力なレスペクトを、フォームにとらわれず自然に湧き立たせたいという風に聴こえた。





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その後"Melaza" (2000)、"Travesia" (2001)を経て、コロンビア・レーベルでの最後の作品 "Coral"(2004)。
そしてコンコード・ピカンテに移籍して最新作の"Cultural Survival"(2008)まで4年の時間があった。

彼はその間、色々な音の中にいたのだけど、2005年のメセニーとのツアーは特に彼にとってとても大きかったんじゃないかと思う。





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メセニーとやっているドラマー、アントニオ・サンチェス(Antonio Sanchez)の "Migration"(2007)での、クリス・ポッターとの競演は強力だった。愛聴盤。そして翌年の"Cultural Survival"のリリース。これがまた素晴らしい。

コンポジションも面白く、変拍子や仕掛けのリズムと美しく刺激的なハーモニーの枠の中で、サンチェスはそれを気持ちよく縫いながら、自由に力強く流れるようなラインを紡ぎ出す。

そしてそれは表にははっきり見えるフォームではないが、リズムの捉え方、音色とアーテキュレーションの柔らかさ「ラテン」から出た彼でこその音になっていた。

ヘンリー・コール(プエルトリコ出身)やアダム・クルース(NY出身。親父はティンバレーロのレイ・クルース)と言ったラテンもジャズも分かるドラマーとの組み合わせはサンチェスがやりたい事をするのに絶対必要。"Cultural Survival"とはなんとも象徴的なタイトルなしのかもしれない。

こんな感じで来日を心待ちにしていた。
Cotton Clubでの最終日の2ndに飛び込む。

◆◆◆

メンバーは
ダビッド(デイヴィッド)・サンチェス (David Sanchez : sax)
ラゲ(ラージュ)・ルンド (Lage Lund : g)
リッキー(リカルド)・ロドリゲス (Ricky Rodriguez : b)
E.J. ストリックランド (E.J. Strickland : ds)

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ルンドはノルゥエー人で"Cultural Survival"でのユニットの中心の一人。マーカス・ストリックランド(Marcus Strickland : sax)のユニットで演ったりしてる。ナチュラルな音色で曲全体の流れの変化への対応が素晴らしいプレーヤー。

ロドリゲスはポンセ生まれのプエルトリカン。彼の名前を初めて見たのはエンデル・ドゥエニョ(Endel Dueño : Timb, ds) の"Energy"。




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ストリックランドはラビ・コルトレーンのオーケストラで来日もしていて双子の兄弟であるマーカス(Marcus Strickland)と共にユニットを組んでいたり、昨年ソロ・アルバム"In This Day"を出したり。

このあたりの人脈は重なっていて、ベーシストで言えば名手スコット・コーリー (Scott Colley)、 ハンス・グロウイッシュニク(Hans Glawishnig)、オルランド・ルフレミング (Orlando LeFleming)などの名前が行き来する。


1曲目は曲名わからず。新曲か?
演奏全体がCDとちょっとちがうイメージなのはストリックランド.のドラムのせい。ラビのバンドや彼のソロ・アルバムで感じられる通り、時にエルビンのような流れの切り分け方とアクセント、重みとダイナミクスがアントニオ・サンチェスやヘンリー・コールなんかと全然違う。しかし、それにあわせてサンチェスやルンドは大きくアプローチを変えるわけじゃない。

2曲目は"Coral"。ブラジルのHeitor Villa-Lobosの作品。マイナーのボサノバのスローな曲。ルンドのソロも素晴らしい。パーカッションもコンガもない編成だし、ルンドのグラデーションが次々に変わるハーモニーはまさに今のジャズのイデオムなのだけれど、サンチェスのメロディー/歌の中には何故かラテンやブラジルが感じられる。決してそれを意図しているとは思えないのだけれど。


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3曲目は"Cultural Survival"。5拍子のテーマにE.J.が大きな枠の流れに好きにアクセントをばら撒く。CDでのアダム・クルースよりストリックランドはスネアを強く使うのでかなりリズムが強く趣が異なる音。

サンチェスもそのポリリズミックなプレーの中を途切れぬメロディーで歌う。太い音色はブロウしてもぎらついたりザラついたりしない。相当頭と体を刺激され満足。

4曲目は"Pra Dizer Adeus"(To say Goodbye)。 ブラジルの作曲家Edu Loboの作品で2001年の"Travesia"に収められている。パット・メセニーとのツアーでも演奏された曲。
ほぼギター、ベースのトリオのように奏でられる曲は静寂の中、スロー・バラードというよりボレロとブラジルの湿度の感覚が漂い耳が音に引き込まれる。

そして5曲目はエディー・パルミエリの名曲アドラシオン"Adoracion"。サンチェスもルンドも素晴らしい。EJもたっぷり煽る。サンチェスは相当熱いプレーだが、ピアノではなくギターとの組み合わせは単純な予定調和の盛り上げなどにならない為に効果的かも。などと頭の隅によぎりながらサンチェスとルンドのメロディーを追っていた。
これが最後の曲だった。


そしてアンコールは静かで優しいメロディー。星空を見るような感じ。ルンドの変化するハーモニーにサンチェスの大きなメロディーが流れる。良い曲でした。


◆◆◆

終わって、メンバーと話した。
EJに今回の来日の事、ソロ・アルバムの事など聴いていたら、突然

EJ「な、今かかってる曲知ってる?」

ってニコニコし出した。女性ボーカルにトランペットがかぶる。「えっ?」と考えていると

EJ「ドラマーは誰だかわかる?エルビンだよ。この曲は何度も聴いたなあ」ってまたニコニコ。


ロドリゲスはすごいフレンドリーに受け答えてくれた。

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「で、ポンセーニョだよね」
「あ?なんで知ってんの?」
「島にまた住みたいよ。」
「おー、エルマーノ」(がしっ)

エンデルのエナジーで聴いたのが初めてなんだけど」
「あー?エンデルの?おい、ダビ!こいつエンデルのとか言ってるよ、わははは。あれはエリック・フィゲロアとかすごくてさ」

一気に盛り上がる。

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サンチェス「エンデルもすごいよね」
「覚えてないかもしれないけど、プエルトリコのジォバとカミーロのライブの楽屋で話したのが最初なんだよ。」
「あー?!ホテル・エル・サンファンだ!」
「あのころグアイナボに住んでてさ」
「えっ、オレ、グアイナボ出身!」

また盛り上がる。
今はアトランタに住んでいるとか。

ダニーロ・ペレスやルイス・ペルドモ、ミゲル・セノン、ヘンリー・コール、アダム・クルース、アントニオ・サンチェスなんかの話、そしてメセニーやパルミエリの話も。色々な共演者との経験が今の自分を作ってるって。

ほんと音楽が楽しそうだった。
良い夜。
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# by mofongo | 2010-02-05 01:50 | Musica
2010年 02月 04日
今年の『サルサ国民の日』コンサートは 3/21
27回目となる今年の『サルサ国民の日/Dia Nacional de la Salsa』のコンサートは 3/21(日)昨年と同様アトレイのイラム・ビソーン球場。Plaza Las Americasのすぐ南ですね。

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今年はジョニー・オルティス(Johnny Ortiz)エクトル・マイソナーベ(Hector Maisonave)に捧げるというプログラム。

ジョニー・オルティスはサルサに数々の名曲を提供してきた作曲家。サルサの作曲家といえば、なんといっても故ティテ・クレ・アロンソが燦然と輝くけど、ジョニー・オルティスはその心を直系で受け継いでいると言っていい、これまた素晴らしい作曲家。そしてまだ現役。

「ティテ・クレ・アロンソの直系」と言うのは、その詞の内容。ティテ・クレは常に今を反映した詞、つまり60年代以降の都市化の進んでゆくプエルトリコ、そして同胞ニューヨークの現実の生活、社会を反映した作品を紡いで来た。

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それはサルサが単なるサウンドでもリズムでもないものとして支持を受け、プエルトリコ、ニューヨークのみならず、コロンビア、ベネスエラ、パナマ、ペルー・・・と中南米に広がって行く大きな力の一つとなった。


それぞれの国で人々は食べる為に都市へと移動する。オロコビスやアイボニートなどのヒバロの里の人たち、リオ・グランデやグァイヤマなどのアフロ・リカンの人たちは首都サンファンに出てきてサントゥルセやビジャ・パルメーラス、プエルタ・デ・ティエラと言った超庶民のバリオで暮らし始める。

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都市の混在・混合は常に何かを生み出す。それは生活の現実であり、それは詩に、歌に、音楽にと形
を変える。

そしてそれは、イバゲやビジャビセンシオからボゴタに出てきた家族の現実であり、ベラグアスから運河の仕事に出てきてそのままパナマ・シティー居ついた若者であり、マラカイやロス・テケスからカラカスに出て丘にへばりついて暮らす元農民・・・そんな「都会の詞(うた)」を織り込んでいるからこそ、サルサはサルサなんだと思う。サンティアゴのソンやパレイディウムのマンボとサウンドやリズムで少々重なりがあっても、ポイントはそこじゃない。



でも、ジョニー・オルティスの曲つっても分かんないよーって感じ?いやいや、知ってる曲、すごい多いと思います。例えば:

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ウイリー・コロンルベン・ブラデスの超名盤『シエンブラ(Siempra)』(1978)の5曲目「オホス/Ojos」

YouTubeでOjosを見る






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ピート・"エル・コンデ"・ロドリゲスの『Este Negro si es Sabros』(1976)の大ヒット「カタリナ・ラ・オ/Catalina La O」
YouTubeで「カタリナ・ラ・オ」を見る







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◆トミー・オリベンシアでフランキー・ルイスが歌う「ファンタシア・デ・ウン・カルピンテーロ/Fantasia de Un Carpintero」。アルバム『Un Triangulo de Triunfo』(1981)。

YouTubeで「ファンタシア・デ・ウン・カルピンテーロ」を見る





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ルイジ・テクシドールのソロ『El Caballero』(1980)のこれまたヒット「エル・ジャント・デ・ラス・フローレス/El llanto de las flores」









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ソノーラ・ポンセーニャヨランダ・リベーラが歌う名曲「ボリンケン/Borinquen」は名盤『Unchained Force』(1980)の7曲目
YouTubeで「ボリンケン」を見る







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ウイリー・ロサリオの名盤『The Salsa Machine』(1983)でトニー・ベガが歌う、これまた大ヒットの「ブスカ・エル・リトモ/Busca El Ritmo」。Jose Feblesのアレンジも楽しい。
YouTubeで「ブスカ・エル・リトモ」を見る







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コルティーホの『Champions』(1975)のこれも大ヒット「ピカ・ピカ/Pica Pica」
YouTubeで「ピカ・ピカ」を見る








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マルビン・サンティアゴの『El Sonero Del Pueblo』(1985)での「エル・オンブレ・インクレイブレ/El Hombre Increible
・・・
YouTubeで「エル・オンブレ・インクレイブレ」を見る


まだまだあるけど、みんなどれも素晴らしいメロディー、そして庶民の心に響くうた。



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あと自分が好きなのはティト・ゴメスがの歌う「ラ・ルンバ・ケ・テ・クラ/La Rumba Que Te Cura」。この曲がトップで始まる『La Maquina de los 80』(1985)はフニオール・ゴンサレスやマックス・トレス、ボビー・コンセプシオンなどなども歌う企画盤。ジョニー・オルティス自身がプロデューサーでもある。ラファエル・ビエラ親爺も副プロデューサーに名前を連ねてる。

YouTubeでOjosを聞くる(スペインのLago&Anitaが踊ってる音とがこれ)

◆◆◆

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そしてエクトル・マイソナベは50年代からNYとPRで活躍したサルサのプロモーター/マネージャー。これまで5,700ものコンサート/イベントを手掛けた57年のキャリアのサルサへの貢献へのオマージュ。音楽だけでなく、ザイール(現コンゴ民主共和国)でのモハメド・アリとジョージ・フォアマンのボクシングの世紀のチャンピオン戦とかも彼。

79才だけど元気なもんで、先月、NYのリンカーン・センターのイベントでも表彰されたばかり。ちなみにそのライブにはインディアが歌い、心臓発作で先月ひっくり返ったティト・ロハスが元気に復活、ミリー・ケサダやトニーベガも参加だったとか。


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イスマエル・リベラ、ティト・ロドリゲス、ラフィー・レアビ、ラ・ルーペ、ルイス・エンリケ、ジェリー・リベラ、ソノーラ・ポンセーニャ、ヒルベルト・サンタロサそして何よりエクトル・ラボーのマネージャーだったことでも有名かも。


ほんと彼がPUSHしたビッグ・ネームは多い。サルサで有名なプロモーター/マネージャーというと、ファニアのジェリー・マスッチ、チータからRMMまでのラルフ・メルカドがまず浮かぶかもしれないけど、彼もすごいのです。


プエルトリコのバルセロネータ生まれの彼は、家族とともに40年代にNYに移り住んだのだった。ティテ・クレやジョニー・オルティスが作る曲にあるような多くのプエルトリカン -- 島での貧しい暮らしから抜け出したいと思ってNYという都会へやってきた多くの人たちの一人だった。



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彼はインタビューで当時の事をこんな風に語っている。

「家族で(サンファンからニューヨークまで)汽船のマリン・タイガー号に乗ってきた。1946年の事だった。レキシントン通り111番街(つまりEl Barrio)のホテル・リオスにまず宿を取らされた。当時のプエルトリカンの定番だ」

「アメリカ人は当時自分たちの事を"マリン・タイガース"って呼んでたよ。それから"スピック(spic)”って呼ばれた時代があった(*注:speakの発音がspicになるプエルトリカンをからかった呼び方)。そしてそれが"チコ/chico"となり、"ニューヨリカン"となっていった。」


そんな典型的なNYのプエルトリカンとして生きていく中、サマー・コンサートやストリート・パーティーなどから始め、イベンター/プロモーターとして徐々に成功を収めてゆく。

そして79歳の今も現役のマネージャーだ。ティト・ニエベスやインディアをしっかりマネージしている。


こんな2人がオマージュを受ける今年の出演者はというと、まだ発表になっていない。
でも、誰が出てもこの2人にはなんか関係ありそうだし、敬意を表しに沢山の出演者になるかも。
今年も行きたいなあ。
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# by mofongo | 2010-02-04 00:03 | Musica/SALSA
2009年 12月 25日
ボリクアはレチョンを犠牲にせず
「ボリクアはレチョンを犠牲にせず」というクリスマスの記事が島の新聞に。
なんじゃ?と読んでみたら下記の内容。

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不景気なのにレチョンの売れ行き好調なんだって。
あの旺盛な食欲が、不景気の中で全く衰えていないというのは大変頼もしい限りです。

YouTubeでEl Gran Comboの"El Menu"を見る






自分も今日は、アロスとペルニル(ブタのソテー)でクリスマス。
クアトロを持ちだしてアギナルド・オロコベーニョを。家族にグイロをやらせて島のナビダー気分。

ラムを一杯やってリラックスでした。

YouTubeでMonika & Cristian Nievesの"Aguinaldo Orocoveno"を見る


◆◆◆


「ボリクアはレチョンを犠牲にせず」(エル・ヌエボ・ディアより)


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プエルトリコは不景気の真っ只中だが、クリスマスのレチョン(ブタの丸焼き)の売り上げはそんな現実を全然反映していない。本紙記者は昨日レチョン屋を回り調査してみた。

「不景気かもしんねえが、みんなクリスマスの食べもんには札びら切るのさ」とバヤモンのレチョン屋エル・バンブインのホセ・ニエベス親爺は語る。

去年のレチョンと付け合わせの定番料理の売れ行きはかなり良かったよ。だけど今年はもしろもっと良いよ。とこの道25年の親爺は云う。

ニエベス親爺の167号線の店で昨日の午後1時にはすでに用意したレチョンの半分はなくなっておりて、閉店の4時までには売り切れてしまう勢いだ。

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ラモン・クルース親爺がやっているバヤモンのエル・ピティーレは親の代からこの道39年の名店。

「そりゃ不景気だよ。でもいつだって食い物に金はだすのよ。クリスマスの料理を節約するやつなんていないさ」と親爺は語る。

11時の開店から店には飯を食いに来る客、職場でのクリスマスのランチパーティー用に買いに来る客からその日にアメリカ本土にお持ち帰りする客のまで列をなす。

バヤモンの教師を引退したエリサベス・ビアナは「昨日オーランドの息子家族のところでクリスマスをやりに行ってきたところよ」と語る「ここでレチョンとモルシージャ(血の入ったソーセージ)、チチャロン(ブタの皮の揚げたもの)とか買って主人と持ってッたのよ。向こうじゃ大ボリクア夕食会だわよ」

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アンヘル・フェレールは"クリスマス料理セット"を近所のジョナサン・リベラと食べに来た。
このクリスマスにちょっと食べに来ただけだが「やっぱクリスマスはこれを食べないとね」との事。

このレチョネーラの親爺たちによれば今年は会社主催のパーティー関係の注文は減ったが、職場ごとの15人から25人前のランチ・パーティー用は増えていると。

「家庭のパーティーへの持ち帰りや職場のグループ用は増えてるね。」と語るニエベス親爺は今日は18から20頭分売れると見ている。

クルース親爺によれば、前はひと家族、ひと月に一回、5ポンド(2キロ強)くらい買ってたが、今はも量も増えたが、回数も月2回くらい海に来ているのが多いとの事。

ちなみに、クルース親爺の店では1日30頭分のレチョンが売れるとの事
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# by mofongo | 2009-12-25 02:11 | Cosas/出来事
2009年 12月 21日
オスカル・デ・レオン倒れる、そしてマルビン・サンチアゴ建つ
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オスカル・デ・レオン、先週末心臓発作でカラカスの病院に緊急入院。とりあえず危険な状況は越えたとの事。よかったー。

まだ絶対安静だそうだけど、まだ66才だし週末も2件ライブが入っていたまだまだバリバリの体力。
3年前にマルティニーク公演中の心臓発作から、また元気になってあのパワフルな声を聞かせてくれてたのだから、今回もゆっくり休養してまだガンガンやってもらいたいと思います。

ところで問題です。同じ週末、プエルトリコに行ったことのあるサルサ・ファンならごぞんじの「サルサ公園」にあるサルセーロの胸像が一つ増えました。
だれでしょか?一つ前はトミー・オリベンシアでした。

1.ティト・プエンテ
2.ティト・ロドリゲス
3.ピート・エル・コンデ・ロドリゲス
4.マルビン・サンティアゴ
5.フランキー・ルイス
6.チャマコ・ラミレス
7.エラディオ・ヒメネス

答えはマルビン・サンティアゴ

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サルサ公園(La Plaza de los Salseros)はサン・ファンの下町、Villa Palmerasにある小さな公園。街から空港に向かうバルディオロティ通り沿いにあります。
ここには既にコルティーホ、イスマエル・リベラ、ペジン・ロドリゲス、エクトル・ラボー、トミー・オリベンシア、ティト・プエンテの胸像が建てられています。

→トミー・オリベンシア胸像建立の時の日記はこちら

マルビンはコルティーホからボビー・バレンティン、オリベンシアサルサのど真ん中なオルケスタで歌い、そしてソロと数々のヒット曲を連発した、"Sonero de Pueblo"(庶民のソネーロ)って愛称のある歌い手です。"Vasos en Colores"、"Fuego a la Jicotea"、 "Pobre Soy"、 "Soy Boricua"、"Bella Mujer"、"El Jibaro y la Naturaleza"・・・、自分はこのおっつあんの個性が大好きで、亡くなったときは本当に悲しかったです。

→5年前に追悼で書いたサイトへ
→追悼で『ラティーナ』誌に書いた記事へ(Page1)
→追悼で『ラティーナ』誌に書いた記事へ(Page2)

だから「トミー・オリベンシアの胸像の次はマルビンでなければ困ります!」と内心思っていただけにうれしい。特に、ここ2年の経済不況・歳出削減の中、この胸像に予算を割いたサン・ファン市の芸術文化観光部に拍手。

マルビンは最後は糖尿病やら腎臓疾患、心臓疾患やらでなくなってしまったが、心臓発作っつうのがラテン系(特にサルサ系)ミュージャンによくあるのはやはり食い物とかから来るのではか?

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量も問題かもしれないし、トストーネスを筆頭にモフォンゴ、カルネ・フリータ、アルカプリア、バカライート、エンパナーダなどなど揚げ物は多いし、焼きたてのレチョン(子豚の丸焼き)の脂身は絶品だし、油もののせいなのかも。これらのものがテーブルに並ぶクリスマス・シーズンは危険ではないか。

サルセーロには、パーティーで演奏だけしてもらい、食事は禁止した方がファンのためではないか?





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それをつくづく感じたのは先週末、プエルトリコはバヤモンのスタジアムでコンサートを行なったウイリー・コロンの写真みた時。

"El Malo"の頃、あのようにやせっぽちだったコローンは今や、ジェリー・メディナかペドロ・ブルルかと見間違うほど成長著しいではないか。







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自分も先週2日、今週も4日、今日も忘年会・クリスマス・パーティーだけど食いすぎないよう気をつけねば・・・。
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# by mofongo | 2009-12-21 07:34 | Musica/SALSA
2009年 12月 18日
旅日記:アルジェリア
前夜のパリでの牡蠣と白ワインは美味かったなあ、とスーツケースをひっぱりホテルからCDGの2Fへ向かう。まだ暗い6:00。

エールフランスのゲートには7:30の出発時間に向け人が集まって来て仏語、アラビア語、ベルベル語が行きかう。

しかし、JFK発サンファン行きアメリカン、LA発エルサルバドル行きTACAやマイアミ発ボゴタ行きアビアンカの猥雑さに欠ける。なんか「国内便マルセイユ行き」くらいで物足りないって好みの問題か。。オルリー発アルジェリア航空便ならよかったかも。

機内もまだフランス。飯もワインもムードも。早く地元の匂いを、思っていると高度が落ちてアフリカ大陸の北端が姿を現す。

アルジェリアだ。

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首都アルジェへは東部上空から降りてゆく。東部はベルベル人の多い地域で植民地時代、小麦やぶどうなど大農場が多かったエリア。窓の下に緑の畑が見える。

空港は近代的で気温も心地よくさわやか。街へ向かう車でラジオをかけてもらう。恒例の音楽占い。おー、でたアラブ音階。しかしアーティストも曲もわからない。
運転手に聞いてみるとライの歌手だと言う。アルジェに来たことを実感。

さっそくお客のところへ。

モフォ「ボンジュール、サラマリコン。フセインさん、カイファル・ハール?」
「マルハバン、モフォさん。まずは市内をご案内しましょう」

アルジェリアって日本にはあんまり縁のない国かも。
世代が上だと、「♪ここ~は地の果てアルジェリア~♪だよなー。」などと昭和30年代のヒット「カスバの女」をつぶやいたりする。色んな人が歌ってるけど、個人的には藤圭子。宇多田はこの母の遺伝子もっててよかったね。ちあきなおみも素晴らしい。

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YouTubeで藤圭子の「カスバの女」を聴く
YouTubeでちあきなおみの「カスバの女」を聴く



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そのカスバをまず探索。
アルジェリアは長らくフランスの植民地だった。両隣のモロッコやチュニジアは先に独立できたのに。
フランスの一部だったからパリやマルセイユに出た人々、「フランス人」として欧州戦線で戦ったアルジェリア人も多い。
それって、なんだかプエルトリコと同じ。共通のシンパシーを感じてしまう。



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でも独立戦争を経て62年に植民地から抜け出し社会主義の枠の中でやってきた後、90年代は軍とイスラム原理主義過激派組織その内戦/テロが活発化。ようやく収まってきたけど、北部や東部ではまだテロが頻発してる。

で、カスバは首都アルジェの旧市街、世界遺産にもなっている地域。オスマン帝国が支配していた16世紀の城砦が起源でプエルトリコならエル・モロと旧市街って感じ。
細い路地が入り組み家が密集しているから独立戦争時代の独立派や内戦時代のイスラム原理派が隠れるのには絶好だった。
今でもあまり治安のよくない地域。強力な哀歓のある地元の音楽が聞こえてくると、自分が異邦人であることを強く感る。



◆◆◆

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独立記念塔にも連れて行ってもらう。植民地から独立そして今へという時間の中を生きている当地の人々は一体どんな生き方・暮らし方・感じ方をしているのだろう。
アルジェリアは自分にとってはカミユやサン=テグジュペリ、ファノン、イザベル・アジャーニ、ジダン、サン=ローランくらいか。それに音楽。ライやアンダルースくらいしか知らない。

記念塔の向かいのアパートには見事なまでに衛星放送を受信するアンテナが並んでいる。
モフォ「ヨーロッパからの音楽やらキワドイ番組も見られるの」
「あれは多分かなりのが違法アンテナだから全部見られるよ」

きっと、こうやって少しずつ何かが混じり、一方で変わらないものと共存してゆくんだろうなあ。
時に「イスラムは排他的だ」という表現をする人がいるが、庶民の生活を見ていると大いに疑問に思う。

さてぼちぼち仕事へ。フセインさん、オフィスへ行きましょう。

◆◆◆

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アルジェリアの交渉ごとは、ラテンとはペースが違う。水タバコでもあるとムード出るのだけどそれは無かった。コーヒーやミントティー、そして甘いお菓子を前に夜8時くらいまでやる。
お菓子はアーモンド・ペーストにクミンとかフェンネルとかの甘い香りが混じる。つい手が伸びるわ。危険だ。

モフォ「ところで、アルジェリア・ワイン、うまいって聞いたんですが」
フセ「がはは、モフォさん、仕事は少なめ、食事とお酒と音楽は大盛だって聞いてますよ」
「だ、誰ですか、そ、そんな失礼なウワサを。まさかブログ読んでますか?」
フセ「なんですか、ブログって?では仕事は切り上げて夕食に行きましょう」


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まず、地元ビール"Tango"を。
「プハー。ちょっとコクがあってなかなかうまいですね」
フセ「次は赤ワインにしましょう。料理も選んで下さい」

フセインさんはアルコールは飲まないが、こちらが飲むのはOKだと。ワインは赤を頼んだが、これがなかなかいける。あー、イスラム圏で飲めるのはありがたいことです、ぐびぐび。



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前菜はボノワ風ブリックの"Brick a la bonoise"にする。アルジェ春巻きであるブレクにしようとも思ったけど、チュニジアで昔食ったブリックがあったので試してみました。ボノワーズはアルジェの東部、アンナバの植民地時代の名前から来ている。チュニジアに近いので、どこか似てるかな?

そしてメインはもちろんクスクスとショルバ。クスクスにはラム(肉)をつけてもらました。ショルバ(スープ)をクスクス(小麦粉を水とあわせ、小さな粒にしてふかしたもの)にかけて食べる。うまい!

デザートも食ってエスプレッソ飲んで満足・満足。でもラテンのように2次会はないのだ。ホテルに送ってもらう。



あー、食ったなあ。う、しかし・・・クスクスが腹の中で膨らんでいる。しまったあんなにスープをかけるんではなかった、く、くるしい。そ、そうだ、バーでミント・ティーでももらって胃を落ちつかせよう・・・

カウンターでリカールをなめながら音楽ビデオの番組を眺め、バーテンダーに色々はやりの音を教えてもらう。メモメモ。

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ホテルは19世紀の植民地時代に建てられた歴史あり。カミユやらクラーク・ゲーブルやらコクトーとかが泊ったとか、独立戦争のときは仏軍がいたとか。
そんなバーで、あのレバノンの女性歌手は美人だとか、このハレドの新曲はどうだとか、東洋人が酔っ払ってるのは不思議な現実感。

部屋に帰って、また音楽番組を見ながら色々考えてる内に眠りに落ちた。





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さて、捕獲CDです。

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まずライと言えばこの人、(シェブ)ハレドの新譜。
YouTubeでCheb Khaledを見る








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それから欲しかったスアド・マシ。
YouTubeでSouad Massiを見る

そして地元のアンダルシア系。

これらを聴くと、プエルトリコの哀歓の元になっている、スペインの音は、アンダルシアを真ん中にアルジェリアとも繋がってるなあと思う。とにかくメロディーが美しい。

ヒバロの哀歓、レロライとアラブ(アンダルス)音楽の発声、プレーナのパンデーロ/パンデレータとレク(レッ)との親戚関係・・・。



そういえば、バーの壁にかかっていた現アルジェリア大統領、ブーテフリカさんの写真がモン・リベーラに思えてきた。

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関口義人さんが編者として纏められた「アラブ音楽」という本の中町信孝さんの「アラブ・ポップス」の項にも紹介されている "6arab.com"のサイトではアラブ音楽を大きく4つに分けた地図があります。

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1.モロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビアのマグレブ地域
2.アラブ芸能の中心エジプトを中心にした地域
3.サウジアラビアやらの湾岸諸国
4.レバノン、シリア、イラク等の地域

中近東イスラム圏となるとこれに加えトルコやイランなども含めとんでもない多様性を抱えている。

それにパリのマグレブ移民、ドイツのトルコ移民、イギリスのエジプト移民、などなどと第二・第三世代を含め膨大な音楽があって、全てを触る事などとんでもないけど、「アラブ」「イスラム」が一枚板でない事を音楽から少しずつ教えてもらいたいと思います。
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# by mofongo | 2009-12-18 14:31 | Viaje/漫遊記