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2008年 03月 16日
i(前夜より続く) ああ眠い。どうやって部屋までもどったのか良く覚えてない。なにやってんだか、あぶないな、こいつは。 まだ10:00amか。日曜だしもっと寝ておかないと。でもまだ時差ぼけで体内時計が狂ってるのか眠れない。うー、頭重い。また無理して浜でも走るか・・・。それともそれは自殺行為? とりあえずCDとヘッドフォンと捕獲CD数枚、ペットボトルとショーツにサングラスにキャップで飛び出す。アッシュフォード通りから病院の裏までへろへろ歩き、それからゆっくり浜を走る。サングラスしても目が痛い日差し。 BGMはWisin & Yandel 2010 Last Edition。なんとなく体に血が回ってくる(気がする)。水を飲むと一気に汗が噴出す。 まだ、ラムが残ってる気もするけど、レゲトンのリズムがなじんでくる。巡回中の騎馬警官と挨拶。無理してもなんか食ったほうが良いんかな。 オーシャンパークの手前で住宅地に入り、目指すはパナデリア・カサルタ。 いつもながら混んでいる。お決まりのキューバン・サンドイッチ、今日は"Bistek"に。 Bistekはビーフの薄切りを焼いて、細かく刻んで揚げたポテトが挟んである。このカサルタのポテトはパン粉のように細かいが、決して揚げすぎてなくて美味い。それにビーフの量もしっかりずっしり。 持ち帰りにしてもらい、オーシャンパークまで走る。横目で眺めるのはティト・ロドリゲスが住んでいた家。屋根が和風ですね。ファンは良く知ってる通り、奥さんが日系だったからなのです。 CDをイスマエル・リベラにする。裏の大通りこえた先に住んでたマエロ。 浜には家族連れや若いグループ。パラ・サーフィンを楽しむ兄ちゃんも。 オーシャンパークの浜はコンダードに比べて若い。コンダードは観光客中心だから、けっこうおじいちゃんとか。 でもこちらの平均年齢はぐっと下がるので大変目の保養すね。 浜に陣取ってパンの包みを開く。がぶり。ああ、幸福。 ゆっくり食べて、浜にごろり。もう12:00だから焼いても30分が限界だな。目をつぶると波の音、人の声、椰子の葉の音、全てが音楽。 "♪~Pastelillos, calientitos, bacalaitos, acaplitos~♪ おお、スナック売りのプレゴン(物売り歌)!かっこいい、3拍+3拍+3拍+4拍の繰り返し。ずっとドの音で最後がソにあがって終わるメロ。 韻も踏んでて、おっちゃん素晴らしい。 "♪~Hay Agua fresca bebida~♪ 今度はおねーちゃん、ウーンなんて素晴らしい。 とかやってると、もうヒリヒリしてきた。まずい、上がらねば。 宿にもどって鏡を見ると、げッ、真っ赤!まずいなあ、これは数日後顔が剥けるよ。 反省して、仕事モード。溜まったメール、これまでのレポ、仕込み・・・・ あんだかあっという間に夕方。なんかちゃんと腹に入れとかなきゃ。どうするか?そうだ、久しぶりにピニョネスに行こう。 ピニョーネスはイスラベルデから東方、ロイサへ向かう道筋の海岸。 サルサ好きなら知ってのとおり、ロイサ方面はプエルトリコのブラック・ヘリティッジを擁する場所のひとつ。 さっきのオーシャンパークがホワイトなアーバンな青少年の浜だとしたら、ピニョーネスはブラック/アフロリカンな浜なのです。 イスラベルデのマリーナを越えて片側1車線となったところで、サウンド・システムを積んだピックアップが入ってくる。そして大スピーカーから流し始めたのがテゴの曲。うーん、出来すぎ。 "Loiza市"に入るところで渋滞でストップ。道の脇には炭火でバカライートやアルカプリーアを揚げる小さな店(キオスコ)が立ち並び、店の前に座ってるアフロなばあちゃん2名がテゴの曲にあわせ頭を振っている。なんとピニョーネスな風景。 キオスコやレストランの固まっている場所を抜けてしばらく走る。やがて人気のなくなったところで車を浜側に停めて、海岸に下りてみる。自然のままの浜。少し煙った遠くの風景を見ていると昔住んでいたアフリカの浜を思い出した。 浜に座って、流木を小枝で叩く。ボンバのクア代わり。そしてロイサのボンバのスタンダード、"Rule Sonda"や"Yuba la Marile"を口ずさんで見る。 ♪Rule, rule rule sonda, repicame la bomba rule sonda♪~ 気づいたら、後ろで地元のアフロなガキんちょ2名が不気味な顔して遠巻きに見てた。 「ボンバ、好きなのですが」と言ったら笑った。 調子に乗ってボンバのステップもやったが、大人が来たので恥ずかしいからやめて車にもどる。 ピニョネスでボンバとかライブが聴けるとこに行って見ることにする。でも、日曜だからやってないと思うけど。 一つ目は、ボンバだけでなくサルサやってたりする名店 Balcon de Zumbadora。 やはり閉まってた。ここで赤木りえさんとかも地元勢に混じって演ったりしたんですよ。楽しかっただろうなあ。 今月下旬のプエルトリコ・ツアーでもきっと来そうですね。 もう一店はIMAN de CUCU。Balconよりもう少しイスラベルデ寄り。こちらも日曜日はお休み。 キオスコで腹ごしらえ。日本人なんて珍しい地元の中学生?たちがチノ、チノと指差してるので、ハポネだよ、と声かけて好きな音楽は何か聞いてみる。 やっぱ、レゲトンなんだよなあ。ちょっとサルサもいたし、ボンゴ叩くやつもいた。 腹も一杯になったし戻ることにする。夕日が沈むのを見て、椰子の木のシルエットを見ながら渋滞の道をトロトロ走るのも良いもんです。 ラジオをひねればZ-93では日曜の6:00pm-8:00pmは"Pura Bolero”って番組。もうボレロだけ。ティト・ロドリゲスからチェオ・フェリシアーノ、ダビリータからイスマエル・リベラ、ティト・ロハス、エクトル・ラボー、フランキー・ルイス。ひたすら渋滞中をいいことにカラオケ状態。 そしてラ・セレクタの"Payaso"がかかった時には窓全開で湿った空気を車の中に充満させ、ボリューム・アップ。暗くなったピニョーネスの道にパヤソが響くとはなんと美しいことか。 ようやく8:00pm過ぎて渋滞を抜ける。ラジオを98.5 Sal Soulに切り替えると今度は9:00pmまで"Salsa Romantica"。ラロのハードで甘い歌が飛び込んでくる。 そうか、日曜の夜はボレロ、そしてロマンチカなんだなあ、来週に備えて週末最後の夜は歌を楽しむ訳だ。 そんな島のテンポにあった音を聴きながら、来週から戦うラテン親爺達の顔を思い浮かべた。 翌週4日間はひたすら仕事・・・・。 「モフォさん、では仕事はこれくらいにしましょう。明日島を出ることだし、今晩、飯はどうですか?その前にちょっとリラックスな企画も」 連れて行ってくれたのは20号線を南に下りグァイナボのスタジアム、Coliseo Mario "Quijote" Morales。 「バロンセスト(バスケットボール)です。今日はホームのサントゥルセの「カングレヘロス(Cangrejeros)」とハファルドの「カリドゥーロス(Cariduros)」との戦い。良い試合になりますよ」 実はバスケのナマ試合は初めて。でもリングすぐ前の席なのでPFやセンターの切り込み、争い、リバウンドの奪い合いなど迫力たっぷりで楽しめた。 散々応援したのだけど、残念ながらホーム側のカングレヘロスは88対84で負け。。。 さて面白かったのゲームだけでなく応援。サントウルセ側にはプレーナ軍団がいるのだ。攻める場面ではパンデレータがパンパン鳴りトロンボーンが炸裂。 ハーフタイムにはコート中央に出てきて、プレーナの演奏で皆を楽しませる。 あれ、この親爺の声とスルドの組み合わせは!と思って試合後バンド名を確認するとやっぱりBatukealo! さすがプエルトリコ。そして途中サルサ(ビクトル・マヌエル/Dira ella)とかかかるし、面白かったのは、相手の反則があったりして抗議の場面になった時。プレーナ隊が、「ドンツクドンツク」とビートをたたき出すとすぐに観客が "pa' fuera pa' la calle! pa' fuera pa' la calle!"と歌いだす。 あはー、El Gram Combo の"No Hay Cama Pa Tanta Gente". グラン・コンボの曲じゃ「クリスマスにペレス・プラードやらジャジョ・エル・インディオが来てセリアが来て・・・こんなに来ちゃ寝る場所ないよ、外だ外だ!」って曲。要は出てけ!退場!ってことだね。 さすが定番のヒット曲。みんなの中に生きている。 こんな風にプエルトリコは音楽と生活が溶け合っているのだ。 (続く)
by mofongo
| 2008-03-16 14:17
| Viaje/漫遊記
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