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2008年 11月 16日
南アフリカ/ヨハネスブルグから飛行機で東へ。 マダガスカルの海岸線が見えてくる。まだ手つかずの地形を超えるとインド洋に出た。 出発して約4時間。やがて機は高度を落とし、サンゴ礁に縁どられた大きな島が見えてくる。 モーリシャスだ。 モーリシャスという国の名前を初めて聞いたのは、小学校の時だった。 なんでかというと、切手を集めていた友達が、モーリシャスという国の昔の切手は100枚しか発行されなかったものがあって世界一高い、1億円の値段が付いてい るっていう話。 1億円がいったいどんなくらいの値段なのか小学生にはピンとくるわけもないが、その友達が見せてくれたマニアックな雑誌にはブルーの小さな切手の写真があった。 1847年、まだ英領だった頃のモーリシャス、総督夫人が舞踏会の招待状を送るために印刷された切手は、ふつうは「料金支払済」(Post Paid)と印刷される べきところを「郵便局」(Post Office)と刷られてしまったのだった。これが希少価値を生む。 この英領初の切手は「モーリシャス・ブルー」と呼ばれ、現在27枚しか残っておらず、マニアの垂涎のものなのです。 しかし、この頃の舞踏会ってなにやってたんだろう。19世紀前半っていえば前期ロマン派の頃。 ダンスとしてはワルツとかマズルカですかね。1844年頃、欧州ではポルカが大流行したし、同じくセット・ダンスではカドリーユが流行った頃だから、そんな曲もあった だろうなあ。そうそうカントリー・ダンス/コントルダンスを忘れちゃいけない。 コントルダンスは18世紀末のイギリスのカントリーダンスがフランスの宮廷/上流階級に入ってコントルダンスとなり、カリブ海のサン・ドマング(現在のハイチ)へやって 来たり、スペインでコントラダンサとなって、同じくカリブ海のプエルトリコやキューバへやってきたダンス。 そしてプエルトリコの欧州系音楽の代表となる「ダンサ」、又はキューバのこれまた「ダンサ・アバネラ」へとつながる。 そう、カリブ海とインド洋、たっぷり離れていても、熱帯にある島の植民地の歴史としては共通点がいっぱいありますね。 街を歩くとフレンチ・クレオール語が聞こえる。フレンチ・パトワとも呼ばれる。ベースのフランス語の上に、労働力として連れてこられた黒人系の影響を強くもつ地元の言葉。カリブじゃハイチを筆頭に、マティニーク、グアドループ、ドミニカやセントルシアでも聞くことができる。 仏語をベースにしてるから、モーリシャスとハイチでは、同じ単語もあれば(たとえば"私たち"は"Nou")、違うこともある(モーリシャスじゃ"私"は"Mo"だけど、ハイチ じゃ"Mwen"とか)けど、こんな離れたところなのに、音の響きはとてもよく似てるのが驚き。 でも、同じフレンチ・クレオールでも全然違うのは人の顔。カリブは黒人系、欧州系又は黒人系と欧州系の混じった人たちの顔がベースなのに、ここではインド系の 人たちが7割。 彼らがフレンチ系の言葉(仏語とクレオール)を日常語として話すのは、カリブに慣れた自分にはとてもエキゾチック。 客「Enchante, モフォさん。C'est mon plaisir de vous voir!」 モ「いやー、どうもどうも。こちらこそ、アンシャンテで。良いとこですねー。」 フレンチ・パトワのなまりのあるフランス語はいいなあ。これに大変弱い。 客「では、打ち合わせは外でやりましょう。マイヨ・ド・バンはお持ちですか?」 モ「は? 水着??」 車で15分、真っ青な海の広がる浜へ。 客「ほら、ビールもどうぞ。地元のフェニックス・ビールです。 そうだ、フルーツも買いましょう。ピーナツはどうですか?いやー、良い打ち合わせになりそうですねー、は はは。ほら、見てあそこ、トップレスのおねーさんが。がははは♪フランス人はこれだkらこまりますね♪」 まずい。完全に相手のペースだ。 客「モフォさん、どうしたんですか、ほら飲んで飲んで。そして泳ぎましょう。ここは塩分が濃いから楽ですよー。ほーら、ぷーかぷか。ぎゃははは」 いかん、楽しくなってきた。 まだ交渉は始まってもいない。 この親爺、ラテンより手ごわいかも・・・ しかし、買ってきてくれたフルーツがビールに合うのだ。甘いもんが?と思う方も多いでしょうが、さすがインド系70%の国。 フルーツをチリ(トウガラシ)混じりの塩水、またはビネガーに漬けたものなのだ。 パイナップも一口かじると、ピリッとした塩味の後に甘みが口の中に溶けあい、なかなかイケる。 ヒットはマンゴ。熟す前の若いマンゴはキュウリの浅漬けのような感じでビールにあうのだ。若干のうま味もある。昆布か?いやそんなものあるはずないし。 フルーツ屋へ行って聞いてみる。 モ「ねえ、このマンゴ、塩味とトウガラシだけ?なんか他に使ってない?」 店の親爺が出してきたのはなんと「味の素」。あやー、さすが世界の調味料。 アフリカのマーケット/マルシェでも小袋にパッケージされた味の素は大人気だと聞いてたが、ここもかあ~。 確かに街中にも看板がありました。 ・・・しかし、まずいなあ・・、こんな相手のペースでは。しかし、アイス・ボックスのビールはほとんどなくなり、ラムを買いに行こうという話になりつつある・・・。 そうだ!相手のペースについて行くからいかんのだ!これは日本人として毅然とした態度に出なければいけない。ビーチで酒を飲んでるだけではビジネスに勝てるわけもないだろう。 モ「アーメドさん。お気持ちは十分うれしいのですが、ここでお話を続けるのはどうかと思います」 客「?モフォさん。良いではないですか。青い海とおいしいお酒と波の音、もうすぐ夕焼けです。これで我々はリラックスして話ができますよ。何も足りないものなど無いじゃないですか♪」 モ「踊りがありません」 客「?お、踊りですか?」 モ「Oui, ça ne peut pas aller sans la musique.踊りに参りましょう」 親爺はインド系なのだが、ここはクレオール系の音楽/ダンスの"Sega"に連れて行けと要求してみた。 セガは黒人系の人たちが奴隷として砂糖キビ畑などの労働力として連れてこられた人々が作ってきた音楽とダンス。楽器は大きなハンド・トラムにシェイカー、トライアングルなどがベースで、今はギターやらベースも使う。 →YouTubeでSegaのDiva、ナンシーの画像を見る リズムは3拍子をベースにするが、ハチロク感覚が大きく覆っている。しかしこのハチロクはアフロ系かどうかは不明。というのは楽器と言い、メロと言い、非常にアラブの影響も感じるからだ。 ダンスは女性陣のフレアのついたスカートを大きく使い、腰の振動/回転をつかった動きが特徴。 そう、ハンド・ドラムはプエルトリコのプレーナやハイチ/キューバのコンパルサなどを連想させるし、女性陣のダンスはカリブ一帯のものとの共通性を感じる。 ここにも、言葉と同じく距離を超えた似たもの同士がいるのだった。 ダンスの前には腹ごしらえである。 シーフード・レストランで供されたのは、巨大なランゴスタ、つまり伊勢エビであった。真っ二つにして、軽い塩だけでグリルして、3種類のソースで食う。 クレオール(黒人系)、カレー(インド系)、クリーミー(フレンチ系)。 まさに植民地の要素集合! フランスもののワインも登場し、ますますエスカレートする両名である。 しかし、もうこのあたりになると両名ともかなり解釈不明な話をネタに笑いこける事となってしまった。 さて、セガのショーが始まった。このようなことで本当に良いのだろうか? と思う内に脳の内蔵メモリの容量が一杯になった。
by mofongo
| 2008-11-16 02:15
| Viaje/漫遊記
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